虹色古書店

カズモリ

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2. 朱色②

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 アカリが布張りの表紙を手に取り、広げた際、風のようなものが全身を包んだ感覚を覚えたが、それ以外に変化はなく、何よりも、手に取った本の一枚目には何にも記載がなかった。

「え?」
(まさか、まさか、もう少しめくらないと書いてないのかな?)

 アカリは文字が出るまでめくろうと数枚捲ってみたが、捲れども捲れども、何にも書いておらず、ついには最後のページまでも記載がなかったので、アカリはワナワナと腹の奥から怒りが込み上げてきて、本を閉じようかとたと思ったが、なぜか、それをせず。椅子にもたれて、ふーと息を吐いた。

「何よこれ」

 アカリは不満そうに口を「へ」の字にすると、後ろにいるはずの少女に文句を言ってやろうと振り返った。
 だが、少女はそこにはいなかった。

「あれ?」

 少しだけ混乱したものの、椅子から立ち上がると、テーブルに足が当たり、テーブルがガタッと揺れたので、視線をそちらに向けると、テーブルの隅に置いたはずのランドセルがなかった。

「あー、落としちゃったのか……」

 アカリはすぐさましゃがんでみたものの、テーブルの下にはランドセルがなかった。

「うそ、うそ。なんで?」

 変だな、と思いながらもアカリは立ち上がって、先ほどいたはずの少女を探そうと部屋から出たのだが、古書店の店内を探してもどこにも少女たちはいなかった。

 ランドセルの中には宿題が入っていたし、教科書だってある。
 それらを差し引いてもランドセルそのものがなくなっていることが大ごとなのだ。
 ママにどこでなくしてきたの、と絶対に怒られるはずだし、帰りたくなくて寄り道して、そこでなくしたなんて言ったら、ママの怒りのいかづち落ちても仕方がない。

 寄らなきゃよかった、という後悔だけを背負い、気重にあのステンドグラスが施された扉のノブを引くと、アカリの表情が固まった。

 目の前には二頭立ての馬車が走って行くのが見えて、アカリは目をパチクリさせながら
「え? どういうこと」
と思わず呟き、キョロキョロと周囲を確かめるように見渡す。

 見間違いかもしれない。あれだけ気分が落ち込んでいたし、だってこんなことは、あり得ない。

 そう言い聞かせてみたものの、見慣れたアスファルトの道路はそこにはなく、代わりに石畳の道路が施されており、多くの人がそこを歩いているが、彼らの服装は地面につくほど裾の長いドレスや、変わった羽のついた帽子をつけた女性だったり、シルクハットをかぶって、杖を持っている紳士が闊歩している。

アカリの知るような服を着た人物はいないし、スマートフォンを持っている人や、自転車、自動車なんかもない。

 え? なんで? なんで?

 アカリは思わず扉を閉めようと、ドアノブに手をかけると、自分の服の袖が扉のいろとりどりのガラスに映し出され、ハッとして袖に視線を落とした。
 先程までアカリがきていた服とは全く違う服で、元は白色なのだろうが、汚れて茶色くなったブラウスで、ジャンパースカートのような服を着ているが、これもまた薄汚れている。
 それに履いている靴は先週ママに買ってもらったスニーカーではなく、ボロボロで穴の空いた茶色の革靴だ。それにサイズが小さいのか、なんだかつま先が窮屈だ。

 服装だっておかしいし、どう考えても外に出るのは危険だ。テレビのドッキリ番組か、ドラマや映画の撮影なのだろうか。
 それにしてはいままであった電柱や道路を変えるのは変だし、それになんだかいつもの知っている道ではないように感じる。

 電柱や道路を古書店に入ってから、出るまでのこのまま数分の間で取り除くことは不可能だ。仮に可能だとしても、あかりの服まで変えれた理由がつかない。

 つまり、考えたことはなかったけれど、たぶんこの考えで正しい。

 きっと別の世界に来てしまったんだわ。

 どう考えてもそれしか考えられないし、最近流行りの転生モノの小説って、トラックにはねられたりするんだけれど、私はそんなことなかったな。

 思い当たる節と言えば、この書店で真っ白な本を開いたことだけれど、まさか、あれが? 

 アカリは古書店の奥にある部屋に戻ると、テーブルの上に開いたままになっている本を数百ページ戻ってみた。
 すると、そこには今のアカリの現象が朱色の文字で描かれていくのに気がついた。

『古書店の奥にある扉のドアノブに手をかけ、テーブルにある朱色布張りの表紙を持ったシンデレラは文字を目で追っていく』

 ん? んんん?

「シンデレラー!! って私のこと?」

『と、シンデレラが驚きのあまり大きな声でを張り上げて叫んだ』

 アカリは本をゆっくりとテーブルに戻し、ぐちゃぐちゃになっている頭を整理するべく髪の毛を掴む。

「私、本の中にいるの? それもシンデレラの」

 思わず呟いたら、それがまた文字となって記載されていく。

 道路が整備されていないのも、電柱がないのも、人々の服装が変なことも合点がいく。
 そして何より自分の衣服が誰よりもボロボロで薄汚いことも「シンデレラ」の世界の中にいるシンデレラ本人ならば理解できる。

 あってはならない非常事態だが、白紙のページに文字が書かれていくことも言葉では説明がつかない事態だし、本の中に入った、と言うのは本当に正しいのだろう。

「どうやって出てきたのかわからないし、戻り方もわからない。けれど、どうせなら、楽しまないと損よね」

 事態が理解できたからか、今度はこの非常事態を楽しみたい、そんな気持ちがアカリに芽生えはじめた。
 だから、アカリは虹色古書店の奥の部屋を出ると、外へと通じるステンドグラスのキラキラと輝くドアのノブを握りしめて、思いっきり、引っ張った。

 歩いてみたいという気持ちをアカリは抑えることができなかった。
 先ほどまで古書店に戻ろうと思っていたのが嘘みたいなほど、外の世界に惹かれていく。

 外の世界へ一歩足を踏み出した途端、不思議なことに学校のことも古書店から出てきたことも、無くしたと思っていたランドセルのことも全てアカリの記憶から消えてしまった。
 その代わり、歩いたこともないような道を歩き、訪れたこともない「家」に帰らなくてはならない、と言う気持ちと、掃除や料理、裁縫をしなくてはと足早に歩いて行った。
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