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拾 棚機ノ章
拾ノ壱 道志川と棚機津女
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文月になる頃、フェノエレーゼたちは甲斐国につきました。
日差しが強すぎると体に障るので、日中は休み、早朝と夕に歩く日々です。
ようやく人里が見えてきたのもつかの間、ナギのもとに師から一通の文が届きました。
甲斐の道志川で、もうすぐ棚機という儀式が行われる。
その儀式の場所に、最近妖怪が現れて民が困っているから、兄弟子と手を組んで対処しろという。
そんなわけで、フェノエレーゼたちは棚機の儀式が終わるまで、道志川流域の村に身を寄せることとなりました。
フェノエレーゼは扇で顔を仰ぎ、ヒナも汗びっしょりで、川面に足をつけます。
見上げた空は真っ青、空気もきれい。
妖怪がこのあたりで何か悪さをしている様子なんて、どこにもありません。
「ねぇ、ナギお兄さん。お手紙に書かれていたっていう、たなばたのぎってなーに?」
『チチチ。なんかうまいもん食える祭でさ? たなぼた、ぼたもちでさ!』
ヒナのいた土地にそういう風習はなかったので、ヒナは興味津々です。雀もうまくいけば食べ物にありつけるかと思い、色めき立ちます。
「黙ってろ雀。お前は食うことしか頭にないのか」
『チチィ!! しっけいな! あっしだってたまには食べること以外も考えてまさ! 旦那だってたまに腹が減ったって言ってるさ! そのうちぶくぶく太ってとべなくな……』
「お前と一緒にするな、この!!」
『ギャーーっす!!』
投げ飛ばされた雀が川を横切っていきます。不毛なケンカを放置して、ナギは師からの文を広げて、ヒナに教えます。
「おれも実際に儀式を目にしたことはないのですが、棚機津女《たなばたつめ》という選ばれた乙女がこの川で体と髪を清め、文月の六日夜から七日にかけて反物を織る。その反物を天から降りてくる神に捧げるという儀式です。
神は反物のお礼に、この土地を水害から守ったり、実りが豊かになるようお祈りしてくれるそうです」
土地によっては大雨になると川があふれ、村や畑が流されてしまいます。そうしたことから守ってくれる、豊穣の神さまに捧げものをする。
棚機はそのための儀式なのです。
「つまり、たなばたのぎしきをできるようにするとみんなが助かるってことね。フエノさん、人助けよ人助け!」
「夜道怪のときのようにまた誰かさんがまた無茶しかねないからな。私は手出ししないでいようか。そうすれば手伝うこともできなかろう」
「ええ!? も、もう心配させるようなことしないから、人助けしようよー! フエノさーーん!」
「どうだか。闇夜の中を探す方の身にもなれ」
フェノエレーゼの皮肉はあながち間違っていないでしょう。ヒナはだめだと言われても、たびたび突っ走ってしまうのですから。
『きゅいきゅい。さすがあたしの主様! はくしきですわ!!』
『にゃ! オイラたちのあるじさまはすごい!』
「おれが博識なのではなく、師匠から教わったんだ」
自分のことのように誇らしげなオーサキたちに、ナギは苦笑します。
「で、この先が妖怪が出るという場所か。祓い人に依頼がいくということは、村人が何かされたのか?」
「そこまでは書かれていないので、これから行って詳しい事情を聞かないといけません。政信が先遣としてここに来ているそうなので、協力して祓えとお達しです」
「お前には他にも兄弟子がいるのだろう。そいつらではだめなのか? できるならあの糸目と関わりたくない」
「残念ですが、他の兄弟子はもう師匠のもとを離れて独立しているはずなので、師匠の補佐に回る兄弟子は政信しかいないでしょう」
政信に対していい心象がないので、フェノエレーゼは渋い顔になります。
ベタベタ触られるのが嫌だったし、妙な文を寄こしてきたのも嫌だったし。思い出すだけで鳥肌がたちます。
「すみません。貴女が政信のことを苦手としているのは重々承知しているのですが……。これから行く村は政信の出身地なので、政信がいた方が村人たちからの協力を得やすいんです」
「できるなら関わりたくないが、私が文句を言ったところで、あの食えない師はナギとあの男に妖祓いをさせるのだろう。今の私の主はお前だからな。お前の意思に従おう」
「そう言っていただけると助かります。フェノエレーゼさん」
出会った頃と変わらない丁寧な物腰で、ナギが頭を下げます。その額を、フェノエレーゼは扇で軽く叩きました。
「ナギ。仮にもこの大妖怪たる私と契約したのなら、もっと堂々としていろ。従者に対して低姿勢な陰陽師がどこにいる」
『きゅい! 主様になんてことするのよ! 主様は、物腰穏やかで謙虚なところがいいの! 白いのの方こそ、主様の式神になったならもっと主様を敬いなさい! なんであんたのほうがえらそうなの。せめて人前では呼び捨てでなく、頭を下げて“主様”と呼びなさい!』
オーサキの言うことはしごくまっとうで、フェノエレーゼは黙ってしまいました。
主神であるサルタヒコにすらまともに頭を下げたことがないので、いまさら従者らしくしろなんて言われてもできるかどうか。
『チチぃ! そうでさ! 旦那は偉そうにしすぎでさ!』
「お前が言うな!」
ここぞとばかりにオーサキに便乗した雀が、再び投げ飛ばされるのでした。
日差しが強すぎると体に障るので、日中は休み、早朝と夕に歩く日々です。
ようやく人里が見えてきたのもつかの間、ナギのもとに師から一通の文が届きました。
甲斐の道志川で、もうすぐ棚機という儀式が行われる。
その儀式の場所に、最近妖怪が現れて民が困っているから、兄弟子と手を組んで対処しろという。
そんなわけで、フェノエレーゼたちは棚機の儀式が終わるまで、道志川流域の村に身を寄せることとなりました。
フェノエレーゼは扇で顔を仰ぎ、ヒナも汗びっしょりで、川面に足をつけます。
見上げた空は真っ青、空気もきれい。
妖怪がこのあたりで何か悪さをしている様子なんて、どこにもありません。
「ねぇ、ナギお兄さん。お手紙に書かれていたっていう、たなばたのぎってなーに?」
『チチチ。なんかうまいもん食える祭でさ? たなぼた、ぼたもちでさ!』
ヒナのいた土地にそういう風習はなかったので、ヒナは興味津々です。雀もうまくいけば食べ物にありつけるかと思い、色めき立ちます。
「黙ってろ雀。お前は食うことしか頭にないのか」
『チチィ!! しっけいな! あっしだってたまには食べること以外も考えてまさ! 旦那だってたまに腹が減ったって言ってるさ! そのうちぶくぶく太ってとべなくな……』
「お前と一緒にするな、この!!」
『ギャーーっす!!』
投げ飛ばされた雀が川を横切っていきます。不毛なケンカを放置して、ナギは師からの文を広げて、ヒナに教えます。
「おれも実際に儀式を目にしたことはないのですが、棚機津女《たなばたつめ》という選ばれた乙女がこの川で体と髪を清め、文月の六日夜から七日にかけて反物を織る。その反物を天から降りてくる神に捧げるという儀式です。
神は反物のお礼に、この土地を水害から守ったり、実りが豊かになるようお祈りしてくれるそうです」
土地によっては大雨になると川があふれ、村や畑が流されてしまいます。そうしたことから守ってくれる、豊穣の神さまに捧げものをする。
棚機はそのための儀式なのです。
「つまり、たなばたのぎしきをできるようにするとみんなが助かるってことね。フエノさん、人助けよ人助け!」
「夜道怪のときのようにまた誰かさんがまた無茶しかねないからな。私は手出ししないでいようか。そうすれば手伝うこともできなかろう」
「ええ!? も、もう心配させるようなことしないから、人助けしようよー! フエノさーーん!」
「どうだか。闇夜の中を探す方の身にもなれ」
フェノエレーゼの皮肉はあながち間違っていないでしょう。ヒナはだめだと言われても、たびたび突っ走ってしまうのですから。
『きゅいきゅい。さすがあたしの主様! はくしきですわ!!』
『にゃ! オイラたちのあるじさまはすごい!』
「おれが博識なのではなく、師匠から教わったんだ」
自分のことのように誇らしげなオーサキたちに、ナギは苦笑します。
「で、この先が妖怪が出るという場所か。祓い人に依頼がいくということは、村人が何かされたのか?」
「そこまでは書かれていないので、これから行って詳しい事情を聞かないといけません。政信が先遣としてここに来ているそうなので、協力して祓えとお達しです」
「お前には他にも兄弟子がいるのだろう。そいつらではだめなのか? できるならあの糸目と関わりたくない」
「残念ですが、他の兄弟子はもう師匠のもとを離れて独立しているはずなので、師匠の補佐に回る兄弟子は政信しかいないでしょう」
政信に対していい心象がないので、フェノエレーゼは渋い顔になります。
ベタベタ触られるのが嫌だったし、妙な文を寄こしてきたのも嫌だったし。思い出すだけで鳥肌がたちます。
「すみません。貴女が政信のことを苦手としているのは重々承知しているのですが……。これから行く村は政信の出身地なので、政信がいた方が村人たちからの協力を得やすいんです」
「できるなら関わりたくないが、私が文句を言ったところで、あの食えない師はナギとあの男に妖祓いをさせるのだろう。今の私の主はお前だからな。お前の意思に従おう」
「そう言っていただけると助かります。フェノエレーゼさん」
出会った頃と変わらない丁寧な物腰で、ナギが頭を下げます。その額を、フェノエレーゼは扇で軽く叩きました。
「ナギ。仮にもこの大妖怪たる私と契約したのなら、もっと堂々としていろ。従者に対して低姿勢な陰陽師がどこにいる」
『きゅい! 主様になんてことするのよ! 主様は、物腰穏やかで謙虚なところがいいの! 白いのの方こそ、主様の式神になったならもっと主様を敬いなさい! なんであんたのほうがえらそうなの。せめて人前では呼び捨てでなく、頭を下げて“主様”と呼びなさい!』
オーサキの言うことはしごくまっとうで、フェノエレーゼは黙ってしまいました。
主神であるサルタヒコにすらまともに頭を下げたことがないので、いまさら従者らしくしろなんて言われてもできるかどうか。
『チチぃ! そうでさ! 旦那は偉そうにしすぎでさ!』
「お前が言うな!」
ここぞとばかりにオーサキに便乗した雀が、再び投げ飛ばされるのでした。
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