完結済 ドブネズミの革命 ─虐げられる貧民たちは、自由を求めて下克上する─

ちはやれいめい

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革命戦争編(親世代)

十六話 誘拐か、己の意志か

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「姫が誘拐された!?」

 兵の詰め所にいたウスマーンは、侍女から知らせを聞き、部下を連れてすぐに姫の寝所に向かった。
 本来なら女人の寝所は男子禁制だが、事態が事態だ。この国に女性の兵がいないのだから仕方ない。捜査のためなら、マラ神も怒ったりはしないだろう。

 床に散った金髪は、おそらくは姫の髪だ。無理やり掴んで鋭利な刃物で切り落としたように、束で落ちている。
 虫退治の煙玉の臭いが鼻をつく。
 ウスマーンは部屋の中央に立ち尽くすガーニムに問いかける。

「陛下、何があったのです。これは一体」
「盗賊だ。盗賊がシャムスを攫ったんだ! 助けてくれという悲鳴を聞いて駆けつけたが、もうシャムスは居なかった!」

 ガーニムはウスマーンに顔を向けると大声でまくし立てる。
 まるで、あらかじめ台本を用意していたような演技くさい台詞。娘が攫われたというのに、娘の身を案じる様子が一切ないのも疑問だった。
 同じようなことをどこかで聞いた。
 アシュラフ王が殺害された、あの夜に。

「詳しい話を伺ってもよろしいですか。一刻も早く姫を助けるためにもご協力ください」
「そんなことはいいから早く犯人たちを追え!」

 ガーニムは声を荒らげ、クローゼットを指す。

「寝所番の侍女は何をしていたのですか。駆けつけたときにはもういなかったのに、犯人が複数であるとなぜご存知なのです」
「どうでもいいだろう! 早く行け! シャムスを連れ戻せ!」

 腑に落ちない点が多いが、姫を救出するのが最優先というのも確かだ。戻ってから詳しく話を聞くことにして、ウスマーンはクローゼットを覗く。

 燃え尽きた煙玉が二つ転がっていて、床の一部がめくれている。
 めくれた床下は空洞になっていて、階段が見える。後ろに控えていた部下……バカラに目で確認し、下に降りた。
 ウスマーンはともかく、バカラは筋肉質で図体が大きいため、とても通りにくそうにしながら降りてきた。

「大将、これは。賊が落としたものか?」

 バカラ足元に落ちていた何か布を拾い上げる。おそらく衣服だ。カンテラの薄い灯りでは検分しにくい。

「薄暗くてよく見えないな……あとで調べよう。回収しておいてくれ」
「承知した」

 緊急時の脱出用通路であるため、天井があまり高くない。石を積んで作られた壁の隙間から明るくなり始めた夜空が見える。
 いくらか進んだところで道が分岐した。

 バカラが歩きにくそうに身を屈め、左に進んで吹き出した。手を振り回して目の前を払う。

「ペッ! くそ、蜘蛛の巣かよ!」
「なら、使われたのはこちらの道だな。賊が逃げてから一時間も経っていないから、蜘蛛が巣を張り直した可能性は低い。お前に絡まっている蜘蛛の巣はかなり古いものだ。埃と枯れた葉がついている。そちらの通路は長らく使われていないんだろう」
「蜘蛛の巣の分析なんぞしなくていいってーの!」

 バカラの鼻先に引っかかっている古い蜘蛛の巣と枯れ葉を取って、ウスマーンは右の道に進む。
 顔についた蜘蛛の巣を袖で擦り落として、バカラはウスマーンのあとに続く。

「姫が攫われちまったってのに、冷静だなぁ大将は……」
「誘拐された言ったのは陛下であって、事実がそうとは限らないからな」
「そいつぁどういうことですかい?」

 ようやく狭苦しい通路が終わり、打ち捨てられた水路に出た。昔、主の水路として使っていた場所だ。つる草が目の前を遮っていて、腕で押しのけ外に出る。

 埃とカビの臭い、いろんな腐臭が混じり合った不快な臭いがする。少し先に見えるのは朽ちかけの家屋群。

「……こちら側はスラムのそばに出るのか」 
「そんなことより、大将。さっきの話。誘拐されてないってのは一体」
「急かすな、バカラ。たった一人の証言が真実ではないだろうということだ。陛下の部屋から姫の部屋までかなり離れた位置にあるのに、『悲鳴が聞こえたから駆けつけた』というのも怪しい。あそこまで聞こえるほどの悲鳴があがったのが事実なら、誰より姫のそばにいる侍女達が真っ先に駆けつけるはずだろう。第一に駆けつけたのが陛下なのはなぜだ?」

 ウスマーンはガーニムの行動を疑っていた。
 犯人が複数だと明言できたのは、その場にいて犯人を見たからではないのか、と。本来なら男子禁制である姫の寝所に、何か理由をつけて入り込んで。侍女がすぐに駆けつけなかったのは、人払いをしていたから。

「は? 陛下が嘘を言っているってのか!? 大将のくせに主である王を疑うなんて!」

 バカラは、ガン、と壁を壊さんばかりの勢いで殴りつける。眼前を拳が通っても、ウスマーンは態度を崩さない。

「いくつもの可能性を考えなければならないだけだ。本当に誘拐ならば身代金を要求する者が出てくる。力ずくで犯人を押さえつければ済むが、誘拐でない場合、姫は自分の意志で出ていったことになる」
「はぁ? 自分の意志で? んなわきゃねぇだろう! 金にも食いもんにも不自由しねぇ生活で家出なんて、何が不満だってんだ! 誘拐だと認めたくねぇからってそりゃねえだろ」

 ウスマーンの記憶が確かなら、バカラは平民の、それもかなり貧乏な家の出身だったはず。そのためか、金さえあれば誰もが不満のない生活を送れると考えているフシがある。
 姫が何不自由ない生活に不満を抱くはずがない、そう思うのだろう。

「君の階級が少佐《しょうさ》止まりなのは、人の話を聞かず、すぐに激昂するところが原因だと思わないか」
「ぐ……」
「武力だけなら、バカラ。君のほうが私より数段上。大将にのし上がっていてもおかしくはなかったんだ」

 短気で怒りに任せて行動する人間に、兵の総まとめ役は務まらない。統率力、判断力などを総合的に精査された結果、バカラよりあとに兵になったウスマーンが大将となった。
  
「姫が誘拐されたのか自分の意志で逃げたのか、今はどちらも憶測に過ぎない。真偽は姫を見つけてから直接聞くことにしよう」
「ふん。ならさっさと聞き込みをしましょうや。おい、そこの!」

 時刻は夜中から明け方になろうかというところ。スラムの住人も寝静まっている。バカラは、地面にボロ布を敷いて寝ていた男を無理やり叩き起こした。
 

「ふぁ。誰だよ……まだ夜じゃないか。ん?……その格好……王宮の兵?」
「姫を出せ」
「は?」
「盗賊が姫を誘拐してここに逃げたのはわかってんだぞ! お前ここにいたんなら見たに決まっている。隠そうってんなら容赦しねぇぞ!」

 バカラの聞き方は質問というよりは恫喝《どうかつ》。賊はお前じゃないかと言われかねない剣幕に、ウスマーンは顔をしかめる。いくら焦っているからといって、民を脅すのは体裁が悪い。

「よくわかんねえこと言わないでくれよ兵士さん。高貴な身分の人間が、スラムなんぞに入ってくるわきゃないだろう。姫なんて見たこともねぇ」
「だがここに来たことは確かだ。見ていないはずがない!」
「待て、バカラ。我々のように城で働いていなければ容姿もわからないだろう。聞き方を考えろ。私が話を聞くから、少しの間下がっていてくれ」
「チッ」

 バカラは舌打ちして一歩下がる。ウスマーンは肩をすくめ、座り込んでいる男の前に膝をついて目線を合わせる。

「姫の見た目はルベルタ人に酷似していて、年は十七才。金の髪にくすんだ青い瞳をしている。その方をすぐにでも保護したいのだ。イズティハルの民として協力してはくれまいか」
「……アンタら、その子を見つけてどうしようと言うんだ」
「見たのか見ていないのかを聞いている。どちらに向かった?」

 男の近くに寝ていた老人も、話し声で目覚めたようで体を起こした。
 

「兵士さんよ。儂らは、たとえ何か見ていたとしても答える義理はない。アンタら兵士は火事のとき助けてくれと訴えても、一切助けてくれようとはしなかった。それどころか、『ドブネズミなんか焼け死ね』ってな。そのくせ、自分たちが困った時ばかり協力しろなんて勝手すぎやしないかね」
「な…………」

 スラム内で起きた火事は、小火《ぼや》で済んだ。火が広がらずに鎮火したとだけ報告を受けている。まさかスラムの民が兵士に助けを求め、救援を求められた兵が突っぱねていたとは。

「……そんな報告は受けていない」
「報告するわきゃねぇよなぁ。俺達は人間として数えられていないから、訴えなんてもとからなかったことにされてんだ」
「アンタらの頭ん中は、きれいなもんしか見聞きできねぇお花畑かよ」

 老人と男が鼻で笑う。
 そう、報告するわけがないのだ。
 スラムの民に国籍はなく、国民として数えられていない。国民でないから助ける必要はないと考える人間は少なくない。
 民を平等に守ると公言する兵であろうと、その考えを持つ人間はいる。

 火事という事態においても貧民の命を軽視する部下がいるということに、ウスマーンは衝撃を受けた。

 ウスマーンが見捨てたわけではなくとも、彼らから見たらウスマーンもバカラも、自分たちを見捨てた兵の仲間。
 兵が彼らを見捨てたから、彼らも姫の捜索に絶対に協力してくれない。

「そのなんとかって娘を探したいなら他を当たってくれ。他の人間もお前らなんかにゃ絶対協力しないだろうけどな。ハッ」
「ンだとこの! この国の姫の身が危ないかもしれねぇってのに。人間の心がないのかテメエら!」

 バカラが怒り、拳を振り上げる。
 男たちも身構える。ウスマーンはバカラを手で制した。

「止めろ、バカラ。……起こしてすまなかった。もう協力してくれとは言わない。部下の非礼、私が代わりに謝罪しよう。火事のときに何もしなかった兵にも、きちんと話を聞こうと思う」

 膝をついて、男に頭を下げる。
 謝ったところで火事が起きたときにスラムの民を見捨てた事実は変わらない。
 投げかけられる視線は氷よりも冷ややかだ。謝罪されたところで、こちらの気が晴れるだけでなんの解決にもなっていないのだ。

「バカなのか、あんたら。上っ面の形だけの謝罪になんの意味がある」

 二人の男だけでなく、まわりにいたスラムの民もウスマーンとバカラを殺しかねない目をしている。

 バカラもこれだけの数の人間に、刺すような目を向けられ、流石に気圧された。

「行くぞ、バカラ。こんな時だけ協力しろと言う私たちが間違っていたのだ。自分たちの足で探そう」
「チッ…………わあったよ」

 姫がどこにいるか、スラムの誰にも聞くことができない。もうとっくに、スラム以外のどこか別のところに行ったかもしれない。
 なんの成果もなく城に戻ることはできない。
 重い足取りで、ウスマーンとバカラはスラムへ足を踏み入れた。


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