殿下、もう何もかも手遅れです

魚谷

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2 婚約破棄と断罪

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 十四で即位し、六十八で崩御。
 四十六年という歴代国王の中でも最も長い治世を過ごした国王の葬儀は、王都の中心地にある大聖堂にてしめやかに執り行われる運びとなった。
 王国中から全ての貴族、新しく取り立てられた平民階級の臣下たちが偉大な国王を見送るため、集まった。
 貴族と平民階級──共に国王の臣下でありながら、両者の区別は歴然としていた。
 棺に近い場所から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、一代貴族と続き、最後列が新参である平民階級である。
 参列者の着席がほとんど済んだ頃、喪主である王太子アドルフォスが、姿を見せた。
 誰もが王太子を見た時、唖然とした。
 その隣には本来、未来の王妃であるロザリンデを伴っているべきだった。
 しかし当のロザリンデは棺に最も近い席にすでに着いていた。
 では誰が隣にいたのか。


 聖女、エレイン・プルツァ。
 聖女の存在は尊ばれて然るべきではあるけれど、だからと言って、婚約者がいる王太子がこのような大事な儀式の場で、まるで彼女こそ未来の王妃だと言わんばかりに連れて歩くことに、大半の者たちが眉をひそめた。


 ……エレインの父、ジレーニー男爵さえ。


 誰もが唖然とする中、アドルフォスと聖女だけは互いに悲しみを癒やすように寄り添いあって、周囲がどんな表情で自分たちを見ているかなど全く気付かない、いや、関心のないまま、最前列の隣り合った席についた。
 本来であればそこは王族にだけ許された席。
 たとえ聖女であっても、男爵令嬢が座っていい場所ではないはずなのに、エレインに躊躇する素振りは微塵もなかった。
 誰もが言葉を失いながら、誰も言葉には出せない。
 アドルフォスが到着することで、葬儀が始まる。
 国歌である『我らが国王陛下』を歌い、教会の責任者である大主教による四十六年の治世を讃えた聖詩が送られ……厳粛な空気の中、粛々と葬儀が執り行われた。
 そして全ての儀式が終わると、おもむろにアドルフォスは、エレインと共に立ち上がった。
 突然どうしたのだろう。
 この場の貴族たちが疑問の目を向ける。


「ロザリンデ。どうして宰相がおらぬ」


 ロザリンデは立ち上がった。


「父は葬儀の準備を監督している最中に倒れ、屋敷で療養しております。父は葬儀への参加を強く望みましたが、ベッドから起き上がれぬほど衰弱しており……」

「それは誠か?」


 それが婚約者へ向けるべき表情だろうか。
 赤の他人にさえもっと親しげに振る舞うであろう冷淡さを、アドルフォスは見せていた。


「なぜ嘘をつかなければならないのですか?」

「お前たち父子は長らく病床の父を蔑ろにしてきた反逆者だからな。病に倒れたというのは方便で、この国を乗っ取ろうと密かに動いているのではないかと疑ったのだ」


 アドルフォスのあまりの言葉に、場が大きくざわつく。
 ロザリンデはそんな中で、凪いだ湖面のような落ち着きを僅かも乱すことがなかった。


「何かを仰せになるかと思えば。ありえないことでございます」

「折角だ。お前に告げるべきことがある」

「承ります」

「今日という日をもって、お前との婚約を解消する!」

「……殿下。そのようなこと、この場で言うのは不適当かと。ここは陛下の死を悼む場所でございます」
「いいや、今、この場で言わなければならない。父の御霊《みたま》が見守るここで、次の王たる私が、父が病床にいることを幸いに、どれだけお前たち父子が国政を壟断《ろうだん》し、己の欲望のままに牛耳ってきたか!」

「一体何を根拠にそのように仰せなのでしょうか」

「この期に及んでもまだ、とぼけるとは……。私が何の根拠もこんなことを言うとでも?」

「心当たりがございません。だからこそ、お聞きしているのでございます」

「全く恥知らずだな。であれば、教えてやろう。お前たちは国政会議という場を作り、父上の意志をねじ曲げた! 会議の主催者は宰相。参加者は宰相子飼いの平民臣下ばかりで、他の大貴族たちを閉め出した。お前たちのせいで父上が立案した法が本来よりも劣った形で執行されていることに、私が気付かないとでも? 国政会議は父上の政を補佐するために必要だと言いながら、実際はお前たち父子が自分たちの行動が制限されることを恐れ、法がそのままの形で布告されることを遮るために作ったぎに過ぎん! まったく、お前の父は本当に悪辣だ! 幼い頃より父の学友として共に成長し、父上からの信任をいいことに、ここまで増長するとはっ!」

「殿下。あなたは、本当に何も見ようとしない……いえ、見えてはいないのですね」

「何だと!?」

「ここまで侮辱されたからには黙っているわけにはまいりません。そもそも、今の王家に、全ての貴族に無理やり言うことを聞かせられるだけの権勢は残されておりません」

「よくもそんなことをぬけぬけと!」


 アドルフォスの曾祖父ジュータスの時代までは確かに、国王が絶対の時代だった。
 逆らう貴族はことごとく討伐されるか暗殺され、どのような法も自由に押しつけることができた。
 しかし問題が起こったのは、ジュータスの息子、レオの時代。
 レオは父のように偉大な国王であることを望み、仇敵であるザリヴァス帝国との戦争のために国内に重税をかけ、戦に明け暮れ、ことごとく失敗した。
 失政の数々に激怒した貴族たちは兵を率いて王宮を包囲し、金輪際、貴族に黙って戦争をしないこと、法を布告するには全ての貴族の同意を得ることなど何箇条にもわたる要求を突きつけた。
 求心力を失ったレオに、臣下たちからの要求をはね除けるだけの力は最早、残されてはいなかった。
 彼は要求を飲んだ数年後、幼いレスター八世を残し、失意の内に亡くなった。


「法を布告しようと思っても、王家の直轄領がせいぜい。王家の直轄領はこの国のおよそ三割。だからこそ、父は会議を主催し、各貴族たちの利害を調整し、全ての貴族が飲める形に整えていったのです。僅かでも陛下のご意志を広げるために」


 ロザリンデの言葉に淀みはなく、理がどちらにあるかは明らかだった。
 しかしアドルフォスは全く引かない。
 彼の中にあるのは王国を牛耳ろうとする公爵家の野望を打ち砕くというヒロイズムであり、それを増長させているのが自分には聖女がついているという自信。
 どのような抵抗にあっても必ず勝つのは、正義のある自分だと、その若き王太子は信じて疑わない。


「正しいのは自分であると疑っていないのだな」

「正しい間違っているという単純な話ではございません。それが偽りない真実なのです」

「では、学園の件はどうだ?」

「学園?」

「そう。宮廷が平民出身でも官吏になれるという異例の布告をしてからもう長い。そればかりか数年前からは王立学校においても平民どもの入学を認めるようになったではないか! この国の政治は長きにわたって貴族たちの忠誠と献身によって動かされてきた! それを穢らわしい平民ごときに好き放題させている……それは全て、お前たちが自分たちの息のかかった人間たちで宮廷を固め、父上が頼みとする臣下たちとの連帯を防ぎ、この国の身分秩序を破壊するためではないのか!?」

「殿下、そのような込み入った話をここでするべきではありません。せめて場を移すべきでは……」

「なぜ、そうまで衆人環視の場で話すのを嫌がる? それこそ、お前たちが自分たちの野心を知られることを何より恐れている証ではないか! もう一度言うが、ここ以上に相応しい場はない! 全ての貴族たちに知らしめてやる! それが新しい王になるこの私の最初の使命なのだ! さあ、答えよっ!」

「……全ては殿下のためを思ってのことです。最早、手遅れではございますが」

「黙れ! 話を逸らすな! まったくああ言えばこう言う……あの親にして、この子あり、……醜悪な悪女め!」

「平民を入れたのは、王家のため。確かに殿下の仰せの通り、これまで宮廷は貴族の子弟によって回されてきました。しかしあらゆる貴族はどこかの大貴族との繋がりがあり、王家のやることなすことが全て筒抜けになっておりました。守るべき秘密は蔑ろにされ、大貴族たちの利益を守ることが優先されてきました。その腐敗はおぞましいほどに……。陛下の改革はことごとく妨害され、潰されてきました。国政の主導権を王家が握るには、どんな貴族とも繋がりのない『新しい者たち』の力が必要になってきたのです。平民階級はこれまで優れた資質があっても、その出自ゆえに排除されてまいりました。だからこそ、私たちは彼らを宮廷に受け入れたのです。大貴族たちは平民を何もない者たちと悪し様に言い、自分たちの脅威ではないと思っておりましたから、警戒はされないと思ったからです。実際、私たちの考えは当たっておりました。彼らの働きは目覚ましく、大貴族たちと交渉を行わせても遜色もございませんでした。だからこそ、国政会議において利害調整が可能になったのです。学園に平民を迎え入れたのは、将来の布石のため。殿下が国王になった時のための。殿下におつけした新しいふたりの側近たちは得に優れた者たちでございました……。しかし殿下は出自ゆえに彼らを指弾し、無実の罪で学園より追放し、わざわざ大貴族の息のかかったおべっか使いをおそばに置かれた。これは残念なことです」

「そ、それは……」


 アドルフォスの顔にかすかな焦燥が滲む。


「あの時、殿下は自信満々に、『連中は所詮は庶民。やはり教養の無さが滲み出ていた。いなくなって清々した。王太子にはやはり優れた血統の側近が必要だ』……そう仰せでしたが、あなたが追放したふたりの側近には一流の側育を施しております。どのような事柄に対しても並の貴族以上に通じ、教養が無いなどということは全く当たりません。彼らの発言がそのように聞こえたのであれば、それは殿下のレベルに合わせたからではないでしょうか」

「貴様、よくもぬけぬけとそのような侮辱を……!」

「私は客観的な事実を申し上げているだけでございます。殿下が答えよ、と仰せでしたから。……彼らがどれほど血の滲むような努力を重ね、この国の未来の王に仕えられる喜びを胸に抱いていたか。それを知っているからこそ、哀れでなりません。──以上でしょうか?」

「ま、まだ……まだだ! ここまでよくその回る舌でそれらしく答えてきたが、こればかりは言い逃れはできんぞ! 南部の金鉱脈をもつルーメン州を、リノア王国に売り渡した。こればかりは何の言い訳もできないだろう! 王のため、国のためと繰り返しながら、お前たち父子は裏でリノア王国と繋がっていた!」

「理由は大きくふたつございます」

「っ」


 即座に応じたロザリンデに、アドルフォスの眉間に深い皺が寄った。


「まずひとつ、ルーメン州は国境線が広く、これを守るには数千の兵が必要になります。しかし国費を削減するため
にも常時、それだけの兵を維持することは避けなければなりません」

「それでは本末転倒だろう! 金鉱脈を手放せば、さらに国費が圧迫される!」

「順調に採掘が進められていれば、でしょう」

「何だと?」

「お忘れですか? あそこはザリヴァス帝国と隣り合った領地で、常に紛争が絶えないことを。とても採掘に集中することはできないのです。だからこそ、リノア王国へ売り渡したのです。いつ手に入るか分からぬ百万ルーデ(※ルーデ=ストリーク王国の通貨)より、今日、確実手に入る一万ルーデを選んだのです。ですが、目的はそれだけではございません。あの地をリノアに譲ったことで、リノアと帝国の同盟関係は崩れ、敵対させることに成功させられたのでございます。両国は元より、友好国でした。レオ陛下の御世では、両国は共に我が国を攻めてきたほどに。しかし時が経ち、互いの国力が大きくなってきたことで、表向きの友好とは裏腹に裏で互いを警戒しあっていることを諜報で知った父は両国を仲違いさせることにしたのです。リノアが金の採掘に動けば、国力の均衡が崩れる。すべて父の目論見通りになりました。両国の友好関係はあの地を巡り、崩壊しました。今やリノアは帝国と手切れをし、我が国と同盟を結びました。莫大な維持費を削減できただけに留まらず、我が国は頼もしい同盟国をも手に入れられたのです。これで資金難ゆえに停滞していた多くの政策がどれほど息を吹き返したことか」

「な、なにが、国の為のものか! お前たちがしていることは負け犬の論理だ! 理屈をいくら捏《こ》ねたところで我が国が領地と希少な金鉱脈を失ったことには変わりない! それに、お前が意図して、ある物事を無視していることに気付かない私だとでも思ったか?」

「……無視? 何のことでしょうか」

「我が国には、奇跡を起こせる聖女がいるっ! お前が私の知らないところで散々嫌がらせをし、忌み嫌っている、なっ! 彼女の力があれば、我が国はそんな姑息な真似をせずとも、再び偉大な国になることができる! だが聖女の力を借りれば、公爵家の威信が弱くなる! それを恐れて──」

「なぜ、国政を担う私たちが、奇跡に頼らなければならないのですか?」

「何だと!? 数百に一度の聖女だぞ!? 頼るのが当然ではないか!?」

「……殿下。いつ生まれるか分からない聖女頼りで、国が運営できましょうか。国家経営というものはそのような生易しいものでございません。それに、彼女はまだ本来の聖女としての力の何十分の一も見せてはいない、修行の身。いわば、彼女は半人前の力もない、聖女見習いと言うべきでしょう」

「……っ」

「殿下、教えて下さい。そんな中途半端な力しか持たぬ聖女様が、この国の何に役立つのか。聖女の癒やす力で、帝国とどのように対峙するおつもりなのか。傷を癒やせたとしても、戦う者たちの数は限りがあります。技術力の差がございます。一体聖女様の奇跡がこの場合、何の役に立つのでしょう。そもそも、戦場に一度も立ったことのない少女が殺し合いの場で長期間過ごせるのでしょうか。いえ、これは殿下に聞くよりも、聖女様ご自身にお尋ねするべきことでしょうか」


 ロザリンデは静かに射貫くような眼差しで、アドルフォスに寄り添うエレインを見つめる。
 彼女は顔を青くし、目を伏せた。


「……それは、む、難しい、かもしれません」

「エレイン」


 まるで小動物のように震える聖女を、アドルフォスは優しく抱きしめる。


「他にも我が国の問題は山積みです。枯渇しはじめた魔石の輸入をどうするか。辺境における蛮族たちの侵入に対してどのように対処し続けるのか」

「せ、聖女をどのように国に役立てるか、使うかはお前たちが考えることだろう!」

「……ですから、私たちは今の聖女様では何の薬にも立たないと判断し、奇跡に縋らずに物事を解決する道を選びました。ちなみに、今、例に挙げた魔石の件と蛮族の件、これらはとうに解決しております。報告書を差し上げたはずですが、目を通してはおられないのですね」


 アドルフォスは気まずそうに目を逸らす。
 幼い頃から、彼はそうやって責任から逃れてきた。
 誰もがそれを嘘だと知りながら、口を挟まなかった。
 だからロザリンデがやかましく言わなければならず、ふたりの関係は婚約を結んで早々、ぎくしゃくしはじめていた。


「い、忙しかったんだ。ここのところ、バタバタしていた。分かるだろうっ」

「報告書を殿下にお渡ししたのは半年も前のことですが、いいでしょう。このふたつの問題を解決したのは、殿下が教養がないと指弾し、追放した平民の元側近たちです」

「な、なんだと……本当にエレインを役立てる気がなかったのか」


 目を瞠ったアドルフォスだったが、すぐにその顔には嘲りが過ぎる。


「ということはつまり、お前がエレインを疎み、嫌がらせをしつづけてきたのは、聖女の特別さのせいではなく、私の愛を独占したエレインへの嫉妬ということか!」


 アドルフォスはまるで勝機を見出したかのように笑った。


「私のいないところで、エレインに私と距離を置けと何度もしつこく迫ったそうだな。自分よりも愛らしい存在に、嫉妬とは……ハハ……鉄面皮の悪女も所詮は、ただの女か!」

「殿下、なぜなのですか。なぜ、あなたはこの期に及んでも尚、ご自分がどれほど危機的状況下にあるとご認識されないのですか」


 ロザリンデは静かな怒りを言葉に滲ませていた。
 自分が次の国王であるという自覚があるのであれば、もっと周りに目を向けるべきだ。
 それなのに、アドルフォスは先程からずっと自分が王の器ではないことを全身でアピールしているかのようだ。
 外見ばかり取り繕っただけの、浅はかで、空虚な人間だ、と。


「殿下。あなたは校内でも常に聖女様や新しく従えた側近たちと過ごしておられました。王太子らしさなど微塵も見せず、公務を私に押しつけ、課題を放り出し……あなたは彼女と出会ってから、ずっと自分がいかに愚かであるかを吹聴して回るかのような行動ばかり」

「控えよ! たかが公爵の娘ごときが! 不敬だぞ!」

「……私は陛下にあなたをお支えすると約束をいたしました。だからこそ、どれほど疎まれようと、嫌われようと、無視されようと、忠告してまいりました。聖女様に対して殿下が卒業するまでのたった一年で構わないから、距離を置くようにとも申し上げました。それの意味がお分かりにならないんですか?」

「何が言いたい! はっきり言え!」

「王立学校には次代を担う貴族の子女や、難関の試験を潜りぬけ、高級官吏の候補になるであろう優等な平民が日々を過ごしているのですよ。殿下の治世を支える、者たちが。その者たちの目に、あなたの軽挙妄動がどのように映るか、少しでもお考えになられなかったのですか?」


 こうまではっきり告げられ、はじめてアドルフォスは周りを見た。
 自分に突き刺さる無数の眼差しと、そこにある感情にはじめて気付く。
 呆れ、嘲笑、侮蔑、諦め、憐れみ、好奇、無関心。
 様々な感情の眼差しが、貴族の当主、夫人、子女たちにはあった。
 ロザリンデに指摘される今の今まで、彼は周囲からどのように見られているかなど全く気付きもしなかった。
 王太子は特別な存在。周囲の目など気にする必要などない。
 そのせいで、周囲に対してアドルフォスは怖ろしいほど無頓着になっていた。
 彼の頭にあったのは、ヴィローワ公爵家父子をこの葬儀の場で断罪してやろうということだけ。
 そうすることで、自分がいかに次の国王に相応しいかをアピールし、伴侶を聖女にすることで、この国の未来が明るいことを示そうとしたのだ。
 だが、この重くのしかかる空気は一体どういうことだ。


「卒業までたった一年で良かったのです。そもそも私たちの関係は政略結婚。あなたが私を愛していないように、私もあなたを愛したことはありません。それで構いませんでした。そんな夫婦は珍しくはありませんから。私は、お慕いていた陛下から乞われ、この身を国に捧げるつもりでした。あなたの子を産まずとも、この国の生きとし生ける者、すべての母であろうと務めることはできますから。あなたが裏で聖女様や他の令嬢たちと睦まじくしたいのなら、それで構わない。しかしそれは、殿下の足下が固まってからでなければいけなかった。さもなければ、理性のない愚か者と、大勢が見なす可能性があったから。だから、聖女様に対して忠告をしてまいりました。……残念ながら、意味はございませんでしたけれど」


 エレインもまた己に向けられる眼差しの意味をはっきりと知る。
 顔は青ざめ、その目は自分の爪先しか見られない。


「聖女様」

「っ……は、はい……」


 この状況下、卒倒しないだけでも褒めるべきだろうか。
 隣にいるアドルフォスにしがみついているが、当のアドルフォスは茫然自失で、彼女を救ってはくれない。


「あなたの奇跡で、殿下を救うことができますか?」

「っ!」

「殿下の愚かさに失望した大勢の人々の心を変え、殿下を王に相応しいと思わせられるますか?」


 淡々としたロザリンデの問いかけに、エレインはいつの間にか涙目を滲ませていた瞳を大きく見張ったかと思った次の瞬間、まるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。


「エレイン!?」


 アドルフォスは寄り添い、立ち上がらせようとするが、エレインは首を激しく横に振り、「無理です! 無理です……!」としゃくり上げるように泣き出した。
 しんと静まりかえった葬儀の席に、聖女の嗚咽がやけに大きく響き渡る。
 涙をどれほど流したところで何も救えぬし、何もなせぬというのに。
 エレインには王太子のお気に入りとして、愛らしい笑顔を無闇に振りまき、自分にすり寄り、利用しようとする悪意ある者たちとの時間を過ごすことよりも、もっとやるべきことがあった。
 修行。それさえしていれば、聖女としてもっと尊ばれられたかもしれない。
 ……陛下を治癒できずとも、もう少し時間を稼ぐことができたかもしれない。


「王宮へ帰ろう」


 アドルフォスは力なく呟き、力ないエレインの手を引っぱる。
 今の彼は婚約破棄を告げた時の威勢も力強さも最早、何も持ってはいない。


「殿下」

「……邪魔をするなっ」

「城へ戻ることはできません」

「どういう意味だ」

「あそこは王の在所です」

「……どういう意味だ」

「王であると認められた者しか、あそこに戻ることはできない、ということです」

「なん、だと……?」

「陛下は一年前、父をはじめと大貴族たちを前にある誓いを立てられた。もしご自分が身罷った時……あなたにたとえ飾りという限られた使い道であっても価値を見出せるのであれば、即位を許して欲しい、と」


 アドルフォスがゴクリ、と唾を飲み込む。


「殿下。あなたは聖女様と過ごされる時間と引き替えに、たとえ形ばかりの王だとしても担《かつ》ぎたい望む者たちを、あなたは自らの手でことごとく退けられたのです」

「だから、あの時、父上は『すまぬ』と謝られたのか……」

「……あなたという人は」


 ロザリンデは初めてそこで顔を歪めた。
 どのような侮辱的な言葉を投げつけられてようとも、蔑まれようとも、微塵も揺らがなかった湖面のような表情が。
 しかしアドルフォスはついに、それに気付くことはなかった。
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