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第一章 はじまりの詔《みことのり》
魁偉《かいい》という人たち
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永隆《えいりゅう》五年四月。
余州北山県壬生村そばの山中。
キラキラとした木漏れ日を反射してきらめく泉のそばに、鹿が集まっている。
髪を後ろ手で束ねた少女が、草むらからそっと身を乗り出す。そして弓に矢をつがえ、一頭の牡鹿に狙いを定めた。
ギリギリ……と弓を絞りきったところで呼吸を止め、放つ。
矢が牡鹿を貫く。
牡鹿が倒れると同時に、周りの鹿が驚いて、ピョンピョン跳ねながら山奥へ逃げていく。
「よし」
少女――王旬果《おうしゅんか》は小さく呟く。
※※※
山を下り、街に到る。
街は、旬果が住んでいる村よりも二回りは大きく、常に人でごった返し、夜でも煌々《こうこう》とついた灯《あか》りは消えることはない。
初春とはいえ、山から吹き下ろす風に首を竦めながら目抜き通りを歩けば、商人たちの客寄せの声が朗々《ろうろう》と響き、商品の入った籠を揺する行商人とすれ違う。
旬果は仕留めた牡鹿《おじか》を馬の背に乗せ、轡《くつわ》を取ってとある店先に顔を出す。
「おじさーん!」
店の奥から少し太めの中年男――この店の主人が、姿を見せる。旬果を見るなり、「おぉ!」と声を上げた。
「旬果か。今日は何だ?」
「牡鹿だよ」
「おぉ。いいね。んじゃ、いつもの値段で……」
「いつもより上乗せしてよ」
「雄は肉が固くって不評なんだよ。いつもと同じ値段で買うのだって特別なんだ。これだって、旬果がお得意さんだから……」
「でもどうせ肉は売るんだろうし、それに角は薬になる。牝鹿よりも高く買ってもらうのは当たり前だよ。何なら、薬屋に直接持ってっても良いんだけど?」
主人が弱り切った顔をしていると、ハハハハと快活に笑いながら、女将さんが姿を見せる。
「あんた、変に欲張ってないで、さっさと代金を払ってやんな。旬果のお陰で、うちも儲《もう》からせてもらってるだろ?」
旬果は笑う。
「さすがは女将さん。分かっていらっしゃる!」
主人は分かったよと言って、店の奥に引っ込んだ。
すると女将さんが、包みを渡してくれる。
「旬果。これ、オヤジさんたちに持ってって。色は悪いけど、まだ全然食べられるから」
「いつもありがとうございます」
「水くさいこと言わなさんな。あんたと私たちの仲じゃないか」
旬果は代金を受け取ると、店を後にした。
※※※
馬を引いて街を出ようとしたその時、行く手を塞《ふさ》ぐように野次馬が出来ていた。
旬果が様子を窺っていると、どうやら往来を塞ぐように大きな荷車が横倒しになっている。
しかし野次馬が出来ているのは、それだけが原因ではない。
商人であろう男が鞭を振り上げ、荷車を引いていた男を叩いていたのだ。
打たれる男は大きな身体を小さくさせ、頭を庇《あば》いながら震えている。
商人が口汚く声を上げる。
「この木偶《でく》め! 何をやらせてもまともに出来ねえ!」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」
野次馬たちも囃《はや》し立てた。
「うすのろ、何やってんだよ」
「おい、邪魔だぞ。牛野郎!」
牛野郎――その言葉に、旬果が蹲《うずくま》っている者をよくよく見れば、牛の姿をしていた。といっても手足は人間のそれ。
魁夷《かいい》――そう呼ばれる種族だ。普段は人の姿をしているものの、極度に感情が高ぶったり、自らそうなろうとした時に獣人の姿へと顕現する。
魁夷は、この国では奴隷として使役されていた。
そして鞭で背を打たれている牛の魁夷は、昂奮に目を真っ赤に燃やしている。その目は魁夷の特徴で、感情の高ぶりを覚えると血よりも濃い深紅に染まるのだ。
旬果は見かねて、
「ちょっと!」
野次馬を押しのけながら、商人の前に出た。
商人の男が鞭を振り下ろす手を止め、じろりと自分の背の半分ほどの旬果を睨んだ。
「何だ、小娘」
旬果は腕組みをした。
「馬鹿みたいに鞭を振れる体力があるんだったら、あんたが車を引けばいいじゃない」
野次馬の一部から笑い声が上がれば、商人は顔を真っ赤にする。
「何だと!? お前もぶたれたいのかっ!?」
幾ら凄まれようとも、旬果は怖くない。むしろ睨み返した。
「やってみれば? ただ、私はその人みたいに無抵抗じゃないからね。あんたみたいな下衆、弱い奴にしか強く出られないでしょ」
「言わせておけば!」
振り下ろされた鞭《むち》を避けた旬果は、素早い身のこなしで男の背を取ると腕を捻《ねじ》り上げ、跪《ひざまず》かせた。
「いでででぇええ!」
男は涙目になり、鞭を取り落とす。
「ね。言ったでしょ?」
野次馬たちは、歓声を上げた。
「良いぞ! 嬢ちゃん!」
「おっさん、小娘にやられてしょうもねーなぁーっ!」
旬果は男を突き飛ばすと、魁夷に走り寄る。
「大丈夫?」
牛の魁夷は小さく頭を下げたかと思うと、のっそりと立ち上がる。
そして大人なら五人はいなければ起こせないような車を、たった一人で軽々と起こし、引っ張り始めた。
商人は腕を押さえながら、涙目で旬果を睨む。
「この女《アマ》……」
「何ですって」
一歩右足を踏み出せば、男は「ひっ!」と小さな悲鳴を上げて逃げ出した。
騒ぎが終わり、野次馬たちは三々五々解散する。
(魁夷だからって、どうしてあんな男に従ってるわけ?)
旬果は、そう思わずにはいられなかった。
余州北山県壬生村そばの山中。
キラキラとした木漏れ日を反射してきらめく泉のそばに、鹿が集まっている。
髪を後ろ手で束ねた少女が、草むらからそっと身を乗り出す。そして弓に矢をつがえ、一頭の牡鹿に狙いを定めた。
ギリギリ……と弓を絞りきったところで呼吸を止め、放つ。
矢が牡鹿を貫く。
牡鹿が倒れると同時に、周りの鹿が驚いて、ピョンピョン跳ねながら山奥へ逃げていく。
「よし」
少女――王旬果《おうしゅんか》は小さく呟く。
※※※
山を下り、街に到る。
街は、旬果が住んでいる村よりも二回りは大きく、常に人でごった返し、夜でも煌々《こうこう》とついた灯《あか》りは消えることはない。
初春とはいえ、山から吹き下ろす風に首を竦めながら目抜き通りを歩けば、商人たちの客寄せの声が朗々《ろうろう》と響き、商品の入った籠を揺する行商人とすれ違う。
旬果は仕留めた牡鹿《おじか》を馬の背に乗せ、轡《くつわ》を取ってとある店先に顔を出す。
「おじさーん!」
店の奥から少し太めの中年男――この店の主人が、姿を見せる。旬果を見るなり、「おぉ!」と声を上げた。
「旬果か。今日は何だ?」
「牡鹿だよ」
「おぉ。いいね。んじゃ、いつもの値段で……」
「いつもより上乗せしてよ」
「雄は肉が固くって不評なんだよ。いつもと同じ値段で買うのだって特別なんだ。これだって、旬果がお得意さんだから……」
「でもどうせ肉は売るんだろうし、それに角は薬になる。牝鹿よりも高く買ってもらうのは当たり前だよ。何なら、薬屋に直接持ってっても良いんだけど?」
主人が弱り切った顔をしていると、ハハハハと快活に笑いながら、女将さんが姿を見せる。
「あんた、変に欲張ってないで、さっさと代金を払ってやんな。旬果のお陰で、うちも儲《もう》からせてもらってるだろ?」
旬果は笑う。
「さすがは女将さん。分かっていらっしゃる!」
主人は分かったよと言って、店の奥に引っ込んだ。
すると女将さんが、包みを渡してくれる。
「旬果。これ、オヤジさんたちに持ってって。色は悪いけど、まだ全然食べられるから」
「いつもありがとうございます」
「水くさいこと言わなさんな。あんたと私たちの仲じゃないか」
旬果は代金を受け取ると、店を後にした。
※※※
馬を引いて街を出ようとしたその時、行く手を塞《ふさ》ぐように野次馬が出来ていた。
旬果が様子を窺っていると、どうやら往来を塞ぐように大きな荷車が横倒しになっている。
しかし野次馬が出来ているのは、それだけが原因ではない。
商人であろう男が鞭を振り上げ、荷車を引いていた男を叩いていたのだ。
打たれる男は大きな身体を小さくさせ、頭を庇《あば》いながら震えている。
商人が口汚く声を上げる。
「この木偶《でく》め! 何をやらせてもまともに出来ねえ!」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」
野次馬たちも囃《はや》し立てた。
「うすのろ、何やってんだよ」
「おい、邪魔だぞ。牛野郎!」
牛野郎――その言葉に、旬果が蹲《うずくま》っている者をよくよく見れば、牛の姿をしていた。といっても手足は人間のそれ。
魁夷《かいい》――そう呼ばれる種族だ。普段は人の姿をしているものの、極度に感情が高ぶったり、自らそうなろうとした時に獣人の姿へと顕現する。
魁夷は、この国では奴隷として使役されていた。
そして鞭で背を打たれている牛の魁夷は、昂奮に目を真っ赤に燃やしている。その目は魁夷の特徴で、感情の高ぶりを覚えると血よりも濃い深紅に染まるのだ。
旬果は見かねて、
「ちょっと!」
野次馬を押しのけながら、商人の前に出た。
商人の男が鞭を振り下ろす手を止め、じろりと自分の背の半分ほどの旬果を睨んだ。
「何だ、小娘」
旬果は腕組みをした。
「馬鹿みたいに鞭を振れる体力があるんだったら、あんたが車を引けばいいじゃない」
野次馬の一部から笑い声が上がれば、商人は顔を真っ赤にする。
「何だと!? お前もぶたれたいのかっ!?」
幾ら凄まれようとも、旬果は怖くない。むしろ睨み返した。
「やってみれば? ただ、私はその人みたいに無抵抗じゃないからね。あんたみたいな下衆、弱い奴にしか強く出られないでしょ」
「言わせておけば!」
振り下ろされた鞭《むち》を避けた旬果は、素早い身のこなしで男の背を取ると腕を捻《ねじ》り上げ、跪《ひざまず》かせた。
「いでででぇええ!」
男は涙目になり、鞭を取り落とす。
「ね。言ったでしょ?」
野次馬たちは、歓声を上げた。
「良いぞ! 嬢ちゃん!」
「おっさん、小娘にやられてしょうもねーなぁーっ!」
旬果は男を突き飛ばすと、魁夷に走り寄る。
「大丈夫?」
牛の魁夷は小さく頭を下げたかと思うと、のっそりと立ち上がる。
そして大人なら五人はいなければ起こせないような車を、たった一人で軽々と起こし、引っ張り始めた。
商人は腕を押さえながら、涙目で旬果を睨む。
「この女《アマ》……」
「何ですって」
一歩右足を踏み出せば、男は「ひっ!」と小さな悲鳴を上げて逃げ出した。
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旬果は、そう思わずにはいられなかった。
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