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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
真夜中の変事2
――――父親の寝室に入ったのは初めての事で、その中で薄絹を纏っただけの王妃二人を抱いてドービエルが座っているのを見ると、確かにこの豪華な部屋は親の寝室なのだと言う実感が湧いた。
他の兄弟たちは、ここに来たことがあるのだろうか。
そう思うと胸の奥がちくんと痛んだが、クロウクルワッハ達は招き入れられた寝室で、一通り自分達が今までやっていた事を伝えた。
なんてことの無い話だ。
自分達は真面目に夜勤をしており、三人で一緒に過ごしていたので、襲撃犯の姿は見てもいないし騒動が起こるまで気付かなかった。
……あまりに特徴のない、三人が共犯であれば意味のない証言。
だが、ドービエルと王妃達は決してその証言を疑う事はなかった。
それは信頼の証でもあるが、恐らくはクロウクルワッハに対して「そのようなことを許す子ではない」という意識があったのだろう。
彼らだけはいつもクロウクルワッハを信じてくれていたが、しかし周囲の目はそうでは無い。一度疑われれば、スクリープは勿論第二大隊の“はぐれもの”達への監視の目は避けられない。その程度は、愚鈍な隊長と呼ばれようと察しがついた。
しかし、今話したこと以上の「今夜の行動」など無い。
背後にいたカウルノスは不満そうだったが、これが純然たる事実だ。
いくら蔑まれていようとも、真実以外を話す気もなく、余計な口は挟まない方が良いとクロウクルワッハは考えて他に何も言おうとは思わなかった。
――――今にして思えば、ここで必死に自分達の身の潔白や「犯人探しを手伝う」という誠意、それに仲間を思う泣き落としでもすれば、哀れさはあるが周囲の人々にも「必死になるだけ仲間を思っているのか」と思われる可能性もあっただろう。
しかしその時のクロウクルワッハは、心が疲れ切っていた。
今までが「何をしても誰も振り向いてくれない」という事を理解していたがゆえに、今感情を爆発させても、嘲笑され見下しが酷くなるだけだと思ってしまったのだ。
……いや、結局のところ、何をしようが評価など変わらなかったのかもしれない。
この一件で、クロウクルワッハ達、第二大隊【チェラーグ・ギール】は、はぐれもの達の遊撃隊と言うだけでは無く“監視対象”として、今まで以上に厳しい目で見られる事になった。
元々奇異の目で見られるような存在ではあったのだが、今まで以上に敵視するような目で見られることになると、部下も精神を消耗しはじめ、任務にも支障をきたすようになった。
……より明確な敵意と言うものは、人を疲労させる。
“はぐれもの”だった獣人にとって、その目は鋭い刃にも等しい。今までなけなしの虚勢を張って生きて来たものの、それでもやはり心は傷付き摩耗するのだ。
【チェラーグ・ギール】に入って安寧を手に入れた“はぐれもの”達は、新たに自分達を厳しい目で見つめてくる周囲の者達に、再び追い込まれていった。
その苦しさは解かる。
だが、今隊長として責任を負うことになっているクロウクルワッハにとっては、その精神状態で立ち止まろうとする部下を容認することは出来なかった。
もう自分達は守られる子供ではない。
成獣として誇り高くなるべき存在になった自分達が望むのは、武人としての功績と他者からの「強者である」という認めだ。
だからこそ、自分は王宮の中で生きてきた。
頑張れば評価される。武人として誇り高くあれば誰かが理解してくれる。何も不満を漏らさずただひたすら血族や国民の為に仕事をすれば。
心を押し込めて何もかもを許容し甘受し納得し理解し諦観し……――――
そうすれば、きっといつか。
泣かず、不要に笑わず、他者のために生きれば、いつか。
――――それで本当に、いいのだろうか?
己に問うが、だからといって何が出来るのだろうと思うしかない。
数十年の雌伏の時は既にクロウクルワッハの感情を押し付け、周囲の厳しい視線から逃れる方法ばかりを考えるさもしい思考に陥っていた。
だからだろうか。
あの襲撃事件から徐々に何もかもが歪み始め、支え合っていると思っていた仲間がぽつぽつと除隊を申し出て、部隊の規模は縮小していった。
それだけでなく、国王から命じられる任務の他は決して表に出ないものや、獣人がより一層嫌うような任務ばかりが増えていき、部下達は疲弊していった。
暗殺……とまでは行かないが、そう思われても仕方のないことすらやらされた事も有ったような気がする。自尊心がズタズタにされて消えていく部下達のことしかよく思い出せないクロウクルワッハ自身も、その休みない労働に疲れ切っていた。
…………なまじ、任務を成功させるからいけないのだろうか。
だが、それもまた結果論だろう。
結局のところ、認めて貰えない原因は「自身の最大の失敗」があるからだ。
しかも、力は未だに父親どころか兄すらも越せていない。
周囲の目が厳しいのは当然の事だった。
だが、辛く当たられるそれもこれも、自分が至らないせいなのだろうか。
使えぬ「土を操る力」を持ち、母親を見殺しにし、信頼を得る強さすらない自分が、部下達すらも苦しめているというのだろうか。
ならば、やはりあの時誰かを「うらやましいな」なんて思うべきでは無かった。
スクリープ達を引き入れさえしなければ、彼らを苦しめる事も無かったのに。
――今悔しいと素直に思えるのは、部下達を守れない自分の弱さだけだった。
そんな日々を過ごすクロウクルワッハの部隊に、ある時カウルノスがやってきた。背後に末弟であり成人したばかりのルードルドーナを連れており、その表情は妙に険しかった事をはっきり覚えている。
この時点で嫌な予感がしたが、だからといって面会を拒否する権利もない。
クロウクルワッハは頭を下げ傅きながら、彼らの命令を聞いた。
『今回より【チェラーグ・ギール】は、北東極地に存在する大陸の末端“常闇の砦”にて、現地民を脅かす大海の獣と魔族による侵略を阻止する防衛任務に当たれ』
北東極地。
それは、密林を越えた果てに存在するという、現地民しか知らない場所だ。
母親スーリアのおかげで、密林の部族達と交流を持つことに成功した【アルクーダ】だったが、その密林地帯のさらに奥は、砂漠に住む大勢の一般的な獣人達にとって未知の領域である。
おそらく、多くの獣人は密林の奥に砦がある事も知らないだろう。
だが、そこからの協力要請とはどういうことだろうか。
――――密林の部族は、決して弱い部族ではない。
彼らは数百年以上、大河を挟んだ砂漠側との交流を拒んできた。迫りくる砂漠のならず者を簡単にいなし、無様な骸をこちらへ投げて返すほどの猛者揃いなのだ。
大陸最強と名高いドービエルですら苦戦し引き分けるほどの傑物も存在するため、砂漠の獣人は今まで密林を侵略しようと思う者も少なかった。
…………そんな部族達が苦戦する相手と、自分達が戦うというのか。
彼らが苦戦し今も戦い続けるほどの力を持った、海に潜む“モンスター”と、獣人大陸に不法侵入をする魔族……未知の存在に、何も知らない自分達が飛び込んで何が出来るのだろう。
明らかに負け戦だ。
部下達の無残な死を想像したクロウクルワッハは、慌ててカウルノスの顔を見上げて声を上げた。
「あっ……あに……いえ、戦竜殿下、我々は魔族との戦いを知りません。そんな状態で、部下達を連れて行くのは……」
「黙れ。部下を守れないのはお前が弱く責任感に乏しいからだ。その責任をこちらに押し付けるなど甚だ不敬。それに、お前達が有用な部隊だと言うのであれば、あんな下賤な者どもに負けるわけがあるまい」
冷たい目で見下ろしてくる長兄の横で、ルードルドーナが笑う。
「もし無様に死んだとしても、強者を相手に戦った事になるのですから……貴方がたでも名誉の戦死として扱われますよ? ふふっ、ですが魔族が獣人を食らうなんて話は聞いた事が無いので、もし名誉を重んじるのなら海の獣に食われる方が良いかもしれないですね」
まだ年若いルードルドーナは、現在の彼よりも口が軽い。
しかしそれは、今にして思えば周囲に影響され悪意なく「この獣達は死んでも良い存在なのだ」と思って、無遠慮な発言をしていただけなのだろう。
情緒が誰よりも激しく影響されやすい弟は、誰よりも残酷だった。
だが、この時のクロウクルワッハは兄弟の心の動きなど知る由もない。
自分が兄に「何故弱いお前だけが守られる」と憎悪されていることも、まだ顔を合わせて間もないルードルドーナに「どうして無能が母さんよりも任務を与えられている」と嫉妬され死を望まれていることも、何も分からなかった。
誰も、膝を突き合わせて深い話をしようなど思わなかった。
クロウクルワッハですら、思わなかったのだから。
「戦竜殿下、お待ちください」
「なんだ金毛猿。口を開いていいと許した覚えはないぞ」
「で、ですが……っ、我々はともかく、まだ年若い部下達まで魔族と戦う前線に送ることは、さすがに無駄死にと同じことでございます。ですからどうか……」
「部隊ごと移動だと言っただろう! さっさと荷物を纏めて出発しろ。書簡だけは俺が捺印してやるから、物資は現地調達していけ。国はまだまだ奴隷にされた可哀相な獣達への支援で手いっぱいなのだからな!」
「ッ……!」
それを言われると、スクリープはもう何も言えない。
自分達には、口ごもってしまうだけの傷が多すぎる。
「そんなにイヤなら、除隊するのは今だと部下に伝えればいいでしょう。どうせ、貴方がたの部隊は、寄せ集めのハンパものばかりなんですから」
「…………」
ルードルドーナの言葉には棘がある。だが、何も言い返せない。
頭を下げることしかできず、クロウクルワッハは黙って流すしかなかった。
許し難い暴言だが、しかしその通りだった。
自分達に命令を拒否する権限は無く、汚れ仕事もこなさなければならない。
誇りを汚すような任務を今更拒否する事なんて出来ないのだ。
「父上が遠征で留守の間、しっかり励むといい」
カウルノスの勝ち誇ったような声だけが、部屋に残される。
――――その命令は、実はカウルノスとルードルドーナが独断で許可してしまった要請であり、ドービエルや王妃達はそれを知る由もなかったのだが……
父親達ともほとんど会えず任務をこなし続けているクロウクルワッハには、彼らに事の真偽を問う勇気と気力すらもう残っていなかった。
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