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王宮 恋する獣人 編

33:目覚めのふさふさ※獣化あり

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 ぺろっ、ぺろっ……。

 頬を何かに撫でられる。

 それは、温かく、くすぐったい……。

「ん……ん……」

 イングリットはかすかに声を漏らし、目を開けた。

「……っ!」

 思わず息をのんだ。

 目の前に美しい毛並みの青い狼がいたのだ。

 しかしゆっくりと頭が動き出すことで獣の目に覚えがあって、ふっと力が抜けた。

「……ま、マクヴェス……?」

「おはよう」

「お、おはよう……私……」

 少し身体を動かすと、痛みがはしる。

「私……火事で……」

 服はすっかり着替えさせられラフな部屋着になっていた。

 髪もポニーテールがほどかれ、背中に流されている。

 何気なく頬のあたりを触れようとすると、そこうにはガーゼがはっつけられていた。

 ようやく周囲を眺めれば、ベッドに寝かされていた。

 イングリットたちのつかっている部屋よりもこざっぱりしているから、どこかの空いた部屋を緊急的に使用しているのかもしれない。

「身体のあちこちにヤケドを負ってるんだ。あの状態から考えれば奇跡とよべるくらいの軽傷らしい。棚を盾にしておいたのがよかったんだろう」

「……マクヴェス、あなたが助けて……?」

「間一髪のところでな。アスコットも手伝ってくれた」

「アスコットも……。
ところで、どうしてその……獣化してるの……?」

 マクヴェスはイングリットに寄り添うように身を置いて、顔をもちあげている格好だった。

「お前のことだ。目覚めたときはこの姿のほうが安心できるだろうとな。……良かっただろう?」

「そうかも」

「そう即答されると、人間の姿が変だと言われてるみたいだ」

 そのすねたような物言いに、イングリットはくすりとした。

「そういうわけじゃないけど、私からすれば、こっちも最高ってことだから」

 イングリットが顔をそっと両手で包み込むように、そのフサフサの首筋に顔を埋めるようにする。

「ありがとう、マクヴェス」

 あらためて感謝を述べた。

「お前に会わせたいやつがいる」

「誰?」

「おい、入ってこい。目を覚ましたぞ」

 姿を見せたのは人間の姿をしたアスコットだ。

 彼は目を伏せ、愁いの影を顔に刻み、頬が痩こけ、憔悴したように見えた。

「アスコット」

「申し訳ありません……!」

 彼はまるではじめて会った時のような殊勝な態度で、頭を下げた。

「私の至らなさのせいで、イングリット、きみを危険な目に遭わせてしまった……っ!」

「や、やめてよ、アスコット。あなたのせいじゃ……」

「ロシェルがお前の部屋から“別れろ”と書かれた紙を何枚も見つけ出した。あれは脅迫だろう。思い当たることはコイツとのことだけだ」

「そ、それは……」

「犯人を知っているのだろう。言え」

「……覚えてない」

 イングリットは首を横に振った。

 記憶にある侍女たちへ腹立たしい気持ちはもちろんあるが、火事になってしまったことはあくまで事故だ。

 彼女たちも本当にイングリットを焼き殺そうとは思わなかったのだろう。

 それになにより自分のうかつさも原因の一つだという、後ろめたいこともある。

 仲間がいるのだろうから一網打尽にしてやろうと余計なことを考えた挙げ句、命を危うくしてしまたばかりか、マクヴェスたちにまで迷惑をかけたのだ。

 最初、あの侍女が接触してきたとき、自分がしっかり対処しておけば、あんなことにはならなくて済んだ。

「何度いわれても無駄よ。覚えてないの」

「イングリットっ、どうしてそんなやつらのことをかばう。お前に手をだしたんだ。全員、俺が八つ裂きにしてやる……ッ」

 狼の姿でも、その目の中にははっきりと怒りの炎が逆巻いていた。

(だから、よ)

 耳を後ろに引き、目を細める。

 イングリットは彼の目をじっと見つめた。

「――マクヴェス、少し、アスコットと二人きりにして」

「なぜだ」

 声が低くなるが、イングリットは無視する。

「良いから。お願い」

「…………」

 しばし見つめ合うと、目を最初にそらしたのは彼のほうだった。

 不満げに鼻を鳴らしながら、「すぐ外にいる。話が終わったら呼べ」と言い置いて、人間の姿になって出て行った。

「ふう……」

 今のにらみ合いは、病み上がりにはかなり荷が重く、変な汗をかいてしまった。

 緊張感から解放されたイングリットは、まるで彫像と見まがうばかりに背筋を伸ばし、その場で立ちつくしているアスコットに笑いかけた。

「そんなところで突っ立ってないで座ったら」

「いや……」

「遠慮しなくても」

 アスコットは言うや、服を脱ぎ始める。

「ちょっと!? 何!?」

 アスコットは構わず脱ぎ続け、やがて四つ足の獣に変身した。

 雨宿りの洞窟以来の犬化だ。

「…………へ?」

 どうして急に、と頭に疑問符が浮かぶ。

「イングリットはこちらのほうが良いと殿下から聞いたんだ」

 狼よりもずっと柔らかな眼差しに、ついついほっこりしてしまう。

「なるほど。本当のようだ」

 アスコットは口を開ける。それは少し笑ったように見えた。

「身体の具合は?」

「多少、痛むくらいだけど……。……あなたにはまた助けてもらったみたいだな」

「いや、完全に俺は添え物だったよ。真っ先に燃えさかる小屋に飛び込んだのはマクヴェス殿下だったんだ。頭から水をかぶり、王宮内ではほとんど厳禁になっている獣人の姿となった上で、怯むことなくあのなかへとびこんであなたを救出された」

「でもアスコットも……」

「私は完全に二番煎じだった。何とかしなければと想いながら、きみがあそこにいる可能性なんかをくどくど考えていた。殿下が走っていかれ、ようやくだ」

「いいじゃない、どっちが最初とかなんて、くだらない。
あなたと、マクヴェス、二人はどちらも正真正銘、命の恩人……恩獣って、言ったほうがいいかな?」

 子どもの頃に母親から読み聞かせてもらった、動物の恩返しの逆だ。

 これはしっかりとお礼をしなければ。

「……違う」

 その愛らしい姿とは裏腹な深刻な声をつぶやく。

「え?」

「私のせいで、きみを巻き込んだ。私さえ、もっとしっかりきみを送り届けていればこんなことには……。これはすべて私の落ち度だ。犯人は今、捜索している。それほど手間がかからないだろう」

「そんなこと……」

 と、不意にアスコットが首をのべると、そっと頬を舐められる。マクヴェスよりも怖々と、少し控えめななめかたで、少しがっかりした。

 もっと!と――。

「……きみはたしかに並の男よりもずっと勇気があるし、膂力りょりょくも兼ね備えているだろう。しかしどれほど男のように振る舞おうとも、きみが女性であるということは変わらない。
いや、これは侮辱ではないんだ。
もってうまれたものは変え難い、ということだ。……だからその、今後は身を慎まれたほうがいい……その……」

 アスコットは目をさまよわせ、

「殿下のためにも」

 と言った。

「……たしかに、そうかも。今後は気をつける」

 イングリットがうなずくと、アスコットは安心したように目を細める。

「ねえ、触っても良い?」

「ん?」

「撫でるだけでもいいから」

 気分が緩んだせいかついつい、いつもの調子で言ってしまった。

 しまった――そう思っても、遅い。

 アスコットはきょとんとしたが、

「あ、ああ……」

 戸惑ったようだが、大人しくその場に伏せてくれる。

 さすがに、ここまできて「今のなし!」とも言えないので、せっかくだからと撫でさせてもらう。

「ふさふさね」

 つぶやくと、アスコットが笑った。

「前にも、その言葉は聞いた」

「え?」

「あの雨の洞窟のなかでも、きみは眠りながら“ふさふさ”とつぶやいていた。一体、どんな夢を見ていたのかと思っていたが、なるほど、風邪を引きそうな状況で見る夢が動物を撫でることだなんてはじめて知ったなぁ」

「嘘!」

「本当さ」

「あ、あれは、あなたが、そばにいたからだっ……だから!」

 恥ずかしさに耳が熱くなってしまう。

「そこまでムキにならなくても」

「なってない……!」

「まあそういうことにしておこう。しかし、そんなに撫でるのが好きなの?」

「気持ちいいし、手触りとか……」

「そっか。なら、今後はこれまで以上に入念な毛繕いをしようかな」

「え?」

「冗談だよ。――さあそろそろ私は去ろう。きっと殿下はカリカリされているだろうから」

「あ、うん……ご……」

「ご?」

「ううん。あ、ありがとう」

 思わずごちそうさまと言いかけ、慌てて言い直す。

 アスコットは不思議そうに小首をかしげると、人間の姿に戻る。

(あーあ)

 あんな可愛らしい生き物から愛くるしさが失われ、がっかりしてしまう。

「そんな急に落胆しなくてもいいだろう。王宮内で獣人の姿でうろつくわけにはいかないんだから」

 偶然振り向いたアスコットは苦笑しながら言った。

「分かってる」

 イングリットは肩をすくめた。

 アスコットは頭を下げ、部屋を出て行くと、予想以上に待たされたマクヴェスが案の定、むっつりとした顔で部屋に入ってくる。

「何を話していた」

「盗み聞き、してたんじゃないの」

「するわけないだろう」

 そばにある椅子を引き、どっかりと座った。

「謝られたの。今回のことを」

「当然だ」

「ねえ、彼に何かしなかった?」

「どういう意味だ」

 マクヴェスは眉をひそめた。

「お前のせいだってその……手荒いこと」

「本当ならするつもりだったが、お前の救助に一役買ったからな、それは許してやった」

「良かった。ねえ、何か羽織れるものある。さすがにこの格好だけじゃ……」

「何をする」

「目が覚めたから……服を着替えて、いつも通りの仕事を……。痛いっていっても、別にそんな騒ぐようなもんでもないし……」

 その時、目の前に黒々とした影がすっとんできた。

「ちょ……!」

 影の正体はマクヴェスだった。

 急に獣化して、ぐっとベッドに押し倒されてしまう。

「な、何……っ」

 彼の重みが胸にかかる。

「駄目だ。まだ火事のことからそれほど時間がたっていないんだぞ。今は絶対安静だ」

「……ぜ、絶対、安静の人にすることじゃ、ないと思うけど、これは」

「お前が聞き分けがなさすぎるからだ。
――もう少し、自分をいたわれ。お前が傷つけば、俺の胸が張り裂けてしまいそうになることを……分かってくれ……っ」

 それは頼みというより、懇願だった。

 そうつぶやく、マクヴェスのほうが辛そうな顔をしていた。

 アスコットと同じことを言わてしまた……。

 イングリットは身体から力を抜く。

「分かった。お医者さんが良いと言うまでは休むから」

「そうだ。……それまで、俺がそばにいてやる」

 ふさふさの尻尾を触れとでもいいたげに胸元にもってこられた。

「……ありがと」

 イングリットはその毛量の多い、尻尾を抱え込むようにする。

 撫でているうちにすぐ、瞼が重たくなった。
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