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29 マクシミリアンの出自
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運ばれてきた食事はしっかりと食べた。
監視についている魔導士たちからは終始、敵意を向けられていた。
どうやらこの皇宮で、ジュリアを歓迎しているのはマクシミリアンだけらしい。
すでに日は落ちている。
ギルフォードが暴走せず、冷静に状況を判断してくれていることを祈るばかり。
世話を務めるためにあてがわれた侍女が紅茶を淹れてくれる。
「陛下たちはどこにいるの?」
「……シャメラン宮にございます」
「どこにあるの?」
「本宮の東にございます」
ジュリアはバルコニーに出ると、東の方を見る。ドーム屋根の宮殿があり、灯がともっている。まず押さえるべきはあそこだ。
問題はどのタイミングで行動を起こすか。
ギルフォードによると魔力の回復は一両日、と言っていた。つまりもうすでに回復している可能性が高い。今ごろ帝都を窺っているはず。
その時、扉が開いた。マクシミリアンだった。
鍛えられた体躯の上に、金の縁取りをほどこしたローブを羽織っている。
非常に無防備だが、相手は魔導士。無防備に見えているだけだ。
「みな、下がれ」
侍女や魔導士たちは頭を下げて、部屋を出ていく。
ジュリアはバルコニーから部屋に戻った。
「ジュリア。気分はどうだ?」
「……軟禁されていいと答えるとでも?」
マクシミリアンは粘り着くような笑みを浮かべた。
「その嫌悪に満ちた表情。それは俺だけに見せる顔、だよな。ギルフォードにもきっと見せたことはないんだろう」
「来ないで」
しかしマクシミリアンは構わず近づいてくる。
ジュリアはバランスを崩し、ソファーに仰向けに倒れ込んでしまう。マクシミリアンが覆い被さってきた。どれほど不愉快でも目を反らすことだけはするまいと、睨み付けた。
「ギルフォードはどうやって死んだ?」
「なんでそんなことを話さなきゃ」
「知りたいからだ」
ごくり、と唾を飲み込む。
――まさか疑ってる?
話すべきか、話さざるべきか。
「……あなたには絶対に話さない。あなたたちのせいでギルは死んだ!」
普段の自分ならそう答えるべきだと判断したのだ。
マクシミリアンは喉の奥でくつくつと笑う。
「……哀れなものだな。あれだけの実力を持った魔術師は戦場で死ぬと思っていたが」
「そんな無防備な格好で私のところに来るなんて、死にに来たの?」
「やってみろ」
マクシミリアンが懐から取り出したナイフをジュリアに握らせ、自分の喉笛にあてがわせる。
「! な、にを……」
皮膚がす少し切れて、血が垂れた。ジュリアはナイフを放り出そうとするが、マクシミリアンが自分の手を重ねてナイフを握ることを強いた。
それでもジュリアがナイフの刃を喉に食い込ませないことに気付いたのか、マクシミリアンは手から力を抜く。今度こそナイフが床に落ちる。
「これが君の素敵なところだ。すぐそこに仇がいて、首を差し出しているのに、君の中に矜持がそれを許さない。そういう愚かしいほどに清廉なところが俺は好きなんだ。君ほど美しいものは、俺の世界にはこれまで存在しなかった」
「伯爵家の嫡男の台詞とは思えないわね」
「……俺は、混ざり者だからな」
マクシミリアンの声から感情が消える。
「母親は売春婦。俺の父親、当時の伯爵家の次期当主が手をつけた時は田舎からきたばかりの美しい女だったらしい。すぐに俺を身籠もったが、捨てられた。遊びの付き合いだったのに、母は本気で父を愛した。哀れだな。田舎娘にシンデレラストーリーなんてありえないのに。母は発狂して命を絶ち、俺は裏路地をねぐらにする犯罪者に拾われ、ごみ溜めで生きた。そんな俺の存在を知った父に十歳の時に引き取られた。だから、いかに貴族の世界が虚飾と傲慢、見栄に彩られているか、外からきた俺にはよく分かっていたんだよ」
はじめて知る事実に戸惑う。
マクシミリアンは生粋の貴族。周りも、ジュリアもそうと思って疑ったことがなかった。
「伯爵家の嫡男になった俺は両親の見えないところで、使用人からさげすまれながら生きたよ。魔法に目覚めたのは、十四歳の時。最初に何をしたか分かるか?」
「……想像もしたくない」
「使用人を焼き殺した」
マクシミリアンは感情のない声で呟いた。
「だが、それで得た喜びと充足は一瞬だった。俺の世界はそれまで通り、代わり映えのしない灰色のままで……父に言われるがまま士官学校に入った。馬鹿にしていた貴族連中はやっぱり馬鹿だった。でもギルフォードだけが違った。あいつは馬鹿な貴族の中で、最もマシな奴だったよ。はじめてちゃんとした貴族を見た気がした。優れた技能と才能を持ちながらも努力を忘れない。はじめて敵わないと、見下せないと思った相手だった」
マクシミリアンの手が、ジュリアの髪の毛に触れる。不快感に肌が粟立つ。
だが静かに語る彼から立ち上る鬼気迫る雰囲気のせいで、指すら動かせなかった。
「そんな貴族らしい男がじっと見ていたのが、ジュリア。お前だった。お前を仇のように睨むくせに、お前が他の男と話して笑うたびに苛立つくせに、ギルフォードのお前を見つめる目には隠せぬ慈しみがあった。泣き出しそうな顔をしていた。お前への興味のはじまりは、そこからだった」
マクシミリアンはその頃を思い出すように、歌うように語る。
「ゼリス公爵家の嫡女。男に一歩も譲らぬ見事な剣の冴え……。どれほど周囲から悪し様に言われようと決して俯かず、前だけを見ている。能力は決して負けぬとは思ったが、その魂の気高さは、影の中で生きすぎた俺にはあまりにも眩しくて……呑み込んでしまいたくなった。この女は死の間際でも気高いままなのか、それともウジ虫のような連中と同じように許しを乞い、憐れみを買おうとするのか。少しでもお前を知りたくて話をしたが、ものの見事に嫌われた」
「あれが知りたくてする行動? ただの侮辱だと思ったわ」
「……許してくれ。人付き合いは得意じゃない。奪うことしか知らなかった人生だったから。拒絶されればされるほど、欲しくなる。ストリートでは欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れてきた。あのギルフォードが執着するのならば尚更に」
マクシミリアンは手の中で果物ナイフを弄ぶ。
「俺はもしかしたらジュリア、お前だけじゃなくて、ギルフォードにも執着していたのかもな。愛とは言わないが、情があった。今となってはそう思う。ギルフォードが死んだ以上、ジュリア、お前には俺しかいないさ」
「ありえない!」
マクシミリアンは薄ら笑いをみせる。
喉を斬り裂こうとしていたらうまくいっていたのか。
そう考えてかけ、内心で、否と思う。
魔導士ではないが、ギルフォードと長く一緒にいたことで、ジュリアは魔力の残滓を多少ながら感じとれた。
きっとあそこで刃を動かそうものなら、腕の一本も吹き飛ばされていただろう。
今も肌に絡みついてくる魔力の気配がまるでマクシミリアンの執着の証のように思え、不快感さを振り切るように立ち上がった。
「皇帝陛下にお会いしたいわ」
「どうして」
「私はあなたの臣下ではなく、陛下の臣よ。その無事を一目、確かめたい」
「構わない」
呆気なく許しが出たことに驚くが、顔には出さぬよう奥歯を噛みしめる。
両陛下、そして皇太子の無事を確認するのは最も大切なことだ。もしジュリアが行動起こして皇族に危険が及んではこの国は立ちゆかなくなる。
今のマクシミリアンは冷静さとはほど遠い、まるで刃の上を歩いているかのように危なっかしい。
謁見の間で侯爵を殺しそうになったのと同じく、相手が皇帝だろうと容赦ない行動に出るだろう。
「だが、皇族にはもう何の価値もない。できれば、俺に忠誠を誓って欲しいな。ま、考えておいてくれ」
マクシミリアンは気怠く笑い、部屋を出ていった。
監視についている魔導士たちからは終始、敵意を向けられていた。
どうやらこの皇宮で、ジュリアを歓迎しているのはマクシミリアンだけらしい。
すでに日は落ちている。
ギルフォードが暴走せず、冷静に状況を判断してくれていることを祈るばかり。
世話を務めるためにあてがわれた侍女が紅茶を淹れてくれる。
「陛下たちはどこにいるの?」
「……シャメラン宮にございます」
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「本宮の東にございます」
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問題はどのタイミングで行動を起こすか。
ギルフォードによると魔力の回復は一両日、と言っていた。つまりもうすでに回復している可能性が高い。今ごろ帝都を窺っているはず。
その時、扉が開いた。マクシミリアンだった。
鍛えられた体躯の上に、金の縁取りをほどこしたローブを羽織っている。
非常に無防備だが、相手は魔導士。無防備に見えているだけだ。
「みな、下がれ」
侍女や魔導士たちは頭を下げて、部屋を出ていく。
ジュリアはバルコニーから部屋に戻った。
「ジュリア。気分はどうだ?」
「……軟禁されていいと答えるとでも?」
マクシミリアンは粘り着くような笑みを浮かべた。
「その嫌悪に満ちた表情。それは俺だけに見せる顔、だよな。ギルフォードにもきっと見せたことはないんだろう」
「来ないで」
しかしマクシミリアンは構わず近づいてくる。
ジュリアはバランスを崩し、ソファーに仰向けに倒れ込んでしまう。マクシミリアンが覆い被さってきた。どれほど不愉快でも目を反らすことだけはするまいと、睨み付けた。
「ギルフォードはどうやって死んだ?」
「なんでそんなことを話さなきゃ」
「知りたいからだ」
ごくり、と唾を飲み込む。
――まさか疑ってる?
話すべきか、話さざるべきか。
「……あなたには絶対に話さない。あなたたちのせいでギルは死んだ!」
普段の自分ならそう答えるべきだと判断したのだ。
マクシミリアンは喉の奥でくつくつと笑う。
「……哀れなものだな。あれだけの実力を持った魔術師は戦場で死ぬと思っていたが」
「そんな無防備な格好で私のところに来るなんて、死にに来たの?」
「やってみろ」
マクシミリアンが懐から取り出したナイフをジュリアに握らせ、自分の喉笛にあてがわせる。
「! な、にを……」
皮膚がす少し切れて、血が垂れた。ジュリアはナイフを放り出そうとするが、マクシミリアンが自分の手を重ねてナイフを握ることを強いた。
それでもジュリアがナイフの刃を喉に食い込ませないことに気付いたのか、マクシミリアンは手から力を抜く。今度こそナイフが床に落ちる。
「これが君の素敵なところだ。すぐそこに仇がいて、首を差し出しているのに、君の中に矜持がそれを許さない。そういう愚かしいほどに清廉なところが俺は好きなんだ。君ほど美しいものは、俺の世界にはこれまで存在しなかった」
「伯爵家の嫡男の台詞とは思えないわね」
「……俺は、混ざり者だからな」
マクシミリアンの声から感情が消える。
「母親は売春婦。俺の父親、当時の伯爵家の次期当主が手をつけた時は田舎からきたばかりの美しい女だったらしい。すぐに俺を身籠もったが、捨てられた。遊びの付き合いだったのに、母は本気で父を愛した。哀れだな。田舎娘にシンデレラストーリーなんてありえないのに。母は発狂して命を絶ち、俺は裏路地をねぐらにする犯罪者に拾われ、ごみ溜めで生きた。そんな俺の存在を知った父に十歳の時に引き取られた。だから、いかに貴族の世界が虚飾と傲慢、見栄に彩られているか、外からきた俺にはよく分かっていたんだよ」
はじめて知る事実に戸惑う。
マクシミリアンは生粋の貴族。周りも、ジュリアもそうと思って疑ったことがなかった。
「伯爵家の嫡男になった俺は両親の見えないところで、使用人からさげすまれながら生きたよ。魔法に目覚めたのは、十四歳の時。最初に何をしたか分かるか?」
「……想像もしたくない」
「使用人を焼き殺した」
マクシミリアンは感情のない声で呟いた。
「だが、それで得た喜びと充足は一瞬だった。俺の世界はそれまで通り、代わり映えのしない灰色のままで……父に言われるがまま士官学校に入った。馬鹿にしていた貴族連中はやっぱり馬鹿だった。でもギルフォードだけが違った。あいつは馬鹿な貴族の中で、最もマシな奴だったよ。はじめてちゃんとした貴族を見た気がした。優れた技能と才能を持ちながらも努力を忘れない。はじめて敵わないと、見下せないと思った相手だった」
マクシミリアンの手が、ジュリアの髪の毛に触れる。不快感に肌が粟立つ。
だが静かに語る彼から立ち上る鬼気迫る雰囲気のせいで、指すら動かせなかった。
「そんな貴族らしい男がじっと見ていたのが、ジュリア。お前だった。お前を仇のように睨むくせに、お前が他の男と話して笑うたびに苛立つくせに、ギルフォードのお前を見つめる目には隠せぬ慈しみがあった。泣き出しそうな顔をしていた。お前への興味のはじまりは、そこからだった」
マクシミリアンはその頃を思い出すように、歌うように語る。
「ゼリス公爵家の嫡女。男に一歩も譲らぬ見事な剣の冴え……。どれほど周囲から悪し様に言われようと決して俯かず、前だけを見ている。能力は決して負けぬとは思ったが、その魂の気高さは、影の中で生きすぎた俺にはあまりにも眩しくて……呑み込んでしまいたくなった。この女は死の間際でも気高いままなのか、それともウジ虫のような連中と同じように許しを乞い、憐れみを買おうとするのか。少しでもお前を知りたくて話をしたが、ものの見事に嫌われた」
「あれが知りたくてする行動? ただの侮辱だと思ったわ」
「……許してくれ。人付き合いは得意じゃない。奪うことしか知らなかった人生だったから。拒絶されればされるほど、欲しくなる。ストリートでは欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れてきた。あのギルフォードが執着するのならば尚更に」
マクシミリアンは手の中で果物ナイフを弄ぶ。
「俺はもしかしたらジュリア、お前だけじゃなくて、ギルフォードにも執着していたのかもな。愛とは言わないが、情があった。今となってはそう思う。ギルフォードが死んだ以上、ジュリア、お前には俺しかいないさ」
「ありえない!」
マクシミリアンは薄ら笑いをみせる。
喉を斬り裂こうとしていたらうまくいっていたのか。
そう考えてかけ、内心で、否と思う。
魔導士ではないが、ギルフォードと長く一緒にいたことで、ジュリアは魔力の残滓を多少ながら感じとれた。
きっとあそこで刃を動かそうものなら、腕の一本も吹き飛ばされていただろう。
今も肌に絡みついてくる魔力の気配がまるでマクシミリアンの執着の証のように思え、不快感さを振り切るように立ち上がった。
「皇帝陛下にお会いしたいわ」
「どうして」
「私はあなたの臣下ではなく、陛下の臣よ。その無事を一目、確かめたい」
「構わない」
呆気なく許しが出たことに驚くが、顔には出さぬよう奥歯を噛みしめる。
両陛下、そして皇太子の無事を確認するのは最も大切なことだ。もしジュリアが行動起こして皇族に危険が及んではこの国は立ちゆかなくなる。
今のマクシミリアンは冷静さとはほど遠い、まるで刃の上を歩いているかのように危なっかしい。
謁見の間で侯爵を殺しそうになったのと同じく、相手が皇帝だろうと容赦ない行動に出るだろう。
「だが、皇族にはもう何の価値もない。できれば、俺に忠誠を誓って欲しいな。ま、考えておいてくれ」
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