18 / 20
18 新しい一歩
しおりを挟む
十月末。
センリは久しぶりに職場に顔を出した。
勤務開始は明日からだが、事務課に置いたままになっている私物を回収する必要があった。それに、これまでお世話になった挨拶もしておかないと。
十一月からは新しい人が来て、センリが使っていた席を使うことになっている。
田井多と顔を合わせたくないが、そこは社会人として次の人のためにやらなければならないことだ。
センリは電話で言われていた通り、まずは人事課に顔を出す。
「蛇場見課長。お久しぶりです」
「来たか、秤。煩わせてすまないな。大事なものと処分していいもの、本人でなければわからないからな」
「いえ。こちらこそ、何か月も置きっぱなしですみません」
頭を下げると、蛇場見は軽くセンリの腕をたたく。
「このあとは秤が入ることになる製造部について説明するから、私物をまとめたらここに戻ってきてくれ」
「はい」
重い足取りで事務課に入った。
当然と言えば当然だが、視線がセンリに集中した。
私物の回収と挨拶、たったそれだけのことなのに胃が痛い。
「秤先輩。大丈夫ですか」
「まだ本調子とまではいかないけど、起きていられるくらいにはなってる。ごめん、抜けることになって」
隣の席の後輩が、一番先に声をかけてきた。
「いいんです。あんなのに目をつけられ続けたら、ぼくだって病んじゃいますって」
(それ、本人に聞かれたら君が絡まれるんじゃ)
何も言わなくても誰を指しているのかわかる。急いで部署を見まわしたけれど、そこに田井多の姿はなかった。
こういうとき真っ先に嫌味を言いに来そうなのに。
「田井多さんなら謹慎処分中だからいませんよ」
「謹慎処分!?」
「なんでも、喫茶店で迷惑行為をして、そこの店長から名指しで会社に苦情が入ったんだって。社員証ぶら下げたまんまであの調子だったらしくて。店の床を焦がした修理費も給料から天引き」
センリや後輩に対してやっていることを、赤の他人、それも飲食店でやっているなら苦情が入るのもやむなし。
「そうだったんだ」
「遅かれ早かれこうなると思ってましたけどね。謹慎を言い渡されたとき「俺は悪くない」って人事部で暴れたらしくて、本来なら二週間だったところを一か月の謹慎。馬鹿ですよね」
後輩も常々、田井多に迷惑をかけられていたから、「あの人の顔を見なくてよくなって仕事の効率が爆上がりですよー」なんて笑う。
三か月ぶりに会ったみんなが元気そうで安心した。
なぜ部署移動するんだと責められることを想像していたけれど、むしろみんなセンリの体調を気遣ってくれて、不安は杞憂に終わった。
ペンやメモ帳、ファイルなど回収して、専務やみんなに挨拶をして事務課を後にした。
蛇場見に案内されて別棟に向かう。
製造部といっても細分するといろいろ業務があり、センリが担当するのは検品だった。
「ここからは実際にやっている製造部の人間のほうが詳しいから、任せてある。彼女は秤の教育担当、川崎だ」
紹介されたのは、センリより少しだけ若い女性だ。
「川崎です。話は蛇場見課長から聞いています。よろしくお願いします、秤さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
挨拶の動作のひとつひとつがきれいで、真面目に仕事に向き合う人なのだとわかる。
作業用ユニフォームをもらい、従業員用通用口と打刻の説明も受ける。
「出勤退勤の際はこちらから入ってください。そこの更衣室でユニフォームに着替え終わってから打刻。男性は奥の更衣室です。この機械に社員証のコードをかざすと通った時間が記録されます」
「わかりました」
ちょうど今から勤務開始なようで、男性が一人更衣室から出てきた。
「知野さん。前に話していた秤さんよ。明日から一緒に働くの」
「知野です。どうも」
「秤です。よろしくお願いします、知野さん」
知野はゆったりした動作でお辞儀をして、センリも頭を下げる。歩き去る知野の、片足の足音が違うような気がして、義足なのだと気づく。
今日は作業しないけれど、作業場内に入るために、ユニフォームに着替えて仕事を見せてもらう。
広い机が向かい合わせでずらりと並び、みんな黙々と製品を見て左右に振り分けている。
「機械で作るものも完ぺきではないから、中には不良品もあるの。だから、型崩れのもの、部品が足りていないものは不良品ボックスにいれる。良品んはこちらに梱包する。こういうのが不良品。良品と見比べてみて」
川崎が、たったいま知野が弾いた不良品から一つ見本に取り出してセンリに見せる。
良品に比べると部品が少し歪んで見える。
「この違いを一瞬で見分けられるなんてすごいです」
「経験を積めばすぐ見分けがつくようになるわ。知野さんも、もう十年検品をしているからここのメンバーでも大ベテランなのよ。お客様にいい品を届けるためにも、検品は欠かせない仕事なの」
「はい」
事務課とは全然違う仕事内容だけれど、ここで自分にできることがある。
「まだ様子見だから一日三時間で週三日、だったわね」
「はい。先生と相談して、そうなっています」
「体調が悪くなったらすぐに言うのよ」
「はい。ありがとうございます」
一通りの案内が終わって私服に着替え、会社を後にする。
マナーモードにしていたから気づかなかったけれど、チヨからメッセージが来ていた。
『会社、大丈夫だった?』
今日は事務課に顔を出すと言ったら、ものすごく心配していた。
『だいじょうぶ。これから帰るよ』
メッセージを返して、私物の入った紙袋を持ち直す。
うつは環境が変わると症状が出てしまうことがあるから、くれぐれも無理をしないようにと初田に言われている。
明日から復帰本番。
まだ不安もあるけれど、センリは深呼吸して駅までの道を歩き出した。
センリは久しぶりに職場に顔を出した。
勤務開始は明日からだが、事務課に置いたままになっている私物を回収する必要があった。それに、これまでお世話になった挨拶もしておかないと。
十一月からは新しい人が来て、センリが使っていた席を使うことになっている。
田井多と顔を合わせたくないが、そこは社会人として次の人のためにやらなければならないことだ。
センリは電話で言われていた通り、まずは人事課に顔を出す。
「蛇場見課長。お久しぶりです」
「来たか、秤。煩わせてすまないな。大事なものと処分していいもの、本人でなければわからないからな」
「いえ。こちらこそ、何か月も置きっぱなしですみません」
頭を下げると、蛇場見は軽くセンリの腕をたたく。
「このあとは秤が入ることになる製造部について説明するから、私物をまとめたらここに戻ってきてくれ」
「はい」
重い足取りで事務課に入った。
当然と言えば当然だが、視線がセンリに集中した。
私物の回収と挨拶、たったそれだけのことなのに胃が痛い。
「秤先輩。大丈夫ですか」
「まだ本調子とまではいかないけど、起きていられるくらいにはなってる。ごめん、抜けることになって」
隣の席の後輩が、一番先に声をかけてきた。
「いいんです。あんなのに目をつけられ続けたら、ぼくだって病んじゃいますって」
(それ、本人に聞かれたら君が絡まれるんじゃ)
何も言わなくても誰を指しているのかわかる。急いで部署を見まわしたけれど、そこに田井多の姿はなかった。
こういうとき真っ先に嫌味を言いに来そうなのに。
「田井多さんなら謹慎処分中だからいませんよ」
「謹慎処分!?」
「なんでも、喫茶店で迷惑行為をして、そこの店長から名指しで会社に苦情が入ったんだって。社員証ぶら下げたまんまであの調子だったらしくて。店の床を焦がした修理費も給料から天引き」
センリや後輩に対してやっていることを、赤の他人、それも飲食店でやっているなら苦情が入るのもやむなし。
「そうだったんだ」
「遅かれ早かれこうなると思ってましたけどね。謹慎を言い渡されたとき「俺は悪くない」って人事部で暴れたらしくて、本来なら二週間だったところを一か月の謹慎。馬鹿ですよね」
後輩も常々、田井多に迷惑をかけられていたから、「あの人の顔を見なくてよくなって仕事の効率が爆上がりですよー」なんて笑う。
三か月ぶりに会ったみんなが元気そうで安心した。
なぜ部署移動するんだと責められることを想像していたけれど、むしろみんなセンリの体調を気遣ってくれて、不安は杞憂に終わった。
ペンやメモ帳、ファイルなど回収して、専務やみんなに挨拶をして事務課を後にした。
蛇場見に案内されて別棟に向かう。
製造部といっても細分するといろいろ業務があり、センリが担当するのは検品だった。
「ここからは実際にやっている製造部の人間のほうが詳しいから、任せてある。彼女は秤の教育担当、川崎だ」
紹介されたのは、センリより少しだけ若い女性だ。
「川崎です。話は蛇場見課長から聞いています。よろしくお願いします、秤さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
挨拶の動作のひとつひとつがきれいで、真面目に仕事に向き合う人なのだとわかる。
作業用ユニフォームをもらい、従業員用通用口と打刻の説明も受ける。
「出勤退勤の際はこちらから入ってください。そこの更衣室でユニフォームに着替え終わってから打刻。男性は奥の更衣室です。この機械に社員証のコードをかざすと通った時間が記録されます」
「わかりました」
ちょうど今から勤務開始なようで、男性が一人更衣室から出てきた。
「知野さん。前に話していた秤さんよ。明日から一緒に働くの」
「知野です。どうも」
「秤です。よろしくお願いします、知野さん」
知野はゆったりした動作でお辞儀をして、センリも頭を下げる。歩き去る知野の、片足の足音が違うような気がして、義足なのだと気づく。
今日は作業しないけれど、作業場内に入るために、ユニフォームに着替えて仕事を見せてもらう。
広い机が向かい合わせでずらりと並び、みんな黙々と製品を見て左右に振り分けている。
「機械で作るものも完ぺきではないから、中には不良品もあるの。だから、型崩れのもの、部品が足りていないものは不良品ボックスにいれる。良品んはこちらに梱包する。こういうのが不良品。良品と見比べてみて」
川崎が、たったいま知野が弾いた不良品から一つ見本に取り出してセンリに見せる。
良品に比べると部品が少し歪んで見える。
「この違いを一瞬で見分けられるなんてすごいです」
「経験を積めばすぐ見分けがつくようになるわ。知野さんも、もう十年検品をしているからここのメンバーでも大ベテランなのよ。お客様にいい品を届けるためにも、検品は欠かせない仕事なの」
「はい」
事務課とは全然違う仕事内容だけれど、ここで自分にできることがある。
「まだ様子見だから一日三時間で週三日、だったわね」
「はい。先生と相談して、そうなっています」
「体調が悪くなったらすぐに言うのよ」
「はい。ありがとうございます」
一通りの案内が終わって私服に着替え、会社を後にする。
マナーモードにしていたから気づかなかったけれど、チヨからメッセージが来ていた。
『会社、大丈夫だった?』
今日は事務課に顔を出すと言ったら、ものすごく心配していた。
『だいじょうぶ。これから帰るよ』
メッセージを返して、私物の入った紙袋を持ち直す。
うつは環境が変わると症状が出てしまうことがあるから、くれぐれも無理をしないようにと初田に言われている。
明日から復帰本番。
まだ不安もあるけれど、センリは深呼吸して駅までの道を歩き出した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる