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会遇古港エスクレプ、偉大な術師の夢と痕編
9.例え小さな安堵だとしても
◆
「よーしよし、ブラックを運んでくれてありがとうなー藍鉄~」
藍鉄専用のブラシで体をお手入れして、専用の櫛で鬣を丁寧に梳いて整える。
元々イケメンな馬である藍鉄は、お手入れなんて必要が無いのではと思うくらいに常に美しくてピカピカなのだが、それでもやっぱり人を乗せて走れば疲れるはずだ。
なので、俺はいつも藍鉄を帰してあげる前に出来るだけお手入れしている。
馬の世話は軽く教わった程度なので、完璧なお手入れが出来ているとは言い難いのだが、それでも藍鉄はいつも俺のお手入れに喜んでくれた。
「ブルルルッ」
「嬉しいか? へへへ……可愛いなぁもうっ」
首の付け根を優しく撫でると、藍鉄は俺の頬に自分のほっぺを擦りつけてくる。
それが可愛くて仕方なくて、俺も優しく藍鉄の顔を抱きしめると、ぐりぐりと頬ずりをした。藍鉄は結構こうするのが好きみたいなんだよな。
俺が頬を押し付けると、藍鉄の鼻先がぐいぐい押しつけられている胸に、ふごふごと息が当たって温かくすぐったい。
俺は可愛い小動物が好きだが、大きい動物も大好きなのだ。
藍鉄は格好いいけど同時に可愛いんだよなぁ。一緒に移動できる場所が少ないので、会えたり会えなかったりするけど、そのぶんいっぱい遊んでやりたい。
――――ってなワケで、俺はあの後早速宿の馬房に来て、藍鉄とロクショウの三人で遊んだり、藍鉄の体のお手入れをしたりしていたのだが……。
「……にしても、ブラック達大丈夫かな……」
「ブル?」
鼻息で「どしたの?」と問いかけてくる藍鉄に、俺は少し顔を離してその可愛い目を見つめる。
「うん……今ちょっと、アドニスと深刻な話をしててさ。……俺も一緒に居ようと思ったんだけど、追い出されちゃって」
「キュ~」
俺の頭の上に乗っていたロクが、切なそうな声を漏らす。
――……そうなのだ。
今、ブラックとアドニスは、今までの旅で知り得た【アルスノートリア】に関する情報を共有するために話し合いをしているのである。
二人っきりで、膝を突き合わせて。
いや、まあ、実際に膝をくっ付けてるワケじゃないぞ。
たぶん普通にテーブルを挟んで話をしていると思うんだけど……でも、不安だ。
何が不安かって、アドニスがショックを受けたり……ブラックも、また落ち込んでしまうんじゃないかって事なんだよ。
「ブルルルッ」
「うん……俺は、ここで待機。でも仲間外れにされてるわけじゃないからな?」
だから心配するな、と鼻筋を優しく撫でると、藍鉄は瞼を閉じて喜びの鼻息を胸にぶおぶおと吹き掛けてくる。
心配してくれているのはありがたいけど、今回は本当にそうじゃないんだ。
仲間外れじゃなくて、多分……ブラックは、俺が再び落ち込まないようにって、気を使って「藍鉄君を帰しておいでよ」と離席を促したんだろう。
だって、俺が知ってる【アルスノートリア】に関連する話は悲惨なものが多いから。
……【菫望】と思しき奴に操られた百眼の巨人の末裔に、可哀相な姉妹。
それだけでなく、蘇らされた挙句に強い怒りと絶望を植え付けられた【皓珠】のリメインに、未練や憎しみを利用された【礪國】のアクティー。
みんな、心を狂わされて……リメインとアクティーに至っては、死してなお生前に抱いていた感情を利用され【アルスノートリア】に仕立て上げられていた。
今も……あの二人の去り際が、目に焼き付いている。
出会わなければよかったとは思っていないけど……でも、そんな事件が起こらなかったら、きっと誰も理不尽に死んでいなかったはずだ。
【ギオンバッハ大叫釜】に存在した監獄【絶望の水底】で人が死ぬ事も無かったし、獣人大陸で強い獣人達が殺されて……ツギハギの人形になる事も無かった。
それでも、アクティーはギリギリまで自分を制して、なんとか人族の冒険者達だけは殺させまいと踏み止まっていてくれたけど……最悪の事態を思うと苦しくなる。
【アルスノートリア】達の行動で、一体どれほどの命が失われたんだろう。
いくら「弱肉強食」の世界でも、人の命が軽い事が当たり前の常識でも、あんな風に殺されたら、家族は浮かばれない。
サルビアさんというおばさんの息子のビリーも、あいつらに殺されていた。
…………それを改めて考えると……気分が悪くならずにはいられなかった。
「…………」
「キュウ……」
「ヒン」
俺の感情を察してか、敏いロクと藍鉄は、俺を慰めるようにすり寄ってくれる。
そんな優しい相棒たちの頭を撫でて感謝しながら、俺は目を閉じた。
――――今俺が振り返った話を含めて、ブラックはアドニスに彼らの情報を話しているだろう。でも、二人とも……凄く、心が重くなるだろうな。
あの二人は大人だし、真面目な時は本当に冷静だけど……でも、二人が他人の感情に敏感な事を俺は良く知っている。
誰かに傷付けられる痛みだって、アドニスなら深く理解してしまうだろう。
むしろ、大陸中から頼られている立場だからこそ、憤ってくれるかもしれない。
だからこそ、アドニスが理不尽に自分に責任を求めないか心配だし……ブラックも再度落ち込まないかって、心配なんだ。
俺ですら未だに思い出すと胸が苦しくなるのに、自分は平然としていられる大人だって信じ込んでいる二人は、その感情を押し込んでもっと辛くなるかもしれない。
あいつら、そう言う所は変に隠したがるんだからな。
……それなのに、そんな話をして……更に、薬学院に入る理由として「魔女の薬」と、【七人の黒曜の使者】の事も話すかもしれないんだから……。
それを考えると、なあ……。
「俺よりブラックの方がショックを受けてたっぽいのに、ホントに大丈夫かな」
呟くけど、誰にも答えは解らない。
ロクも藍鉄も、可愛い目で心配そうに俺を見つめるだけだ。
はは……心配してる俺が心配されちゃ、どうしようもないな。
少し苦笑して、俺は考えを巡らすように視線を動かした。
……俺達が将来破滅しないように検査するって事は、どうしたって“一例”として、過去の使者の話をしなければいけないだろう。
アレが、俺達が知る唯一の「グリモアが破滅したという事実」なワケだし。
だから、俺達が破滅するのを防ぐには、その顛末を知っておく必要がある。
ブラックもそう考えるだろうから、きっと……話すはずだ。
――俺にもう一度聞かせたくないからって、今、二人っきりで。
………………その優しさは、嬉しい。
でも……俺、アンタ達が苦しむ方がイヤだよ。
どうすりゃいいんだろう。
話さなければいけない事なら、どうにかして傷を和らげてやれないだろうか。
ブラック達の気を紛らわせるために、俺が出来る事……。
って言ったら、やっぱり――――アレしかないよな。
「…………よし。作るか、なんか美味しいモン!」
パッと顔をあげて力強く宣言すると、ロクと藍鉄が嬉しそうにコクコク頷く。
そうだな、美味しい物が有ったらロク達も嬉しいよな!
……俺には、表面的な事しか解決できないかも知れないけど。
でも、少しでも心の痛みが減るんなら、精一杯何かをしてやりたい。
もしかしたら俺よりも、狂う側になるブラック達の方が……ずっと、苦しいのかもしれないんだから。
「美味しい物を食べれば、少しは落ち着くよな。それに、ここは北部だから涼しいし、夕方になったらもっと肌寒くなるから……あったかいものが良いはず!」
「キュー!」
「だなっ。よし、じゃあ……ちょっと買い出しにでも行ってくるか!」
おそらく、ブラック達の話は夕方くらいまで続くだろう。
結構長い話だし、アドニスも詳細まで聞いておきたくて質問をするはずだ。
なら、一時間二時間で済む話にはならないだろう。
終わるころに何か持っていけば、疲れた心と体を労えるはず。
ついでに、帰らせる前に藍鉄にも美味しいお土産を渡してあげよう。
よし。そうと決まったら早速行動だな!
俺は藍鉄と一旦別れると、裏口のドアを開けて商館に戻った。
すると、入ってすぐの廊下――の壁に、リオルが寄りかかって腕を組んでいる光景が目に入ってくる。何をしているのかと思わず立ち止まってしまったが、そんな俺達に気付いたのか、相手が近寄ってきた。
「ツカサちゃん、藍鉄センパイのお手入れ終わったの?」
「う、うん。リオルはどうしてここに?」
「やだなぁ、俺ってばツカサちゃんの下僕よ~? それに、ブラックの旦那にも『話が終わるまで、ツカサ君にオスを近付けさせるなよ』って睨まれ……頼まれたしな! 護衛も家事妖精の仕事のうちよ」
今睨まれたって言おうとしたな。
ツッコミを入れたいところだが、まあスルーしておこう。
俺も一人で出かけるのはイカンよなと思っていたので、これは都合がいい。
「じゃあリオル、ちょっと買い物に付き合ってくれないか?」
「そりゃ喜んでだけど……ははーん、さ~てはツカサちゃん、愛しい旦那達のために美味しー料理を作って労っちゃうつもりでしょでしょ!」
ちょっ……似たような物ではあるけど、言い方が何か、何か違う!
別に俺は、い、いと……いや、その、とにかくそう言うんじゃないから。
俺はただ二人が考えすぎないようにだな……。
「ぐっ……い、いやそこまでは……っ」
「まーたまたぁ、ツカサちゃんたら健気なんだから! いいぜ、ツカサちゃんが安全に買い物できるように、俺も一肌も二肌も脱ごうじゃないのっ」
明るくそう言って、任せなさいと言わんばかりにリオルは己の胸を叩く。
とんでもない勘違いをしているが……料理を作ろうとしているのは事実だし、ま、まあわざわざ訂正するのも意識してるみたいだし、いいか。
変に突っ込まれたら余計に恥ずかしいしな……。
……ゴホン。
と、ともかく、リオルが用心棒で付いて来てくれるなら安心だな。
もちろんロクも凄く強くて頼もしい相棒なんだけど、やっぱりこんなに可愛いと侮ってくる失礼な輩もいるからな。人族の大人が居るのはやっぱり助かるのだ。
「まあ、その、付いて来てくれるのは助かる……。今から行ってもいい?」
「アイアイ、任せとけって! ついでに料理の助手も務めるぜ!」
あっ、そうか。リオルは“家事妖精”だから、料理をする時も凄く頼りになるんだよな。生クリームやマヨネーズみたいな混ぜるのが大変な料理も、魔術でチョチョイと簡単にこなしてくれるし……。
変な人除けの用心棒ってだけじゃなく、料理でも物凄く助かるじゃん。
リオルが居てくれたらいいものが作れそうだな。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
「キュー!」
「ヨロシクされました~! へへ、俺がビシバシバッチリ守ってやるからよ!」
また軽いノリだけど、中身は真面目にお父さん役をする好青年なんだよなぁ。
アドニスもそうだけど、本当にこの世界は見た目と年齢が一致しない……と、他の美女や美少女を思い浮かべて、俺は芋蔓式にある事を思い出した。
「あっ、そうだ、ちょっと待って。コレを用意しないと……」
そう言ってバッグから取り出したのは、淡い紫色の布で作られた小袋と、魔法陣のようなものが幾つか描かれた呪符だ。
丁寧にソレを折りたたんで、俺は小袋の中に呪符を入れた。
「…………ん? そのニオイって……まさか魔女の術か?」
さっそく気が付いたらしいリオルが、小袋をしげしげと見回している。
俺も淡い紫色の小袋を顔の方に上げると、仄かにバニラのお香のような甘い香りが鼻をくすぐった。
それほど強い匂いでなく、クセがないスッとする香りだ。
自分の身に纏わりつくような感じではないけど、きっとこの香りがしている間は俺を守ってくれているってことなんだろう。
チアさんの魔女の術は、本当に何から何まで優しいなあ……。
「良い匂いだよな。これがあれば、厄介な敵から身を隠せるんだよ」
「確かに、ツカサちゃんの甘ーい良い匂いが隠れてるな。ニオイで隠すんじゃなくて気を隠すのか……ふーむ、魔女の術ってのは意外と技巧派なんだなあ」
魔族の大陸と人族の大陸を“ご主人様”と一緒に旅していたリオルからしても、古の魔女の術は珍しい物に思えるんだろう。
マジでチアさんはどのくらい昔の人だったんだろうな……。
……まあ、今はそんな果てしないことを考えてる場合じゃないか。
買い物に行くのが先だな!
「よし、準備も整ったし……早速、何か買いに行こう!」
「キュキュー!」
「りょーかいっ!」
ブラック達の話が終わるまでに、おやつか何かを作りたいな。
そのための材料が見つかればいいんだが……。
まあ、歩けば何か見つかるだろう。
善は急げだ。話し合いが終わる前に、ブラック達の気が楽になるようなおやつを作ってスタンバイしておかないとな。
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