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緑望惑堂ハイギエネ、霊蛇が隠すは真理の儀仗編
不解
「…………はぁ……なんだってこんなこと引き受けちゃったかなぁ」
ひとり呟くが、其の言葉に返答してくれる愛しい恋人は隣に居ない。
ブラックは大きな溜息を吐くと、背伸びをして椅子の背凭れに体を預けた。
――かれこれもう一刻(一時間)くらいは山のように積んだ本を読み比べているのだが、少しもあの“不可解な海のモンスター”の情報が出てこない。
それどころか、この学院の英雄だの輝かしい功績だのと余計な情報ばかりが頭の中に入ってきて、全てを忘れてしまいたい衝動に駆られていた。
しかし、これらも重要な情報になるかも知れない。
ゴミでしかない情報ではあるが、何がどう繋がるか分からないのだ。
今後の事を考えても、記憶に留めておく必要があった。
とはいえ、愛しい少年の応援も無い空間ではやる気も出てこないわけで。
ブラックは天井を見上げるように喉を曝すと、虚ろな目で「あ゛~」と呻いた。
「なーにが弟子だよあのクソ眼鏡、妙な所にこだわりやがって……ツカサ君の師匠が誰かなんて、そんなに大事なことかね」
呟きながら見上げる天井には、飾り板をはめ込まれた格子模様が見える。
どこまでも体裁を繕っている“権威の象徴のような建物”を見て目を細め、ブラックは美しく装飾された天井に唾を吐きたい気持ちに駆られた。
(まあ、解ってるさ。こんなにクサクサした気持ちになるのは、今の状況のせいだ。そのせいで、いつも以上に調べものに身が入らないんだよ)
ツカサに対する情動以外の己の感情は、大体把握できている。
それほど大層なものでもなく、そもそもブラックを構成している感情の殆どは、名札が貼られただけの取るに足らないものだからだ。
それゆえに、やろうと思えば完全に抑え込めるし今までは気にもしないような存在だった。しかも、二度目の喪失すら迎えかけていたというのに……そんな感情達を、ツカサが沸き立たせてくれた。
だから今、ブラックは素直に泣いたり笑ったりできるのだ。
そのおかげ、いや、そのせいで、容易に押し込めてしまえる感情であっても、普通のヒトのように簡単に沸騰したり――今こうして、不満と嫉妬が入り混じった感情を抱き、悪態をついてしまうのである。
とはいえ、こんな場所で一人ごちてもどうにもならない。
ブラックは舌打ちをしながら、行儀悪く体を揺らしてガタガタと椅子を鳴らした。
(ったくクソ陰険眼鏡め、先日の件で妙な吹っ切れ方をしたと思ったら早速おかしな提案しやがって……しかも、恋人とか愛人じゃなく師弟ってのが気持ち悪い)
今現在の不快な感情の根源である男を嫌々ながら思い浮かべ、軽く殺意を覚える。
ツカサから言わせれば「またそんな事を言って」と呆れられるのだろうが、残念な事に多少理解できる部分が有るからなのか、あの陰険眼鏡の捻じ曲がった欲望と感情を把握してしまうのだ。
だからこそ、これほどまでに不満を覚えている。
あの眼鏡が、その歪曲した恋慕から来る執着を露わにし、事もあろうか無理矢理にツカサとの「師弟関係」を成立させてしまった事に。
(クソ……ツカサ君とセックスしたいだの恋人にしたいだの言い出さないのが厄介な所だな……。あの野郎、狡猾なのか素でやってるのか、こっちが反論しにくいやり方でツカサ君に接触しやがる)
計画的な犯行にも思えるが、しかし相手はあの変人だ。
しかも、ブラックは薄々陰険眼鏡が「師弟」に拘っている事に気付いていた。
思えば、アコール卿国の首都・ゾリオンヘリアで再会した時も、あの男はツカサが他のオスに教えを乞うたことに謎のショックを受けていたのだ。
何故そこに拘るのかは分からないが、恐らくあの男にとって、師弟関係と言うのは重要なものなのだろう。それか、子供じみた独占欲の表れなのかもしれない。
(ガキみたいに『ボクが先に見つけたのに!』ってんなら、気色悪いがまだマシだが、愛だの恋だのが絡んでないのが異様で気持ち悪いんだよアイツの場合)
これも妖精と言う異種族の血が混ざっているが故なのだろうか。
ツカサが同種の曜術師だからこそ自分が師事したかった、というのなら理解も可能かもしれないが、それだけでは収まらないどす黒く重い感情が陰険眼鏡から漏れ出ているのだ。アレは、ブラックであっても判断が出来ない感情に思えた。
ツカサと恋人に成った事で、ようやくセックス以外の愛を求める行動を覚え始めたブラックが言うのもなんだが、あの陰険眼鏡は少々情緒がおかしいように思う。
セックスで至上の愛を感じたい、というなら大いに納得できるが、陰険変態眼鏡が望むのはいつだって奇妙な立ち位置とツカサを単体で辱める行為だ。
師弟では、出来る事などせいぜい命令して自分のやり方を教え込むくらいだし、道具や曜術でツカサを弄り回すだけでは、いつまで経っても自分の欲が発散できない。
ツカサの極上とも言えるキツい雌穴を知らないなら無理もないが、勃起はするくせに徹底的にツカサを辱める頭しかないのが、ブラックには理解出来なかった。
(いやホント理解できないね、アイツのことは……。ツカサ君が羞恥で泣き喚く姿は射精モノの艶姿だけど、僕の前で勃起するくらい好きなくせに画策する事がセックスと程遠過ぎて、何がしたいのか分からないよ)
さては童貞なのか、とも思ったが、あそこまで嬉々として性玩具を弄り回しているのだから、恐らくはメスを抱いた事くらいあるだろう。
それでいて、本命だろうツカサをああいう位置に付ける意味が不明だった。
(……師匠と弟子って設定でセックスしたいとかじゃないよな?)
さすがに、自分と同じ俗っぽさがあるとまでは思わないが……そうとでも思わないと、一見性欲と恋慕に遠い行動を取る相手が理解できそうに無かった。
(いやまあ、人外の時点で理解しようってのが間違いなのかもしれんが)
ともかく、あの陰険眼鏡が自分の異常性を自覚したのはどうでもいいのだが、その勢いで開き直って自分の欲望を擦り込ませたのはいただけない。
師弟関係になりたい、というのは間違いなくあの眼鏡の望みなのだ。
だからこそ、下心をビンビンに感じてイラついているのだが。
「……ハァ。まあ、気持ち悪くはあるが、今すぐツカサ君を犯そうって感じではないのなら、突っかかってもツカサ君に怒られるだけだしなぁ……」
もしかしたら、そう言う風に近付いて外堀を埋めようとしているのかも知れない。
果てしなく遠い攻略ではあるが、かなりの年月を生きているらしい種族なら、そんな考えにもなる可能性がある。だとしたら、ツカサに怒られるような事をするのは得策とは言えなかった。
(ったくもう、ツカサ君てば自分に魅力が無い前提で行動するんだから……。異世界ではオスとして生きて来たから仕方ないのかも知れないけど、最近はお尻も太腿も更にむちむちで柔らかくなっちゃって、見る目のある奴が見れば、今すぐに犯されても文句は言えないくらいメスの匂いさせてるってのにさぁ)
そういう淫らな体に仕込んでしまったのは紛れもなくブラックなのだが、しかし、あの蠱惑的な未成熟の体を揉むな育てるなと言う方が無理な話だろう。
最近は執拗に弄っていたせいか、ツカサの胸も最初より柔らかになって僅かながら中性的な膨らみを持ち始めた。見る者が見れば、オスに徹底的に犯され拓かれた体だと気が付くに違いない。
青いまま熟れた果実という珍しい存在など、オスなら抱きたいに決まっている。
その事を知らないのはツカサだけだ。
あのメス用弟子服に身を包めば余計にその性欲を煽ることになるというのに、事も在ろうかツカサはその事実に気付かないどころか、人が見ていないと思い込み恥ずかしげに顔を赤らめながらズボンをしきりにクイクイと下へ引っ張るのだ。
そんな恥らい方をしたら、余計にオスの股間を刺激してしまう。
現に、ブラックは先程その光景を見てしっかり覗き見したし、しっかり勃起した。
ともかくオスの劣情を煽りまくっているのである。
「しかもツカサ君ってばミョーに変人とか高圧的な奴に好かれる……というか、そういうヤツの支配欲煽っちゃうからなぁ。はぁ……こんな事になるなら、僕もあの眼鏡の弟子とか言っておけば良かったかなぁ……木の曜術なんて使えないけど……」
後悔しても、どうしようもない。
あの変人クソ眼鏡は役得でツカサを掻っ攫ってしまったし、自分は用心棒として本を読みこんで記憶するしかないのだ。
そんな状態では、意欲的に情報収集する気も失せてしまう。
このうえ部屋も別室になってしまったのだから救われない。
この性欲はどうすればいいのだろう、と内心嘆きつつも、ツカサに労われたい一心で、最後にツカサが選んだ『エスクレプ盛衰記』という本を開いた。
「はぁ……えらく古い本だが、百年以上前のものかな……」
これまでもそう言った古い本は読んできたが、この本は劣化防止の素材や曜具などを使われた形跡がない。
ただ上質な素材を使われているだけで、他の本とは違い重要視されていないような物だった。もしかすると、個人で制作した本なのかもしれない。
(いわゆる手記みたいなモノかな。こういう個人図書館みたいな所だと、街の図書館には出回らない本も置いてあることがあるんだよな)
そしてそう言ったものは、書物や記録を保護する“導きの鍵の一族”でも感知する事が難しい。それゆえ、これもある意味では貴重な書物と言える。
しかも、特定の街の栄枯盛衰を個人的な主観で記録し続けた“日記のようなもの”と思えば、その資料は非常に貴重なものになるだろう。
個人的な記録は、総括された歴史を記す街史や国が編纂した“正史”とは異なり、人々の暮らしや細やかな事件も網羅されている。
散文的に記録されているため、情報の整理が煩わしくなる欠点があるが、それでも小さなことまで記している個人の“街の記録”というのは非常に貴重なのだ。
書物と言う存在が高価なだけに、そういった歴史は基本的に残らない。
だからこそ、この図書館に於いてはかなりのお宝と言えなくも無かった。
無論、ブラックとしてもそのような特殊な書物は気になる。
先程の不満はどこへやらと言った様子で本を慎重に開くと、暫し無言でツカサから頼まれた本を読みこんだ。
「…………ん?」
すると、或る項が気になって指が止まる。
個人の記録にしては纏められた方であるその書物には、記録した年ごとに大項目の太文字が記されており、かなり見やすい。
その中で、妙な項目を見つけたのだ。
「……“ついに脅威来たる”……?」
少し緊張したように所々が滲んでしまっている太文字。
その項目を読み込んで――――ブラックは、目を瞬かせた。
「これは……」
――――やはり、ツカサはこういうモノを引き寄せる性質らしい。
嬉しさ半分、心配半分でそう思いつつ、自然と顔に苦笑が浮かんだ。
一方、エスクレプの街には、ある人物が降り立っていた。
「…………こんなクソ田舎に、本当に手掛かりがあるんだろうな……」
朝の海霧も晴れて、穏やかな風景に戻った街を背の高い男が歩く。
身を隠すための外套を纏い、港への道を下っているが……その足取りは迷うようで、目的を定めていない。男の頭衣の隙間からは深く艶めく栗色の髪が覗いていたが、今は誰一人として彼の容貌に気付く事は無かった。
いや、誰も、他人の事には深く立ち入らないようにしているだけかもしれない。
そんな街を歩きながら、男はふと気付いたかのように踵を返して、街の遥か上の方に聳える建物を見やり呟いた。
「……全て調べ終えるまでは、騒ぎを起こすべきじゃねえな」
見上げた頭衣からほんの少し顔が見えて、男の容貌が日の光に曝される。
肩まで伸びた栗色の髪に、全てをつまらなそうに見やる豪胆そうな整った顔立ち。見る者が見れば、立ち止まるほどの容姿だったかもしれない。
だが、今の彼を見つめる者も、また彼が見つめる者もいない。
――――その男の空色の瞳には、薬師の殿堂だけが映り込んでいた。
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