異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

文字の大きさ
809 / 1,149
断章 かつて廃王子と呼ばれた獣

6.鳥籠の鳥

 
 
「では、奥様……なるべくく、何よりもく駆けて帰ってまいります」
「ええ……でも無理をしてはいけませんよ、アージャ。貴方は私達の大事な執事……必ず生きて、またクロウを抱いてやってちょうだいね」

 たおやかな褐色の手が、老執事の手を包む。
 一回りも違うその大きな手はおのれの主人の優しさを想い、涙をぐっとこらえると、深々と礼をして館を出て行ってしまった。

 彼もまた、いくさに駆り出されたのだ。
 もうこの館には、二人きり。誰もいなくなってしまった。

「ははうえ……あーじゃは、どこにいくの?」

 高く幼い、舌っ足らずな声。
 何も知らない幼子おさなごの無邪気な言葉に、彼の主人――スーリアは、隣で大人しくしていたおのが息子であるクロウクルワッハの手を優しく握った。

「アージャは、父上と一緒に戦ってくるのよ。ああ見えても、アージャもまだまだ若い獣人には負けないわ。……だから、私達は帰りを待っていてあげましょうね」

 年の割に小さく、弱々しい柔らかい手。

 獣人は、人族よりも早く子供の時期が終わり、青年期から壮年期が最も長く続く。
 そのモンスターを起源とした長い寿命も相まって、捕食されやすい子供の時期は、本来なら十年も無かったはずなのだが……――クロウは五年を経過しても、人族と同じ五歳程度ていどの成長しか見られず、発育が遅かった。

 それどころか、言葉や考え方はさらに幼いような所もある。
 理解できていないわけではないが、何をするにも一拍いっぱく遅れていたのだ。

 スーリアは、そんなクロウのことを常に心配していた。
 おのが命を捧げてもかまわないほど愛している我が子だが、しかしこのいのちともしびがいつ消えるかも分からない。それゆえに、スーリアはクロウクルワッハに対していくさの事や心身に負担をかけるようなことを教えられなかったのだ。

「ははうえ……ちちうえは、だいじょ、ぶ……ですか……みんな、いたいの、してないですか……?」
「ああ……クロウ……貴方は本当に優しくて良い子ね……! さあ、母上の腕の中に来てちょうだい。私の良い子を抱き締めさせてね」

 目をうるませる我が子をなぐさめるために、小さな体を抱き上げる。
 幼いクロウクルワッハが知る母スーリアは、いつもこうして慰めてくれていた。

 悲しいことで泣こうと、自分のすることが上手くいかずにぐずろうと、スーリアはつねそばにいて、クロウクルワッハの心に寄り添うように包んでくれたのだ。

 そんな母親の最大の愛を、クロウクルワッハもうたがう事は無かった。
 さげすむ者のいないこの限られた領地だが、ここにはクロウクルワッハを優しくはぐくむものしか存在していなかったのだ。

 いや、両親であるスーリアとドービエルが、近付けさせなかった……――
 と言った方が、正しかったのかもしれない。

 時折王宮に連れて行くと、必ずと言っていいほど厳しい目を向けられる我が子。
 それを、五感が鋭敏な獣人の親が気付かぬわけはない。

 ゆえにスーリアとドービエルは、幼いクロウクルワッハの心が傷つけられぬよう、またスーリアが心労で病を悪化させぬように「安息地」を作ったのだ。
 二人が生きて、ドービエルが守れているうちはそれで上手くいっていたのである。

 だが……その日。
 館を守るかなめでもあった執事のアージャが遠征し、館が弱い獣ばかりになった日。

 彼らが作り上げた「安息」は、いとも容易たやすく壊されるもろいものであったことを、誰もが思い知らされることとなった。




 ――――――時にはしもすら降るほどの、荒野の夜。

 執事のアージャが館を出た次の日の夜も、スーリアは寝室で火をいて、我が子に自分が知る物語を教えていた。

「そして聖獣ベーマスは、偉大なるあるじや仲間と共に“マガツ”をち……」

 何度も聞かせた聖獣の伝説は、その幻想的な内容もあってかクロウクルワッハのお気に入りだった。言動の幼さとは裏腹に、理解力はとても高く物覚えも良い息子は、様々な物語を理解したうえで、それでもこの伝説を好んだ。

 難しい言葉をもちいる軍記や強者の逸話いつわもよく喜ぶが、母親や限られた従者達と共に暮らすクロウクルワッハにとっては、獣人的な強さよりも人知を超える存在の方が興味を惹かれる。

 ……それは、普通の獣人であれば変わり者だとあきれられる嗜好しこうではあるのだが、スーリアは「そんなところも自分に似ている」と喜びこそすれ、いさめはしなかった。

 母と子、ほぼ二人での生活は、そんな夢想にかまけていられるほど平和で、いくさや獣人同士の戦いなどとは縁遠い生活だったのだ。
 しかし――――彼らにも、ついにその時が訪れた。

「…………」
「ははうえ?」

 唐突に語るくちを硬直させ、艶やかな毛を持つ熊の耳をぴくりと動かしたスーリアは、クロウクルワッハに「静かに」と言うように口元に指を立てると、しばし獣人の聴力で外の違和感を探る。そうして――――にわかに、けわしい顔つきになった。

 初めて見る母親の表情にクロウクルワッハは目を丸くしたが、スーリアは何かに気を取られ、警戒するかのように周囲に視線を走らせると、ベッドの上から動いた。

「……ねえクロウクルワッハ、今日は一緒に夜のお散歩をしましょうか。今から寝ようと思っていたけど、なんだか眼がえてしまったわ」
「よるの、おさんぽ……いく……!」

 幼いクロウクルワッハにとって、母親と共に行動すること以上に楽しい事は無い。
 ましてや滅多にない夜の散歩とくれば、子供の心はすぐに沸き立った。
 そんな素直な息子にスーリアは微笑むと、もう一度警戒するような顔つきで周囲を探り、クロウクルワッハの手を引いてベッドから降りて部屋を出た。

 この時点で、母親の様子が何かおかしい事はクロウクルワッハもさっしていた。
 だが、今まで優しい世界で暮らしていた幼子おさなごにとって、何故ここまで母親が緊張した面持おももちでいるのかを察するのは難しく、意図を隠したこの散歩が何を意味するかなど考えもつかなかった。

 旅をしながら暮らす群れの子供なら、真っ先に理解したかもしれない。
 つねに外敵におびえながら暮らす穴暮らしの獣人なら、青ざめて震えたかもしれない。

 だが、幼いクロウクルワッハは無知だった。
 恐怖と言うものにさらされた事が無かった子供は、母親の異変を感じながらも、その原因を予測することが出来ないまま、ただ今の出来事が「ともに散歩する」ということでしかないと考えるしかなかったのだ。

 しかし、事態は刻一刻と深刻化していった。

 この時のスーリアは――クロウクルワッハが改めて回想してから気が付いた事だが――縄張りを守ろうとする獣ゆえの鋭い察知能力で、この館の敷地に“ぞく”が侵入していることを明確に察知していた。

 幼いクロウクルワッハを連れ館の中を歩き回った所からして、どうにか外の“ぞく”と鉢合はちあわせしないように最も敵から遠い位置に移動していたに違いない。
 過去を語るためにクロウクルワッハが思い出した母親の姿は、子供を守ろうと必死な親の姿だった。

 ――――しかし、そんな努力もむなしく、ついに館の扉を破り“ぞく”が侵入してきた。

 盛大な破壊音が遠くから聞こえ、ここで初めてクロウクルワッハは何やら恐ろしい気持ちを抱いたが、その感情を噛み締めるひまもなかった。

「クロウ。クロウクルワッハ……どうか、静かにしていてね。母上のそばから、決して離れないようにしていてちょうだいね」

 握った手をさらに強く握りしめられ、クロウクルワッハはただうなづく。
 何が起こっているのか分からない。だが、母親がつらそうな顔をしているという事実が、元々聞き分けの良かった子供をより従順にした。

 ――――よく解らないが、母親がつらそうな顔をする事態が起こっている。

 ――――だから、決して母親が望まぬことはしてはいけない。

 何をするにも人より一拍いっぱく遅れた子供。
 そんな子供であるクロウクルワッハを最大限守り、いつくしんできた母親は、幼い彼にとって神にも等しい存在だった。

 母親と共に起きて、遊んで、学んで、眠る。
 幸せな暮らしは母親と共にあり、またクロウクルワッハ自身も、母親のいない生活など考えもつかなかった。それほど、彼の生活は閉じた生活だったのだ。

 だからこそ、クロウクルワッハもまた母親の事を一番に考えていた。
 人より一拍いっぱく遅れた“おとる”自分を、無意識に理解していたがゆえに、つらそうな顔をする母親をこれ以上苦しめまいと、自分の中の言い知れぬ感情を押し殺し従順に従おうとくちつぐんだのである。

 ……普通の子供なら、緊迫感と恐怖で泣き出していただろう。

 だが、泣くことは許されなかった。

「クロウクルワッハ……良い子ね……。もう少し、もう少しだけ、我慢してね」

 母親の声にかぶって、館の遠くの方から怒声が響き、また何かを破壊するような音が聞こえてくる。その振動を含んだ強い音に獣耳を震わせたが、クロウクルワッハは顔に出すことをこらえて、ただ母親の手を握っていた。

 そんな幼子の強がりを、スーリアは悲しそうな目で見ていたが、最早もはやそれに関して何かを言う猶予ゆうよなど残されていない。

 スーリアは幼子おさなごの手を引いて、音から遠ざかるように館の中をたくみみに移動し続け、何とか“ぞく”からのがれようとした。
 だが、相手も獣人であり、館を破壊して回っているところからして、これ以上館の中で逃げる事は難しい。スーリアはおびえながらも耐える幼子の顔を見て――決心したような表情をし、小さな声で「こっちよ」と息子を誘導した。

 クロウクルワッハ自身、回想しながら確信したことだが……――――

 母親であるスーリアは、その時点で“覚悟”を決めていたように思う。

 暗闇に乗じて外に出た母の顔は、ただただ凛々しくけわしい表情に染まっていた。











 
感想 1,277

あなたにおすすめの小説

おひめさまな俺、帝王に溺愛される

  *  ゆるゆ
BL
帝王陛下に捧げられることになった小国の王族レイには、大変な問題が──! ……男です。

ただのハイスペックなモブだと思ってた

はぴねこ
BL
 神乃遥翔(じんの はると)は自分のことをモブだと思っていた。  少年漫画ではいつだって、平凡に見えて何か一つに秀でている人物が主人公だったから。  その点、遥翔は眉目秀麗文武両道、家も財閥の超お金持ち。  一通りのことがなんでも簡単にできる自分は夢中になれるものもなくて、きっと漫画のモブみたいに輝く主人公を引き立てるモブのように生きるのだと、そう遥翔は思っていた。  けれど、そんな遥翔に勉強を教わりに来ている葛城星 (かつらぎ ほし)は言った。 「BL漫画の中では、神乃くんみたいな人がいつだって主人公なんだよ?」  そう言って、星が貸してくれた一冊のBL漫画が遥翔の人生を一変させた。  自分にも輝ける人生を歩むことができるのかもしれないと希望を持った遥翔は、そのことを教えてくれた星に恋をする。  だけど、恋をした途端、星には思い人がいることに気づいてしまって……  眉目秀麗文武両道で完璧だけど漫画脳な遥翔が、お人好しで気弱な星の心に少しずつ少しずつ近づこうと頑張るお話です。

【完結】転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

ストーカーから逃げ切ったのも束の間、転移後はヤンデレ騎士団に殺されかけている現実!

由汰のらん
ファンタジー
ストーカーから逃げていたある日、ハルは異世界に召喚されてしまう。 しかし神官によれば、どうやらハルは間違って召喚された模様。さらに王子に盾ついてしまったことがきっかけで、ハルは国外追放されてしまう。さらに連行されている道中、魔族に襲われ、ハルの荷馬車は置き去りに。 そのさなか、黒い閃光を放つ騎士が、ハルに取引を持ちかけてきた。 「貴様の血を差し出せ。さすれば助けてやろう。」 やたら態度のでかい騎士は、なんとダンピールだった。しかしハルの血が特殊だと知ったダンピールはハルを連れ帰って? いっそ美味しい『血』(治癒)と『体液』(バフ)と『癒し』を与えるダンピール騎士団のセラピストを目指します!

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科 空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する 高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体 それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった 至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する 意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク” 消える教師 山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー

助けたドS皇子がヤンデレになって俺を追いかけてきます!

夜刀神さつき
BL
医者である内藤 賢吾は、過労死した。しかし、死んだことに気がつかないまま異世界転生する。転生先で、急性虫垂炎のセドリック皇子を見つけた彼は、手術をしたくてたまらなくなる。「彼を解剖させてください」と告げ、周囲をドン引きさせる。その後、賢吾はセドリックを手術して助ける。命を助けられたセドリックは、賢吾に惹かれていく。賢吾は、セドリックの告白を断るが、セドリックは、諦めの悪いヤンデレ腹黒男だった。セドリックは、賢吾に助ける代わりに何でも言うことを聞くという約束をする。しかし、賢吾は約束を破り逃げ出し……。ほとんどコメディです。  ヤンデレ腹黒ドS皇子×頭のおかしい主人公

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。