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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
10.淀む囲いの中
◆
第二王妃スーリア・メイガナーダの魂を鎮めるための祈りの場には、多くの獣人が集まっていた。
皆、彼女の学問による恩恵を喜び感謝していた獣人達だ。
弱く大人しいメスであったというのに、その葬儀代わりの式典には王都中の獣人や王族、兵士達もが集まり彼女の貢献を讃え、彼女の魂がこのベーマスの大地に還る事を真剣に祈っていた。
これが、獣人達にとって初めての正式な“葬儀”だったのかもしれない。
だが誰もその前例のない催しに異を唱える者はおらず、スーリアの死を嘆くもの達は、己の耳の動きで飾りにした“戒めの鈴”を鳴らさぬように、この時ばかりは装飾品を外して感情的になる己を許した。
それほど、スーリアの死は衝撃的だったのだ。
有能で特異なメスが、今までの「生きるための戦い」とは異なる「戦」という闘争によって死んだという事実は、アルクーダの民達に変化をもたらした。
しかし……人の“気質”というものは、簡単に変わることは出来ない。
そのことをまざまざと見せつけられたのも、他でもないこの葬儀の時だった。
「この役立たず!! お前が弱いせいでスーリアは死んだんだ、お前がっ……お前がいつまで経っても、そんな風だから……!!」
まだ年若い若者の罵倒が、小さな子供に浴びせられる。
たかが数年の差の兄弟ではあるが、その発育の差は明らかだ。本来ならばクロウクルワッハも既に達しているはずの高い身長と大人並みの体格。成長を始めるはずの年頃になっても未だ人族のような幼児であるクロウクルワッハは、その“通常”との齟齬を常にあげつらわれていた。
だが、この場に於いて取り沙汰されるのは、一つの事実しかない。
――もうメスを守れる年齢のはずなのに、何も出来ずむざむざ見殺しにした。
普段なら表立って言わないことだが、感情が高ぶっている今の王族達は理性の箍が外れやすくなっており、その思いからの憎悪の視線は己の知らぬうちに弱いクロウクルワッハに向けられる。
悲しみと憤りで、感情のやり場がなくなっていたのだ。
特に、まだ若いカウルノスの激昂は他の者を霞ませた。
その頃のクロウクルワッハには理解しようもなかったが、スーリアを慕っていた兄にとって、彼女の死は冷静さを失わせるほどの事件だったのだ。
マハが戦で忙しかった間、スーリアは母親の代わりをしてくれた。
そんな愛しい存在が、戦から遠ざけられたはずの場所で無惨に殺されたと言われれば、心が若いその頃のカウルノスには耐えられるはずが無い。
例えクロウクルワッハが「守れなくても仕方がない弱さ」であっても、それを許さず、オスならば弱いメスの親を守って死ねと言わんばかりに怒り狂っていた。
いや、本来ならばそれがオスの本懐なのだ。
弱い仲間を守って死ぬのは名誉ある死であり、讃えられる行為である。
その前提が、クロウクルワッハの成長の遅さを許さなかった。
「落ち着けカウルノス! クロウクルワッハに怒るのは違うだろうっ、この子は育ちが遅いんだ、そんな子にあの残忍な猿族の相手が出来るわけがないじゃないか!」
大勢が祈る場で、カウルノスの振り上げた拳を実の母が止める。
しかしカウルノスは暴れ、制止を聞こうともしない。
「どうしてコイツの肩を持つんですか!! 母上は悔しくないんですか、己が情けないと思わないんですか!? 立派なオス一人残ってさえいれば、あんな猿どもに王妃を殺されることなんてなかったんだ、スーリアを失う事なんて無かったんだ!!」
その言葉に、王族達は閉口する。
だが、マハもドービエルも、カウルノスの言葉に頷くことは出来なかった。
「カウルノス、落ち着きなさい。例えそれが正しい事だとしても、責められるべきは王であるこの俺であって、まだ成長していないクロウクルワッハではない。……猿どもを抑え込む事にばかり目を向けていた俺が、全て悪いのだ」
「父上まで……ッ!! くそっ……この、こいつさえ……っ、こいつさえ……!」
「っ……」
泣きながら、殺意のこもった眼で睨みつける兄。
スーリアに守られていた頃は感じた事のなかった強い敵意に、クロウクルワッハは体を縮ませて一歩後退った。
その幼児性が、カウルノスを更に激昂させるとも知らずに。
「駄目だドービエル。この子には一度言い聞かせた方が良い」
「そうだな……。クロウクルワッハ、お前は部屋に戻っていなさい。いいね」
「…………はい……」
マハとドービエルは、このままだとカウルノスが実の弟を殺めてしまうと感じたのか、事態を重く見てその場を退席することにした。
だが引きずられていくカウルノスは、クロウクルワッハへの呪詛をやめない。
部屋を出ていくまでずっと、親達のせいとは露ほども思わず「お前のせいだ、お前が弱いからだ、守れなかったからだ」と罵り続けていた。
「…………」
呪詛が、遠くなっていく。
やがてようやく聞えなくなり、ようやくクロウクルワッハは動けるようになったが……そんな幼子を待っていたのは、周囲の蔑むような憐れむような視線だった。
「ぅ……」
大勢の目が、自分を見ている。
だがその目はスーリアのような慈しむようなものではない。
「オスとして恥ずかしい」と思う侮蔑の視線や、クロウクルワッハの成長の遅さを「役に立たないオスに生まれてしまったのだな」と憐れむ視線。
そして……口には出さないが「お前のせいで」という、誰かの殺意。
種類は違えど、どれも突き刺すような視線でしかない。
そんな場に一人残されたクロウクルワッハは、今まで感じた事のない“大勢からの拒絶”を感じ、初めて恐怖と孤立感を覚えた。
……誰も母親のように微笑んでくれない。優しい目で見てもくれない。
ただ、強く厳しい視線が、自分を圧しつけるかのように向けられている。
その種類を明確に知ることは出来ずとも、幼い心に周囲の嫌悪を明確に感じ取ったクロウクルワッハは、耐え切れずその場から逃げ出してしまった。
……どうすればいいのかなど、解るはずもない。
全てが幼いままのクロウクルワッハには、逃げることしか出来なかったのだ。
そして走る間、ずっと母親の言葉との齟齬に苦しみ、嗚咽を漏らしながらぼたぼたと涙を流していた。
――――どうして。どうしてみんな、母上と違う事を言うんだろう。
――――母上は、クロウはそのままで良いと言った。ゆっくり成長していいのだ、と優しく頭を撫でてくれた。
――――それなのに、どうして。何故、みな自分を怖い目で見るのだろう。
どうして。どうして。分からない。
スーリアとドービエルは、クロウクルワッハに怖い目など一度もしなかった。
お前はお前のままでいいのだと微笑んで、全てを許してくれていたのに。
それなのにどうして、皆はそれを認めてくれないのか。何故、母親が死んだ悲しみではなく、自分へ怖い目を向けることを優先したのか。
そんな考えがぐるぐると頭を回り、考えても分からずに涙が溢れてくる。
「うぇっ……ぇ……う、うぅ……っ、うえぇ……っ」
この世で唯一傍にいて愛してくれていた母親を失った事への悲しみと、恐れや不安による苦しさで何も分からなくなって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
もう、何に悲しんだらいいのかすら分からなくなって、クロウクルワッハは自分に割り当てられた部屋に飛び込み、寝台の上で泣き明かした。
泣いて何が変わるわけでもない。
だが、泣く事しか出来なかった。
もう慰めてくれる手は無く、あの穏やかな生活は二度と戻ってこない。
その喪失感を埋める術はどこにもなかった。
――――――それから、数日後。
メイガナーダ領は伯父のデハイアに譲渡されたが、クロウクルワッハはその故郷へ戻る事は叶わなかった。
デハイアが、クロウクルワッハの帰郷を拒否したのだ。
厳格で真面目な伯父は、人一倍獣人としての規律を尊ぶ。その性格もあり、愛しい妹の子供だと言うのに、未だに許すことが出来なかったのである。
ゆえに、クロウクルワッハの事も考えて、領地に帰ってくることを拒んだ。
幼子をこれ以上罵倒したくない、一緒に居たらどうしても憎んでしまう。
そんな己の性分を知っていたからこその、不器用な手段だった。
だが、そのような大人の機微など子供のクロウクルワッハにはまだ理解できない。
母親との思い出がある領地に帰れないことにただ悲しみ、泣き暮らしていた。
――祈りの式が終わってからも、戦後の処理に忙しい父親のドービエルと会う時間は限られており、ほとんど会うことは出来ていない。
慰めてくれるほどクロウクルワッハを理解しているマハとドービエルは、王と王妃であるがゆえに、方々に顔を出さなければならないのだ。
クロウクルワッハ一人を構ってくれるような存在など、王宮にはいなかった。
…………憐れむような蔑むような目は、いたるところに存在したが。
それゆえ、いつの間にかクロウクルワッハは、その視線から逃れるために服を収納する棚によく隠れるようになった。
両開きの戸の中、狭く小さく暗い空間の中なら、誰も自分を見る事は無い。
寝台の上で母親の体に包まれて眠る時のように、何も見えない暗い空間でならば安心して休むことが出来る。
もう誰にも、あんな目を向けられることは無いのだと。
しかし、皮肉にも時は進みクロウクルワッハの体も徐々に成長していく。
数年その生活を続け、ほとんど他人と喋る事が無くなっていたクロウクルワッハは、ようやく体が少年ほどに成長することが出来たが……成長することで、より周囲の目が厳しくなることなど、予想もしていなかった。
誰も何も教えずに、獣人の王宮の中でぽつんと生きてきた少年。
そんな子供が受ける扱いなど、もう決まっているようなものだった。
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