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ケース2 根津美ネルの場合 〜眠り病の同居人〜
28 互いが互いの道標
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クリニックを開業した年の二月。
初田は成人式前撮りのために、ネル、友子の二人とフォトスタジオに来ていた。
当日何時間も着物ではネルの体力が持たないということで、前撮りだけ着物、当日はドレスの予定だ。
ネルが二年前から友子とレンタル着物カタログを読みこんで決めた、お気に入りの一着。
ネルは前撮りの数日前からそわそわしていて、訪れる患者たちに微笑ましいですねなんて言われてしまうくらいだった。
着替えに向かうネルに、初田は前もって用意していた櫛とかんざしのセットを贈る。
「成人のお祝いです。どうぞ使ってください」
「いいの?」
初田なりに、髪飾りくらいは自分のものだと嬉しいのではないかと考えて、東京の小間物屋で選んだ。(あやしまれると悪いので、普通の不織布マスクで行った)
「同居している女性に贈る」と説明したら、店主の女性がやたらとはりきって包装してくれた。頑張れと言われたが、なにを頑張ればいいのだろう。
桜の飾り彫りがされた乳白色の櫛と、同じく乳白色のかんざし。かんざしの先はネズミの形になっていた。
「わあ。白いネズミちゃんがついてる。かわいい! 初斗にいさん、ありがとう。お母さん、これつけてってお願いしたらつけてくれるんだよね」
スキップするネルを横に、友子が櫛とかんざしの素材に気づいて声を震わせる。
「は、初斗君。象牙って、これ、すごく高かったんじゃ」
「女性に贈るならきちんとしたものにしましょうと、総合病院にいたとき看護師たちに怒られまして。ちゃんと小間物屋で買いました」
象牙《ぞうげ》の小間物セット、お値段六桁である。
以前渡したお箸トレーニングセットが二千円かそこらだったので、ちゃんと勉強したつもりであった。あれは安物を渡すなという意味だったと解釈している。
友子がこめかみに親指を押し当ててうなる。
「ちなみに、男性が女性にかんざしと櫛を贈る意味は知っている?」
「はて? なんでしょう。もしかしてものすごく縁起が悪いんですか。でもそれなら店の人が止めるはずですし」
「あなたは頭がいいのか悪いのかわからないわね」
江戸時代に生まれた風習で、櫛は『人生は苦労がたくさんあるけれれど、死ぬまで共に生きよう』という意味を込めて贈る。つまりプロポーズだ。
かんざしは、『あなたを守ります』これもまたプロポーズの際に贈られていた。
医学以外に興味の無い初田に、装飾品を贈る意味なんて分かるわけがなかった。
ネルも特に意味を知らないけれど、とても気に入ったのでスタイリストにつけてもらうよう頼んだ。
「当日もこのネズミちゃんがいいな。ドレスにも合わせられるよね」
「そこまで気に入ってくれたなら、選んだ甲斐があります」
ネルと友子が部屋に入っていき、初田は待合室で医学雑誌を読んで待つ。一時間ほどで、「終わりましたよ」とスタッフに呼ばれてスタジオに入った。
薄紫を基調とした晴れ着に身を包んだネルは、まぶしかった。
この日のために伸ばしていた髪を結い上げて、つまみ細工の花飾りと櫛、かんざしをしている。薄く施された化粧も、ネルの柔らかな雰囲気に合っている。
弱々しくて折れそうだった少女は、今や息をのむほど美しい女性へと成長していた。
「どうかな、にいさん」
ネルが期待と不安をにじませて初田を見上げる。
「とても綺麗ですね。見違えました。よく似合っています」
「えへへ。にいさんにそう言ってもらえてよかった」
ひとかけらのお世辞もなく、するりと本音が口をついた。
ネルも初田を見上げて誇らしげに微笑む。これまで友子が娘を見てきた中で、一番嬉しそうな笑顔だ。
誰がどう見ても相思相愛なのに、気づいていないのは本人たちだけ。
友子は鈍い二人を前に頭を抱える。
「あああ、先が思いやられるわ、もう」
ネル一人だけでの撮影、初田と友子も一緒に入っての撮影と何度か写真を撮った。スタジオのまわりを歩いていいと言うことなので、はしゃぐネルに手を引っ張られながら外に出る。
青空から注ぐ陽光が雪に反射して、初田は眩しさに目を細める。
「ネルさん、発作が起きたら大変ですよ。あまりはしゃがないでください」
「今日だけいいでしょう。……初斗にいさん、にいさんは今ここにいる? 私は今、ちゃんと起きて初斗にいさんといる?」
「はい。ネルさんはちゃんと起きているし、わたしは今ネルさんと手を繋いでいます」
「まぼろしじゃなくてよかった」
ネルは今もまだ、現実とまぼろしの見分けがつかない。
何度も何度も確かめるように聞いてくる。だから初田も何度でも答える。
ネルが今ちゃんとここにいると教えるために。
初田もまた、ネルがこうして必要としてくれることで自分をつなぎ止めていた。
どれだけの人に「殺人鬼の弟だ」と言われても、まっすぐ前を向いて歩いていられるのはネルがいるからだった。
ネルが初田初斗を呼んでくれるから、自分は初斗なのだと自信を持って言える。
一方が寄りかかるのではなく、互いが互いの道標で、支えだった。
いつまでもこうしていられるわけではない。
成人したということは、自分の意思で未来を選べる。
ネルがいつか、一生添い遂げたいという人を見つける日が来るかもしれない。
その日が来るまでは、初田がこうしてネルを導いて歩く。
何度でも、呼ばれるたびに答える。
わたしはここにいます、と。
初田は成人式前撮りのために、ネル、友子の二人とフォトスタジオに来ていた。
当日何時間も着物ではネルの体力が持たないということで、前撮りだけ着物、当日はドレスの予定だ。
ネルが二年前から友子とレンタル着物カタログを読みこんで決めた、お気に入りの一着。
ネルは前撮りの数日前からそわそわしていて、訪れる患者たちに微笑ましいですねなんて言われてしまうくらいだった。
着替えに向かうネルに、初田は前もって用意していた櫛とかんざしのセットを贈る。
「成人のお祝いです。どうぞ使ってください」
「いいの?」
初田なりに、髪飾りくらいは自分のものだと嬉しいのではないかと考えて、東京の小間物屋で選んだ。(あやしまれると悪いので、普通の不織布マスクで行った)
「同居している女性に贈る」と説明したら、店主の女性がやたらとはりきって包装してくれた。頑張れと言われたが、なにを頑張ればいいのだろう。
桜の飾り彫りがされた乳白色の櫛と、同じく乳白色のかんざし。かんざしの先はネズミの形になっていた。
「わあ。白いネズミちゃんがついてる。かわいい! 初斗にいさん、ありがとう。お母さん、これつけてってお願いしたらつけてくれるんだよね」
スキップするネルを横に、友子が櫛とかんざしの素材に気づいて声を震わせる。
「は、初斗君。象牙って、これ、すごく高かったんじゃ」
「女性に贈るならきちんとしたものにしましょうと、総合病院にいたとき看護師たちに怒られまして。ちゃんと小間物屋で買いました」
象牙《ぞうげ》の小間物セット、お値段六桁である。
以前渡したお箸トレーニングセットが二千円かそこらだったので、ちゃんと勉強したつもりであった。あれは安物を渡すなという意味だったと解釈している。
友子がこめかみに親指を押し当ててうなる。
「ちなみに、男性が女性にかんざしと櫛を贈る意味は知っている?」
「はて? なんでしょう。もしかしてものすごく縁起が悪いんですか。でもそれなら店の人が止めるはずですし」
「あなたは頭がいいのか悪いのかわからないわね」
江戸時代に生まれた風習で、櫛は『人生は苦労がたくさんあるけれれど、死ぬまで共に生きよう』という意味を込めて贈る。つまりプロポーズだ。
かんざしは、『あなたを守ります』これもまたプロポーズの際に贈られていた。
医学以外に興味の無い初田に、装飾品を贈る意味なんて分かるわけがなかった。
ネルも特に意味を知らないけれど、とても気に入ったのでスタイリストにつけてもらうよう頼んだ。
「当日もこのネズミちゃんがいいな。ドレスにも合わせられるよね」
「そこまで気に入ってくれたなら、選んだ甲斐があります」
ネルと友子が部屋に入っていき、初田は待合室で医学雑誌を読んで待つ。一時間ほどで、「終わりましたよ」とスタッフに呼ばれてスタジオに入った。
薄紫を基調とした晴れ着に身を包んだネルは、まぶしかった。
この日のために伸ばしていた髪を結い上げて、つまみ細工の花飾りと櫛、かんざしをしている。薄く施された化粧も、ネルの柔らかな雰囲気に合っている。
弱々しくて折れそうだった少女は、今や息をのむほど美しい女性へと成長していた。
「どうかな、にいさん」
ネルが期待と不安をにじませて初田を見上げる。
「とても綺麗ですね。見違えました。よく似合っています」
「えへへ。にいさんにそう言ってもらえてよかった」
ひとかけらのお世辞もなく、するりと本音が口をついた。
ネルも初田を見上げて誇らしげに微笑む。これまで友子が娘を見てきた中で、一番嬉しそうな笑顔だ。
誰がどう見ても相思相愛なのに、気づいていないのは本人たちだけ。
友子は鈍い二人を前に頭を抱える。
「あああ、先が思いやられるわ、もう」
ネル一人だけでの撮影、初田と友子も一緒に入っての撮影と何度か写真を撮った。スタジオのまわりを歩いていいと言うことなので、はしゃぐネルに手を引っ張られながら外に出る。
青空から注ぐ陽光が雪に反射して、初田は眩しさに目を細める。
「ネルさん、発作が起きたら大変ですよ。あまりはしゃがないでください」
「今日だけいいでしょう。……初斗にいさん、にいさんは今ここにいる? 私は今、ちゃんと起きて初斗にいさんといる?」
「はい。ネルさんはちゃんと起きているし、わたしは今ネルさんと手を繋いでいます」
「まぼろしじゃなくてよかった」
ネルは今もまだ、現実とまぼろしの見分けがつかない。
何度も何度も確かめるように聞いてくる。だから初田も何度でも答える。
ネルが今ちゃんとここにいると教えるために。
初田もまた、ネルがこうして必要としてくれることで自分をつなぎ止めていた。
どれだけの人に「殺人鬼の弟だ」と言われても、まっすぐ前を向いて歩いていられるのはネルがいるからだった。
ネルが初田初斗を呼んでくれるから、自分は初斗なのだと自信を持って言える。
一方が寄りかかるのではなく、互いが互いの道標で、支えだった。
いつまでもこうしていられるわけではない。
成人したということは、自分の意思で未来を選べる。
ネルがいつか、一生添い遂げたいという人を見つける日が来るかもしれない。
その日が来るまでは、初田がこうしてネルを導いて歩く。
何度でも、呼ばれるたびに答える。
わたしはここにいます、と。
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