夢で満ちたら

ちはやれいめい

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8 選んだ責任を取るのは自分自身

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 水タバコやトルコランプ、香炉、民族衣装。
 世界中の雑貨が並ぶ店内には、ほんのりムスクの香りが漂う。
 教科書に載っている中東や北欧の雑貨たち。
 あまりオシャレや買い物に興味のないミチルでも、キレイだなと惹かれる品だ。

 店の奥、居住部に案内された。
 ダイニングキッチンにはアンティークのテーブルセットがある。調度品の一つ一つまでとてもオシャレだ。

 腰掛けてからも、ユメは物珍しさで何度も部屋の中を見回す。

 歩は慣れた手つきでハーブティーを淹れて、透明なティーカップをミチルとユメの前に出した。
 茶菓子にクッキーを添えてくれる。

「どうぞ。ローズマリーティーよ」
「わー、ありがとー!」
「……いただきます」

 あたたかくて良い香りで、気持ちが落ち着く。

「ハーブティーって初めて飲んだけど、美味しいのね」
「そう。口にあったならよかったわ」

 ミチルとユメが口をつけたのを見てから、歩も自分のお茶を飲む。
 ティーカップを持つ指に鮮やかな色のネイル。白い肌によく似合っている。
 兄弟だから、歩の顔立ちや横顔は駆によく似ている。まとう雰囲気は全然別物だけど。


 今目の前にいる穏やかな雰囲気の歩と、父から聞いていた“後先考えず家出した無鉄砲な男”が同一人物と思えない。

 こうして対面する機会を得られたけれど、何から話せばいいんだろう。会えたらきいてみたいことがあったはずなのに、唐突にそれが叶い、ミチルは何をきけばいいか迷った。

 ユメが歩を見上げて、いきなり核心をつく。

「ねえねえ歩さんて、家出してもちゃんとお店持てたんでしょ。あたしも勉強嫌いだから学校辞めたい。好きなことして生きたい」
「ユメ、失礼な聞き方しないの」

 あけすけすぎる聞き方をされても、歩は怒ったりしなかった。
 口に手を当てて肩を震わせる。
 

「あのね、ユメ。アンタが勉強が嫌で高校に行きたくないなら勝手にすればいい。でも、アタシもアンタの親も責任を取らないわよ。責任を取るのはアンタ自身。中退だとバイト探すだけでも一苦労よ。面接のたびに辞めた理由をつつかれることになるわ。で、面接官はみんなこう言うの『高校の勉強すら嫌で投げ出した人間だ。うちの仕事もどうせ嫌になったらすぐ投げ出すんだろう? 雇うわけがない』って」

「ええええー! でも歩さん、こうして店を持っているじゃん! 好きに生きても意外となんとかなるってことでしょ?」

「確かに夢を叶えたし、あの家を出たこと後悔していないけれど。安直に考えるのはやめなさい」

 ユメは頬をふくらませる。
“歩が高校辞めて家出しても夢を叶えた”その一点しか見えていない。
 そんなユメを、歩は優しく叱責する。

「アンタは糖蜜の井戸で暮らしているカエルなのね。カエルどころか、足すら生えていないオタマジャクシかもしれない。……アタシが実家を出てからの二十四年、一秒の苦労もなく遊び暮らしていたと思うなら大間違いよ」

 歩は目を伏せ、深呼吸する。
 深く、深く息を吐く。
 そして店を開くまでのことを語った。
 

「店を開業したのは五年前。逆説的に言えば、ここにたどり着くまで、十九年かかっているのよ。開業資金ってテナント料も必要だし、商品も集めないといけないし。ここに来る途中に店の中を通ったでしょう? あの量を、一日二日で用意できるわけないでしょ。渡航にもいくらかかると思うのよ」

 歩は言う。
 旅館等の住み込みバイトで資金をためては海外に渡る。
 その国で友人を作り、お願いしてホームステイさせてもらう。毎日町の人と交流して、言葉を身に付けた。
 中学高校の教科書に載っていた英語は、実際そこで生活してみると役に立たなかった。
 日本の方言と同じで、その土地その土地で細かに変容している。

 日本語を話せる外国人は少ない。
 だから、商品の仕入れをするためには相手の言葉で話さなければならなかった。

 店を開くまでの役所の手続きは、高校からの友人である初斗が手伝ってくれた。
 初斗も精神科医として独立開業をしているため、開業に必要な申告諸々の知識があった。


 自分の店を持ちたいという夢が揺るがなかったからこそ、たどり着いた。

「ユメ。アンタは目に見えない、そういうものにも目を向けないといけない。勉強が嫌だから。そんな理由で辞めても、苦労するだけだし後悔しか残らないわ。バイトの面接で学歴を笑われて、高校卒業していれば雇ってもらえたのにって毎回思うことになる」

 経験者だからこその言葉だ。
 ユメが今日、高校を辞めても。すぐに人生つまずくのは目に見えていた。


「アンタは今この瞬間から、親の援助一円もなしに生きろって言われたらできる? 持ち物はバッグ一つ。住むところはなし。このクッキーの一枚すらも買えない。自分が間違っていたって泣きついたって、二度と家に入れてもらえないわよ」

 一文無し。面接を受けても、高校中退の家なしだと言う理由で蹴られる。
 そんな状態で何ができるか。
「気に入った、中卒でも熱意さえあれば採用するぜ!」なんて社長に気に入られて雇ってもらえるなんて展開は、アニメやマンガの世界だけ。
 学歴社会の現代日本ではただの笑い者。


 歩の語り口は優しいのに、一言一言重たい。


「ここまで聞いた上でも、まだ高校をやめたい?」
「…………ううん」

 昨日はあんなに勉強が嫌だと騒いでいたのに、ユメはとてもしおらしくなってしまった。 

「ミチル。アンタはこれからどう生きたいの?」
「わからない。大学、父さんに言われたから、出ただけだから」
「そう。あのときのこと、まだ根に持ってるのね、兄貴は。………ねえミチル。父親に言われたから仕方なく選んだ道でも、地盤にはなっている。決して無駄ではないわ」
「あのとき? 地盤?」

 意味がわからなくて聞き返す。

「世の中、大学を出てないと就けない仕事ってのもあるわ。大学を出ると、その分未来の選択肢は増える。そのうちアンタがなりたいと思える仕事ができたとして、応募の必須項目が大卒だったなら」

 大学卒業したからこそ選べる道もある。
 これまでの時間は無駄ではなかった。
 そう言ってもらえると、親に言われて仕方なく歩いてきた日々が少しだけ報われた気がする。

「……私みたいな生き方をしてきた人間でも、歩叔父さんみたいに……何かになりたいなんて、思える日が来るのかな。親に勘当されてでも譲れない夢、見つかるかな」
「さあねぇ。ああ、そうだ。じゃあミチルとユメ。ひとつゲームをしましょう」

 歩は未使用のノートを一冊テーブルに出した。


「今からそこの商店街に出て、出会う人に『子どもの頃の夢と今の職業』を聞いてらっしゃい。三十人に聞いて戻ってこれたら、ご褒美にいいものをあげる」
「…………そのゲームになんの意味があるんですか」
「意味なんてクリアしてから考えなさい。クリアしないとご褒美の内容は教えないし、見せないわ。けれど、きっと二人が探すものの役に立つわ」

  
 ミチルとユメは顔を見合わせ、頷きあう。

「……そのゲーム、乗ります」
「うん。あたしもやってみる」

 歩がゲームを提案してきた理由はわからないし、ゲームの意味もわからない。
 
 わからないけれど、きっと迷っているミチルたちのためになることなのだと思った。
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