異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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彩宮ゼルグラム、炎雷の業と闇の城編

13.醒めてから見る夢

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「なっ……どうして陛下がここに……」

 絶句するアドニスに構わず、ヨアニスは眉根を寄せて不可解だとでも言いたげな顔をしながら部屋に入ってくる。
 そうして固まって動けない俺達に近付くと、アドニスが持っていたジェドマロズの人形を手に取って、何か素敵な物でも見つけたように眉を上げた。

「これはジェドマロズだな! アレクセイ……ガーリン・スヴャトラフ。そうか、この持ち主の名前だったのか。……しかし、スヴャトラフはお前の家名じゃないか。もしかして、弟の玩具を持って来て隠していたのか? ソーニャ」
「え……?」
「しかも、こんなほこりまみれの所に夜中にこっそり来るなんて……何か用事があったのか? 悲しいなあ、言ってくれれば私も付いて来たのに……」

 ちょっと待って、意味が解らない。
 今、ヨアニスはアレクの名前を訊いたはずだよな。それで、この部屋を確認したはずだよな? なのにどうして他人事みたいなんだ?
 そのアレクセイという子供の名前は……アンタの息子の名前なのに……。

「確かにガーリンはソーニャ様のお父上の名前ですし、家名もその通りですが……陛下、本当にアレクセイという名前にお心当たりはないのですか……?」

 これには流石のアドニスも驚いたのか、思わず問いかける。
 さもありなん。もしヨアニスが子供を認知していたとするなら、今の発言はあまりにも酷い台詞だからだ。しかし、ヨアニスは悪びれる……いや、まるで“最初から知らなかった”かのように、キョトンと目を丸くして首を傾げた。

「知らぬが……。最近生まれた子なのだろう? 玩具も本もベッドも、幼い子供が使う物ではないか。どうやらしばらく使われていないようだが……どうしてこんな所に隠し部屋のように……ああ、倉庫か何かなのか?」

 そう言いながら、ヨアニスは無邪気に人形をもてあそんでいる。

 まさか……何も知らなかったと言うのか?

 ソーニャさんが子供を……アレクを出産した事も、その子供を連れて失踪したという事も。失踪した事は知っているはずなのに、子供の事は何も……。
 いや待て、病んだせいで忘れてしまったのかも知れん。でも、この部屋を見たり子供の名前を聞けば、親なら何らかの反応はするはずだろう。違うのか。親と子の絆ってのは、思う以上にもろいって事なのか?
 ソーニャさんの事は心が傷ついてしまっても求めたのに、子供は……。

「そんな……」

 ただ一人、ヨアニスだけが状況を解っておらず、言葉を失った俺とアドニスを困ったような顔で見比べている。

「ところで……アレクセイという子供は元気なのか?」

 俺を見て、なんの含みも無く問いかけてくるヨアニス。
 その姿が何故だかとても哀れに思えて、俺は……ヨアニスの手を取っていた。

「ソーニャ?」
「…………本当に、覚えてませんか?」
「ソ……」

 俺の言葉に、ヨアニスは動きを止める。
 この反応は初めてだ。もしかして、何か思い出したのだろうか。
 見上げる俺に、ヨアニスは表情を失くしたまま、ぽつりと呟いた。

「ソーニャ……この部屋に居た子供は、何歳だったのだ」
「……おそらく、十歳になっていると思います」

 あの本棚の中にあった絵本と、俺が出会った彼の姿を考えると、彼……
 ラフターシュカにあるナトラ教会で育てられている少年――――アレクの年齢は、そうなるはずだ。

 生気のない目を見返しつつはっきりと告げると、ヨアニスは瞠目した。
 まるで幽霊でも見たかのような顔だが、しかしその顔に恐怖は無く、どちらかと言えば……信じられない物を見たような顔をしていた。

「ヨアニス……」
「十……歳……まさか……いや、でも、そんなはずは……」
「ヨアニス?」
「本当なのか? 本当に、生きているのか? お前、私をからかっているのではないのか……? だ……って、あの子は、だって、あの子は……私達の、子供は…………生まれてすぐ……死んだのだろう……?」

 ――――え……。
 アレクが……生まれてすぐに、死んだ?

 そんなバカな。だって、俺はあの子に会ったんだぞ。ちゃんとした生身の人間だったし、俺を抱き締めてもくれたんだ。なのに、死んでるだなんて、どうして。
 ヨアニスの言っていることが解らなくて目を見開く俺に、ヨアニスは逆に何かに酷く動揺したかのように俺から手を離し、ふらふらと後退し始めた。

「陛下」

 臣下であるアドニスが支えようとするが、それより先にヨアニスは取り乱して頭を抱えながら暴れはじめた。

「ど、どういう事だ……私とお前の子は、死んだのではなかったのか? 何故だ、何故生きている? どうして、何故、何故教えてくれなかったのだ、どうして……どうして……っ!!」
「陛下落ち着いて下さい!」
「ヨアニス!」

 俺達はヨアニスを落ち着かせようと駆け寄ったが、相手はひじで俺達を牽制けんせいし、やがて自分の思考に耐え切れなくなったのか……その場に膝をついて、思いきり叫び声を上げた。

「ああぁあああ……っあああああああああ!!」

 腹の底からの、発狂した声。
 鼓膜に伝わる振動に拘束された俺達の目の前で、ヨアニスは倒れた。

「よ、ヨアニス!!」

 ほこりを盛大に立てて仰向けになった相手に慌てて近寄る。
 息はしているがかなり荒く、顔色も真っ青になっていた。

「あ、アドニスどうしよう、どうしたらいい!?」
「とにかく、陛下の寝所まで運びましょう。ここに居たら危険です」

 確かに、このままここに居たら叫び声を聞いた人間がやってくるかもしれない。
 そうなれば俺達がしていた事も詰問されるだろうし、ヨアニスの状態に関しても何かとがめられるかもしれない。
 懸念はあるが、今はこの部屋に入った痕跡を消さねば。。
 俺は迷いなく頷くと、二人でヨアニスを抱えて部屋から脱出した。



   ◆



 扉は閉じ、木箱は元の状態に素早く積み上げた。
 何か遠くの方でバタバタと走るような音が聞こえたが、裏から表へ出てしまえば最早俺達を追ってくる物は誰も居ない。
 今ほどこの宮殿の構造に助けられた事はないなと思いながらも、俺達はヨアニスを寝所へと連れて行き、ホコリまみれの体を清潔にして服を着替えた。
 俺達が不潔だと、ヨアニスに悪い影響が出るかもしれないからな。
 それから、ヨアニスの髪や体の汚れた部分は丁寧に拭いて、新しい寝間着に着せ替えてあげてから彼をベッドに寝かせた。

「…………大丈夫かな、ヨアニス」

 寝ているヨアニスの肩までしっかりと布団を掛けて、ベッドのそばで呟く。

 まさか起きているなんて思わなかった。後を付けて来たなんて、完全に想定外だった。もう少し俺がちゃんと確認していたら、こんな事にはならなかったのに。
 冷静になると後悔ばかりが浮かんできて、申し訳なさが募る。

 何とかしてあげたいけど、俺にはこれ以上どうすればいいのか解らない。
 そんな俺の後ろで壁に寄りかかっているアドニスは、俺の言葉に肩をすくめた。

「こればかりは、どうしようもありませんね。医師を呼んでも『目が覚めなければ、どうなるか解らない』と言われるだけでしょうし。……しかし、流石はかつて皇帝軍精鋭部隊の“皇国騎士団”団長を務めていたお方だ。病んでいても能力は全く衰えていないだなんて恐ろしい」
「そんな凄い人だったのか、ヨアニス……」

 誉れ高い騎士団の団長。炎雷帝と言う名前はその気性の激しさだけではなく、彼の比類なき強さをも意味していたのだろう。
 しかしそれを知れば知るほど、今これほど弱っている相手に胸が痛くなる。
 俺だって今の状況をどう整理して良いのか解らない。まさか、ヨアニスの子供があのアレクだったなんてまだ信じられないし、それに……アレクは……炎雷帝の事を凄く嫌っていて、母親を苦しめたと言っていた。

 その話が本当にソーニャさんの事だったとしたら、どうして。
 何故、これ程までにソーニャさんの事を愛しているヨアニスが、彼女を苦しめるような事をしたのだろうか。
 彼女を求めているヨアニスは、切なくなるほどに無邪気だったのに。

「ヨアニス……」

 せめて、眠っている間だけでも苦しみを取り除いてやれないものか。
 そう思って稲穂色の綺麗な髪を手で軽くいてやると、ヨアニスの喉がひくりと小さく動いた。

「ソー……ぁ……」

 かすかに呟き、薄らと目を開いて俺を見上げる。
 ああ、やっと目を覚ましてくれたのかと思い、俺は泣いてるんだか笑ってるんだか自分でも判らないような珍妙な顔で、ヨアニスのひたいを撫でた。

「良かった……気が付いたんだな。気分は悪くないか?」

 そう言うと、ヨアニスはどこか不思議そうな顔をしながらぎこちなく首を振る。
 何かに戸惑っているかのような表情だったが、しかしその顔色は悪くはなく、額は熱くもなかった。どうやら、本当に大丈夫なようだ。
 俺は心底安堵あんどして、ヨアニスの額から手を離した。

「色んな事がありすぎて、びっくりしたよな。……ごめんな、勝手に部屋を出て行って。今夜はもう離れないようにするから」

 そう言う俺に、ヨアニスは何かを言おうとして口を開いたが……どうしてか思いとどまったようで、一度目を伏せてから俺をじっと見上げた。

「いままでずっと……私を看病していてくれたのか?」

 しっかりした口調だ。心なしか、目も少し生気を取り戻したように思える。
 軽く驚いた俺に、ヨアニスは言いづらそうに視線を彷徨さまよわせたが……しかし決心したかのように俺を見て、眉根を寄せた。

「……ソー、ニャ。私は……君に、話さなければならない。とは言え、私はほんの少しの事しか知らないし、断片的な事しか解らない。だけど……迷惑をかけてしまった君には、聴いて貰いたいんだ。……アドニス、お前にも」

 何かを覚悟したかのような表情でそう言って、ヨアニスは俺の背後に控えていたアドニスにも声をかける。
 今までとはどこか違う気がするが……もしかして、心が快復し始めているのだろうか。だとしたら、喜ばしい事だ。
 起き上がろうとするヨアニスを介助し座らせて、俺はアドニスと一緒に彼が話し出すのを神妙な顔で待った。

「……私は、十五年前に最愛の妻だったナーシャを事故で失い、酷く荒れていた。炎雷帝と言う名もその頃に付けられ、ならばそうなってやろうと……そう、ヤケになっていたのだ。……だが、スビャトラフ卿から彼の娘を紹介されて、何度も会う内に……私は、私の心を優しく溶かしてくれたソーニャを愛するようになっていた。……それからは幸福な日々だった。正妻に迎え、宮殿で夢のように甘い日々を過ごし、時には強硬な私の姿にソーニャが小言をくれて、だけども、私はそれすら嬉しくて……」
「…………」

 なんだか、目の前のヨアニスが急に遠い人のように思えた。
 思い出を語る彼の姿はしっかりとしていて、まるで正気に戻ったかのようで。
 ソーニャと呼んでいる俺に、ソーニャさんとの過去を話してくれているのに……何故か、その話は俺自身に対して話しているようにしか聞こえなかったのだ。

 やっぱり……偽物じゃ駄目なんだな。
 どんなにヨアニスを救いたいと思っても、偽物じゃ彼の事を本当に解ってはやれないんだ。……だって俺は、俺でしかない。彼がずっと愛していたソーニャという女性じゃなく、十七年間生きて来た潜祇くぐるぎ つかさでしかないんだ。

 どうしてか、今はそれが少し悔しかった。

「そんな時に、私はソーニャから妊娠の知らせを聞いた。私達は“種”を仕込んでも中々子供が出来ず、ソーニャ自身丈夫な方でも無かったので、半ば諦めていたのだが……けれど、やっと……やっと、私達の子供が出来たのだ。予断を許さない状態だったから近しい者にしか教えていなかったが、それでもみな喜んでくれて、幸せだった……なのに……」

 ヨアニスは、両手で顔を覆う。
 背中が震えているのに気付いて優しく擦ると、相手はひくりと体を反応させたが、やがてゆっくりと俺に振り向いて、泣きそうな顔で少しだけ微笑んだ。

「ありがとう……」
「……うん」

 笑顔に、陰が在るような気がする。だけど、俺は顔に出さずに微笑みを返した。

「……それから、どうなったのですか」

 アドニスの催促さいそくする声に、ヨアニスは息を詰まらせたが、気合を入れるようにつばを大きく飲み込むと、しっかりとした顔つきに戻った。
 俺とアドニスを見やるその顔には、もう悲しみは無い。だけど、俺が今まで見てきた表情とはまるで違う表情だった。

「……どうなった、か。…………そうだな……結論を言えば、流産したと言われたよ。私が視察に行っている間にソーニャが皇帝領の階段から落ち、その衝撃で子供は失われてしまったと……そう、言われた。その時ソーニャは寝込んでいて、私はどうする事も出来なくて……」
「…………」
「けれど、悲しいのは私よりもソーニャの方だ。私は愛しい存在を三度も失いたくはなかった。だから、私は彼女を彩宮にこもらせ、ずっとずっと守ろうと、そう……決めたのだ…………だけど、ソーニャは三年前に姿を消して……」

 そう言って、ヨアニスは顔を歪める。
 何かを訴えるような表情で俺を見つめる相手に、俺はたまらなくなって震えている大きな手を握った。

「もういい、もう良いから……今日はもう、寝よう? な?」
「っ、ぁ……そ、ソーニャ。ソーニャ、待ってくれ……違うんだ。違うんだ……私は、知りたいのだ。これが私の知っているすべてだ。だが、これはソーニャの全てでは無かった。私にはまだ、知らない事が在るのだ……! だから知りたい……私の子供がいるのなら、会いたい、会いたいんだソーニャ……!」

 そう言いながら手を握り返して必死の顔で訴えるヨアニスに、俺はただ圧倒されてしまった。

「ヨアニス……」
「お願いだソーニャ、子供に会わせてくれ。君は知っているのだろう、子供が生きていると知っているのだろう?! 何でもする、頼む……失った我が子を一目でも良いから……!」

 そのブルーグレイの綺麗な瞳は、涙を含んだ光に輝いている。
 唯一遺された存在にすがるようなその姿は……どこにでもいる、子供の無事を願う父親そのものだった。

 ――――もしかして、ヨアニスは…………。

 考えて、俺は内心首を振ると、ヨアニスをしっかりと見返して手を握り返した。

「解った、何とかしてみるよ。……けど、このままじゃ会わせられないんだ」
「それは……どうして……」

 困惑する相手に、俺の代わりにアドニスが答える。

「陛下、ソーニャ様の子が“どうして亡くなった事にされたか”がまだ解決しておりません。その事を解決するためにも……我々に時間を下さい」
「…………そう、か。……そうだったな……私は、その知らせを聞いただけで、ソーニャに会ったのもそれから半月ほど後だった……」
「アレクセイ様が死んだ事にされているのには、理由があります。もし、この件が未だに解決されていない問題を孕んでいるのなら……アレクセイ様を彩宮に連れて来るのは、かなり危険な事になるかと」

 アドニスの言葉に納得したのか、ヨアニスは俺を見る。

「……あいわかった。私はそれまで待とう。……だけど、解決するまで……まだ、ここに居てくれるだろうか……ソーニャ……」

 しっかりした手が、俺の手を離し難いように包んでくる。
 まだ不安が色濃く残るヨアニスの表情を見て、俺は強く頷いた。

「解りました。だけど……いくつか頼みたい事が有ります」
「頼みたい事?」
「……俺を、一度街に帰してくれませんか」

 必ず、帰ってきます。
 だから心配しないでとブルーグレイの目を見つめると、相手は少し悲しそうな顔をして小さく頷いた。










 
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