異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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古代要塞アルカドビア、古からの慟哭編

  ある黒い犬の記憶

 
 
 かつて自分は何と呼ばれていたのか、今では砂の一粒とも思い出せない。

 ただ、あの時……力を失い、死後の世界かと思って目を覚ました時に見た光景を、私は生涯忘れないと思う。
 美しい天井と、苛烈な太陽から注ぐ色と同じだと言うのに柔らかくキラキラと光る――――思わず手を伸ばしてしまいそうになった、長い髪。

 嬉しそうに私の顔を覗き込んできた、小さくて可愛らしい女の子。
 誰よりも私を想い、心配してくれた、血のつながらない愛しい妹。

 だからこそ私は、過去を捨てた。
 一族が命を賭して抱き続けた「聖獣ベーマスの“御神体”を守る使命」も、私の全てを奪い尽くした賊どもへの復讐も、家畜にまで自らを貶めたオスどもへの報復も。
 すべて、どうでもよくなった。

 あの子が、あの人達が居てくれたから。





 ――――どの時間軸の物かも分からない感情が、確かな思いが伝わってくる。

 暖かく、泣きそうなくらい切ない、愛しい人達へ向けた感情。
 彼女にとって新しくできた家族がどれほど大事な存在だったのか、経験したことが無いはずの自分の胸に、その気持ちが強い衝撃となって伝わってくる。

 ふとすれば引きずられて自我さえ失いそうになるほどの、思いの奔流。
 だけど、これがあの無表情だった【黒い犬のクラウディア】の……アクティーの本当の思いなのだ。そう考えると、また思考がぶれる。

 きっと、ここから――――拾われた時から、彼女の記憶の旅が始まるのだろう。

 そんな考えに呼応するかのように、場面が変わり始めた。





 ――――お前は、砂漠で拾われた【魂守たまもり族】の最後の生き残りだな。
 目覚めたあと、国王たるネイロウドに初めて問われたのは、そのことだった。

 アクティー自身はその事実を思い出すのに数日かかったのだが、当時のベーマス大陸西部を支配していたネイロウドは、過去より連綿と続く種族達の仔細を把握していた。彼の国……砂狐族が作り上げた【太陽国・アルカドビア】は、彼らの特殊な力である“膨大な口伝を駆使する能力”を初代から駆使することで成り立っており、その力で失伝した知恵や情報を使い、各種族を纏め“国”という群れを造ったのだ。

 権力に縁遠いアクティーも、その名前だけは街の片隅で盗み聞いたことがある。

 そんな群れの長と顔を合わせること自体初めてだったアクティーは、卒倒するような心持ちだったが、ネイロウドは決して彼女を威嚇しなかった。
 彼は獣の長であるというのに、非常に穏やかで聡明な人物だったのである。

 だからこそなのか、ネイロウドは素性も知れないアクティーに尋問などはせず、まず体力を回復させようとしてか手厚い保護を行った。

 まだ傷も癒えず満足に肉も付いていないアクティーに、安全な寝床と充分な食事を与え、優しく美しい妃であるポーラエナと共に、付かず離れず常に見守る。そのうえ、大事な跡継ぎであるクラウディアを警戒なくアクティーに引き合わせたのだ。
 彼女の天真爛漫で無邪気な人懐こさが、少女の心を救うと思ったのだろう。

 ……あまりにも優しく、人の悪意を知らないような人々。

 アクティーは、そんな彼らを最初は警戒し、彼らの純粋な心に嫉妬し嫌悪すらした事もあったが……傷が癒える頃には、すっかり心を許していた。

 それは彼女自身が幼かったからかも知れないが、それ以上に彼女がまだ己の事を温かく受け入れ庇護してくれる存在を求めていたからかもしれない。

 そして何より、異なる種族の自分に対して、屈託のない笑顔で「おねえたん」と舌っ足らずな言葉で懐いてくるクラウディアに、完全に絆されたのだ。
 純粋な好意だけで抱きしめてくれる幼子と接し、アクティーは初めて自分の全てを肯定して貰えたような満足感を覚えていた。
 だから、最早過去のことなど気にならなくなっていたのかもしれない。

 ともかく、アクティーは傷も癒えたことで、クラウディアとの仲の良さを買われ「姫君専属の護衛兵」として王族の一員となった。

 そこでアクティーは、初めて自分の名を“アクティー”と改められた。
 今までは名無しの「おねえちゃん」だったが、そこから“アクティー”としての人生が改めて始まったのである。



 ――――彼女が名を改めてから、彼女の周りには人が増えた。

 まず現国王であるネイロウドと王妃ポーラエナ。
 そして愛しい妹のクラウディアだけでなく、彼らの親戚である王族の面々や、王族の関係者として彼らを取り巻く人々を知ることになったのだ。

 まず、ネイロウドとポーラエナを敬愛する、筆頭護衛兵のソーニオ・ティジェリー。
 砂狐族の口伝を“記録”として残す役目を負う、文官のガイウス・コルネリア。
 そして彼らに従う、まったく種族の違う兵士達。

 彼らは皆、国王を心の底から敬愛していた。
 国王はどんな種族にも平等に接する変わり者と言われており、妻や娘の髪と同じ色の「黄金」という鉱物を愛す獣人らしからぬ人だったが、それでも良き統治を行い平穏を齎した王に対して、彼らは感謝の念を絶やすことはない。

 ……アクティーが今まで見てきた「弱肉強食」の世界とは、まったく違っている。

 そんな世界を作り上げたネイロウドに、アクティーもまた尊敬の念を抱き、彼ら家族を守る役目についたことを誇りに思った。

 だが、太陽国アルカドビアには砂丘の陰とも言える部分も存在して。
 それが、国の諸々を決める会議を執り行う、砂狐の長老たちを置く【長老衆】と……――――

 クラウディアの祖母、国王の母という事で【国母】と呼ばれている
 ジュリア・グリフィナスだった。

 ――……だが、アクティーは反乱の時まで、彼女が脅威であったことに気付くことが出来なかった。

 なぜなら国母ジュリアは、息子であるネイロウドと同じく優しい女性だったからだ。

 人を慈しみ、息子を愛し、国母として街へ降り不満が無いか国民に聞いて回るほどに慈悲深い。そして、彼女はクラウディアを溺愛しアクティーも愛してくれた。
 その愛に偽りはない。だからこそ、アクティーは気が付かなかったのだ。

 彼女の心の奥底に、どうしようもない感情が渦巻いていることに。

 気が付かないまま、アクティーはクラウディア達との甘く優しい日々を過ごし、様々な事を学ぶ日々に嬉しさでいっぱいになっていた。
 ソーニオから爪術だけでなく剣や鈍器の扱い方を学び、ガイウスからは各種族の特徴や大陸の情勢、そして歴史を学んだ。

 聖獣ベーマスの遺物を守る以外の事を知らなかったアクティーは、そこで初めて様々な考えに触れ、そして改めて己の幸せを噛み締めたのである。

 そう。アクティーは間違いなく、満ち足りていた。
 やっと思い返す気になった「過去」は、幸せを確信するまで脳裏に浮かべる事すら苦痛となる記憶しか無い。だが、今満ち足りたからこそ思い出せる。

 拾われ、役目と名を貰い、三年ほど経過した頃。
 アクティーは、ようやく国王達に己の明確な出自と出来事を語った。
 どんな種族であり、幼い自分に何が起こったのかを。



 ――――かつてのアクティーは、ただの「守護者の跡継ぎ」だった。

 西南に存在する幻の神殿に住まう【魂守たまもり族】は、古くからただ一つの事を使命とし、神殿から離れることなく生涯を「聖獣の御神体」を守ることに注ぐ一族だ。そのためにつらく厳しい修行を己に科し、神殿と共に生涯を終えるのを当然とする。
 幼いアクティーですら守護者の役目を覚悟していたような、そんな一族だった。

 だがある日、誰も訪れる者のなかった神殿に賊が現れた。
 敵は他種族と魔族。だが幼いアクティーにはそれ以上の事は思い出せず、神殿からどう逃げてきたかも思い出せない。
 ただ、皆殺しにされた恐怖と「役目を守れなかった」という喪失感を植え付けられ、砂漠を彷徨っていたのだという。

 そして彼女は、とある獣人に拾われた。
 クラウディア達ではない。アクティーは金毛の猿族に拾われ、まるで玉無しのオスのように虐げられ雑事を命令される家畜になったのだ。

 現在では「奴隷」という人族の言葉の概念で表現できるが、まさしくそのように人を虐げる「主人」に対し、幼いアクティーは抗うことも出来ず、過酷な労働によって見る見るうちにやせ細って行った。

 そうして、もういよいよ食べる価値すらないとなると、猿達は面白半分に赤い砂漠へと放り出し魔物に食われるか否かの賭けをし始めたのだ。
 ――結果的には、猿達は周辺の賊と戦いになりそれどころではなくなったのだが……ともかく、猿達の隙をついてアクティーは逃げ出したのである。

 だが逃げ出したとて、やせ細った少女に赤い砂漠が慈悲を与えるはずもない。
 数日彷徨い、いよいよ息絶えかけた所で……幼い姫が、彼女を見つけたのだ。

 それが、アクティーが今まで生きてきた全てであり、些末な思い出だった。



 ――――そんな過去を聞いたネイロウドと国母ジュリアは、魔族や猿族の所業に対して怒り狂い、あわや一族郎党抹殺という所まで行ったものの、長老衆と護衛兵達が窘めたことでなんとか治まった。

 王族として冷静さを欠く行動。
 けれどアクティーにとって、そんな二人の正義感が嬉しかった。

 泣きながら自分を強く抱きしめてくれたポーラエナの優しさも、次々に優しい言葉をかけてくれる護衛兵達の気遣いも、頭を撫でてくれたガイウスの不器用な行動も、何もかもが優しくて、過去の事なんてどうでもいいと思えたのだ。

 …………だが、今にして思えば……それが、引き金だったのかもしれない。




 王族達がアクティーの話を聞いてから一年後のこと。

 数年前から人族との貿易を続けていたアルカドビアに、宗教というものを信じる男達が“技師”として王城に招かれることとなった。
 なにやら人族は【曜術】という“デイェル”とは違う種類の力を使うらしく、その力が街の植物を産んでいるらしい。今回は、その力を手入れし更に発展させるために長期間の滞在という事で賓客としてこの国にやって来たようだ。

 クラウディアの護衛として何度か人族と謁見したことがあったアクティーは、その時も「変な種族だ」としか思わなかったが……初めて顔を合わせた時、何故か……他の人族とは違う奇妙な雰囲気を感じたのである。
 その奇妙さは、やがて彼らの素性を知って一応の納得を得た。

 どうやら彼らは【リン教】という“新しい宗教”とやらを信奉しており、その教義は獣人が尊ぶ「弱肉強食」と通じる所があるとして、獣人を尊敬しているのだという。
 だから、普通の人族とは違う雰囲気を感じたのだ。

 彼ら曰く、自分達は人ではなく獣人に近い。
 むしろ、弱肉強食を常とする獣人の方が尊い存在だと思っている。
 崇拝の対象と言ってもいい。……という事も言っていた。

 そんな彼らの主張に、王族達は気を良くしたようだった。

 さもありなん。
 自分達を上に置く種族の遜った言葉に、喜ばない獣人はいない。
 護衛兵や長老衆、文官も同じ反応を示し、彼らはすんなり王族や城の人々に受け入れられていった。

 ただ一人、アクティーを除いて。

 ――――そう。
 アクティーは、一目見た時から彼らを訝しんでいた。

 何故なら、彼らが“おべっか”を使う時の声音や表情は、金毛の猿族が誰かを騙す時に浮かべていた表情や声によく似ていたからだ。

 だが、そんな疑問を口にしても、真剣に撮り合う大人はいなかった。
 「猿族に似ているから同じ表情になるんだろう」とアクティーを窘めるだけで、大人達は賓客との仲を気にして考えないようにしていたのだ。

 結局、アクティーの言葉を頭から信じる者はクラウディア一人だった。

 けれど一国の姫に賓客を糾弾させるわけにもいかず、この話は他の者に話さないようにしようという結論に終わってしまった。
 ……ここで「二人で訴える、証拠を探す」という結論を出していれば運命は変わっていたかもしれないが、今更「もしも」の話をしても仕方がない。

 その時のアクティーは、甘く優しい空間を壊すことを恐れていた。
 可愛い妹のクラウディアから引き離されることだけは、絶対に避けたかったのだ。

 そんな幼さゆえの恐怖が、判断を鈍らせた。
 いや、幼かったからこそ……大人のような決断が下せなかったのかもしれない。

 心に靄を抱えつつもアクティーは護衛としての修練に励み、そして不安を掻き消すように、クラウディア達と過ごす幸せな日々を望み日々を過ごしていった。
 いつまでもこの日々が続くようにと願いながら。



 ――――そんな日々を過ごして、一年。
 ついに、あの運命の時がやってきた。



 その日は朝から城の様子がおかしくなっており、城内に護衛兵が見当たらない事や、朝食にネイロウド達がやってこない事を不審に思っていた。
 クラウディアの支度を手伝い、いつも通りの時間に自分達は食堂へやって来たのに、国王だけでなく給仕たちすら姿を見せない。

 あまりにもおかしい事態に、クラウディアも不安がる。
 ネイロウドとポーラエナは稀に長老衆と朝から会議をすることもあるので、そういう事が起こったと思っていたのだが、給仕すら来ないのは妙だ。

 アクティーはクラウディアを宥めながら、彼女と共に人を探すことにした。

 だが、城内は静まり返っている。
 緑あふれる中庭にも、兵士達が集まる訓練場にも姿は無い。ならば会議室だろうかと、彷徨い歩いていると――街の方に面した窓から、騒がしい声が聞こえて来た。

 なんだろうかと覗き――――絶句する。
 と、同時に、アクティーはクラウディアの目と耳を塞いでいた。

 何故なら。
 何故なら、その、窓の向こう。

 遠くに見える広場――――この王都の全ての者が目をやり、道を埋めるほどの数で囲んでいる広場には……



 台の上で四つん這いになり、今まさに首を落とされそうになっている
 国王と王妃が、いたのだから。



 ――――アクティー。どうしたの、ねえ、どうしたのアクティー。

 何も知らない、純粋無垢で可愛らしい声が何度も自分の名前を呼ぶ。
 だが、答えられない。その耳も目も、今は解放してやることが出来ない。決してこの光景を、愛しい妹に見せてはいけないのだと思った。

 だが、あまりにも非現実的な光景に、手が震えて力が入らない。
 何が起こっているのか理解できず口が戦慄き、足がガクガクと勝手に動いた。

 崩れ去ろうと、している。
 無意識にそう感じる自分のいじましい頭が、恐怖を感じているのだ。

 ……自分を今まで癒してくれていた、甘く優しい時間。
 アクティーと、ネイロウドと、ポーラエナが与えてくれた、幸せな記憶。

 それがすべて、今、この瞬間に、崩れ去ろうとしている。
 また自分は、失ってしまう。

 あまりにも明確になった、体が凍えるほどの悪い予感に、抗いきれない。
 だが窓の向こうの光景から目を背けることも出来なかった。

 ――――声が、広場から声が聞こえる。

 大きな台に見世物のようにして捕えられたネイロウド達の後ろに、見知った姿達が見える。あれは長老衆と護衛兵達だ。人族の技師たちもいる。
 彼らは皆、誇らしげに胸を張って国王を跪かせているのだ。

 何故。何故だ。どうしてそんな無礼な事をしている。
 あれほどまでに国を思い民を思っていた優しい国王を、何故皆あざ笑いながら見ているだけなのか。どうして、そんな…………


 自分を赤い砂漠に放った猿どものような、おぞましい笑みを浮かべているのか。


 ――――アクティー……どうしたの。なにをそんなに怖がってるの?

 クラウディアの声が聞こえる。だが、動けない。そんなこちらの以上に気が付いたのか、優しい彼女は慌ててアクティーの手を引き剥がした。
 そうして、どうしたのかとアクティーの顔を覗き込んできたと、同時。

 広場から信じられない声が響いてきた。

『これまで貴方がたを騙し、貴方がたを虐げた代わりに金銀と言う価値のないモノへ対価を注ぎ込んだ暴君、貴方がたの同胞を不当に殺した暴君は、今ようやく聖なる母の御手によって粛清されるのです! さあ、ご覧あれ!』

 この声は――――まさか、ソーニオ・ティジェリーか。

 あまりにも堂々と国王を貶める発言をする筆頭護衛兵に、言葉が出ない。クラウディアも、広場の騒ぎに気が付いたのか青ざめて絶句している。
 その体を、ただ抱きしめる事しかできない。

 二人して青くなり硬直しながら広場を見つめる間にも、彼らは「覚えのない罪」を次々に羅列し、いかにネイロウドが暴君だったかを国民に語った。
 だが、最早なにがどうという言葉すら頭に入ってこない。

 今動かなければ、大変なことになる。
 それは分かっているのに、足が動かなかった。

 ――――うそ……嘘だよ、おとうさまがそんなことするはずない……!

 アクティーの腕から、クラウディアが離れて窓に乗り上げる。
 ハッと気が付いて手を伸ばしたが、クラウディアはその窓から外へ飛んでいた。

 広場へ向かう気なのだ。
 気が付いて、アクティーも後を追う。
 クラウディアは見た目からして小柄で細く頼りないが、それでも獣人としても充分な身体能力を備えている。三階ほどの窓も、壁を伝えば楽に降りられた。

 アクティーはそんな彼女を追い、壁を伝うことなく地面に降りると、駆け出す小さな背中を負う。だが、止めはしない。
 人を失うつらさは知っている。だから、止められなかったのだ。

 ――――やめて……! みんな、どうしてこんなことするの……!?

 人で埋まる道では広場に行けない。やむをえず屋根に飛び上がり駆ける最中にも、クラウディアは泣きながら叫ぶ。だが、民衆の完成に掻き消されて聞こえない。
 獣人の耳も、大勢の獣の声からか細く綺麗な声は探せないのだ。

 それが、もどかしい。
 彼女のために一吠えも出来ない自分が、情けなくて仕方がなかった。

 ――――おとうさま、おかあさま……!!

 一生懸命に叫ぶが、広場から響く大人の強い声に敵わない。
 彼らはネイロウドを謂れのない罪で裁くと言い、こともあろうか「斧」を持ち出した。

 獣人が望む「決闘」ではなく、人族が使う惰弱な武器。その武器で、誇りすら得られない殺し方をしてやろうと言うのだ。
 きっと、喰う事も無いに違いない。

 あまりにも冒涜的で惨たらしい処刑。秩序を持つ者達とは思えない所業。
 恐怖と怒りで綯交ぜになって、アクティーの目からわずらわしい液体が流れる。

 その液体が横に流れ消えるほど必死に駆けるが、結局間に合わなかった。

 ――――やめてぇえ!!

 綺麗な声が、悲しみと恐怖にゆがむ。
 そんな声すら届かない広場では、長老衆と護衛兵達が国王を取り囲み、国民達の囃し立てる声につられて巨大な斧を振り上げている。

 あと、すこし。
 ほんの二軒屋根を飛び越えれば、広場へ届く。

 そう思ったが。

 ――――――!!

 掻き消された少女の悲鳴と共に、その斧は二つの首に振り下ろされた。

 ――惨い。

 ひどい。
 ひどい。ひどいひどいひどい。

 どうして。どうしてこんなことに。
 何故あの優しい人達が、なにも悪くない人達がこんな。

 こんな、ことに。

 ……言葉が、出てこない。足が止まり、ただ目の前の光景を見ていた。
 愛しい妹も泣きじゃくり、その場に崩れ落ちて地面に突っ伏している。
 そうだろうとも。あんな光景、見たくないだろう。

 大事な両親を、殺された。
 しかも名誉すらない死。望まない死を強要され、謂われない罪まで着せられて、何も弁明出来ない内に、国民達から罵られながら殺されたのだ。

 あんなもの、現実であっていいはずがない。
 そう思い立ち尽くしていたが――事態は更に、クラウディアを傷つけた。

 ――……無残に転がる二つの首を、護衛兵達が持つ。

 その首の間に、ゆっくりと上がってきた人物がいた。
 あの、ほっそりとした優雅な立ち姿。年を経ても美しいその、人物は。

 ――――おばあ、さま……なんで……。

 クラウディアが泣きながら呟いた通り、国母・ジュリアその人だった。

 だが、彼女はクラウディアが見ていることを知らないのか、堂々とした立ち姿で、今まで自分達が国民をどう守って来たか、今後の国をどうするかを語る。
 その姿は、自分の息子を殺した母親とは思えないほどの豪胆さで。

 まるで…………神殿を襲った、魔族や盗賊達のようだった。

 ――――あ……。

 呆然と立ち尽くす中で、クラウディアの小さな声だけが聞こえる。
 その少し怯えた声にハッとして意識を戻すと、屋根に上った自分達に気付いたのであろう兵士達が、今にもこちらに走ってこようとする姿があった。

 このままでは、いけない。
 咄嗟にそう思い、アクティーは泣きじゃくるクラウディアを抱えると踵を返す。

 ともかくこの場に居てはいけないと思い、敵を攪乱しながら動き、かねてより自分達の為に密かに飼い慣らしていた「影」を動かして必死に逃げ回った。

 「影」は、かつて自分と同じように猿族に虐げられていた鼠の一族だ。
 その“デイェル”を見出し、土地すら奪われていた彼らに“根無し草”の名を付けて、かつて自分の故郷があった辺境の地に住まわせ数を増やしていた。

 いつか、国王や妃、そして可愛らしい姫を影から守れるようにと。

 だが、彼らの練度は残念ながら満足なものに達していなかった。
 「影」達は、急拵えの軍隊のようなものだ。そもそも、元から弱い立場の鼠族である彼らが、護衛兵達とぶつかって勝てるはずがない。

 彼らもそれは分かっていただろうが、しかし今は命を懸けて唯一残った姫様の命を守ろうと命を懸けている。この場の雰囲気に飲まれることなく、ただ「恩がある」という強い信念だけを信じて。
 その事に深く感謝しながら、アクティーは何とか城に戻った。

 ――――アクティー、どうしよう……。私は、どうすればいい……?

 もう泣き止んだクラウディアは、目を赤くしながらも次を考えている。
 いざと言う時には、自分がしっかりしないといけない。そう教え込まれた王族の姫は、こんな悲劇になってもなお気丈に振る舞おうとしているのだ。

 彼女は妹であり、守るべき姫だ。
 改めてそう思うと心が落ち着き、アクティーはかねてより教えられていた避難経路を、クラウディアに説明した。

 それは、王族……いや、正確に言えば『国王を継承したもの』にしか教えられない秘匿された通路で、古代から存在する遺跡の名残。
 万が一のことを考えて、ネイロウドはその通路をアクティーにだけ教えていた。

 もしかすると、予感があったのかもしれない。
 今となっては分からないが、アクティーはクラウディアとその秘密の通路を使って、ひとまず赤い砂漠へ逃げる事にした。

 砂漠へ逃げれば、少なくとも隠れ場所には事欠かない。
 どこへ行けば追手から逃れられるか分からなかったが、とにかくクラウディアの手を引いて、アクティーは緑色の光が照らす地中の通路を進んだ。
 その間に、色々な事を考えたような気がするが――あまり、覚えていない。

 かつての記憶が色々蘇ってきて、また泣きそうになったような気がする。
 だがそれでもクラウディアの今の状況を思うと泣いてなどいられず、必死に堪えて次はどうすればいいか、ずっと考えていた。
 そうしてようやく、通路の終わりが見えて来た時――――ふと、思いついた。

「そうだ……。ねえクゥ、の場所……昔、ガイおじちゃんに作ってもらった絵本にあったでしょ? あそこに逃げようか。あそこなら、誰も思いつかないよ」

 出来るだけ力強い声で、クラウディアを不安にさせないように言う。
 その言葉に、自分の手を掴んでいる小さくてやわらかい手が反応した。

「たからもの……双子山のお兄ちゃん山にあるっていう……? そこにいくの?」
「うん。ネイリ山脈は、私達には危ないし……赤い砂漠を通って“骨食みの谷”を越えても、クゥには絶対に近付けたくない奴らしかいないし……だから、海沿いのあの山の上なら、海も近いし誰も来ないと思って」

 可愛くて綺麗な妹を見れば、オスどもが妙な気を起こすにきまっている。
 その前に、こんなに柔らかい肉をしていたら誰に食われるかもわからない。そんな危険がある場所に、クラウディアを連れては行けなかった。

 狼どもが潜むネイリ山脈も、谷の向こうの街も危険だ。

 そう憤るアクティーに、クラウディアは……ようやく、クスリと笑った。

「もう、わたしだって強いんだよ? アクティーったら」
「ふふ……ごめんごめん。でも、心配でさ……クゥは、赤い砂漠を超えるのなんて、初めてでしょ? だから……」
「あ……そっか……。わたし、初めて……冒険するんだ……」

 今気が付いた、とでも言うように呆気にとられたような声を出したクラウディアだったが……やがて、またクスクスと笑う。
 先ほどの惨劇など忘れてしまったかのように、いつもの明るさを見せる相手。

 だが、その笑みはこちらを安心させるためだと知っている。
 彼女も状況を把握し、気丈に振る舞おうとしているのだ。

 ……まだ、幼い少女だというのに。
 自分よりも年下の、本来ならまだ親に庇護されるべき存在だったのに。

「そう。そうだよ。今から冒険だ。黄色い砂漠や、珍しいものがいっぱいある」
「そっか、冒険かぁ……! わたしたち、今からいろんなところに行けるんだね! あ、ちょっと待って。だったら宝物を先にさがさなくっちゃ! ガイおじちゃんが絶対にあるって言ってたんだもの。……だから……持って行かなくっちゃ」

 きゅ、と、クラウディアの手が先程より強く握り返してくる。
 ……今の自分達は、何もかも失くしてしまった。

 だから、せめて幼いころの大事な思い出だけは取り戻しておきたい。
 そう思って、絵本に描かれた“たからもの”を見つけようと言い出したのだろう。

 ……希望を持つことは良い事だ。
 今はどんぞこでも、二人で居ればきっと乗り越えられる。

 考える時間もなく逃れる事になったが、とにかく今は希望を失わない事が重要だ。そのためなら、在るかどうかもあやしい宝の存在すらも信じよう。
 クラウディアのためになるのなら、信じるものなど何だって良かった。

「よし……砂漠に出る……行こう、クゥ!」
「うん……!」


 ――――まだ、希望は有った。

 クラウディアさえ生きていてくれれば、生きて行けると思っていた。

 だけど。

 自分達を取り巻くすべては、残酷なものでしかなかった。











 
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