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緑望惑堂ハイギエネ、霊蛇が隠すは真理の儀仗編
超越的な力を持つもの2
アドニスと俺がドアを潜ったと同時、ガランガランと大きな鐘の音が鳴る。どこから聞こえてきたのだろうと音のする方を見やると、ドアのすぐ横の壁に真鍮のベルが吊り下げられていた。
どうやら、アレを講師が引いて鳴らすことで授業の始まるを知らせるらしい。
そういえば……この世界の学校にチャイムは無いんだな。
昨日職員寮で良く眠れたのは、チャイムの音が聞こえなかったからか。
まあ、この世界には魔道具とも言える“曜具”があるんだし、作ることは可能なんだろうけど、そうしないのは色々理由があるからなんだろうな。
……俺としては、チャイムなど無い方が学校ぽさも薄れてありがたいのだが。
いや、そんな事を気にしている場合じゃないか。
お淑やか、とにかくお淑やかに……。
「ささ、こちらへ」
講師のお兄さんが、掌を教壇へと向ける。
俺の世界の教室と一緒で一段高くなったソコは、黒板を掛けた壁を背にしている。俺は台に上らず黒板を遮らない位置に立ったが、これでいいのか少々不安だ。
大丈夫だろうかと学士達が座る方を見やると、大きな机に四人ずつで座っていて、みんなアドニスを凝視しキラキラした視線を注いでいた。
おお……机もなんとなく俺の世界の理科室っぽい。
それぞれの机の端に流し台のようなものがあって、この四人ごとに座る感じがまたデジャブを感じるぞ。理科室ってなると、どこもこんなもんなのかな……?
いや、しかし、教室の背後に置いてある骨格標本だとか瓶詰めのナニカだとかは、流石に俺の世界では殆ど見なくなったもののはず。
少なくとも俺は漫画やゲームの世界でしか見た事が無いんだが、こっちの世界では今も必要だから堂々と置かれているんだろうな。
それにしても……学士の人は思っていたより年齢がバラバラだ。
ラスコーさんみたいに二十代っぽい人が多いけど、俺と同じくらいの歳格好のヤツや、恐らくブラックと同年代っぽい人もいる。
研究機関みたいなもんだから、そこはやっぱり普通の学校とは違うんだろうな。
それにしても……俺がジロジロ見ても誰も気にしてないな。
みんなそれくらいアドニスの授業を受けたかったって事なんだろう。
そんなことを思いながらチラリと教卓を窺うと、教卓に手をついたアドニスは堂々と学士達を見ながら口を開いた。
「えー……。初めまして。皆さん既にご存じの事とは思いますが、私はオーデル皇国に仕える薬師で、アドニスと申します。皆さんの研究に関しては全くの門外漢ゆえ、私が教えられることはそう多くは無いと思いますが……薬師としての基本的な物事であれば教えられると思いますので、よろしくお願いします」
その言葉に、学士達が己の姿勢を正す。
……今のは明らかに「通常の薬師がやらないような事に関する質問はするなよ」という遠回しの牽制だったような気がするんだが、学士の人達はピュアなのかチクチクした言葉の真意に全く気が付いていないようだった。
そうか……アドニスの本性を知らないと、全然嫌味に思えないんだな……。
「それでは、まず基礎に関してのおさらいでもしましょうか」
言いながら、講師のお兄さんより白いチョークのような物を受け取って、アドニスは黒板に文字を書こうと体を反転させた。
しかし、そんなアドニスに「はい」と手を挙げて学士が呼びかける。
「……なんでしょう」
「あのっ、我々は基礎ではなくアドニス先生の独自の研究のお話などをお聞きしたいのですが……」
二十代っぽい学士のお兄さんが恐れずにアドニスに言う。
だが、アドニスはそんな学士に分かりやすくニッコリと微笑んで答えた。
「生憎と、私の修めた薬学は基礎を根本とするものなので、貴方がたが基礎を疎かにしていない事を確認しなければ、何も教えられないのですよ。ですから、血気盛んに急がず講義を聞いて下さると嬉しいのですが」
「な……なるほど……! 理解しました……」
…………。
なんだか、ちょっと学士達にもアドニスの言葉のトゲが分かったらしい。
そりゃまあそうだよな……。
今のって要するに「お前らが信用ならないから一からおさらいしろ」って事だし。
ここまで言われたら、流石に誰でも少し気が付くか。
とはいえアドニスへの期待は揺らがないのか、学士達も「刺々しい嫌味」ではなく「怒られた」と思ったらしく、更にしっかりと話を聞こうという感じたようだった。
恋は盲目と言うが、尊敬もわりと人の目を狂わせるんだなぁ……。
なんとも言えない気分になったが、今の俺は黙って待つ身なのだ。
この服でいる姿をジロジロ見られないように、空気とならねば。
「では、講義を始めます」
アドニスのその言葉を合図に、講義が始まった。
――――意外にも……と言うと失礼だが、アドニスが学士達に教えたのは、とても真っ当で有益な基礎教育だった。
俺は薬学の事は実践的な物しか学べていないので、毒がどうこうってのは詳しくは知らなかったんだけど、モンスターの持つ毒と野草に含まれる毒の違いや、植物全般に含まれる薬効も過ぎれば毒になる……というような調合の前段階の基礎知識みたいな事を、アドニスは解りやすく教えてくれた。
そして、この世界ならではでもある「木の曜気を操る時の注意」も説明していたんだが……そこで俺は、改めて自分と他の薬師の違いを自覚したのだ。
「――そして、曜気を込める場合の話ですが……街で調合する場合、その街に曜気が溢れているかどうかが重要になります。冒険者で言う“限定解除級”の曜術師であれば別ですが、薬師は基本的に周囲に漂う曜術を込めて薬を調えます。故に、調合施設の調整や周辺に植物を育てる事も、薬師にとって重要な仕事になります」
薬師は、基本的に周囲に漂う曜気を込める。
……あれ、俺ってばそういや周囲の曜気を込めるなんてやったことないぞ。
いつも自分の曜気だけを薬に込めてたんだけど……もしかして、それってちょっと変な事だったんだろうか。
誰も教えてくれないから分からなかったが、基本的には自分の曜気と周囲の木の曜気を混ぜて薬を作るのが真っ当な調合方法だったらしい。
なーるほど……だから薬師は森に棲むし、周囲に植物が溢れてるんだな。
木の曜気は自分達の力の源にもなるけど、薬に使うのも重要ってことか……。
そりゃまあ、この常春の国に【薬学院】が存在するワケだよな。
俺の薬がヤケに品質が良い理由もなんとなく分かった気がする。
チート能力ってだけじゃなくて、純粋に俺の体内の曜気だけが入ってるから効果が強まっているんだろう。この世界ってイメージの力が重要なんだしな。
にしても、そう考えると俺ってマジでチートなんだな。
改めて自分のデタラメさにびっくりしちゃうぜ。
「では、この事を念頭に置いて、改めて基礎でもある回復薬を調合して下さい。……最近は、回復薬の品質低下が問題視されています。貴方がたが勉学に励む学生であるからこそ、今は改めて基礎である薬の作り方を見つめ直しましょう。……回復薬は、薬師にとって簡単な薬であるからこそ如実に作り手の心が見えますからね」
もー、またチクチクと言葉を……。
でもアドニスの言う通り、初心というか「人を治したい」って気持ちは絶対大事にすべきだよな。木の曜術師は他人に対する優しい心によって曜術を発動するわけだし、その心を失くしてはまともな薬を作る事も出来ないのだ。
だからこそ、基礎……回復薬を真心を込めて作るべきってことだな。
アドニスの野郎、いいことを言うじゃないか……。
「はい、先生」
「……なんでしょう?」
俺が感心していると、ある学士が手を上げる。
誰かと思ったら――いつの間にか教室の後ろに見学人達がたくさん集まっていて、その中の一人がアドニスに話しかけていたのだ。
っていうか待てよ、アイツ……ラスコーさんをいじめてた男の一人では……。
「まあ、我々も探究者である前に薬師でもありますから、基礎を思い出すという事で回復薬を作るのは良いとして……そのようなことを“我々”に教えて下さるのですから、当然ながら……そこのメスの弟子にも同じことを教えているはずですよね?」
えっ、俺?
いやおい待て待て何で俺の方に話が飛んでくるんだよ。
訳が分からなくて目を瞬かせる俺に、いじめっ子の薬師は続けた。
「であれば、まずアドニス先生の弟子である彼にお手本を見せて頂きたい」
「……ほう?」
あ……アドニスのにこやかな表情がちょっと硬くなったような……。
何か猛烈に嫌な予感がしてきたぞ。帰りたいけど帰れないのがつらい。
「アドニス先生の素晴らしい功績は聞き及んでおりますし、我々も先生を心から尊敬していますが……やはり、そのー……メスの曜術師を隣に置かれては、あらぬ誤解を受ける可能性がありますので……」
もっともらしい言い方だけど、結局言いたいことは俺が気に入らないって事だな。
まあ、メスの弟子ってスケベな事をする用に侍らせてるイメージが一般的みたいだし、そりゃ俺のようなヤツが一番弟子ってのは納得が行かないだろう。
とはいえ、俺とて伝説の薬師である薬神老師・カーデ師匠の弟子なのだ。
例えアドニスとの師弟関係が一時的な偽物であろうが、師匠が認めてくれた俺自身を侮辱する事は許せない。
俺が力不足というのなら悪口も甘んじて受け入れるが、それ以前の偏見で当たり前のように見下すなんて、それこそ不遜ってもんだろう。
「誤解、ですか。貴方は随分と古い考え方で物事を考えようとするのですねえ……。それとも、私が従来の“高名な薬師”のように色を好む、と?」
「い、いえそれは……。ですがっ、やはりメスは私達より劣っていますので……」
「…………わかりました」
「ツカサ君?」
急に喋った俺にアドニスは驚いたようだが、ここまで言われちゃ黙っておれん。
教卓の横まで歩み出し、俺は相手を睨むと自分の胸をドンと叩いた。
「回復薬を作ればいいんですね! だったらお任せください!」
お淑やか、とはだいぶ違ってしまった気がするけど、でももう我慢ならん。
俺だけでなくカーデ師匠やアドニスまでバカされたようなモノなのだ、仲間と師匠をコケにされて黙っていられますかってんだよ!
そう宣言していじめっ子を睨んだ俺に、周囲が「おおっ」とどよめく。
何にどよめいたのは謎だが、ここで引き下がったら男が廃る。
メスだなんだと言われようが、俺の心は立派な大和魂を持っているのだ。
こうなったら薬を作って無理矢理にでも納得させてやるからな!
「ふっ……ふん……出来るものなら……」
そんな事を言いながら、俺をチラチラと見るいじめっ子。
ふふん、俺の勢いにビビッてやがるな。
よーし任せろアドニス、俺がお前のスケベ疑惑をバッチリ解いてやるからな!
「…………何か、君に激しく誤解されているような気がするんですがねえ」
え? なに?
何でそんなちょっとゲンナリした顔になってるの。
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