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迷宮都市ヘカテクライオ、秘めたる記憶と誘う手編
21.幻実の世界
何もかもがぼやけているのに、空からの光は明確に見える。
自分の存在すら明確ではないと言うのに、自分が何をしているのか、どうしてこの場所に居るのかも判断が付かない。
ただ、座って空を仰いでいる。
感覚が無く、まるで頭がぬるま湯に浸かっているように思考が滲んでいて、集中し何かを考えようとすればするほどその思考は曖昧になっていった。
……なにをしているのだろう、自分は。
麗らかに差し込んでくる日差しのような光を見つめながら、ただ薄く開いた目で木々の葉に遮られた日差しを見ていると――――声が、聞こえてきた。
「お茶を、どうぞ」
ゆっくりと目を向けると、木漏れ日の粒が落ちて輝く、白いクロスを掛けた木製の丸テーブルと、素朴な銀のポット。そしてそのポットを優雅な手つきで持つ、やけに細い手が見えた。
確かこれは、女の手。白くて頼りない、少女の手だ。
その付け根から腕を視線で辿ると、白く飾り気のない下着のような質素なドレスを着た少女がそのポットを掴んでいた。
日差しを反射して光をぼんやりと滲ませる白のドレスに、癖のない漆黒の髪。
――――色は、同じだ。
そう思って、なにと同じだったかと考えようとして、思考が鈍る。
考えられない。
だが、その少女の色には見覚えがあるのは確かだった。
「どう、ぞ」
控えめで高い、少女の声。
差し出された銀のカップの中には、黄味が強い緑の液体が湯気を立てていた。
「…………」
「薬草の、お茶なの」
何も言わずにいても、少女は伏し目がちに続ける。
「貴方が、好きだった、青苺のお茶……は……気が、付いたら……青苺が、森から、消えて……しまって。……ごめんなさい……せっかく、帰ってきた、のに……」
少女は会話が得意ではないのか、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
その様子を見つめていると、伏し目がちな少女はこちらを見た。
長い睫毛が瞳に影を落とすが、それでも彼女の瞳は宝石のように鮮やかな若葉色に輝き、その虹彩の中に金の光が雪のように散っている。
特殊な瞳。
だが、その瞳がどういうものかまでは思い出せない。
「…………僕、は……」
声が、安定しない。
自分の口の中で、何重にも音がぶれる。
子供か、大人か、青年か。自分でも判断が付かない。
「いいの。……何も、言わなくて……いいの……。ここに、帰って、きてくれて……私を、目覚め、させてくれて……それ、だけで……私は……嬉しい……」
そうか、嬉しいのか。
……こういう時、どう返せばいいのだろう。
自分には、返答できる感情や反応があっただろうか。
少しだけぬるま湯に浸かった頭を動かして――――息を吐く。
確か……覚えていたはずだ。
ただ、会えただけで嬉しいと。
会いたくて仕方が無かった相手と、出会えた時の感情を。
それを示してやればいいのだろうと、頭は答えを導き出したが……感情は、それを良しとしなかった。返すべき感情は知っているはずなのに、それを行うのは「彼女に対してではない」と、身動きの取れない感情が冷たく言い捨てた気がしたのだ。
何故だろうか。
だが、自分はその結論に納得していた。
「…………どうして、何も、話して……くれないの……? もしかして……全部、私の、ことも……忘れて、しまったの……?」
少女は無表情の中に薄らと悲しみを浮かべる。
けれども、そんな顔をされても不思議と感情は揺らがない。
「そう……忘れて、しまったのね……。だけど……大丈夫……ゆっくり……ゆっくり、と、思い出せば……いい、から……」
少女は、自分の向かい側の席に座る。
何を思い出せと言うのだろう。
理解できなかったが、言われてみればそれもそうだ。
このように頭が働かないのは、恐らく色々と忘れているからだろう。
だとしたら、一刻も早く思い出すべきだ。
よく分からないが……何か、大事な事を思い出せていない気がする。きっと、それを思い出す事が出来れば、このぬるま湯のような頭もどうにかなるはずだ。
「さあ、お茶を、飲んで……。そう、すれば……もっと、思い出せる、から」
「…………」
この茶を飲めば、思い出せるようになる。
本当だろうか。
そうは思うが……何故か、疑いも次第に霧散していく。
「何も、心配……いらない……。また、一緒に……」
たどたどしい、少女の声。
なにも分からない頭が更にぼやけて、手がカップに伸びる。
「…………」
ゆっくりと口に含んだお茶は、薬草独特の香りと妙な甘ったるさを感じる。
甘い。あまり好きではない甘さだ。
これを飲めば何かが分かる、と言われたが……なんだか、余計に思考が霞がかってくるようで頂けない。
しかし、何故か飲む手が止まらなかった。
「思い……出し、た……?」
黒髪の少女は、相変わらず無表情な顔でこちらを見てくる。
小首を傾げて見つめてくる相手は、幼い顔をしていて……。
(…………確か……僕は……)
幼い顔をした、誰かを……大事に……。
思っていて……――――
「ブラック!!」
――――なん、だろう。
ぼやけている世界だと、いうのに。
背後から、やけにはっきりと……大きな声が、聞こえた。
光が、だんだん強くなる。
マーサ爺ちゃんが「魔術の光」ではないかと言ったその光が、木々の影の間から目を刺してきて、俺は薄目になりながらも必死にその光へ走った。
魔女が生きているのか、それともこれは別の何かの光なのか。
だが、今はもうこの光の向こうにあるものに縋るしかない。
【翠華】が何故俺達を制止しようとしたのかは分からないが、ともかく相手が「行って欲しくない理由」がこちらにあるのは明白だ。
俺達と敵対している【アルスノートリア】が、罠を避けろと忠告するはずが無い。
だから、少なくともこの光は【翠華】が狙って配置したものではないはず。
……とはいえ、俺達の味方って保証もないけど……。
今はとにかく、ブラックの魂を探すための時間が欲しかった。
だから、俺達を発見した敵が動揺するように、あえてこちらへ向かったのだ。
願わくば、この先に存在する者が【翠華】を退けるものであってほしい。
そして出来れば……ブラックの魂を探す、何かの手掛かりになってほしかった。
「う゛っ……も、もう入るぞっ、ツカサ……!」
「爺ちゃん離れないで、何が起こるかわかんないから!」
背後からは、樹木が動く音がする。
だがその音は光に近付くたびに遠ざかり、あの【翠華】の声も遠のいて行く。
この魔術の光は、結界か何かなのだろうか。
だけど【翠華】を術もろとも退けるような魔術って……一体……。
……い、いや、もう後戻りできないんだ。
鬼が出るか蛇が出るか……ともかく、もう特攻するしかない!!
「入るぞ……!!」
マーサ爺ちゃんが、緊張したような声を吐く。
俺も、まるで水中に飛び込む時のように息を止めて、一気に光の中へ入った。
「――――っ……!」
わずかな、抵抗。
まるで本当に水に入った時みたいに、空気の塊のような圧迫感が俺達をわずかに拒んだが、勢いで飛び込んだせいなのかその抵抗を抜ける。
だが、光の中で目が眩んで俺達は思わず目を瞑ってしまった。
「クゥウ~!!」
「クキャァア……!」
「ク~~~」
ペコリア達も眩しかったのか声を上げている。
たぶん、小さなお手手で目を覆っているのだろう。
「っ、うぅ……」
光の中は、何だか……すごく、抵抗感がある。
例えるなら水気の多い泥の中を進んでいる感じだろうか。水気が多いおかげで足は止まらずに済んでいるが、その代わりに上げる足が重くなっているのだ。
進む体も、もったりとした重い空気に押されているようで息苦しくなる。
いつの間にか再開していた呼吸も、妙にし辛かった。
「うぐぐ……みんな、大丈夫か……っ」
「わ、ワシは、なんとか……」
「クゥ~……」
マーサ爺ちゃん達も、なんとか進めているようだ。
だけど、このまま直進していいのかな。恐らくここは“あの”眩しい光の中だ。ヘタに目を開けて失明したらと思うと怖いし、しかし歩いて何にもないとしたらヤバい。
勢いだけで飛び込んじゃったけど……どうしよう。
失敗したか。そう、思い始めた数秒後。
「うっ!?」
いきなり、片足が軽々と上がって、必要以上の力で地面を踏みしめてしまい痛みが伝わってくる。思わずよろけて前に出ると――空気の抵抗が、消えた。
その変化に驚いて目を開く。
―――と……そこに、見えたのは……。
「えっ……あっ……ええ!? ここ、どこ……!?」
思わず叫んでしまう。
だがそれも無理は無かった。
何故なら、俺達が立っている場所は――――
明るい日差しが降り注ぐ、新緑の木々の葉が美しい森だったのだから。
「…………ツカサ、今は夜のはず……じゃよな……?」
「う……うん……」
なのに、俺達が今居る場所は……清々しい朝のように光り輝いている。
しかもこの場所は鬱蒼としたセレーネ大森林北限部と違い、地面には草花が溢れ木々は鮮やかな若葉を茂らせた、お伽話の森のような場所だった。
なんならもう、葉っぱが日差しでキラキラしている。
めちゃめちゃ少女漫画とかで出て来そうな森だ。
俺の知ってる【セレーネ大森林】でも、こんなレベルでは無かったはず……。
それに、地面に広がる花々や草も、なんか見た事が無い感じのものだ。
釣り鐘の形をした紫色の花からは輝く花粉のような物が零れ、風船のように丸い花は色とりどりに染まって密集している。
なんなら、ふわふわ浮いている花もあって、ファンタジーって感じだった。
「……あっ……久しぶりにアイツがいる……」
遠くの方には、白い綿毛のようなものが幾つか、ポインポインと跳ねている。
あれは見た事が有るぞ。
たしか、アレは綿毛に一つ目がギョロっとついているモンスター……。
しかもすぐ爆発するので、大人しいけど非常に取扱い注意のヤツだったはず。何か本当に久しぶりだな。ライクネスの森が生息地だけど、そう言えば最近は森に入っても花畑とかそういう場所に出なかったからなぁ……。
なんだか出会ったのが遠い昔のように感じながら見つめていると、マーサ爺ちゃんが眉根を寄せながら髭を扱いた。
「アイツ……ああ、ゴッサムか。あやつは基本的に明るくて地面に草花が多い場所に生息するからのう……」
「クゥウ~!」
「クキャー!!」
おおう、威嚇しておる。ペコリアたちはゴッサムが嫌いなようだ。
多分、ちょっとつついて爆発した思い出でもあるのだろう。ペコリアちゃん達は臆病とはいえ好奇心旺盛な一面もあるからな!
……って、和んでいる場合ではない。
ゴッサムまで居るってことは……ここは、幻影とかじゃないんだろうか。
一応本当に存在している場所なのかな。
「爺ちゃん、ここって魔術か何かで作られた領域なの?」
「うーむ……確かに術の気配はするが……相手の力がワシより巨大であれば、その力をワシが正確に測るのは難しいからのう……。仮に本当に魔術だとすれば、己の領域を作ってしまうことも可能と言えば可能じゃが……」
マーサ爺ちゃんは、迷いながら答える。
恐らく、そこまでの術を使うとなると、かなりの力量が無いと無理っぽいな。
……この場所がもし本当に「魔術で作られた領域」で、その領域を作ったのが街の言い伝えに残る“魔女”なら……俺達じゃ敵わない相手かも知れないな……。
でも、だからって立ち止まってるわけにもいかない。
「とにかく……俺、一応ブラックを探してみるよ」
この場所に居ると決まったわけじゃないが、一応見ておかないとな。
そう思い、俺は再び“魔族の目”を発動させて森の奥を見やった。
キラキラと日差しで輝く新緑の森の、奥の方を。
「…………あ……」
低木の、向こう。
木々に遮られて見えない場所。幹の群れの向こうで、微かに――――
黒く光る色が、見えた。
「っ……!」
「つ、ツカサどうした!? 一人で走ってはならんぞ!」
背後からマーサ爺ちゃんの声が聞こえる。
けれどもう、振り返ってなんていられなかった。
だって。
だってあの光は、間違いないんだ。
絶対に忘れないようにと頭に刻んだ、忘れられるはずもない色。
自然界ではありえない、黒だというのに光を放っている不可思議な物体。
そんなもの、一つしかない。
ここに居たんだ。
ブラックは、ここまで彷徨ってきてたんだ……!!
「っ、はぁっ、はっ……はぁっ、はぁ……!!」
走る自分の息がうるさい。
でも、同時に相手の存在が消えずに生きていたことが嬉しくて、ホッとして、目の奥が熱くなってくる。
泣いている場合じゃないのに、鼻の奥がツンとなって堪えなければならなかった。
でも、いい。
良いんだ。そんなのどうでもいい。
ブラックが無事なら、生きていてくれたら、怪我をしてないならそれでいい。
無事に体に戻れるんなら、もうそれ以上何もかもどうだっていい。
アンタが生きていてくれたら、それだけで……っ。
「ブラック!!」
低木をかき分け、半袖から出た腕に枝が引っかかっても構わず飛び込む。
そんなことに構っていられない。
今はただ、無事な相手を見たかった。
早く体に戻してあげて、どこも悪い所が無いか確認したかったんだ。
だから俺は、魂の光が見えた場所に飛び込んだ……ん、だけど……。
「――――え……」
低木に守られた場所は、円形の広場のようにそこだけ木々が避けている。
だけど背の高い木が周囲から覆い被さって、日差しを和らげていた。
…………そんな場所に、ぽつんとテーブルが置いてある。
白いテーブルクロスが掛かった、丸いテーブル。
二脚の椅子が置かれたそこには……――人が、居た。
「……お客、さん……?」
一人は、膝裏くらいまである長く艶やかな黒髪が特徴的な、白いワンピースを着た大人しそうな美少女。
椅子に座った彼女の対面に居る相手は――――
“ヒト”ではない、だが“ヒト”に似た形をした……不可解な存在だった。
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