夢で満ちたら

ちはやれいめい

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18 前と同じようで違う日常

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 明日はユメが帰る日。

 夏の間は早朝ランニング、ラジオ体操、勉強したら夕方またランニング、と……運動する時間が増えたからか、最近は両親から顔色が良くなったと言われる。

 夏が始まったばかりのとき小走りしただけで息切れしていたのが嘘のよう。

 日曜日で父の仕事が休みだから、最後の早朝ランニングは四人で走ることになった。

 ハイキングコースをいく。木々に囲まれていて空気が美味しい。
 最近は朝の空気が冷たくて、走りやすくなった。

 ミチルと父が少し先を走り、やや後ろを母とユメがおしゃべりしながら走っている。

 ミチルは父の嬉々とした横顔を見て、自分の心も明るくなる。

「父さんは走っているときが一番楽しそうだね」
「生きがいだったからな。それに、もうすぐ大会だし」
「歩叔父さん楽しみにしてたよ。昨日行ったら、レジの後ろの壁に額を飾るスペース作ってたし」
「あいつは遠足の前日から張り切るタイプだから」

 歩の話をすると、懐かしそうに笑う。
 再会する前の父からは考えられない変化だ。
 ミチルは歩にアドレス交換をしてもらい、ちょっとスキマ時間に話をするようになった。
 歩からは『友人宅で流しそうめん大会が始まったわ。一度にたくさん流しすぎて奥さんにこっぴどく叱られてる』と写真が送られてきたりして、それを見てミチルは笑う。



「……色々すまなかったな。親父たちがああいう人間なのに俺が縁を切れなかったから、ミチルも同じものを強いられることになった」

 高学歴を誇る祖父母が、子どもだけでなく孫にも同じものを求めたことを指して、父は謝る。

 

「ううん。今は、大学出ておいてよかったと思っているよ。ありがとう、大学に通わせてくれて。家庭教師になるためには、大卒は必要なことだったから。結果オーライなのかな。歩叔父さんな言われて気づいた。私、父さんにお礼を言ったことすらなかったね。大学に行くために奨学金を使う人だってたくさんいるのにさ、してもらえて当たり前になってたんだ」

 ミチルは考えた末に、家庭教師になることを決めた。
 明日ユメを送り出したら、面接に行くことになっている。

「夏の間ユメの勉強見てて、いろんな人と会って。私、誰かの夢を応援できる人になりたいって思った。きっと私みたいに、何ができるのか、どうしたいのかわからない子は多いから。同じ悩みを抱えていたぶん、その子に寄り添って教えられると思う。口で言うほど簡単なことじゃないだろうけれど」
「お前がそう決めたのなら、俺は後押しするだけだ」
「うん。ありがとう、父さん」


 後ろでおしゃべりしていたユメが、丘の下から大きく手を振って声をはりあげる。

「ねえねえーミチルちゃーん! あのお兄さんとは進展あったのー? あたしがこっちにいるうちにくっつくかと思ったんだけど?」
「あのお兄さん? ミチルは誰か付き合っている人がいたのか」

 大きな声で言うものだから、父だけでなく、まわりでハイキングしていた人たちにも丸聞こえ。
 外が暑いからと言う理由とは別の理由で、ミチルの顔は暑くなった。
 ミチルは振り返って一言。

「ないから!」
「えー。お似合いなのに」
「お似合いって、ユメちゃんはその人を知っているの? どんな人?」

 ユメの脳内カップリングは今日も捗っている模様だ。
 たぶん駅のベンチで偶然並んで座っている男女も、ユメの視点だと運命の出会いでカップルと化す。
 たとえば今、少し先にいる二人。転んだおばあさんに手を貸している通りすがりの若い男性。

「東堂くんにはちゃんと相手がいるかもしれないんだから、迷惑かけちゃだめだよ、ユメ」
「東堂って、その男の名前か?」

 東堂と聞いて、父が驚く。

「あ、うん。私と年が近い男の人でね、よく早朝と夕方に海沿いをランニングしているよ。前に私が転んで怪我したとき、手当してくれたんだ」
「……走るのが好きだなんて、血は争えないな、東堂家は」
「何が?」
「こっちの話だ。はぁ。あいつの息子が義理の息子になる可能性があるなんてな…………」

 空を見上げて、父はなんとも複雑そうな顔になった。




 そしてユメが帰る日の朝。
 叔父と叔母が車でユメを迎えに来た。

「無理なお願いを聞いてくれてありがとう、ミチルちゃん。これ、お礼。受け取って。ユメからもね、毎日のように楽しそうなメッセージが来てて、卒業まで頑張るって言ってくれて、わたし、すごく嬉しいの」
「私も楽しかった。おかげでやりたいこと見つかったから、ありがとう、叔父さん、叔母さん」

 ユメは二階から鞄を抱えて降りてくる。
 荷物は来た日のニ倍になっている。
 ラジオ体操で仲良くなった小学生から手紙をもらったり、砂浜でビーチグラスを集めたり。近所のおばあちゃんから手編みの帽子をもらったり。
 一日一人友達が増えているレベルだ。

 ここまで夏を満喫する高校三年生もなかなかいない。


「伯父ちゃん、伯母ちゃん、ミチルちゃん、たくさんありがとうね。あたしすっごく楽しかった!」
「またおいで、ユメちゃん」
「気をつけて帰れよ」

 父と母が名残惜しそうにお別れを言って、ミチルも手を振る。

「寂しくなるね」
「えへへ。それじゃー、ミチルちゃんが寂しくならないように毎日メッセージするね」

 これを社交辞令でなく本当に実行するのがユメだ。
 ミチルは笑って応じる。

「次に会うのは陸上大会のときだよ!」
「うん。またね、ユメ」



 ユメが帰ったあと、父が出勤する。
 ミチルは、ユメが使っていた客用布団を片付けて、掃除機をかける。

「私の部屋、こんなに広かったっけ」

 もとの一人部屋に戻っただけなのに、やけに静かで声が響く気がする。
 ユメは賑やかなムードメーカーだから、いなくなったとたんに静かすぎて物足りない。
 最初は三日だけで終わると思っていたのに。
 目を閉じるとこの一ヶ月あまりの日々が思い起こされる。
 寝るって言っているのに、ユメがトランプを持ち出して二人ババ抜き大会が始まるなんてざらだった。
 賑やかでも、嫌な賑やかさではなかった。

 パタパタと階段を上がってくる音が聞こえて、扉が開く。

「ミチルー、午後から面接でしょう? スーツ、持ってきたわよ」
「ありがとう」

 数カ月ぶりに袖を通したスーツは、ややブカブカになっていた。
 毎日走っていたから、仕事をしていた頃より痩せたらしい。
 ダイエット目的で走っていたわけではないので、予想外の効果に驚く。
 革バッグに履歴書が入っているのを確認して、リビングに顔を出す。

 昼ごはんを食べてから化粧をして、久しぶりに革靴をはいた。

「あなたなら大丈夫よ、ミチル。行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます」


 前と同じ日常、ではない。
 ミチルはもう、部屋にこもるインコではない。

 駅のホームで電車を待っていると、スマホが鳴る。

〈 ミチルちゃんがんばって!〉

 ポンポンを振る猫が踊っている。
 ユメらしいスタンプだ。


 ミチルはありがとう、とスタンプを返してスマホをマナーモードにすると、面接会場に向かう電車に乗り込んだ。
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