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アーサーの誕生日の当日の晩。
彼が帰宅して自分の部屋へ戻るのを見計らったハイネは、厨房に顔を出す。
夕食の支度をしていた料理長が「これは奥様」とはっとした表情で頭を下げた。
「何か夕食に問題がございましたでしょうか」
「いいえ。今日もとても美味しかったわ。ちょっとアーサーの誕生日のことで相談があって」
「しかし公爵様は……」
「誕生日はしないのでしょう。それは分かっているの。ただ、彼の好きだったものがあって、それを作りたいから、しばらく厨房を借りたいの」
「構いませんが、何をお作りになられるのですか?」
「パンケーキよ」
料理長はきょとんとした顔をする。
「公爵様は甘い物が苦手のはずですが」
「でも先代の公爵夫人……フアナ様のパンケーキは例外、でしょ?」
「確かにそうですが、あいにくそのレシピを私は教えてもらえていないのです」
「大丈夫。私が聞いているから」
甘いものが得意ではなかったアーサーが唯一、美味しいと言って食べていたのが、フアナ様の特製パンケーキ。
あれだけはアーサーが誕生日には必ずと言っていいほどねだっていた。
『あなたがいつ、あの子のお嫁さんになってもいいように教えてあげるわね』
そうこっそり耳打ちしてくれた時の、胸がくすぐったくなるような気持ちは今もしっかり記憶に残っている。
(フアナ様にはパンケーキだけじゃない。裁縫も教えてもらったのよね)
義母よりもずっと母親らしく、ハイネに色々なことを教えてくれた。
口に出したことはなかったけれど、実の母親と同じか、それ以上にフアナ様のことを慕っていた。
「私も見学してもよろしいでしょうか」
「ごめんなさい。これは夫人との約束で、二人だけの秘密なの」
「なるほど。残念ですが、仕方ありませんね」
料理長はパンケーキ作りに必要な材料を出すと、厨房を出て行く。
『男の子は胃袋を掴むのが大切なのよ』
そう茶目気いっぱいに教えてくれたフアナ様。
とても綺麗な立ち姿の人で、偉ぶるどころか、とても気さくに接してくれる優しい人だった。
こんな素敵な人になりたい。ハイネにとっては憧れの女性だった。
(……っと、考え事はここまでにして、パンケーキ作りに集中しなきゃ。ここでフアナ様特製のパンケーキを失敗させるなんてできないもの!)
袖を捲り、パンケーキ作りをはじめるのだった。
※
アーサーは帰宅すると熱めの風呂に浸かり、訓練で汗と土埃にまみれた体を綺麗にし、ガウンに着替える。
と、執事が黒い箱を差し出してくる。
「奥様から誕生日プレゼントでございます」
「いらない言ったはずだ」
「いらないのなら捨てても構わないという言伝も承っています」
アーサーは溜息をつき、受け取った箱を開けると、中身は純白のクラバットだった。
クラバットにはワンポイントに、鷹を刺繡が入っていた。
鷹は、公爵家の紋章にも取り入れられている。
子どもの頃、ハイネにもらった誕生日プレゼントだと受け取ったタオルにも確か同じ鷹(今のとは比べものにならないくらい下手だったが)あったことを思い出す。
アーサーが勇ましい鷹が好きだとハイネに話したことがあったからだ。
そんなどうでもいいことを今も覚えていたのか。
席に着くと、メイドが夕食を運んでくる。
食事を終えると、銀の蓋をかぶせた皿を運んでくる。
「もう食事は終わったぞ」
「デザートでございます」
「俺が甘い物が食べられないのを知っているだろう」
「これであれば召し上がられるはずだと奥様が……」
「ハイネが?」
「こちらの料理は奥様がお作りになられましたものでございます」
蓋が開くと同時に、遠い昔の記憶を刺激する甘酸っぱい香りが鼻をくすぐった。
それは何の変哲もない二段重ねのパンケーキ。
「!」
しかしそれは確かに、子どもの頃に母のフアナが誕生日のたびに作ってくれた特製パンケーキと同じ香りだった。
ナイフとフォークを持ち、ふっくらと仕上がったパンケーキを切る。
作りたてのせいか、切れ目を入れただけで湯気が上がった。
一口大に切り分け、そして口に運ぶ。
(これは……)
その甘酸っぱさ、そしてそれほど口に残らないながら、うっすらと香る程度の甘みは、まさかに母お手製のパンケーキに他ならなかった。
子どもの頃は毎日のようにこのパンケーキを作って欲しくって母にねだったが、作ってはくれなかった。
『毎日作ったら特別じゃなくなっちゃうでしょう』
『でももっと食べたい! 料理長にパンケーキの作り方を教えて!』
『駄目。このパンケーキの作り方はね、アーサーにとって特別な子に教える予定なの。このパンケーキが食べたかったら、その子のことをずっとずーっと大切にできる男になれるように、ね』
『特別な子って何……?』
『もう少し大きくなれば分かるわ』
そう微笑んだ母のことを未だに覚えている。
「ハイネが教わっていたのか……」
黙々とパンケーキを口に運ぶ。
久しぶりに食べる特製パンケーキは本当に美味しく、あっという間に食べ終えてしまった。
「ハイネは部屋か?」
「左様でございます」
アーサーは立ち上がると、ハイネの部屋を訪ねた。
まさか部屋に来るとは思っていなかったのだろう。
アーサーの姿に、ハイネはびっくりした顔をしながら立ち上がった。
アーサーはクラバットを見せる。
「……プレゼントはいらないと言ったはずだ」
ハイネは目を伏せた。
「ごめんなさい。ただ、あなたのために何かをしたくて……。あれはただの自己満足なの。不愉快な気持ちにさせてしまったのならごめんなさい。いらないのなら捨ててくれて構わないから」
「不愉快になったのならいちいち、こうして来ない。特に、あのパンケーキは久しぶりに食べたせいか、うまかった」
「あ……。本当に? 良かった!」
ハイネは心の底から安堵したみたいにほっと胸を撫で下ろす。
「あれは母から、教わったのか」
「そう」
「何を入れるんだ」
「ごめんなさい。それは言えないの。フアナ様との約束で」
「……なら、時々で構わないから作ってくれ」
「もちろん。あなたがそれを望んでくれるのなら」
その純粋な笑顔に、体が強く疼く。
欲情の気配を抑えきれなかったアーサーはその顎を掴むと、唇を塞ぐ。
「んん……っ」
噛みつくような激しい口づけ。交わした舌を迎え入れるハイネの口内は溶けてしまいそうなくらい火照っていた。
腕の中に閉じ込めるようにきつく抱きしめ、そのままかかえあげると、寝室へ運んだ。
濡れた銀色の髪がベッドへ、扇状に散らばる。
窓から差し込む月明かりを浴び、その銀色の髪がきらきらと輝いて見えた。
乱暴に服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿になったアーサーは、ハイネに覆い被さった。
彼が帰宅して自分の部屋へ戻るのを見計らったハイネは、厨房に顔を出す。
夕食の支度をしていた料理長が「これは奥様」とはっとした表情で頭を下げた。
「何か夕食に問題がございましたでしょうか」
「いいえ。今日もとても美味しかったわ。ちょっとアーサーの誕生日のことで相談があって」
「しかし公爵様は……」
「誕生日はしないのでしょう。それは分かっているの。ただ、彼の好きだったものがあって、それを作りたいから、しばらく厨房を借りたいの」
「構いませんが、何をお作りになられるのですか?」
「パンケーキよ」
料理長はきょとんとした顔をする。
「公爵様は甘い物が苦手のはずですが」
「でも先代の公爵夫人……フアナ様のパンケーキは例外、でしょ?」
「確かにそうですが、あいにくそのレシピを私は教えてもらえていないのです」
「大丈夫。私が聞いているから」
甘いものが得意ではなかったアーサーが唯一、美味しいと言って食べていたのが、フアナ様の特製パンケーキ。
あれだけはアーサーが誕生日には必ずと言っていいほどねだっていた。
『あなたがいつ、あの子のお嫁さんになってもいいように教えてあげるわね』
そうこっそり耳打ちしてくれた時の、胸がくすぐったくなるような気持ちは今もしっかり記憶に残っている。
(フアナ様にはパンケーキだけじゃない。裁縫も教えてもらったのよね)
義母よりもずっと母親らしく、ハイネに色々なことを教えてくれた。
口に出したことはなかったけれど、実の母親と同じか、それ以上にフアナ様のことを慕っていた。
「私も見学してもよろしいでしょうか」
「ごめんなさい。これは夫人との約束で、二人だけの秘密なの」
「なるほど。残念ですが、仕方ありませんね」
料理長はパンケーキ作りに必要な材料を出すと、厨房を出て行く。
『男の子は胃袋を掴むのが大切なのよ』
そう茶目気いっぱいに教えてくれたフアナ様。
とても綺麗な立ち姿の人で、偉ぶるどころか、とても気さくに接してくれる優しい人だった。
こんな素敵な人になりたい。ハイネにとっては憧れの女性だった。
(……っと、考え事はここまでにして、パンケーキ作りに集中しなきゃ。ここでフアナ様特製のパンケーキを失敗させるなんてできないもの!)
袖を捲り、パンケーキ作りをはじめるのだった。
※
アーサーは帰宅すると熱めの風呂に浸かり、訓練で汗と土埃にまみれた体を綺麗にし、ガウンに着替える。
と、執事が黒い箱を差し出してくる。
「奥様から誕生日プレゼントでございます」
「いらない言ったはずだ」
「いらないのなら捨てても構わないという言伝も承っています」
アーサーは溜息をつき、受け取った箱を開けると、中身は純白のクラバットだった。
クラバットにはワンポイントに、鷹を刺繡が入っていた。
鷹は、公爵家の紋章にも取り入れられている。
子どもの頃、ハイネにもらった誕生日プレゼントだと受け取ったタオルにも確か同じ鷹(今のとは比べものにならないくらい下手だったが)あったことを思い出す。
アーサーが勇ましい鷹が好きだとハイネに話したことがあったからだ。
そんなどうでもいいことを今も覚えていたのか。
席に着くと、メイドが夕食を運んでくる。
食事を終えると、銀の蓋をかぶせた皿を運んでくる。
「もう食事は終わったぞ」
「デザートでございます」
「俺が甘い物が食べられないのを知っているだろう」
「これであれば召し上がられるはずだと奥様が……」
「ハイネが?」
「こちらの料理は奥様がお作りになられましたものでございます」
蓋が開くと同時に、遠い昔の記憶を刺激する甘酸っぱい香りが鼻をくすぐった。
それは何の変哲もない二段重ねのパンケーキ。
「!」
しかしそれは確かに、子どもの頃に母のフアナが誕生日のたびに作ってくれた特製パンケーキと同じ香りだった。
ナイフとフォークを持ち、ふっくらと仕上がったパンケーキを切る。
作りたてのせいか、切れ目を入れただけで湯気が上がった。
一口大に切り分け、そして口に運ぶ。
(これは……)
その甘酸っぱさ、そしてそれほど口に残らないながら、うっすらと香る程度の甘みは、まさかに母お手製のパンケーキに他ならなかった。
子どもの頃は毎日のようにこのパンケーキを作って欲しくって母にねだったが、作ってはくれなかった。
『毎日作ったら特別じゃなくなっちゃうでしょう』
『でももっと食べたい! 料理長にパンケーキの作り方を教えて!』
『駄目。このパンケーキの作り方はね、アーサーにとって特別な子に教える予定なの。このパンケーキが食べたかったら、その子のことをずっとずーっと大切にできる男になれるように、ね』
『特別な子って何……?』
『もう少し大きくなれば分かるわ』
そう微笑んだ母のことを未だに覚えている。
「ハイネが教わっていたのか……」
黙々とパンケーキを口に運ぶ。
久しぶりに食べる特製パンケーキは本当に美味しく、あっという間に食べ終えてしまった。
「ハイネは部屋か?」
「左様でございます」
アーサーは立ち上がると、ハイネの部屋を訪ねた。
まさか部屋に来るとは思っていなかったのだろう。
アーサーの姿に、ハイネはびっくりした顔をしながら立ち上がった。
アーサーはクラバットを見せる。
「……プレゼントはいらないと言ったはずだ」
ハイネは目を伏せた。
「ごめんなさい。ただ、あなたのために何かをしたくて……。あれはただの自己満足なの。不愉快な気持ちにさせてしまったのならごめんなさい。いらないのなら捨ててくれて構わないから」
「不愉快になったのならいちいち、こうして来ない。特に、あのパンケーキは久しぶりに食べたせいか、うまかった」
「あ……。本当に? 良かった!」
ハイネは心の底から安堵したみたいにほっと胸を撫で下ろす。
「あれは母から、教わったのか」
「そう」
「何を入れるんだ」
「ごめんなさい。それは言えないの。フアナ様との約束で」
「……なら、時々で構わないから作ってくれ」
「もちろん。あなたがそれを望んでくれるのなら」
その純粋な笑顔に、体が強く疼く。
欲情の気配を抑えきれなかったアーサーはその顎を掴むと、唇を塞ぐ。
「んん……っ」
噛みつくような激しい口づけ。交わした舌を迎え入れるハイネの口内は溶けてしまいそうなくらい火照っていた。
腕の中に閉じ込めるようにきつく抱きしめ、そのままかかえあげると、寝室へ運んだ。
濡れた銀色の髪がベッドへ、扇状に散らばる。
窓から差し込む月明かりを浴び、その銀色の髪がきらきらと輝いて見えた。
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