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迷宮都市ヘカテクライオ、秘めたる記憶と誘う手編
深き森の奥に潜みて
あれほど穏やかで優しかった日差しが揺らぎ、赤が滲んだ色に染まっていく。
その陰鬱な光景を眺めながら、男は溜息を吐いた。
「…………」
たったの数刻前まで明るく騒がしい雰囲気で満ちていた小屋は、再び静寂と憂鬱に押し潰されんばかりのみすぼらしさに戻っている。
例え高価なものが並んでいようとも、その喪失感には敵わない。
面白みも何ともない「目的を達成するためだけの空間」は、男にとって牢獄に等しかった。自由に抜け出せると言っても、実質自由などないのだから。
しかしそれは、自ら望んだ道の代償だ。
今更もう、不満を言うことも許されなかった。
だが。
「……どういうことだ。何故【ヘカテクライオ】にツカサがいる?」
問いかけるのは、ドアの向こう側に居る相手。
その冷たい声に刺激されるかのように、ゆっくりと扉が開いた。
「おやおや、そう怒らないで下さいよ。こちらとしても想定外だったのですから」
そう言いながら現れたのは、黒衣のローブに身を包んだ男。
現れる時は常に顔を隠している、いけ好かない存在だ。
だが、それは自分も同じことである。
青鼠色のローブを被ったまま己の素性を明かせずにいる男は、そんな己を忌々しく思い顔を歪めながら、半ば八つ当たりのように相手に返した。
「何が想定外だ。お前はあの子が準飛竜を持っている事を知っていたはずだろう! なのに、ここまで移動してくる事を想定せずに計画を立てるなど……っ」
「おや、それに関しては本当に想定外ですよ。本来、この平地が多いライクネスでは準飛竜なんて目立ちすぎて使えないはずなのですよ。けれど……彼らは我々の予想を大きく裏切って、その日のうちに【ヘカテクライオ】に現れた。驚きの結果です」
口を笑ませながら、どうにも大仰に芝居がかった口調で言う黒衣の男。
どうみても道化を演じているようにしか見えないが、それが何ゆえの演技なのかが判然とせず、ただただ不気味だ。
だが男……スイと名乗った男は、不機嫌に顔を歪めたまま物怖じせず続けた。
「未調査の移動手段を使ったとでも言いたいのか」
「ええ。……何にせよ、予想外と言うのは本当ですよ。お蔭でこちらの計画が狂ってしまいましたよ。はははっ」
残念そうに言うわりには、楽しそうだ。笑い声は本当に湧いたように弾んでいる。
この男の情緒が分からない。「計画」を考えているこの男は、街の壊滅や人殺しも遊戯のように軽く述べ、そしてそれを盤上の駒を進めるが如く実行する。
それらが現実の出来事であるという躊躇が一切ない。
この黒衣の男は、恐らく目に映る全ての物が玩具にしか見えないのだろう。
空恐ろしい相手の情緒を思いながら隠し拳を握るスイに、黒衣の男はようやく笑いを治めてこちらに向き直った。
「はあ……。まあ実際、困ったことになりましたね。折角ファム・ジャスティロウを抹殺出来たというのに、彼らが間に合ったせいで対象は救われてしまった。これでは、工作も台無しになってしまう」
そう言いながら、再び口をにいっと気味の悪い笑みに歪めて。
男は嘲笑するような声で言葉を吐き出した。
「折角、貴方に“毒”の調合をお願いして、計画を悟られぬように殺すつもりだったのに……ねえ? ふふっ……このままでは、愛しい愛弟子に正体を知られてしまうかも知れませんねえ。スイ、ああ、いえ……カーデ・アズ=カジャック」
わざとらしく言い直した黒衣の男に、スイは観念する。
今まで矜持のように己の本当の正体を隠すため被っていた頭の覆いを、ゆっくりと取り去った。そこから、金泡色の長くさらりとした髪と、端正な顔立ちが現れる。
だがそれだけでなく……髪の間から、人族とは言い難い長耳が伸びていた。
「…………」
「自分の真の姿を捨て、栄光ある役職を捨て、二つ名も捨てたというのに、それでもままならぬ事はありますよねぇ。ええ。捨てたはずの“いらない物”が戻って来ることは珍しくないし、隠したいことほど裏目に出て愛しい相手に知られてしまう」
「それはっ……お前がこんな計画を立てて、私を巻き込んだからだろうが!!」
思わず、声を荒げて反論する。
捨てたものを取り戻させたのは、誰だ。
慟哭しながら耳を裂き、自ら人族へ堕ちたはずの男を、忌々しい姿に戻した。その張本人がいけしゃあしゃあと何を言うのか。
怒りで顔を歪めながら睨みつけるカーデに、男はくすくす笑いながら首を傾げた。
「おやおや、それでも“こちら側”に来たのは、貴方の意志でしょう? かつて下等な人種への愛に狂い、同族を捨ててまで堕ちたのも貴方の決定なら……今回我々と共に【グリモア】を討ち果たす事に命を賭ける事を望んだのも、貴方の意志です。それは、私だけの責任ではないと思いますが?」
「くっ……」
理解している。
自分の決定が、こんな結果を招いた。それは理解していた。
だがそれでもツカサがこの街に来たのは、この男の計画ゆえだ。
この男が“あれ”を動かさなければ、こちらへツカサが来ることも無かったはず。
それだけは純然たる事実だ。
だというのに、この男はこちらだけに非が有るように振る舞う。
正義を掲げておきながら、その言葉はまるで人を傷付ける暴力の刃だ。
…………最初からいけ好かない相手だが、今回ばかりは我慢ならなかった。
しかし、相手はこちらの怒りを知っていてなお道化を崩さず。
「それに、例え貴方の愛弟子が現れたとて、こちらの計画に変わりは無いでしょう? 我々の最終目的は【グリモア】を根絶する事……そのために手段は選ばないのだと誓ったはずですし、今回も貴方は納得済みで人を殺そうとしたでしょう」
「っ……!! 言うな……っ」
「おやおや。大義の為にと納得したはずなのに、まだ自分勝手な後悔に浸っているんですか。はあ、そういう所はしっかり人族に染まってしまってますねえ。……ですが貴方は、我々の一員となったはずだ」
男が、近付いてくる。
足音すら立てず綺麗な所作で数歩の間を塞ぎ――――
人差し指でこちらのローブ越しに心臓に指を突き立てながら、その凄みを帯びた金に染まる瞳で、見開いた怖ろしい目玉をこちらへ見せつけた。
「今更、反故は許されませんよ?」
――――凄んですらいないはずの、穏やかな言葉。
なのに、その言葉からは言い知れぬ恐れと威圧が吹き上がってくる。
理解できない凄みへの、本能的恐怖。
どの人種でも無視が出来ないその圧倒的な威力に、カーデは息を飲んだ。
……自分よりも年若い、たった数十年しか生きていないだろう相手。
なのに、ここまで相手を恐れさせるのは……その本性ゆえか意志ゆえか。
底知れぬ相手の言葉に、カーデは静かに頷くしかなかった。
「……解っている……。約束を違えはしない。そういう取引だったからな」
「…………。まあ、お解かりでしたらそれで良いんですよ」
威圧が、消える。
再び数歩以上離れた場所に移動して、男はいつもの道化に戻った。
「いやはや、少々想定外の事で本来の話を忘れそうになっていましたね。今からは、仲直りしてこの先の話をしましょう」
「まだ何かあるのか」
うんざりした気持ちを隠せずに声に出してしまうカーデに、相手は微笑む。
口角を上げただけの、胡散臭い笑みで。
「ええ、重要な案件ですよ。……彼らがここへ到着してしまい、そのうえ標的だったファムを治療してしまったのは予想外でしたが……まあこうなっては、モンペルクの怪物の正体もじきに知れてしまうでしょう。ならば、この機に乗じて【グリモア】に手を伸ばすのも一つの手かな、と」
どのみち、彼らがこちらの正体や個々の目的に辿り着く事は無い。
であれば果敢に攻めることも良い挑戦の一つだろう。そう男はのたまう。
だがその「手」がどういう物なのか今一分からず、カーデは腕を組み目を細めた。
「それで、どうするというんだ」
まさか、遂に攻撃するのか。
……それは、ツカサと完全に袂を分かつことになるが……しかし、悪しき存在たる【グリモア】をこの世から抹消するのであれば、致し方ないことなのだろう。
あの子を悲しませる事になったとしても、あの子を貪る存在が未来永劫付き纏うのであれば――――手を血に染めても、敵を討たねばならない。
少なくとも……カーデが知る【グリモア】という災厄は、悪魔としか言えないほどの所業をしてきた記憶しかないのだから。
「ほう、やる気ですね。愛弟子に対する覚悟は決まっている所が、何とも愚直と言うか空回りというか……ふふっ、まあいいでしょう。……相手は【グリモア】の中でも特に危険視されている【紫月】です。慎重に事に及ばねばなりませんね」
「……何か策が有るのか」
弟子を危険にさらす策であれば、却下をするほかない。
胡乱な目で男を見つめるカーデに、安心して下さいと言わんばかりに男は別方向から話を切り出した。
「貴方はご存知ですかね。この街と森には、古い古い昔話があるんですよ」
「……昔話……?」
問い返したカーデに、男は実に愉しそうに口を弧に歪める。
「かつて一つの街を消した、とびきり悲しくて愚かな……“魔女の呪い”……。それを、神に愛された我々で呼び覚ますのですよ」
「魔女……?」
聞き慣れない単語に片眉を上げるこちらに構わず、男は続けた。
やけに演劇がかった、大仰でわざとらしい高らかな声音のままに。
「そう! 最早、遠い遠い昔話に成り下がった、悲恋の実話…………かつての高度な技術である“呪い”と同じような石化と忘却を望むのは不可能ですが、それらと同等の“呪いに似た力”であれば、貴方なら作り出せる!」
「……呪い……」
そんな物語が、この街にあっただろうか。
カーデは考えて、ふと遠い過去に伝え聞いた事が有る話を思い出した。
確かあれは……森に棲む不可思議な美しい娘と、モンスターを討つために戦場へと向かった勇敢で愚かな男の物語だっただろうか。
愛する者の為に祈り、愛する者の為に戦った彼らは、非業の死を遂げた。
その話は、かつての古い時代の逸話と聞いていたが……まさか、実在の人物による物語だったとでも言うのだろうか。
目を見開いて翠の双眸で男を見やるカーデに、相手は腕を広げ宣言した。
「さあ、始めましょうか……今度は、我々の手によって……密やかに、我々の目的の一つである“彼”を傷付けないように……【グリモア】を、抹殺しましょう」
その言葉は、狂ったように興奮している。
だが、男の視線は誰よりも冷酷に静まり返っていた。
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