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玖 夜道怪ノ章

玖ノ玖 蛍の光の中で

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  夕方になると、村人たちが感謝の気持ちをこめてささやかな宴を催してくれました。

 焼いた川魚に炊いたあわやキビで炊いたかゆ。それから焼いたイノシシの肉。

 ヒナは村人たちに熊谷の見どころを聞いては、行ってみたい、見てみたいとはしゃぎます。
 ナギのまわりには村の年若い少女が集まり、黄色い声をあげています。陰陽師さま、村を救ってくれた英雄。奥方がいないのならわたしがなりたい!
 様々な声が飛び交い、オーサキが嫉妬で牙をむきました。

『きゅいいいい!! そんなの許さないんだから!! あたしの目の黒いうちは、主様に近寄るメスは一掃してやる! 手伝いなさいタビ!』

『わかったよ姉ちゃん!』

「やめろオーサキ、タビも下がれ。何もするな」

 ほんとうに娘たちを消しかねない気迫なので、ナギの冷や汗が止まりません。

 フェノエレーゼは、賑わう人々など我関せずで、黙って雑穀粥をすすります。
 村に来たとき夜道怪と間違われて手酷い扱いを受けたのを、まだ根に持っています。
 雀に執念深いと言われそうですが、手のひら返しでニコニコ歓迎してくる村人たちに、文句の一つでも言いたくなります。
 冷めたお茶を一気にあおり、誰に言うでもなくつぶやきます。

「ふん。なにが英雄だ。……ナギに言い寄っている女ども、最初は私たちを夜道怪呼ばわりして追い出しにかかっていたじゃないか」

 ナギにすり寄る者たちに対して苛立つのか、人に対して邪険にできないナギに苛立つのか。フェノエレーゼ自身も苛立ちの理由がわかりません。

 雀がフェノエレーゼにと出された焼き魚を食い散らかしながら言います。

『チィ。まぁまぁ旦那。おかげでうまい飯が食えるんだからいいじゃないっす』

 羽扇で叩かれ、雀が宙を舞ったのは言うまでもありませんでした。



 夜になり、ヒナにせがまれて、フェノエレーゼとナギは村近くの川辺に足を運びました。
 日中はうっすら汗をかく気候とはいえ、日が落ちているのですこし肌寒さを感じます。草むらのどこかにいるのか、姿は見えないけれどリー、リー、と何かの鳴き声が聴こえてきます。

「村の人たちがね。このあたりはホタルがたくさん見られるんだって教えてくれたの。熊谷に来たなら見ないと損するんだって」

「お前はすぐ人に影響される……。もう少し自分を持とうと思わないか」

「えぇ……? そんなこと言われても。どうやって自分を持ち上げるの?」

 ヒナには意味が伝わらず、フェノエレーゼは説明するのが面倒で諦めました。かみ合わない会話に、ナギはクスクスと笑います。

「人の意見をうのみにするのではなく、自分で考えましょう、ということですよヒナさん」

 三人の間を淡い黄色の光がついて消えて、草むらの間をすっと飛んでいきます。

 一つや二つではなく、数十……もしかしたら百以上いるかもしれません。
 草原はまるで星空のように、小さないくつもの光につつまれました。

「わぁ! フエノさん、ホタルきれいだね」

「ふーん。これがホタルか」

 物珍しそうに光を目で追うフェノエレーゼに、ナギが聞きます。

「見たことがありませんか?」

「……あやかしの里は常春だからな。年中桜を見ることができるが、こういう夏の生物はいない。人里に降りようなんて、翼を封じられるまで考えたこともなかったしな」

 フェノエレーゼは翼を封じられて地に落ちて、初めてホタルという存在を知りました。

 呪をかけたサルタヒコに対しては怒りしかありませんが、この夜空の星にも似た不思議な光を見られたのは良かったと、少しだけ思います。

「ホタル見られて良かったね。またみんなで来ようね」

 ヒナが伸ばした手の先に、ホタルがとまります。


「また、なんてあってたまるか」

 またホタルを見るということは、つまり来年の今の時期もまだ呪が解けていないというのと同じことです。

 ヒナがそんな意味で言ったわけではないとわかってはいても、ため息がもれてしまいます。

「ふふ。“また”が来ないようにするために、旅を続けないといけませんね。次はどこに行きましょうか」

「ここからなら武蔵の南東部か、もしくは甲斐国《かいのくに》が近いと思います。武蔵ならば海が、甲斐ならばとても高い山があるんですよ。貴女なら、空から見たことがあるかもしれません」

「ああ、あの山のあるところか。あそこは実りも豊かだし食うに困らない。そこにしよう」

 フェノエレーゼは二つ返事で行く先を決めました。
 旅の目的地がしょくで決まるあたり、袂雀に似てきたのではないかと、思っても口にしないナギでした。



 一行が向かうは甲斐、日ノ本いち高い山のそびえる地。




 玖 夜道怪ノ章 了


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