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3 嘘つきないい子
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帰宅してすぐ、センリは居間の座布団をたたんで枕にして、横たわる。
顔色はすこぶる悪い。
病院に行って職場に書類を提出して帰宅する……活動時間は四時間に満たないけれど、今のセンリにはそれだけでいっぱいいっぱいだった。
自分の部屋に戻る気力すらなくなっている。
チヨはセンリの部屋からタオルケットを持ってきて、センリにかける。
目元にかかった髪を指先でのけてやり、顔を見るとなしに見る。
そばかすが目立つのはチヨの息子明利と同じ。
センリの面差しは明利に。ねこっ毛のふわふわした髪質は母親のリセに似ている。
初田が言っていた、「人によって回復する年数は違います。半年で回復の兆しが見える人がいれば、十年かかる人もいる」という言葉を思い出して、目に涙が浮かんだ。
(センリは何年かかるのかしら。一年、それとも十年? センリでなく、私がなればよかったのに。どうして未来があるセンリがうつになるの……)
チヨは仏壇の前に膝をつき、遺影に手を合わせる。
遺影の夫婦はセンリよりも若い。高校の同級生として出会い、結婚した息子たち。二十八という若さでこの世を去った。
センリは今年で三十。両親の享年を超えてしまった。
事故はもう二十五年も前のこと。センリは親と過ごした年月よりも、親を失って生きた年月のほうが多い。
(明利。私はちゃんとセンリの親代わりをできているかしら。あなたとリセさんが生きていたら、こんな風に病気になったりはしなかったのかしら。病気になる前に気づいてあげられたらよかった)
後悔ばかりがうずまく。
チヨと夫利男がセンリを引き取った時から、センリはあまりわがままを言わない子だった。
同じ年頃の子を持つ近所の母親たちに、「うちの子はゲームが欲しい漫画が欲しいとおねだりして大変なのよ。手がかかって仕方がない。センリくんみたいにおとなしい子だといいわね」なんて評価されていた。
本当に、学校で用意してくださいねと言われた文具やら雑貨以外のものを……センリ個人が欲しいと思うものを言わないのだ。
チヨは長年センリを育ててきて学んだ。
センリが「何もいらないよ、大丈夫だよ」と言って笑うときほど大丈夫ではないのだ。
「大丈夫」は、人に迷惑をかけまいとする嘘。
家族なんだから、迷惑かけてもいい、わがままを言ってくれていいのに。
居間に戻ると、飼い猫の豆大福が猫じゃらしをくわえてきて、センリの前でウロウロしていた。
お腹と左前足が白い黒猫で、人懐っこい猫。
センリに遊んでもらうのが大好きで、センリが家にいるときはセンリにべったりだ。
「マメ。お兄ちゃんは今日元気がないの。遊ぶのは後にして、ねんねしようね」
『なぅー』
右往左往した後、センリのタオルケットにもぐりこみ、胸のあたりにすりよって寝転がる。
無意識なのか、センリは豆大福の毛をそっと撫でてやる。
その様子を見たチヨは少し安心して、初田からもらった小冊子に目を通す。
うつ病の時に不足しがちになる栄養があるため、それを補うための食事について書かれたものだ。
朝と夕にホットミルクやミルクココアを飲む。
ナッツ類、大豆製品、たまご、肉、魚
チーズ、ヨーグルト等乳製品、海藻
「飲み込むのがつらいようだと先生が仰っていたし、まずはホットミルク、あとは豆乳……かまなくてもいいものを多目にしたほうがいいかしら」
センリは昼ごはんを食べないまま横になってしまったため、起きてきたとき腹がすいているということも考える。
しばらくして、センリが起きてきた。
豆大福を抱っこしながら、キッチンに来る。
「センリ。たくさん汗をかいたでしょう。お茶を飲んだほうがいいわ」
「うん。なんだかのどが渇いた」
「食べられるようなら、これも食べて」
ヨーグルトにすりつぶしたバナナを加えたもの。
センリは子どもの頃から使っている猫の耳がついたスプーンを取ってくる。
『なー』
「マメはもう自分のご飯食べてるだろ」
キッチンのテーブルの下で、豆大福が自分のとり分はないのかと抗議している。
今朝もほとんどご飯を食べなかったセンリだけど、十分くらいの仮眠でも多少疲れがとれたようだ。帰ってきたばかりの時より、いくぶん顔の血色が良くなった。
「ばあちゃん、ごめん。ありがとう」
「いいのよ」
何に対してのごめんなのか、きっといろんなものが混じったごめんだ。
チヨは笑って、自分もヨーグルトを食べる。
センリの昼食は小皿に一杯のバナナヨーグルトだけだった。
ここからがスタートだ。
回復していけば、前みたいに元気にお腹いっぱい食べられるようになる。
センリを支えてあげようと、チヨは改めて心に決めた。
顔色はすこぶる悪い。
病院に行って職場に書類を提出して帰宅する……活動時間は四時間に満たないけれど、今のセンリにはそれだけでいっぱいいっぱいだった。
自分の部屋に戻る気力すらなくなっている。
チヨはセンリの部屋からタオルケットを持ってきて、センリにかける。
目元にかかった髪を指先でのけてやり、顔を見るとなしに見る。
そばかすが目立つのはチヨの息子明利と同じ。
センリの面差しは明利に。ねこっ毛のふわふわした髪質は母親のリセに似ている。
初田が言っていた、「人によって回復する年数は違います。半年で回復の兆しが見える人がいれば、十年かかる人もいる」という言葉を思い出して、目に涙が浮かんだ。
(センリは何年かかるのかしら。一年、それとも十年? センリでなく、私がなればよかったのに。どうして未来があるセンリがうつになるの……)
チヨは仏壇の前に膝をつき、遺影に手を合わせる。
遺影の夫婦はセンリよりも若い。高校の同級生として出会い、結婚した息子たち。二十八という若さでこの世を去った。
センリは今年で三十。両親の享年を超えてしまった。
事故はもう二十五年も前のこと。センリは親と過ごした年月よりも、親を失って生きた年月のほうが多い。
(明利。私はちゃんとセンリの親代わりをできているかしら。あなたとリセさんが生きていたら、こんな風に病気になったりはしなかったのかしら。病気になる前に気づいてあげられたらよかった)
後悔ばかりがうずまく。
チヨと夫利男がセンリを引き取った時から、センリはあまりわがままを言わない子だった。
同じ年頃の子を持つ近所の母親たちに、「うちの子はゲームが欲しい漫画が欲しいとおねだりして大変なのよ。手がかかって仕方がない。センリくんみたいにおとなしい子だといいわね」なんて評価されていた。
本当に、学校で用意してくださいねと言われた文具やら雑貨以外のものを……センリ個人が欲しいと思うものを言わないのだ。
チヨは長年センリを育ててきて学んだ。
センリが「何もいらないよ、大丈夫だよ」と言って笑うときほど大丈夫ではないのだ。
「大丈夫」は、人に迷惑をかけまいとする嘘。
家族なんだから、迷惑かけてもいい、わがままを言ってくれていいのに。
居間に戻ると、飼い猫の豆大福が猫じゃらしをくわえてきて、センリの前でウロウロしていた。
お腹と左前足が白い黒猫で、人懐っこい猫。
センリに遊んでもらうのが大好きで、センリが家にいるときはセンリにべったりだ。
「マメ。お兄ちゃんは今日元気がないの。遊ぶのは後にして、ねんねしようね」
『なぅー』
右往左往した後、センリのタオルケットにもぐりこみ、胸のあたりにすりよって寝転がる。
無意識なのか、センリは豆大福の毛をそっと撫でてやる。
その様子を見たチヨは少し安心して、初田からもらった小冊子に目を通す。
うつ病の時に不足しがちになる栄養があるため、それを補うための食事について書かれたものだ。
朝と夕にホットミルクやミルクココアを飲む。
ナッツ類、大豆製品、たまご、肉、魚
チーズ、ヨーグルト等乳製品、海藻
「飲み込むのがつらいようだと先生が仰っていたし、まずはホットミルク、あとは豆乳……かまなくてもいいものを多目にしたほうがいいかしら」
センリは昼ごはんを食べないまま横になってしまったため、起きてきたとき腹がすいているということも考える。
しばらくして、センリが起きてきた。
豆大福を抱っこしながら、キッチンに来る。
「センリ。たくさん汗をかいたでしょう。お茶を飲んだほうがいいわ」
「うん。なんだかのどが渇いた」
「食べられるようなら、これも食べて」
ヨーグルトにすりつぶしたバナナを加えたもの。
センリは子どもの頃から使っている猫の耳がついたスプーンを取ってくる。
『なー』
「マメはもう自分のご飯食べてるだろ」
キッチンのテーブルの下で、豆大福が自分のとり分はないのかと抗議している。
今朝もほとんどご飯を食べなかったセンリだけど、十分くらいの仮眠でも多少疲れがとれたようだ。帰ってきたばかりの時より、いくぶん顔の血色が良くなった。
「ばあちゃん、ごめん。ありがとう」
「いいのよ」
何に対してのごめんなのか、きっといろんなものが混じったごめんだ。
チヨは笑って、自分もヨーグルトを食べる。
センリの昼食は小皿に一杯のバナナヨーグルトだけだった。
ここからがスタートだ。
回復していけば、前みたいに元気にお腹いっぱい食べられるようになる。
センリを支えてあげようと、チヨは改めて心に決めた。
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