ほしとうつひと

五月四日。

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 2051年、北米大陸とアジア大陸の北部が放棄された。人類はそれまで何よりも環境維持に努力するとし、様々な条約が結ばれ、地球環境を守ることを第一とする旨を謳った宣言も数多くの国から出されたが、技術革新偏重の思想は、それだけでは充分とは言えないほど地球環境を悪化させる方向へ進んでしまった。その充分とは言えない努力は、遂に報われることはなく、それまでに人類の最大の心配の種となっていたオゾンホールの大規模な拡大を引き起こした。北極と南極、ふたつの極点から始まったそれは、北極圏でより加速度的に進み、緯度の高い寒い国々であるとされていたカナダやアラスカの様々な都市で、一年の平均気温が50度を超え、時に70度を超す気温を記録させるまでに悪化した。それらの都市では、高齢者や子どもから順に死者が増え始め、増加した紫外線による皮膚がんの発症例も加速度的に増加した。高温と乾燥は森林を焼き、大規模な山火事が頻発し、それには多くの犠牲者が伴った。住民は森林から、都市から、逃げるように移動を開始したが、何千万とも言われるその難民を受け入れることができる国はなく、密入国や略奪、盗難といった犯罪行為を拡大させた。命を守ることに躍起となった人々は自らの行為を正当化し、より暴力的に、より残虐に、自らを駆り立てていった。カナダと国境を接していたアメリカ合衆国は、それでも粘り強く難民の受け入れを行っていたが、国の事情は悪化の一途を辿った。そしてついに2065年の7月6日、奇しくもその日はアメリカ合衆国の独立記念日だったが、アメリカ合衆国はカナダとの間の国境に、巨大な壁を建造し、多数の警備兵と兵器を設置することを決定した。合わせてアメリカ合衆国法が改正され、以降、国境を越えようとする者は、理由の如何を問わず、射殺が許されることとなった。これを機に、多少のいざこざはあったが、基本的に人類は、アメリカ合衆国の北の国境線を超えて北部へは、脚を踏み入れることはできなくなった。壁が建造される間に、それまで粘り強く難民を受け入れたアメリカ合衆国の努力もあり、国境線からアメリカ合衆国へ入ることを目指す者もなくなり、国境線は沈黙した。
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