女嫌いの騎士は呪われた伯爵令嬢を手放さない

魚谷

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26 魔塔からの誘い

 アリッサは毎朝、胸元の刻印を鏡に映すのが習慣になっていた。

 はじめての派遣から二週間が経過していた。
 あれから一度だけ衝動がおとずれ、シュヴァルツに鎮めてもらった。
 目を凝らさなければ、そこに呪紋があったとは分からない。

 もうじき呪いから解放されることを喜ぶべきなのに、心は晴れない。

 ――ずっと呪紋があってくれればって考えるのは、間違ってるのに。

 でもそう願う自分がいることを否定できない。
 扉がノックされた。出ると、同僚の団員だった。

「アリッサさん、団長がお呼びです」
「分かりました」

 呼びに来た同僚に礼を言い、団長室を訪ねる。

「アリッサです」

 背筋を伸ばし、ブーツの踵を合わせる。
 団長は柔らかな笑みを浮かべ、ジェリドはあいかわらずの仏頂面で厳しい視線を向けてくる。

「なかなか様になってきたなあ、嬢ちゃん。どうだ。団員としての日々は」
「訓練にも少しずつ馴れてきています」
「そりゃ、なにより。んで、来てもらったのはな、魔塔から連絡があった。ぜひ嬢ちゃんに来て欲しいそうだ」
「? 魔塔へ? どうしてですか?」
「回復魔法を使える魔術師は貴重だ。魔塔としては、嬢ちゃんに魔法を学んで欲しいと考えてるみたいだ。もちろん強制じゃない。もしその気があれば、だ。呪紋のほうももうすぐ解呪が間近だと報告を受けているしな」

 魔塔へ行くということは、ここを離れるということ。
 シュヴァルツと別れるということだ。

「……シュヴァルツ様は何と?」
「あいつには話してない。これは嬢ちゃんのことだからな。なんだ。あいつの意見を知りたいのか?」
「いいえ、そういうわけでは……」

 もしこれでシュヴァルツが引き留めてくれたら、いちもにもなく断っている。

 ――……そんなことはないだろうけど。

 シュヴァルツのことだから「俺に聞くな。自分で決めろ」と素っ気なく言うだろう。

「勉強というのはどれほどの間ですか?」
「まあ、二、三年だな」
「そんなに!?」
「嬢ちゃんは偶然、魔法に覚醒した身だ。一から学ぶとなるとそれなりの時間がかかる」

 シュヴァルツの顔がすぐに浮かんだ。解呪が終われば彼との関係も切れる。
 むしろここにいて、シュヴァルツとの発展しようのない関係で悩むよりいいのではないだろうか。

「ま、今すぐ答えなくてもいい。ゆっくり考えてくれ」
「……分かりました」
「用件は以上だ」
「失礼します」

 頭を下げ、部屋を出る。

 ――魔塔へ……。

 これからの人生を考えれば行くべきだろう。魔術師としての才覚に目覚めた以上、魔術師の世界がアリッサのいるべき場所だ。
 外にはもう、アリッサを受け入れてくれる場所はない。

 行くべきだと理性は言っているが、行きたくないと心が叫んでいる。

 ――ルゥ君には偉そうに言っておいて、いざ自分の身に降りかかるとこんなに悩むなんて……。

 今ならどれだけルゥが不安を覚えて、部屋に閉じこもっていたかが痛いほど分かる。

 ――あの時のルゥ君も、こんな気持ちだったのかな。

「はぁ」
「団長にこってりしぼられたのか? 可愛そうに」
「カーティス様!」
「おはよう、アリッサちゃん」
「おはようございます」
「団長から呼び出しか? 何だって?」
「魔塔から呼ばれていると言われました。勉強しないかって」
「ま、そうくるわな。貴重な回復魔法の使い手だからなぁ。で、どうする?」
「……迷っています。勉強はしたほうがいいとは分かっているんですが」
「魔塔へはシュヴァルツがいないもんなぁ」
「!?」

 はっとするアリッサを前に、カーティスはにやっと、無邪気な笑みを浮かべる。

 みるみる顔が熱くなってくる。

「きゃ、キャサリンさんに聞いたんですか?」
「なんだ。あいつに相談してたの?」
「……相談というわけではないんですが……見抜かれたんです」
「まあ、アリッサちゃん、顔に出やすいからな」
「他の人たちも知られてますか!?」
「ここは朴念仁の巣窟みたいなところだから、他に気付いてる連中はいないよ。シュヴァルツも含めてな」
「……良かった」
「俺がなんだと?」

 シュヴァルツは剣術の稽古をしていたのか、薄手のシャツ姿。
 汗でぐっしょりと濡れ、熱い胸板や腹筋がうっすらと透けていた。
 アリッサはそっと目を伏せ、頭を下げる。

「おはようございます、シュヴァルツ様」

 ああ、とシュヴァルツは頷くと、カーティスをじっと睨む。

「で?」
「なんだよ、気になるのか?」

 カーティスが意味ありげににやつく。

「お前が、こいつに俺の悪口を吹き込んでるのかと思ってな」
「親友の悪口を吹き込む訳ないだろう?」
「どうだかな。アリッサ、なんでここにいる? 団長に呼ばれたのか?」
「は、はい」
「俺は何も聞いてないが、用件は?」

 頭の片隅で、彼に話すべきだろうかという考えが過ぎる。
 カーティスがちらっと見てくる。

 でも引き留められないのは分かりきっているし、合理的なシュヴァルツに「魔塔へ行くことは有意義だ」なんてことを言われたらと考えると、とても言い出せない。

「大したことじゃありませんでした。寮での生活に問題はないかって」
「あの団長がそんなことで呼び出したのか」
「ま、団長からしたらアリッサちゃんは孫みたいな年齢だし、構いたいんじゃないか」
「あはは、どうなんでしょうね」

 アリッサは笑って誤魔化す。

「そうだ、カーティス。警備計画に意見が欲しい」
「警備計画……あぁ、もうそんな時期か」
「何かイベントですか?」
「クリルで年に一度開かれる街が作られたことを祝う式典があるんだよ。食い物の屋台は出るし、大道芸人たちも呼ぶし、このあたり一番の大イベント!」
「ま、俺たち騎士団は、ただの警備担当だけどな」

 シュヴァルツが呟く。

「交代制なんだから、俺たちだって楽しめるだろ? それに、どうせ何にもおこらねえよ。魔術師の街にちょっかいをかけるバカはいねえ」
「私はこれで失礼します」

 アリッサはシュヴァルツたちに頭を下げ、その場を後にする。

 ――お祭り……。

 シュヴァルツとお祭りを楽しめるかもしれない。
 このまま解呪で関係が切れるくらいであればいっそ、想いを告げるべきではないだろうか。



 シュヴァルツは自分の部屋で、カーティスと一緒に警備計画のスケジュールを伝える。

「――今のところは以上だ」
「ま、いいんじゃないか?」

 カーティスはいい加減な相づちを打った。

 カーティスは魔術師としての技量は高いはずなのに、わざとそうしているか分からないが、いい加減すぎる。魔塔時代からそうだった。勉強も運動も人並み以上にできるくせに、どこか冷めていて本気にならない。

 そういう軽いところが一緒にいて苛つかされると同時に、激しやすいカーティスの歯止め役になってくれているとも言えるのだが。

「真剣に聞け」
「聞いてるって。んなことよりさぁ、アリッサちゃんのことだ」
「なんであいつが出てくる」
「俺の口からは言えないな」
「衝動か?」
「だったらお前に言うだろうが。とにかく俺の口からは言えない」
「まったく意味が分からない」

 カーティスは警備計画の書類をかっさらうと、「俺が詰めを考えてやる。お前は団長と話せ」と言うと、シュヴァルツが呼び止める間もなく部屋を出ていく。

 ――なんなんだ、あいつは。

 しかし今朝のことを考えれば、わざわざあの団長が様子を聞くためだけにアリッサを呼び出すだろうかとは思う。シュヴァルツの知る限り、そんな細かいところをいちいち心配するような人ではない。よく言えば鷹揚、悪く言えばおおざっぱ。それがシュヴァルツの知る団長だ。

 アリッサもどこか様子がおかしかった。

 ――叱責されたのか?

 もしそうであれば、これは明らかな越権行為だ。アリッサに対する全責任はシュヴァルツが負っているはず。もしアリッサに何かしらの落ち度があるのなら、まずはシュヴァルツに伝えるべきだろう。

 シュヴァルツは席を立つと団長室を訪ねた。

「アリッサに何を言ったのですか」
「藪から棒だな」
「アリッサに何を言ったのですか」

 シュヴァルツは同じ事を繰り返し、団長をじっと見つめる。

「お前には関わり合いのないことだ」
「アリッサへの全責任は俺が負っています。俺に関係のないことなんてないはずです」
「おい、シュヴァルツ」
「お前には話していない。黙ってろ」
「なっ!?」

 ジェリドとシュヴァルツの恒例の言い争いがはじまりそうになる気配に、団長はため息をついた。

「魔塔から嬢ちゃんを寄越してくれと言われた」

 全身の鳥肌という鳥肌が立った。

「抱え込みですか!」
「そう昂奮するな。貴重な回復魔法の使い手だ。分かるだろう」
「アリッサはなんと」

 冷静になれと言い聞かせるのに、声に激しい気持ちがこもってしまう。

「少し考えるみたいだぜ。ありゃ前向きだったかもなぁ。ジェリド」
「……さぁ、私には」
「失礼します」
「おい、シュヴァルツ。余計なことを嬢ちゃんに言うなよ。あの子の人生だぜ?」

 団長は笑みまじりに言った。
 シュヴァルツは振り向くことなく団長室を出た。

 ――前向き? あいつが、ここから去る?

 どうしてそんな重大なことを相談しないのか。
 そんなに頼りないのか。

 やり場のない不満に、胸がズキリッと痛んだ。
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