15年後の世界に飛ばされた無能聖女は、嫌われていたはずの公爵子息から溺愛される

魚谷

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23 剣術大会本番

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 大会当日。

 私はアリシアさんたちと王宮内に設営された特設会場の客席にいた。
 出場者の縁者や関係者は、最前席に座ることが許される。
 私の席の向かいにはマルケス侯爵と聖女カトレアの姿があった。
 向かって左手側には国王陛下、王妃陛下、王太子殿下が座る席があり、その三人の登場でいよいよ大会の幕が開けた。

 まずは選手入場。
 この日のためにあつらえられた華やかな甲冑と装飾された馬にまたがり、騎士たちが会場をぐるりと一周しながら観客たちにアピールを行いつつ、自分の主人や恋人、または妻に対して、王家の象徴たる百合を差し出し、勝利を約束する。
 白銀の甲冑に身を包んだアーヴァンさんが登場すれば、女性たちの黄色い声援が飛び交った。
 アーヴァンさんは爽やかな笑顔を浮かべ、女性たちに手を振る。
 彼は自分の主人であるマルケス侯爵と聖女カトレアに深くお辞儀をすると、ゆっくりこっちへ近づいてくる。
 その青い瞳が、まっすぐ私を見つめた。
 彼は胸元に挿した百合を差し出してくる。

「この百合にかけ、あなたに勝利を捧げましょう」
「結構です!」
「そのつれなさまで素敵だ。では、私の妻になった時に、あらためて受け取ってもらおう」

 アーヴァンさんは特に気にした風でもなく去って行く。

「なんですか、あの人はっ」
「お嬢様の身も心も伯爵様のものだというのに!」

 アリシアさんとジャスミンさんたちが口々に不満を訴えた。
 最後は、いよいよヨハネだ。
 黒い甲冑姿の堂々とした騎士の姿に会場が大きく盛り上がる。
 しかしヨハネはそんな観客を一顧だにせず、まっすぐ私の元に馬を寄せると、胸元の百合を捧げる。
 私は百合を受け取った。
 百合を受け取るのと引き替えに、私は折り畳んだハンカチを手渡す。
 ハンカチには、勝利の花言葉を持つグラジオスを刺繡してある。

「結んでくれるか?」

 眩しげに目を細めたヨハネは左腕を差し出してくる。
 私は白いハンカチをしっかり結びつけた。

「絶対に勝ってね!」
「もちろんだ。勝利の女神がついてるんだ。負けるはずがないな」

 いよいよ試合が始まった。
 槍試合は、お互いに馬上で槍で戦い、落馬もしくは武器を取り落とせば敗北というシンプルなもの。
 アーヴァンさんは危なげなく初戦を突破し、ヨハネの試合。
 相手はかなり大柄な騎士。ヨハネも大柄だが、そのヨハネが小柄に見えるほどの相手。

(だ、大丈夫かな)

 ヨハネの強さを間近で見ている身として負けるはずがないと思うけど、それでも固唾を呑んで見守らずにはいられない。
 係員が運んで来た槍を受け取り、両者は睨み合う。
 試合開始の笛が鳴り、ヨハネたちが一斉に馬を駆けさせた。
 すれ違いざま、大男の槍を軽くいなしたヨハネが、鋭い一撃を肩めがけ繰り出した。
 クリーンヒットすれば大男の鎧の肩が砕け、相手はバランスを崩して落馬した。
 あっという間の決着に一瞬、会場が水を打ったような静けさに包まれる。
 ヨハネは地面に落ちて呻く対戦相手を顧みることなく、悠然と門から出て行った。

(すごい!)

 ヨハネの剣の腕前は知っていたけど、あんな体格差のある相手をたった一撃で倒してしまうなんて――感動にも似た気分を味わっていた。
 ヨハネは順調に勝ち上がり、いよいよ決勝戦。
 相手は、アーヴァンさん。
 係員が両者に槍を持たせた、直後。
 アーヴァンさんは不意に槍を壁に叩きつけたかと思うと、へし折ったのだ。
 会場がどよめく。

「おっと、つい昂奮してしまって……すまない。新しい槍を」
(どの試合でも冷静さを失わなかったはずなのに……)

 すぐに新しい槍が運ばれてきた。
 今度は無調法に壁に叩きつけることはなく、試合が開始される。

(ヨハネ、勝って……!)

 試合の成り行きを少しも見逃さないよう、目を皿にした。
 どちらからともなく馬腹を蹴り、近づく。
 両者は槍を突き合ったが、互いに決定打に欠けた。
 馬首を返す。
 今度はヨハネから先に動き、初戦でも見せた鋭い突きを見舞う。
 アーヴァンさんはそれを槍で防いだが、完全に勢いを殺しきれず、肩に受ける。
 しかし威力が落ちたせいか、鐙を踏みしめ、アーヴァンさんはギリギリこらえた。
 観客は、見事な試合展開に沸く。
 再び離れ、ぶつかりあう。
 アーヴァンさんの繰り出した槍をヨハネは弾く、しかし次の瞬間、アーヴァンさんは二撃目を繰り出す。

(一撃目は囮!?)

「ヨハネ!」

 私は反射的に立ち上がり、思わず叫んでいた。
 でもアーヴァンさんの本命の二撃目を、ヨハネは最初から予測していたかのように弾いた。
 まさか防がれるとは思っていなかったアーヴァンさんは、ヨハネが繰り出した槍をうまくいなすことができず、槍先で胸部を突かれてしまう。
 アーヴァンさんの体が宙を浮くように、落馬した。

 ワアアアアアアアア!!

 大会連覇の実力者を下したヨハネに、観客が盛り上がった。
 ヨハネの勇士に、私の鼓動は高鳴りっぱなし。

「ヨハネ、見事だった!」

 国王陛下が席を立ち、目の前までやってきたヨハネに声をかけた。
 下馬したヨハネは片膝を折った最敬礼の姿で、その言葉を聞く。

「優勝者はどんな望みも思いのままぞ! さあ、お前は一体何を望むっ?」

 それはこの場にいる全ての人が聞きたいことだろう。
 私も、ヨハネがどんな望みを口にするのか気になっていた。

「――国王陛下におかれては、マルケス侯爵のような私利私欲の男ではなく、国を想う王太子殿下の言葉に耳を傾けていただくようお願いいたします」

 それはきっと国王陛下自身はもちろん、この場の誰も予期していなかった『望み』。

「それはどういうことか」

 国王陛下は自分が公然と批判されていることに小刻みに体を震わせている。

「文字通りでございます。侯爵の専横をこれ以上許せば、我が国は魔物ではなく、侯爵によって破滅させられるでしょう」

 向かいの客席に座っていたマルケス侯爵は猛然と立ち上がると、その場を後にしていく。 そのあとを聖女カトレアが後を追いかける。

「聡明な王太子殿下の言葉に耳を傾け、この国を破滅の運命から救うこと――それが、我が望みでございます。陛下、聞き届けてくださりますでしょうか」
「……朕としては専横を許したことなどないが、そなたにはそう見えてしまったのは、朕の不徳ゆえであろう……。そのように見えぬよう、気を付けよう……」

 陛下は気まずげに目を反らしながら呟く。

「ありがたき幸せ! さすがは賢王であらせられる陛下でございますっ!」

 ヨハネは頭を下げて馬にまたがると、私の元へやってきた。「ヨハネ、優勝おめでとう!」

「ありがとう。お前から言われるのが一番の褒美だな。お前がくれたハンカチのおかげだ。このハンカチなんだが、もらっても構わないか?」
「あげるために作ったんだから」
「ありがとう。一生の思い出にする」
「ふふ、大袈裟よ」

 おもむろに右手を差し出す。

「?」

 戸惑いつつも手を差し出すと、手を引っ張られて抱き上げられた。

「ひゃ!?」
「帰るぞ」

 そのままヨハネは私を馬に乗せたまま会場を後にした。

「な、なんでこんなこと!?」
「優勝者の特権だ」
「願いを聞き届けてくださるのは陛下よっ」
「言っただろ。俺の願いは陛下には叶えられないって。俺のわがままを、許してくれないか?」

 ヨハネは、私の指に口づけを落とし、上目遣いに見てきた。

(そんな切なそうな顔されたら……)

 断れるはずもない。
 会場を後にし、まっすぐ城門を目指していたその時、ヨハネが不意に馬を止めた。

「どうしたの?」

 進行方向を見ると、アーヴァンさんが外した兜を脇に抱えて立っていた。

「まったく。見せつけてくれるね」
「納得できなくて、奪いにきたのか?」

 ヨハネが顔を険しくさせ、うなり声まじりに言った。

「さあ、どうだろうな」

 思わせぶりなアーヴァンさんに、私は小さく息を吐き出す。

「アーヴァンさん、フリはいい加減やめてください」
「フリ?」
「私に興味なんてありませんよね」
「聖女様をダシにするなんてそんな畏れこと……」
「ありますよね。ヨハネが本命なんだから」

 アーヴァンさんがにやりと不敵に笑う。
 これまで見せたどの笑顔より、ずっと彼らしい表情だと思った。

「さすがは聖女様。お見通しでしたか。確かに、あなたをダシにすれば、ヨハネが乗ってくると思ったんだけど、予想以上だったよ」
「そんな下らないことのために、ユリアを使ったのか!」

 ヨハネは眉をひそめ、憤りを露わにした。

「お前に勝たなきゃ、雑魚を何十人倒したところで意味ないんだよ」
「相手をしてやったんだ。もうまとわりつくな」
「――最後に俺からの忠告だ。カトレアや侯爵は、お前を殺すつもりだったんだぞ。俺が折ったあの槍の先端には毒が塗られていた」
「え……」

 驚きのあまり私は息を呑んだ。

「どうしてそんなことをわざわざ……。あなたは侯爵の部下なんでしょ」
「確かに。だが魂まで売った覚えはありませんよ。ほとほとあいつらにも愛想がつきた。俺はやめます。もっとまともな奴に仕えることにします。では、お二人とも、機会があればまたお会いしましょう」

 アーヴァンさんが去る。

(ヨハネを、殺そうと……そこまでするのね……)

 ヨハネが優勝した感動と喜びで温かかったはずの胸に、ひやりとした風が吹き込んでくるような気がして、私は胸を押さえる。
 そんな私を、ヨハネが後ろから抱きしめてくれる。

「心配するな。俺があんな連中に殺されると思ってるのか?」
「そう、だよね。あなたはこの国で一番の騎士なんもんね」

 私は胸の内にある不安を振り払うように、無理に笑みを作った。
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