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第四章(3)
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夕飯のコンビニ弁当を寝室で食っていると、富永が姿を見せた。見慣れぬ中年男が立っていた。男は医者だった。医者は包帯をほどいて傷口を確かめる。
「先生。風呂には?」
「いや、まだだ。まあ、拭くくらいは我慢しなさい」
そうして医者は去って行った。
「ちょっと待ってろ」
一度寝室を出た富永はしばらくすると、布とプラスチックの桶を持って帰ってきた。
「じっとしていろ」
身体も拭いてくれるらしい。ただ背中ではなく、自分でやれる胸元までやると言う。抵抗するが、「大人しくしてろ」と言われて、されるがままになった。
「下も脱げ」
「お、おい……」
「冗談だ。そっちは傷が治るまで待ってて、やるよ」
背中を吹いてもらう。さすがに傷のあところは力が控え目だ。
「痛いか?」
「いや、大丈夫……だ」
「……傷は少し痕が残るらしい」
「……傷、か」
涼介の負った傷跡は今もはっきりと思い出せる。あれは、二人の絆だった。涼介は身体を重ねるたび、あそこに口づけることをねだった。景もそこへの口づけを厭わなかった。むしろ、あそこに口づけるほどに涼介への愛おしさが高まった。
全ては遠い記憶の出来事で、今となってはあれは景の罪悪感をさらにかきたてる。心の傷になっていた。
富永は景が押し黙ったことで、勘違いしたらしい。
「ショックか?」
「まさか……」
薬を塗られる指の動きを意識して、心臓が痛いほど高鳴る。そうして丁寧に包帯を巻いてもらう。
「きつくないか?」
「いや。ちょうど良い。ありがとう」
しかし、富永は部屋を出て行こうとはせず、ベッドに腰掛けたままじっとしている。
「泊まっていくのか?」
そんなことを口にしてから、なんてことを言っているんだと後悔した。
「いや、帰るさ。……まさか、俺が誰かに命を助けられる日が来るなんてと、驚いて居るんだ。これまでどんなに危険な状況でも切り抜けてきたからな」
富永は包帯ごしの景の背中に手を添える。
「この傷は、俺の愚かさがつけさせた傷だ」
「大袈裟だ。俺はボディガードだ。護衛対象を守るのは当然のことだ」
「それで死んでも構わないのか」
「……俺は、大切な人を守れなかった」
富永は茶化さず、真摯な眼差しをしている。
不思議なことだったが、富永と一緒にいると落ち着く。それは那須でのことがあったからなのだろうか。分からない。いや、富永に惹かれている自分を、景は正視したくない。それは警官としてではなく、一人の男として、それは過去への背信のように思えて……。
それでも富永の前だと心が緩んだ。
言葉はとめどもなく溢れる。まるで堰き止めていたものが一気に噴き上げたかのようだった。
「……本当に大切だった。どんな人より。親よりも。だが、俺はそいつが一番苦しんでいる時に、何も出来なかった。しなければいけないことがあったはずだ。その人は何度も助けられたし、幸せにしてもらえたんだ。でも俺は……その人の伸ばしてきた手をふりほどいたんだ……っ」
まるで独り言でも呟くように言っていた。
富永が口を開く。
「似たような経験がある。……俺にもそういう奴がいた。だが、俺は……」
「ダメ人間同士……なんて言うと怒るか?」
「いいや。まともならヤクザなんざしてないさ」
富永は立ち上がった。
景は言う。
「また明日な」
と、富永は不意にネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外し始めた。
「おい、何やってるんだ。お前……。おい、俺は怪我人だぞ」
「違うさ。お前に見せるものがある」
「見せるもの?」
富永は右脇腹を見せた。そこには引き攣れた痕跡があった。
肺腑を突かれるような衝撃に襲われ、景は息を飲んでしまう。
その傷は、過去の情景の記憶を強く疼かせるのだ。
(涼介? いや、違う。そんなこと、あるわけないだろう……)
相手はヤクザだ。傷の一つもあっても何もおかしくはない。それに、涼介のものよりもずっと傷跡は薄い――。
「そんな顔をしなくても良いだろう」富永は苦笑する。
景は叫ぶように言った。
「ち、違うっ! ……違う。そうじゃないんだ。……その傷は、どうしたんだ?」
「昔の無茶の結果だ。油断して、ナイフで刺された。これでも薄くなった方なんだぞ」
「どうしてそれを俺に?」
「怪我は残っても、こうして生きている奴がいる。それを教えておこうと思ってな」
「……俺、慰められてるのか?」
「俺の不注意さがつけた傷だ。これくらい、はな」
富永の顔はどう見ても涼介とは似ても似つかない。精悍さという点では似てはいるが。
「一つ聞いても良いか?」
「何だ?」
「……その傷は、消さないのか。今なら整形でなんとか出来るだろう」
「これは俺にとって大事なものだ。だから、消さないんだ」
さっきから心臓が鳴りっぱなしだった。今、見せられた傷口は頭にはっきりと刻まれる。
「その傷のせいなのか。いつも服を脱がないのは……」
「そうだ。他のどうでも良い奴に見せるもんじゃないからな。だからお前は特別だ」
富永は冗談めかして微笑んだ。
「先生。風呂には?」
「いや、まだだ。まあ、拭くくらいは我慢しなさい」
そうして医者は去って行った。
「ちょっと待ってろ」
一度寝室を出た富永はしばらくすると、布とプラスチックの桶を持って帰ってきた。
「じっとしていろ」
身体も拭いてくれるらしい。ただ背中ではなく、自分でやれる胸元までやると言う。抵抗するが、「大人しくしてろ」と言われて、されるがままになった。
「下も脱げ」
「お、おい……」
「冗談だ。そっちは傷が治るまで待ってて、やるよ」
背中を吹いてもらう。さすがに傷のあところは力が控え目だ。
「痛いか?」
「いや、大丈夫……だ」
「……傷は少し痕が残るらしい」
「……傷、か」
涼介の負った傷跡は今もはっきりと思い出せる。あれは、二人の絆だった。涼介は身体を重ねるたび、あそこに口づけることをねだった。景もそこへの口づけを厭わなかった。むしろ、あそこに口づけるほどに涼介への愛おしさが高まった。
全ては遠い記憶の出来事で、今となってはあれは景の罪悪感をさらにかきたてる。心の傷になっていた。
富永は景が押し黙ったことで、勘違いしたらしい。
「ショックか?」
「まさか……」
薬を塗られる指の動きを意識して、心臓が痛いほど高鳴る。そうして丁寧に包帯を巻いてもらう。
「きつくないか?」
「いや。ちょうど良い。ありがとう」
しかし、富永は部屋を出て行こうとはせず、ベッドに腰掛けたままじっとしている。
「泊まっていくのか?」
そんなことを口にしてから、なんてことを言っているんだと後悔した。
「いや、帰るさ。……まさか、俺が誰かに命を助けられる日が来るなんてと、驚いて居るんだ。これまでどんなに危険な状況でも切り抜けてきたからな」
富永は包帯ごしの景の背中に手を添える。
「この傷は、俺の愚かさがつけさせた傷だ」
「大袈裟だ。俺はボディガードだ。護衛対象を守るのは当然のことだ」
「それで死んでも構わないのか」
「……俺は、大切な人を守れなかった」
富永は茶化さず、真摯な眼差しをしている。
不思議なことだったが、富永と一緒にいると落ち着く。それは那須でのことがあったからなのだろうか。分からない。いや、富永に惹かれている自分を、景は正視したくない。それは警官としてではなく、一人の男として、それは過去への背信のように思えて……。
それでも富永の前だと心が緩んだ。
言葉はとめどもなく溢れる。まるで堰き止めていたものが一気に噴き上げたかのようだった。
「……本当に大切だった。どんな人より。親よりも。だが、俺はそいつが一番苦しんでいる時に、何も出来なかった。しなければいけないことがあったはずだ。その人は何度も助けられたし、幸せにしてもらえたんだ。でも俺は……その人の伸ばしてきた手をふりほどいたんだ……っ」
まるで独り言でも呟くように言っていた。
富永が口を開く。
「似たような経験がある。……俺にもそういう奴がいた。だが、俺は……」
「ダメ人間同士……なんて言うと怒るか?」
「いいや。まともならヤクザなんざしてないさ」
富永は立ち上がった。
景は言う。
「また明日な」
と、富永は不意にネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外し始めた。
「おい、何やってるんだ。お前……。おい、俺は怪我人だぞ」
「違うさ。お前に見せるものがある」
「見せるもの?」
富永は右脇腹を見せた。そこには引き攣れた痕跡があった。
肺腑を突かれるような衝撃に襲われ、景は息を飲んでしまう。
その傷は、過去の情景の記憶を強く疼かせるのだ。
(涼介? いや、違う。そんなこと、あるわけないだろう……)
相手はヤクザだ。傷の一つもあっても何もおかしくはない。それに、涼介のものよりもずっと傷跡は薄い――。
「そんな顔をしなくても良いだろう」富永は苦笑する。
景は叫ぶように言った。
「ち、違うっ! ……違う。そうじゃないんだ。……その傷は、どうしたんだ?」
「昔の無茶の結果だ。油断して、ナイフで刺された。これでも薄くなった方なんだぞ」
「どうしてそれを俺に?」
「怪我は残っても、こうして生きている奴がいる。それを教えておこうと思ってな」
「……俺、慰められてるのか?」
「俺の不注意さがつけた傷だ。これくらい、はな」
富永の顔はどう見ても涼介とは似ても似つかない。精悍さという点では似てはいるが。
「一つ聞いても良いか?」
「何だ?」
「……その傷は、消さないのか。今なら整形でなんとか出来るだろう」
「これは俺にとって大事なものだ。だから、消さないんだ」
さっきから心臓が鳴りっぱなしだった。今、見せられた傷口は頭にはっきりと刻まれる。
「その傷のせいなのか。いつも服を脱がないのは……」
「そうだ。他のどうでも良い奴に見せるもんじゃないからな。だからお前は特別だ」
富永は冗談めかして微笑んだ。
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