眠れるオペラ

夢 浮橋(ゆめの/うきはし)

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本編

data34:常夏のひまわり

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 ────,34


 パッと見、それは下着みたいな形をしている。
 なんかちょっとつるつるすべすべした素材で作られた、色味が派手なブラジャーとパンツ、というのが第一印象だ。

 サイネのアツキの説明によれば、それは水辺で着用するための衣類らしい。
 水辺というのは海や川、あるいはプールとかジャグジーだとかの、とりあえず花園とその周辺には存在しない環境のことである。
 まあ着る機会がないので、ソアには必要のないものだ。

「うちら泳げないもんね。こーゆーのにはご縁がないねえ」
「でもこれ、こんなお腹とか肩とか丸出しなのばっかりだけど……これ、外で着るの? 人前で?」
「逆に布が多いと泳ぐのには邪魔らしいからね」

 ヒナトはまじまじと水着を見つめた。
 こんなに露出の多い恰好、とても恥ずかしくてできそうにないのだが、世間じゃこれを着るのがふつうなんだろうか。
 世界は広い。そしてちょっと怖い。

 でも、もしヒナトがこんなセクシーな恰好をしたら、どう思われるのかな、なんて考えてしまった。
 すぐチビとかいって子ども扱いしてたけど、少しは見直すんじゃないだろうか。

 ……うん?
 なんでまた想定相手がどこぞの班長さんなんでしょうか?

 また顔が真っ赤になりそうだったのと妄想劇場にもつれ込みそうだったので、ヒナトは咄嗟に両手で自らの顔を思い切り叩いた。
 パァン! というすがすがしい音が響きわたり、サイネとアツキがぎょっとした顔でふり返る。

「……あんた何してんの?」
「な、なんでもない……」
「ほっぺ真っ赤で痛そうだよ、大丈夫~?」
「うん、……ちょっと痛い……」

 ちょっと力みすぎたな、と反省したヒナトだった。
 幸い店内は空調が効いていてちょっと寒いくらいだったので、吹き下ろしてくる冷風で頬を冷ましながら水着コーナーをあとにした。

 その少し奥には、またかなり毛色の違う衣類がずらりと並んでいる。
 ……たぶん衣類だと思うのだが、見た目は四角く折りたたまれた布なので、どんな形なのかがよくわからない。
 飾られたポップには『浴衣と帯がセットになっています!』とある。

「よ……よくい?」
「ゆかた、ね。これもまた私らには縁がないけど」
「デパートで水着と浴衣が並んでると夏だなって感じするねえ。いいなぁ、こっちは一回くらい着てみたいなぁ」
「これはどこで着るものなの? 字からするとお風呂?」
「昔はそうだったらしいけど、今だとお祭りとか花火大会とか……その手のイベントって夜が多いし日時も決まってるから、まず解放日とは重ならないし」

 アツキに手を引かれて浴衣コーナーにちょっとだけお邪魔する。
 少し歩くと、それらしい装いをしたマネキンが立っていた。

「あと着方がわかんないんだよね。一人じゃ難しそう。あ、ほら、ここに必要な小物とか書いてあるでしょ」
「……なんじゃこりゃ」

 マネキンの隣に浴衣の着用方法をイラストで説明した雑誌が広げてあった。
 確かに何がなんだかわからないし、小物にしても、見たことも聞いたこともないものばっかりだ。

 しかし、アツキが着てみたいと言うのもわかる。

 GHの制服はもちろん、お出かけ用の私服ともまったく違う。
 形は当然として、色合いや模様なんかも他にはない変わったものが多く、そのどれもが上品で不思議な魅力に満ちているのだ。
 帯とかいうベルトの親玉みたいな布で背中のところに大きなリボンが作られているのもかわいらしい。

 しかもマネキンは数体いたが、おおよその形状こそ同じものを着ているのに、色柄や帯が違うだけでこんなにも雰囲気が変わるのか、と驚かされる。
 帯や襟にちらりとレースをあしらっているものなんかもあり、そうなるとかわいさ数倍増しだ。

「いいなあ……あっこれかわいい」
「ちょっとアッキー、こんなの買っても着れないんだから」
「見るだけだから許して~。あー、そだそだ、サイちゃんはもし着るとしたらどれにする?」

 アツキにそんな話を振られ、サイネは面食らったような顔をした。
 そんなこと考えたこともなかったのだろう。
 つっぱねるのかなと思ったが、なんとそのまま周囲の浴衣を見比べ始めたので、ヒナトはちょっと意外に思った。

「ほらほらヒナちゃんも。どれがいい?」

 というわけで、ヒナトも選んでみることにする。
 買うわけじゃなくても、着れなくても、見るだけならタダだしそれで充分に楽しい。

「うーんと……これかな……あ、こっちでもいいな」
「私はこれ」
「おーいいねえ。うちはこれ!」

 サイネが選んだのは白い地に、紫の花柄が大きめに染め抜かれた一枚だ。
 花の種類はヒナトにはわからないが、迫力があってサイネらしいし、セットの帯が渋くて恰好いい。

 アツキが見せたのは華やかな紅色に、きらきらした曲線や模様が入ったエレガントなものだった。
 大人っぽいチョイスはちょっと意外だ。
 でも背の高いアツキなら間違いなく着こなせるだろうし、セットになっているのが何かふわふわした珍しい布地の帯で、ほどよくかわいい一品である。

 そしてヒナトはというと、決めきれなかった。

 候補に挙げたのはいずれも水色の生地が涼しげなもので、どちらも白い花柄が入っている。
 生地などの質感がそっくり同じ、ほぼ柄違いの浴衣だ。
 片方はさくら柄、もう片方はバラ柄で、それぞれ濃いめの黄色と紫色のシンプルな帯がセットになっている。

「うーん、バラは大人っぽいし、さくらはお上品て感じ。どっちもかわいいね」
「ね。こいつは迷うなぁ……」
「さくらのほうがいいんじゃない」
「あ、そう?」

 ふむ。
 確かにまだヒナトにはバラ柄は早いかもしれないし、おしとやかさも欲しいから、さくら柄でいこうか。

 ……なんつって、買わないんだけど。

 その後も三人はウインドーショッピングを楽しんだ。
 フロアを練り歩いているうちにちょっと足が疲れてきたが、たまの外出だと思うと休憩する気にもなれず、いつまでもあれこれ見ていたくなる。

 きらきら光るアクセサリーを眺めていると、ふとアツキが言った。

「あ、ひまわり。夏だねぇ」

 見れば彼女の視線の先に、ひまわりの花を模ったブローチがあった。
 その周囲には他にもアサガオやあじさいといった夏を代表する花をモチーフにしたものが並んでいる。

 先日の造花のことを思い出したヒナトは、なんとなくふたりにそれを話した。
 なぜか男子たちが花について妙に詳しかったこと、夏らしい花にしろと言われて右往左往し、結局ひまわりに落ち着いたこと。

「まあガーデンに図鑑があったし、みんな一度は眼通してるんじゃないの?
 他に読むものがなくなると最後に行きつくのがあれだからね。ガーデンの本棚でいちばん分厚いし」
「そだねぇ。ヒナちゃんは読まなかったんだ」
「あ、……あはは。あたし本はあんまり好きじゃなくて」

 あやうく墓穴を掘りかけたヒナトは苦笑いで誤魔化した。
 ガーデン時代の記憶がないことはふたりにまだ話していないし、こんなきっかけで知られたくはない。

「……ね、ちょっと思ったんだけど、ヒナちゃんてひまわりに似てるよね」

 アツキが急にそんなことを言って、ブローチをヒナトの眼前に翳した。

「いつも明るくって前向いてて、でもってじーっとソーくんを見てるとこ。ソーくんがいないとしょんぼりしちゃうとことか、太陽が大好きなひまわりみたい」
「……え、え、えええ!? 急になに!?」
「まあ色味もどことなくね。あと黙っててもなんとなく騒がしい感じとか」
「サイネちゃんまでなに!? っていうかそれはあんまり褒めてないよねえ!?」

 どっちかっていうとけなされている感のほうが強い。
 正直喜んでいいのかわからずヒナトは困惑したが、サイネはちょっと笑って続けた。

「ああ、言い間違えた。賑やかってこと」
「まあサイちゃんにしては珍しくまともに褒めてるんじゃなぁい?」

 アツキもからからと笑い始め、つられて思わずヒナトも頬が緩んでしまう。

 みんな機嫌がいい。
 久しぶりのお出かけが楽しくて、みんながいるから嬉しい。

 毎日ずっとこんなふうに笑っていられたらいいのに。
 誰かが急にいなくなってしまうことなんて一瞬だって考えずに、ただ目の前の幸せだけ見つめていられたらいいのに。
 涙の日なんて来なければいいのに。

 楽しいはずなのに、どこか胸の奥が寂しいのはなぜだろう。

 それは忘れられないからだ。
 小さな女の子のあまりに突然の死と、最愛のモデルを失った少年画家の悲嘆が、まだヒナトの底にこびりついている。

 ふとした瞬間に思い出してしまう。
 もうフーシャがGHのソアになることも、そこで友人たちと楽しくすごすこともないのだと考えてしまう。
 そして蘇る哀惜の声──フーシャがいなければ絵が描けない、彼女でなければいけないのだというコータの慟哭が、耳の奥にこだましている。

「……ヒナちゃん?」

 アツキの声にはっとする。
 いつの間にか俯いていた顔を上げると、少し心配そうなふたりが目に入った。

「──あたし、これ買おうかなぁ」

 精一杯笑顔を作ってそう言った。
 ふたりに余計な気を遣わせたらせっかくの外出が台無しだ。

 アツキからブローチを受け取って値段を見てみたが、そう高いものでもなく、お小遣いの範囲で問題なく買えそうだった。

 ソーヤを眼で追いかけているひまわり、という喩えは悪くない。
 実際彼の体調なんかを気にして観察しまくっているのは事実であるし、それに、ひまわりの花自体もけっこう好きだ。
 これを機にトレードマークにしようか。

 あとブローチなら普段の制服にも着けられる。
 アツキのバレッタのような『そのソアのお馴染みのアイテム』にじつはちょっと憧れがあったのだが、これならちょうどいい。

 ヒナトはひまわりのブローチを無事に購入し、満足して百貨店を後にした。

 外出時間はまだ終わりではないが、さすがにウインドーショッピングは十二分に堪能できたので、のんびり歩いて集合場所に向かうことにする。
 そういえば今回アツキとサイネは何も買わなかった。
 聞けばわりといつもそうらしく、けっこう貯金が捗っているらしい。

 ヒナトもいざというときのために貯めるべきだろうか。
 あ、あとソーヤとワタリに起きた日プレゼントを買いたいのだった、いつでもいいように備えなければ。

 とりあえず次回は下見をしたい。
 となると、それまでに期日とプレゼント内容を決めなくては。
 つまりはふたりの起きた日を聞き出しつつ、好みの傾向をリサーチしなければ。

 などとあれこれ考えながら、三人は大通りに挟まれた公園を突っ切っていた。
 横断歩道を渡るよりもこちらを通るほうが安全だし、あと景色もいいから、とはアツキの言だ。

「……あ! ニノりんとユウラくんみーっけ。やっぱり近くにいたんだ~」
「さすがに道中出くわしはしなかっ……」

 アツキのほんわかした声のあと、サイネが言葉を途切れさせた。
 それどころか三人の歩みも止まった。

 公園は広く、花壇に挟まれた石畳の遊歩道がずっと続いているが、その先。
 噴水が心地よい音を鳴らしているその向こうに、見知ったソアの少年たちの姿が見える。
 それだけなら何の問題もないのだが、彼らはふたりではなかった。

 彼らを呼び止めて、なにか話し込んでいるようすの見知らぬ若い女性がいたのである。


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