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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
16.常闇の砦
密林の奥に存在する【常闇の砦】は、クロウクルワッハ達が訪れるまで、その存在も曖昧なものとして捉えられていた。
なにせ、密林の部族達と初めて交流を持つことになった【アルクーダ】の国王ですら訪れた事が無い、大陸の端たる奥地に存在する場所なのだ。
部族の長の一人に軽く聞かされ、スーリアがその記録を僅かに記していたが、実質情報はほとんど無に等しかった。
なにせ話が「この森の先には、夜闇が帰らぬ永遠の眠りの場所がある。そこには、夢から出でた悪しき者達が蔓延り、いつも森へ侵略しようと狙ってきているのだ」と言う、酒の話での夢現な会話だけだったのだ。
これが本当の事かどうかなど、今までのアルクーダ側には判断が付かなかった。
だが、半月ほどの長くゆるやかな旅を続けて、第二大隊【チェラーグ・ギール】の兵達が辿り着いた場所は……まさに、伝え聞いたそのままの場所だった。
常闇、とは、ただ夜が続く場所という意味ではない。
黒く染まった大地が禍々しく、海の向こうから流れてくる空は薄らと紫に染まり、日の光が弱くなっている。まるで、太陽が落ちた後の黄昏時がずっと続いているような、心が沈む風景の場所。
太陽のない海を臨む広い崖であるその暗黒地帯は、海ですら闇を吸いこんだように暗く、透明度は高いというのに得体のしれない恐ろしさを抱かせた。
本当に、光を拒んだかのような世界だ。
その異様な光景は、第二大隊の数少ない兵士達の意気を容易に奪った。
太陽に照らされる世界で育った獣人達にとって、この悍ましい色の空が続く日々は、それこそ悪夢でしかない。日が落ちて夜の星が輝くことで安堵するような場所だ。
日中は、起きても起きた気がせず、ただただ皆憂鬱だった。
だが、憂鬱になる出来事はそれだけではない。
運が良ければ数日、悪ければ日に何度も、敵が訪れるのだ。
その敵は、海から来る怖ろしい姿をした半魚人や、巨大な触手の一部。今までに戦ったことの無いモンスターばかりが現れ、それだけでも大変だと言うのに……あの紫色の薄気味悪い空の向こうからは、無法者の魔族がやって来る。
魔族という存在は、クロウクルワッハも知っていた。
彼らの大陸が隣にあるベーマスは、人族より先んじて魔族たちとの国交樹立に力を入れており、アルクーダの港町には少数だが魔族が住んでいたからだ。
獣人大陸への移住希望者である彼らは、とても礼儀正しかったように思う。
ツノが生えていたり白目が黒かったりと姿も多種多様だったが、それでも移住者達は魔族の中でも大人しい部類なのか、決して迷惑をかける事が無かった。
しかも魔族は獣人とさほど変わりない特徴があるため、彼らの強さも相まって獣人達にも一目置かれている。大人しい者達だが、やはりその武力は相当なものだ。
……そんな彼らが無法者になった場合、これほどに狡猾でいやらしい敵になるのかと思い知らされた。
そして……彼らが獣人達とは違い「卑怯も力のうちである」という、誇りを尊ぶ獣人とは異なる「実力主義」を持っていることも、クロウクルワッハ達を悩ませた。
どうにかして密林地帯へ侵入し、様々なものを強奪しようとするならずものの魔族達は、あの手この手で第二大隊を攻撃し続けた。
彼らは徒党を組んでいるわけでは無いのだが、来る者来る者全てがとにかく武人としての誇りなど無い、搦め手を使う卑怯な行為ばかりを行ってくる。
罠を仕掛けたり、暗殺紛いのことをしようとしてきたり、中でも一番心に堪えたのは……部族の幼い子を攫ってきて、目の前で人質に取る事だった。
しかも彼らは人質の命などどうでもいい。こちらが要求を呑んでも、邪魔だと思えば簡単に殺してしまうのだ。
そこに、命に対する感謝など何もない。
ただ利用するためだけに連れてこられた子供達は、その多くが無法者の魔族達に殺されて捨て置かれるという悲惨な末路を辿っていた。
だが、獣人の子供を人質に取られては、迂闊に動けない。
クロウクルワッハ達、真っ当な獣人には、弱者を利用すると言う考えが無かった。
食らう為に追いかけはしても、命を食らう時に感謝しない事など無い。
何もせずに捨て置くことも、ましてや子供を食うことも滅多になかったのだ。
それなのに、魔族は耐え難い事を平気で見せつけてくる。
まるで獣人達の誇り高さをバカにするように、こちらの嫌がる事を行い、戦意喪失をもくろんでいるのだ。
「悪魔」と言う悍ましい罵り言葉があるが、彼らはまさにそれそのものだった。
…………そんな過酷な戦いばかりを行う場所に、一か月もいれば……兵士達も、心が荒んでくる。
覚悟して付いて来てくれた少数の兵士達は、心が壊れかけていた。
精神力が強いスクリープも、密林の出身であるタオウーも、常に闇が覆うこの砦で防衛任務にあたる事で、どんどん疲弊して弱っていく。
唯一、連絡係にと前線から退かせた若いシーバだけが元気に駆け回っていたが、それ以外の者達は最早限界寸前だった。
――――何とかしなければ。
隊長として、クロウクルワッハはそう強く思った。だが、だからと言って何が出来ると言うのだろうか。こんな場所に押し込められて、延々と心が荒む戦闘を要求されて、挙句の果てに子供や力なき者達が無残に殺されるところを目撃する。
無法者の魔族というのがこれほどまでに醜悪だったのは、予想外だった。
そのせいで、徐々に兵士達の士気も下がり、迂闊な勇み足で死ぬ兵士達も増えて……――――彼らの望み通り、その遺体を食らうことが増えてきた。
だが、それとて健全な精神で行えることではない。
戦って勝った獣を食うのと、戦死した仲間の遺言で遺体を食らう事は違う。
いくら弔いのためとはいえ、今まで共に戦ってきた仲間を骨にすることは、自分達を「モンスターより格上である」と自負している獣人にとって、非常に心苦しかった。
理性も何もなく仲間を食らう。
それではまるで、モンスターそのものではないか、と。
仲間の死肉を食らって強くなったとしても、もう二度と仲間は戻らないのだ。己の力にするために取り込んだのではないせいで、夢には「食った者達」が出てきて、彼らが惨たらしく死に去るまでのことが何度も出てくるようになってしまった。
夢ですら、もう逃れようもない。
…………食糧は潤沢にある。水も心配する必要はない。
だが、敵は絶えることなくやって来る。
そのたびにまた誰かが死ぬ。
死、弔い、埋葬。弔い、弔い、弔い弔い弔い。
見知った仲間が次々に死んでいく。
守ろうとしていたものが、クロウクルワッハの目の前で失われていく。
どれほど手を伸ばして救ったとしても、この現実で見る悪夢に終わりはない。
敵は一人ではなく数も知れない。だがこちらは有限で、部下達は皆かけがえのない仲間だった。不法侵入する魔族たちは仲間など簡単に蹴落とすと言うのに、自分達は仲間を必死に守りながら戦わねばならない。
なのに、死んでいく。
どれだけ守ろうとあがいても、一つの戦で守り切っても、次、またその次の戦で己の手が届かずに死んでいく。死んだ後は食らうことになり、感情がぐちゃぐちゃになる。
その繰り返し。
ずっとずっとずっとその繰り返しで、時間が無限に思えてくる。
だが仲間の数は減っていく。
気が付けばもう、両手で足りるほどの兵士しかいなくなってしまっていた。
(……私は……私、は……何を、しているんだろう……。どうして、こんなことになってしまったんだろう……?)
悪夢を見るために横たわる寝台で、いつも思う。
…………最初は本当に、ただ興味からスクリープを助けただけだった。
なのに、いつの間にか部下が増えて大隊となり、皆同じような境遇のせいで“仲間”であるという意識が強くなり……彼らの居場所を守るためなら、なんだってやってやれるような気がしていた。
どんな憂鬱な仕事でも、仲間がいるからこそ頑張れたのだ。
だから、今までずっと任務に答え続けて、完璧にこなして来たのに。
その努力の何がいけなかったのだろう。
(…………いや……違う……違う、違う違う違う全部違う……!! 努力が悪いのではない、大隊を作ったのが悪いのではない……!! こんなことになったのは……悪いのは……わるい、のは……っ!)
全部、自分が存在しているからだ。
「ッ…………ぅ……うぅっ……うあ゛あぁ……!!」
――――何十人と部下を埋葬して、気が狂いそうになった最後の夜。
その夜、クロウクルワッハはようやく慟哭し涙を流した。
幼い頃に封じたはずの感情が溢れ出て、限界だった心を軋ませる。泣いても何も変わらない事を理解しているからこそ余計に、己の情けない慟哭は心を抉った。
仲間の為に泣いているのではないという事実も、己自身を失望させた。
……つらい。苦しい。助けて欲しい。
自分は、そう訴えるためだけに今泣いているのだ。
誰かを守らねばならない。部下を守らねばならない。立派な武人として認められるために、心を殺して人の役に立たなければならないのに。
なのに、今の自分は、自分のためにしか泣いていない。
泣けない。もう、誰のためにも泣けない。
苦しい。こんな情けない自分が憎い。消えてしまいたい。
だがそれも許されない。
情けないまま、弱いまま、自分は結局何も変われなかった。
何も守れず、部下すら見殺しにして、自分だけがのうのうと生きている。
これでは、母親を見殺しにした時から、何も変わらないではないか。
「あ゛あぁ゛あ゛あ゛あ゛あ!! う゛あぁあああああああ!!」
それなのに、助けを求める悲鳴も涙も止まらない。
死にたい。
いっそ誰か、私を殺してくれ。
そう叫びたいのに、弱く卑怯な自分からは叫び声しか出なかった。
もう壊れていたのかも知れない。
――――――【常闇の砦】に送られて三か月後。
ようやく事態を知ったドービエルと王妃達が、急いでクロウクルワッハ達を救いにやってきた。彼らはやはり、何も知らなかったのだ。
だがもう、クロウクルワッハの目に光は灯らなかった。
父親達に強く抱きしめられても、スクリープ達に庇われても、最早隊長であった時の威厳など欠片もない。廃人同然で立ち尽くす男しか、そこにはいなかった。
両手で数えられるほどの部下しか残せなかった男の、どこが隊長だ。
そう自嘲する事すら、もう考えられない。
クロウクルワッハの中に、「誇り」と言う言葉など欠片も残っていなかった。
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