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拾壱 絡新婦ノ章
拾壱ノ漆 ヒナ、フェノエレーゼのもとへ
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恐怖で汗ばむ手をぎゅっとにぎりながら、ヒナは一寸先もまともに見えない霧の中を歩きます。
一人ではきっと迷子になって、フェノエレーゼを助けるどころではなかったでしょう。タビと雀が居てくれてよかったと思います。
にゃぁ、とタビが低く鳴いて、立ち止まります。
「どうしたの、タビちゃん」
背中をまるめて、落ちていた何かを咥え上げる。ヒナに頭を擦り付けるようにします。持って、といっているように思えたので、手に取りました。
それは、一尺はある白い羽が数枚束ねられた扇。見間違うはずもありません。ふわふわとしていて繊細で真っ白い、フェノエレーゼの羽。
フェノエレーゼでないと使えないようで、ヒナが持ったところでそよ風ひとつ吹きません。
「これ、フエノさんの扇! お手柄よタビちゃん。やっぱりフエノさんはこの近くにいるのね!」
「チチチチィ!」
タビがほめられて、雀が羽をばたつかせます。自分だってフェノエレーゼを助ける役に立てるよ! と息巻いているのかもしれないなーとヒナは一人で納得します。
実は『あっちの方向から意地悪天狗のにおいがするっさー!!』と言っているのですが、あやかしの言葉がわからないヒナにはみじんも伝わっていません。
「チチィチチチチチ!!」
「丸ちゃん、もしかして、そっちが道なの?」
雀がしつように一点を見ながら鳴き続けるので、ヒナは袂に羽扇をしまって、しめされたほうに向かいます。
ヒナの背よりも高い茂みをかきわけていくと、古びて朽ちかけた神社にたどり着きました。
本堂の壁には大穴が空いていて、そこにカラスが何羽も往来しています。何かが近づいてくる気配がしたので、慌てて物影に身をひそめ、耳をそばだてます。
「うふふふっ、とっても素敵なニオイがするわ。いい男がまた迷い込んできたのね。今日捕えたあの男もいい男だけど、一人より二人。美味しい肉は何人いても困らないものね」
女の声と、カサカサと蜘蛛が這うような音、そっと覗き見ると、黄色い着物をきた女の人が、ボロボロの神社から出てくるところでした。
ナギが「ここは人間が住めるようなところではない、女に出会ったら妖怪だと思ってください」と言っていたことを思い起こします。
一見きれいな女の人でも、あれは妖怪。これまで旅の中で出会った妖怪は、人間に優しい者だけではなかった。人を食べてしまうものもいるのです。
見つかったら食べられてしまう。両手で口をふさいで息を殺して、女の人が立ち去るのを待ちます。
「にゃ」
タビがもう大丈夫だよ、というようにヒナのほほをなめるので、ヒナはそっと神社に近づきます。
天井と壁、床をおおいつくすようにはられた大きな蜘蛛の巣に、数人の男の人とフェノエレーゼが磔《はりつけ》にされていました。
「フエノさん!!」
「近づくな。これに触れると、はがれなくなるぞ」
駆け寄ろうとしたヒナに、フェノエレーゼが鋭い声で言います。絡新婦《じょろうぐも》の糸は強力で、大の男を吊していられるくらいの粘着力があるのです。子どものヒナでは、触れたら最後身動き一つできなくなるでしょう。
「あのね、オーサキちゃんがナギお兄さんを呼びに来て、それでわたしとナギお兄さんでフエノさんを探しに来たの。ナギお兄さんとは途中ではぐれちゃったけど」
「ちっ。蜘蛛女が戻って来る前に脱出しないと、ナギもお前もあいつの餌だぞ。……扇さえ奪われてなければ、こんな蜘蛛糸、カマイタチで切り落としてやるんだが」
「扇なら森の中で拾ったわ! ほらこれ!」
ヒナが袂から扇を出してみせると、フェノエレーゼが目を見はりました。
「あの蜘蛛、私の扇に触れていられず捨てたか。まあ好都合だ。おい雀。それを持って飛んでこい」
「チチチチチ!! チチチ!」
「うるさい黙れ。小妖怪のくせに。しばくぞ」
言葉の中身はわかりませんが、フェノエレーゼと雀が何やらケンカ(たぶん)をはじめてしまい、ヒナが慌てて止に入ります。
「は、はやく! クモさんが来る前に逃げないとなんでしょ!?」
ヒナが扇を巾着袋につっこんで、雀は巾着の紐部分を咥えて飛びます。やはり太り過ぎが災いしてフラフラしていますが、なんとか真ん中へんにはりつけにされたフェノエレーゼのもとに扇を届けました。
「でかした!」
フェノエレーゼは扇を掴むと、片手で開きます。
強く鋭利な風が吹き荒れ、蜘蛛の巣は粉々になり床に散りました。蜘蛛糸のせいでべたつく髪を気だるげにはらいのけて、フェノエレーゼは着地します。
囚われていた男たちは落ちた痛みにうめきます。
「キスケ、そこの男も。正気に戻ったか?」
「あ、ああ。なんかカラスに変なもん食わされて、目が覚めた」
「おらも。なんで、おらたちはこんなとこにいるんだ。なんで、隣んちの兄さんが死んでいるんだ」
「私は失踪したお前たちを探してくるよう村人から頼まれた。詳しい説明は村に戻ってから聞け」
二人の男は顔色が悪く、毒キノコの副作用が残っているようで、苦しそうに腹をおさえながらうなずきます。
「ヒナ。私はあの蜘蛛女を追う。この二人を連れて村に戻れ。この霧にとらわれたなら、次に狙われているのはナギだ」
「え、でも。どうやってここから出るの? 道なんてわからないわ」
フェノエレーゼが扇をふるうと、着物の裾を巻き上げるほどの風が吹き、あたりに立ち込める霧を払いました。
「わぁ! ここ、丘の上だったのね!? 村が見える!」
霧が晴れると、あたりは夜になっていて、丘のふもとにオババの村が見えました。焚き火の明かりが村の中央に灯っています。
「この霧は絡新婦を仕留めないともとに戻る。見つかる前に早く行け。こいつらを村にまで無事送り届けるのがヒナの役目だ。わかったな」
「うん! お兄さんたち、行きましょ!」
ヒナが先導して走ると、男たちもふらつく足で走り出しました。タビもヒナを守るため追従します。
ヒナたちの姿が外に消え、霧がまた神社を取り巻きます。雀はチチチと鳴きフェノエレーゼの肩にとまります。
「雀。お前ならナギのにおいを追えるな。……絡新婦を仕留めるぞ!」
一人ではきっと迷子になって、フェノエレーゼを助けるどころではなかったでしょう。タビと雀が居てくれてよかったと思います。
にゃぁ、とタビが低く鳴いて、立ち止まります。
「どうしたの、タビちゃん」
背中をまるめて、落ちていた何かを咥え上げる。ヒナに頭を擦り付けるようにします。持って、といっているように思えたので、手に取りました。
それは、一尺はある白い羽が数枚束ねられた扇。見間違うはずもありません。ふわふわとしていて繊細で真っ白い、フェノエレーゼの羽。
フェノエレーゼでないと使えないようで、ヒナが持ったところでそよ風ひとつ吹きません。
「これ、フエノさんの扇! お手柄よタビちゃん。やっぱりフエノさんはこの近くにいるのね!」
「チチチチィ!」
タビがほめられて、雀が羽をばたつかせます。自分だってフェノエレーゼを助ける役に立てるよ! と息巻いているのかもしれないなーとヒナは一人で納得します。
実は『あっちの方向から意地悪天狗のにおいがするっさー!!』と言っているのですが、あやかしの言葉がわからないヒナにはみじんも伝わっていません。
「チチィチチチチチ!!」
「丸ちゃん、もしかして、そっちが道なの?」
雀がしつように一点を見ながら鳴き続けるので、ヒナは袂に羽扇をしまって、しめされたほうに向かいます。
ヒナの背よりも高い茂みをかきわけていくと、古びて朽ちかけた神社にたどり着きました。
本堂の壁には大穴が空いていて、そこにカラスが何羽も往来しています。何かが近づいてくる気配がしたので、慌てて物影に身をひそめ、耳をそばだてます。
「うふふふっ、とっても素敵なニオイがするわ。いい男がまた迷い込んできたのね。今日捕えたあの男もいい男だけど、一人より二人。美味しい肉は何人いても困らないものね」
女の声と、カサカサと蜘蛛が這うような音、そっと覗き見ると、黄色い着物をきた女の人が、ボロボロの神社から出てくるところでした。
ナギが「ここは人間が住めるようなところではない、女に出会ったら妖怪だと思ってください」と言っていたことを思い起こします。
一見きれいな女の人でも、あれは妖怪。これまで旅の中で出会った妖怪は、人間に優しい者だけではなかった。人を食べてしまうものもいるのです。
見つかったら食べられてしまう。両手で口をふさいで息を殺して、女の人が立ち去るのを待ちます。
「にゃ」
タビがもう大丈夫だよ、というようにヒナのほほをなめるので、ヒナはそっと神社に近づきます。
天井と壁、床をおおいつくすようにはられた大きな蜘蛛の巣に、数人の男の人とフェノエレーゼが磔《はりつけ》にされていました。
「フエノさん!!」
「近づくな。これに触れると、はがれなくなるぞ」
駆け寄ろうとしたヒナに、フェノエレーゼが鋭い声で言います。絡新婦《じょろうぐも》の糸は強力で、大の男を吊していられるくらいの粘着力があるのです。子どものヒナでは、触れたら最後身動き一つできなくなるでしょう。
「あのね、オーサキちゃんがナギお兄さんを呼びに来て、それでわたしとナギお兄さんでフエノさんを探しに来たの。ナギお兄さんとは途中ではぐれちゃったけど」
「ちっ。蜘蛛女が戻って来る前に脱出しないと、ナギもお前もあいつの餌だぞ。……扇さえ奪われてなければ、こんな蜘蛛糸、カマイタチで切り落としてやるんだが」
「扇なら森の中で拾ったわ! ほらこれ!」
ヒナが袂から扇を出してみせると、フェノエレーゼが目を見はりました。
「あの蜘蛛、私の扇に触れていられず捨てたか。まあ好都合だ。おい雀。それを持って飛んでこい」
「チチチチチ!! チチチ!」
「うるさい黙れ。小妖怪のくせに。しばくぞ」
言葉の中身はわかりませんが、フェノエレーゼと雀が何やらケンカ(たぶん)をはじめてしまい、ヒナが慌てて止に入ります。
「は、はやく! クモさんが来る前に逃げないとなんでしょ!?」
ヒナが扇を巾着袋につっこんで、雀は巾着の紐部分を咥えて飛びます。やはり太り過ぎが災いしてフラフラしていますが、なんとか真ん中へんにはりつけにされたフェノエレーゼのもとに扇を届けました。
「でかした!」
フェノエレーゼは扇を掴むと、片手で開きます。
強く鋭利な風が吹き荒れ、蜘蛛の巣は粉々になり床に散りました。蜘蛛糸のせいでべたつく髪を気だるげにはらいのけて、フェノエレーゼは着地します。
囚われていた男たちは落ちた痛みにうめきます。
「キスケ、そこの男も。正気に戻ったか?」
「あ、ああ。なんかカラスに変なもん食わされて、目が覚めた」
「おらも。なんで、おらたちはこんなとこにいるんだ。なんで、隣んちの兄さんが死んでいるんだ」
「私は失踪したお前たちを探してくるよう村人から頼まれた。詳しい説明は村に戻ってから聞け」
二人の男は顔色が悪く、毒キノコの副作用が残っているようで、苦しそうに腹をおさえながらうなずきます。
「ヒナ。私はあの蜘蛛女を追う。この二人を連れて村に戻れ。この霧にとらわれたなら、次に狙われているのはナギだ」
「え、でも。どうやってここから出るの? 道なんてわからないわ」
フェノエレーゼが扇をふるうと、着物の裾を巻き上げるほどの風が吹き、あたりに立ち込める霧を払いました。
「わぁ! ここ、丘の上だったのね!? 村が見える!」
霧が晴れると、あたりは夜になっていて、丘のふもとにオババの村が見えました。焚き火の明かりが村の中央に灯っています。
「この霧は絡新婦を仕留めないともとに戻る。見つかる前に早く行け。こいつらを村にまで無事送り届けるのがヒナの役目だ。わかったな」
「うん! お兄さんたち、行きましょ!」
ヒナが先導して走ると、男たちもふらつく足で走り出しました。タビもヒナを守るため追従します。
ヒナたちの姿が外に消え、霧がまた神社を取り巻きます。雀はチチチと鳴きフェノエレーゼの肩にとまります。
「雀。お前ならナギのにおいを追えるな。……絡新婦を仕留めるぞ!」
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