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革命戦争編(親世代)
三十七話 心のままに選ぶ道
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ウスマーンは、妹も王子も死なせたくない、殺してくれと友に頼んだ。
『幸せになれ、そんなこと自分で伝えに行きなさい。……言ったでしょ。アンタはここで死ぬべき男じゃない。王子の治世になったら絶対に必要な人間だって』
そう言って、ディヤは己の足を斬った。
血だまりになった床を指す。
『もうすぐ陛下が来る。いいと言うまでそこにうつ伏せていなさい』
こうしてウスマーンはディヤに助けられた。
もしガーニムに気取られたら、自分の命も危うくなるというのに。
一生かけてもこの恩は返しきれないだろう。
気がつくと見知らぬ洞穴だった。
あの独特の悪臭がないことから考えて、少なくとも、最初ディヤに降ろされたスラムではない。
ならばここはどこだ。
上体を起こして状態を確認すると、元々着ていた軍服ではない。多くの平民が着ている、一般的なイズティハルの民族服だ。
そして全身に負っていた傷の手当がされていた。
誰かがウスマーンをここに運び、治療してくれたということだ。
全身ボロボロで血まみれ、見るからに怪しかっただろうに、誰が助けてくれたのか。
視線を巡らせると、そばに老齢の男がいた。
「目が覚めたか、ウスマーン」
「……貴方は」
シャヒド・アル=ラシード。
最後にあったのが十八年前であるため、記憶にあるよりは老いているが間違いない。
「ありがとうございます、ラシード殿。貴方が、助けてくれたのですか」
「私は君が目覚めるまで診ていただけ。ここに運んできたのは外にいる子たちだし、治療を施したのは、私たちの軍医さ」
「ということは、ここは反乱軍の拠点? 敵将の私を助けるなんて、正気ですか」
反乱軍は城内の事情を知らないはず。
彼らからしたらウスマーンは敵の大将。助ける利点などないのに。
「命は平等なるもの。怪我人がいたら誰であろうと助ける。それが医者というものです」
答えたのはラシードではなく、ルベルタ人の男だった。
男は洞穴に入ってくると、手に持っていた湯気の立つ器をウスマーンに差し出す。
「麦のリゾットを作ってもらったのでどうぞ。空腹状態だと薬も飲めませんから」
「なぜ、ここまでしてくれるんだ。私があなた方を殺してガーニムにこの場所のことを吐くとは考えないのか」
「イズティハルの大将である貴方が主君であるはずの人間をガーニムと呼び捨てにする……。貴方が囚われていたことと関係があるのでしょうか」
「それは……」
「マラ教の信徒でも食べられる食材しか入っていないので、安心して食べてください」
殺すつもりなら、治療なんてせずここに運ぶ前に殺しているだろう。いまさら毒を盛る理由もない。
温かなリゾットをいただき、用意された薬を飲む。食べ終えるのを待って、ラシードが問いかけてくる。
「話ができるようならファジュルを呼んでこよう」
「いいえ。気遣いは無用。自分で会いに行きます」
起き上がり、久しぶりに自分の足で歩いた。
壁に手をつきながら進む。
気温からしてまだ朝。
離れたところで誰かが煮炊きしている。距離があってよく見えないが、女だ。
木剣を打ち合う音の方に目をやると、アムルとファジュルが手合わせをしていた。
何度か打ち合い、ファジュルの手の内にあった剣が弾かれる。地面を滑り、ウスマーンの足元にまで来た。
「ファジュル様。剣の重さに振り回されてはいけません。重心はあくまでも自分に置いて」
「……わかった」
剣を拾おうと振り返ったファジュルと、目が合った。
穏やかそうなつくりの顔立ち、青の瞳はアシュラフ王の面影を色濃く残している。
よく似ているけれど、アシュラフ王とは違う。
彼の人は体が弱かったため、日の下で剣を振り回すようなことをしなかった。
「良かった。歩ける程度には回復したんだな」
ファジュルは安心したように笑いかけてくる。
「助けていただいたこと、心より感謝します。……貴軍《きぐん》の医師はとても優秀ですね」
ウスマーンは足元の木剣を拾いあげ、ファジュルに渡す。
「ああ。ヨハン先生はとても腕がいい。俺も幼い頃から何度も世話になっている」
「信用しているのですね」
「ヨハン先生も親代わりのようなものだったから」
ヨハンのことを語る表情は、親を褒められて喜ぶ子どものように屈託がない。
劣悪な環境で育ったにも関わらず、とても真っ直ぐな性格なのがうかがえる。本人の気質だけでなく、長年彼を支えてきた人間のおかげなのだろう。
「どこかで拘束されていたんだろう。詳しく話を聞かせてもらえないだろうか」
「はい」
作戦会議室だという洞穴に案内された。
そこにいたのは、何度か宴に呼ばれていた旅一座の少年。そして、男物の服を着たシャムス王女。
こんな形で再会することになるとは想像していなかった。
「やあ、兄さん。大将さんが目を覚ましたんだね」
「君は……それに、シャムス様。反乱軍に所属していたのですね。誘拐されたわけではないというのは、そういうことでしたか」
王女は首を左右に振りながら言う。
「シャムスではないわ、ウスマーン。今の私は反乱軍のイーリス。そう呼びなさい」
「はぁ」
どこからどう見ても王女なのだが、本人はそう呼ぶなと言う。
「シャムスと呼ぶと怒るから、面倒だがイーリスと呼んでやってくれ。それから、そっちの少年がディートハルト。彼とその姉、傭兵が倒れていた貴方をここまで運んできた」
「そー。伯父さんだけでなくて、ボクもあんたの命の恩人なんだよ」
ディートハルトは自慢げに己の胸を叩く。
「褒められることをしたのは事実だけど、自画自賛するのは格好悪いと思うの……」
「うっさいよイーリス! 芋の皮まともに剥けないくせに!」
「失敬な! 今お芋は関係ないでしょう!」
王女……いや、本人が望む呼び方はイーリスか。
いつも人形のように表情を変えなかったイーリスが、年頃の少女のように見える。
こんな一面があったのかとウスマーンは驚く。
「喧嘩するなら外に出ていてくれ。落ち着いて話を聞けない」
「ごめんなさい」
ファジュルに叱られ、ディートハルトとイーリスが揃って頭を下げた。
何分もしないうちに他の仲間だと言う人たちも集まった。
ウスマーンは彼らに一礼して、あの公開処刑の日から今日までの経緯を話す。
ファジュルを逃したあと、反逆の意思ありとして地下牢に幽閉されていたこと。
ガーニムからファジュルの軍を潰さないと妹を殺すと命令されていたこと。
ディヤが捨て身で助けてくれたこと。
話を聞き終え、ファジュルが拳を強く固める。
「あのとき逃してくれたこと、感謝している。だが、貴方はそのせいで囚われていたんだな。俺が不用意に飛び込んだりしたから」
「部下を追撃させなかったのは、私が勝手にやったことです。ファジュル様が責任を感じる必要はありません」
ファジュルは、ウスマーンが幽閉されたことに責任を感じてしまうほど優しい。
この人が王になってくれるなら、兵や召使いたちも安心して働ける。
常にガーニムの顔色をうかがいながら、怯えて生きる日々を終わらせることができる。
ここに集まった人たちも皆、彼の心根に希望を見いだしたのだ。
「ファジュル様。貴方が許してくださるのなら、私を反乱軍の軍師として使ってください。王国軍の兵たちひとりひとりの得手不得手も把握しております。必ずお役に立ちましょう」
「……いいのか? 妹が人質にされているのだろう。貴方が反乱軍に属していることがガーニムにばれたら」
頭を下げたままなので表情は見えないが、ファジュルが戸惑っているのが伝わる。
「私を死んだことにして逃してくれたディヤのことを思えば、マッカのことを思えば、この先もウスマーンと名乗って生きるのは得策ではない。なので、これからはジハードとでも呼んでください」
ウスマーンはファジュルの前にひざまずく。
「このジハード、剣と知識を貴方のために使うことを誓います」
深く頷き、ファジュルはジハードへ右手を差し伸べる。
「そこまで覚悟しているのなら、意を汲《く》もう。俺の願いはガーニム政権を終わらせ、貧民が人として生きられる国にすること。そして流民に帰る場所を与えたい。力を貸してくれ、ジハード」
「御心《みこころ》のままに、我が主」
逃してくれたディヤのために、妹をガーニムの手から救うために、ファジュルの剣となろう。
心のままに進めと、親友が背中を押してくれたから。
『幸せになれ、そんなこと自分で伝えに行きなさい。……言ったでしょ。アンタはここで死ぬべき男じゃない。王子の治世になったら絶対に必要な人間だって』
そう言って、ディヤは己の足を斬った。
血だまりになった床を指す。
『もうすぐ陛下が来る。いいと言うまでそこにうつ伏せていなさい』
こうしてウスマーンはディヤに助けられた。
もしガーニムに気取られたら、自分の命も危うくなるというのに。
一生かけてもこの恩は返しきれないだろう。
気がつくと見知らぬ洞穴だった。
あの独特の悪臭がないことから考えて、少なくとも、最初ディヤに降ろされたスラムではない。
ならばここはどこだ。
上体を起こして状態を確認すると、元々着ていた軍服ではない。多くの平民が着ている、一般的なイズティハルの民族服だ。
そして全身に負っていた傷の手当がされていた。
誰かがウスマーンをここに運び、治療してくれたということだ。
全身ボロボロで血まみれ、見るからに怪しかっただろうに、誰が助けてくれたのか。
視線を巡らせると、そばに老齢の男がいた。
「目が覚めたか、ウスマーン」
「……貴方は」
シャヒド・アル=ラシード。
最後にあったのが十八年前であるため、記憶にあるよりは老いているが間違いない。
「ありがとうございます、ラシード殿。貴方が、助けてくれたのですか」
「私は君が目覚めるまで診ていただけ。ここに運んできたのは外にいる子たちだし、治療を施したのは、私たちの軍医さ」
「ということは、ここは反乱軍の拠点? 敵将の私を助けるなんて、正気ですか」
反乱軍は城内の事情を知らないはず。
彼らからしたらウスマーンは敵の大将。助ける利点などないのに。
「命は平等なるもの。怪我人がいたら誰であろうと助ける。それが医者というものです」
答えたのはラシードではなく、ルベルタ人の男だった。
男は洞穴に入ってくると、手に持っていた湯気の立つ器をウスマーンに差し出す。
「麦のリゾットを作ってもらったのでどうぞ。空腹状態だと薬も飲めませんから」
「なぜ、ここまでしてくれるんだ。私があなた方を殺してガーニムにこの場所のことを吐くとは考えないのか」
「イズティハルの大将である貴方が主君であるはずの人間をガーニムと呼び捨てにする……。貴方が囚われていたことと関係があるのでしょうか」
「それは……」
「マラ教の信徒でも食べられる食材しか入っていないので、安心して食べてください」
殺すつもりなら、治療なんてせずここに運ぶ前に殺しているだろう。いまさら毒を盛る理由もない。
温かなリゾットをいただき、用意された薬を飲む。食べ終えるのを待って、ラシードが問いかけてくる。
「話ができるようならファジュルを呼んでこよう」
「いいえ。気遣いは無用。自分で会いに行きます」
起き上がり、久しぶりに自分の足で歩いた。
壁に手をつきながら進む。
気温からしてまだ朝。
離れたところで誰かが煮炊きしている。距離があってよく見えないが、女だ。
木剣を打ち合う音の方に目をやると、アムルとファジュルが手合わせをしていた。
何度か打ち合い、ファジュルの手の内にあった剣が弾かれる。地面を滑り、ウスマーンの足元にまで来た。
「ファジュル様。剣の重さに振り回されてはいけません。重心はあくまでも自分に置いて」
「……わかった」
剣を拾おうと振り返ったファジュルと、目が合った。
穏やかそうなつくりの顔立ち、青の瞳はアシュラフ王の面影を色濃く残している。
よく似ているけれど、アシュラフ王とは違う。
彼の人は体が弱かったため、日の下で剣を振り回すようなことをしなかった。
「良かった。歩ける程度には回復したんだな」
ファジュルは安心したように笑いかけてくる。
「助けていただいたこと、心より感謝します。……貴軍《きぐん》の医師はとても優秀ですね」
ウスマーンは足元の木剣を拾いあげ、ファジュルに渡す。
「ああ。ヨハン先生はとても腕がいい。俺も幼い頃から何度も世話になっている」
「信用しているのですね」
「ヨハン先生も親代わりのようなものだったから」
ヨハンのことを語る表情は、親を褒められて喜ぶ子どものように屈託がない。
劣悪な環境で育ったにも関わらず、とても真っ直ぐな性格なのがうかがえる。本人の気質だけでなく、長年彼を支えてきた人間のおかげなのだろう。
「どこかで拘束されていたんだろう。詳しく話を聞かせてもらえないだろうか」
「はい」
作戦会議室だという洞穴に案内された。
そこにいたのは、何度か宴に呼ばれていた旅一座の少年。そして、男物の服を着たシャムス王女。
こんな形で再会することになるとは想像していなかった。
「やあ、兄さん。大将さんが目を覚ましたんだね」
「君は……それに、シャムス様。反乱軍に所属していたのですね。誘拐されたわけではないというのは、そういうことでしたか」
王女は首を左右に振りながら言う。
「シャムスではないわ、ウスマーン。今の私は反乱軍のイーリス。そう呼びなさい」
「はぁ」
どこからどう見ても王女なのだが、本人はそう呼ぶなと言う。
「シャムスと呼ぶと怒るから、面倒だがイーリスと呼んでやってくれ。それから、そっちの少年がディートハルト。彼とその姉、傭兵が倒れていた貴方をここまで運んできた」
「そー。伯父さんだけでなくて、ボクもあんたの命の恩人なんだよ」
ディートハルトは自慢げに己の胸を叩く。
「褒められることをしたのは事実だけど、自画自賛するのは格好悪いと思うの……」
「うっさいよイーリス! 芋の皮まともに剥けないくせに!」
「失敬な! 今お芋は関係ないでしょう!」
王女……いや、本人が望む呼び方はイーリスか。
いつも人形のように表情を変えなかったイーリスが、年頃の少女のように見える。
こんな一面があったのかとウスマーンは驚く。
「喧嘩するなら外に出ていてくれ。落ち着いて話を聞けない」
「ごめんなさい」
ファジュルに叱られ、ディートハルトとイーリスが揃って頭を下げた。
何分もしないうちに他の仲間だと言う人たちも集まった。
ウスマーンは彼らに一礼して、あの公開処刑の日から今日までの経緯を話す。
ファジュルを逃したあと、反逆の意思ありとして地下牢に幽閉されていたこと。
ガーニムからファジュルの軍を潰さないと妹を殺すと命令されていたこと。
ディヤが捨て身で助けてくれたこと。
話を聞き終え、ファジュルが拳を強く固める。
「あのとき逃してくれたこと、感謝している。だが、貴方はそのせいで囚われていたんだな。俺が不用意に飛び込んだりしたから」
「部下を追撃させなかったのは、私が勝手にやったことです。ファジュル様が責任を感じる必要はありません」
ファジュルは、ウスマーンが幽閉されたことに責任を感じてしまうほど優しい。
この人が王になってくれるなら、兵や召使いたちも安心して働ける。
常にガーニムの顔色をうかがいながら、怯えて生きる日々を終わらせることができる。
ここに集まった人たちも皆、彼の心根に希望を見いだしたのだ。
「ファジュル様。貴方が許してくださるのなら、私を反乱軍の軍師として使ってください。王国軍の兵たちひとりひとりの得手不得手も把握しております。必ずお役に立ちましょう」
「……いいのか? 妹が人質にされているのだろう。貴方が反乱軍に属していることがガーニムにばれたら」
頭を下げたままなので表情は見えないが、ファジュルが戸惑っているのが伝わる。
「私を死んだことにして逃してくれたディヤのことを思えば、マッカのことを思えば、この先もウスマーンと名乗って生きるのは得策ではない。なので、これからはジハードとでも呼んでください」
ウスマーンはファジュルの前にひざまずく。
「このジハード、剣と知識を貴方のために使うことを誓います」
深く頷き、ファジュルはジハードへ右手を差し伸べる。
「そこまで覚悟しているのなら、意を汲《く》もう。俺の願いはガーニム政権を終わらせ、貧民が人として生きられる国にすること。そして流民に帰る場所を与えたい。力を貸してくれ、ジハード」
「御心《みこころ》のままに、我が主」
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