私を嫌っていた冷徹魔導士が魅了の魔法にかかった結果、なぜか私にだけ愛を囁く

魚谷

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28 マッケナン

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 意識が覚醒したジュリアはゲホゲホと咳き込んだ。
 滲んだ涙で視界が揺らぐ。

 ――ぎ、ギルは!?

 まだ半覚醒状態の呆けた頭を必死に動かし、辺りを見回す。そこは洞窟だった。
 しかし濁流に呑み込まれたにもかかわらず、ジュリアの体は乾いていた。
 暗さに目が馴れていけば、すぐそばにギルフォードが横になっているのに気付く。

「ギル!」
「――今はゆっくりさせてあげたほうがいいよ。防御魔法を長時間展開しすぎたせいで、魔力を大きく消耗しているから」
「誰!」

 洞窟の出入り口に立つ人影に、ジュリアは身構えた。
 声の主はフードを目深にかぶっている。

「おっと、落ち着いてよ。僕は君たちの命の恩人だよ? 平和にいこう。君たちがなんで川に落ちたのかは分からないけど、僕は敵じゃない」

 気の抜けるような声で言った男はフードを脱いだ。
 赤毛の短髪に、榛色の瞳。
 背はひょろりと高い。目鼻立ちは整っているが、顔色は青白く不健康そうに見えた。
 よく言えば柔らかい印象、悪く言えば頼りない。

「あなたは……」
「まずは君から名のるべきじゃないかな」
「帝国の将軍、ジュリア・フォン・ゼリス」
「驚いた。君があの英雄かあ。活躍は聞いているよ」

 男は無防備に近づいて来たかと思えば、手を握ってくる。

「いやあ。君は魔導士でもないのに敵軍の真っ直中に突っ込んではバッタバッタと斬り倒すんだろ。素晴らしいよ! 生ける伝説だぁ!」
「は、はあ……」
「――その手を離せ、マッケナン」

 ギルフォードが体を起こせば、マッケナンと呼んだ男と、ジュリアの間に割って入った。「ギル!」
 ジュリアが抱きつくと、ギルフォードは優しく抱き留めてくれた。

「ジュリア、平気か?」
「うん。ギルは? ひどい顔色よ」
「……魔力を消費したせいだ。少し休めば回復する」
「うーん。少しじゃ足りないんじゃないかなぁ」

 ジュリアは、マッケナンを振り返った。

「マッケナンって、今、遊学中だっていう、術式生成の天才のマッケナン大佐……なんですか?」
「いやあ、照れるなぁ! うん、そうそう。それ、僕!」

 子どものように無邪気に笑う。本当に気が抜ける。

「どうしてお前がここにいるんだ」
「僕が君たちを助けたから当然だろ? 帝都へ戻る途中にさ、僕の魔法の気配を感じ取ってみてみたら、ギルフォード、君たち二人が川岸に打ち上げられていたのを見つけたんだ」
「助けてくれてありがとうございます」
「いいんだ。助けたくて助けたわけじゃなくって、どうしてギルフォードが僕の術式をまとっていたのかが聞きたかっただけだから。助けたのはまあ、ついで? 死んだら理由を聞けないからね~♪」

 本当に気が抜ける。マッケナンは奇人タイプの魔導士らしい。

「で、なんでなの。君が僕の術式に興味があるわけないし」
「……それは後で教える」
「え~」
「黙れ」
「チェッ」

 マッケナンはいじけたように唇を尖らせながら、肩をすくめた。

「マッケナン大佐。私たち、マクシミリアンたちに追われてて……。彼らのこと、知りませんか?」
「マクシミリアンなら官僚派の魔導士や軍人たちと一緒にクーデターを起こして、帝都でドンパチしてるみたいだよ」

 ジュリアはマッケナンの言葉に耳を疑った。

「本当ですか!?」
「なんで僕が嘘をつかなきゃいけないの? いやあ、驚いたよぉ。ギルフォードが公国軍の残党を支援したとかで、ギルフォードに同調する勢力が謀反を起こすことを未然に防ぎ、帝都を守る為の必要な措置とか言ってさぁ~」
「いつのことですか」
「三日くらい前」
「……そんなに」
 帝都には両親も、セバスも、パメラもいる。みんな、無事だろうか。
「でも、マッケナンさんは、ギルを助けたってことは……味方なんですか?」
「ん、僕はいつだって中立だよ。政治には興味ないからね。ただ、面倒そうだから帝都に近づくのはやめて、この洞窟に引きこもってるだけ。でも、ギルフォード、謀反騒ぎなんてやるねえ」
「ギルはやってません。冤罪です!」
「ま、僕にはどうでもいいけどさ」

 マッケナンと話していると、なんだか疲れてくる。

「……大佐。あなた、仮にも帝国の人間で、軍人ですよね」
「どの国に生まれるかは僕には決められないし、軍人になったのは他人のお金で術式の研究ができるからだしねぇ。残念ながら、君たちと違って愛国心なんて欠片もないんだ、僕は」

 頭が痛くなってくる。

「ジュリア。こいつとまともに話そうと思うな。無駄だ」

 ギルフォードは立ち上がろうとするが、本調子でないせいか、すぐに右膝をつく。

「ギル、無理をしないでっ」

 ジュリアは寄り添うようにして支える。

「そういう訳にもいかないだろう。てあのクソマクシミリアンの好きなようにさせてたまるか……っ。殿下の身にいつ危険が及ぶかも分からないんだ……」

 とはいえ、今のギルフォードではとても、マクシミリアンに太刀打ちできないだろう。
 しかしマクシミリアンもギルフォードの勢力の謀反を防ぐためという大義名分をかかげている以上、皇族に危害を加える可能性は低そうだが。
 各都市にいる帝国軍も今の状況では、迂闊に手を出せないだろう。

 ――今のところ自由に動けるのは、私たちだけっていうこと、ね。

「それで、これからどうするつもり?」
「魔力が回復し次第、テレポートで帝都に潜入する」
「やめときなって。すぐに見つかって集中攻撃されるに決まってる。彼らが君の対策をしていないわけがないだろう。索敵魔法を帝都全域で張り巡らせてるに決まってる。潜入なんて無理だよ」

 マッケナンの言うことは最もだ。マクシミリアンが唯一警戒しているのは、自分と互角かそれ以上の魔法の使い手であるギルフォードのはず。

「なら、私が潜入するわ」
「お前の剣の腕前や身体能力は認める。だが相手は魔導士。魔導士の相手は、魔導士にしか務まらない」
「マクシミリアンは私に執着してる。殺される心配はないはずよ」
「散々、追い回されてたのにか?」
「攻撃は、ギルに集中してたでしょ。私を殺すつもりはなかった。まあ、怪我をさせて排除するくらいのことは考えていただろうけど。私なら帝都の内部に潜入し、皇太子殿下たちの無事を確認した上で、機を見計らって騒ぎを起こせる。内部には、私に協力してくれる人たちもいるはず」
「絶対に駄目だ」
「ギル」
「そんな捨て身を、認められると思うか!?」

 冷静沈着なギルフォードが感情を露わにした。

「認める認めないという話じゃないわ。やるか、やらないかよ。私はやる」
「駄目だ、絶対に」

 ギルフォードの目には切実な色がある。ジュリアのことを大切に想ってくれている。だからこそ危険な目には遭わせたくないだろう。だが、恋人の背に隠れて震える弱い女ではいたくない。恋人と肩を並べて共に立ち、共に手を取り合う、対等な立場でいたい。そうでなければ意味がない。

「それは軍人として? それとも恋人としての判断?」
「……それは」
「後者だったとしたら、あなたの言葉を聞くわけにはいかない」

 ジュリアの眼差しから決意を察したギルフォードは、マッケナンに目をやった。

「協力しろ」
「嫌だね。そんなこと。僕は魔導士だけど、君みたいに殺し殺されを生業にしてない。僕はロマンチストな研究者だからね」
「本当にいいのか?」

 ハッ、とマッケナンが馬鹿にしたように鼻で笑う。

「残念だけど、僕は懐柔されたりしない。本当は君たちのことだって助けたくなんかなかったんだ。面倒ごとは勘弁だからね」
「俺にどうしてお前の術式の気配がまとわりついているのか知りたかったら、協力しろ」

 ぐ、とマッケナンが呻く。

「……そ、それは無条件に教えるべじゃないかなぁ。僕が助けなかったら、君たちは死んでいたんだ。君たちは僕にすっっっっごぉぉぉぉぉぉく大きな借りがある。それを盾に僕に協力させようなんてありえないよ? ひどくない?」
「さあな。お前を殺すことだって出来る」
「ち! それはさすがにルール違反じゃないかな!?」

 マッケナンはジュリアの背中に移動すると、小動物のように震える。

「ジュリアから離れろ。クソ眼鏡」

 二人の話を聞いていたジュリアは、「ギル、落ち着いて」と恋人をなだめなてから、マッケナンに目をやる。

「大佐。あなたの研究成果は全部、帝都にあるんですよ。マクシミリアンはそれを利用とするかも……いえ、するでしょうね。それについては何とも思わないんですか?」

 マッケナンの緩んでいた表情筋がひくっと反応する。

「それは……」
「魔導士にとって新しく編み出した術式は芸術作品と聞いたことがあります。あなたの叡智の結晶ではないんですか? それを勝手に芸術の何たるかも知らない三流魔導士に触れられる。それは嫌ではないんですか?」
「うーああああああ! それ以上は、やめてくれええええええ!」

 マッケナンは髪を掻き毟りながら絶叫する。
 ジュリアはにこりと微笑んだ。

「私たちに協力する理由、できましたね」
「ぐっ。将軍、君は脳筋だという噂だったけど、なかなか人の心を掴むじゃないか。ギルフォードと同じくらい腹が立つ……」

 ギルフォードは口の端を持ち上げた。

「いい女だろ」

 ギルフォードの言葉に少し頬を染めたジュリアは咳払いをする。

「で、協力したとして何をすれば? 僕は戦いはゴメンだ」
「魔法を使ってくれ。もしもの時に、ジュリアを助けられるような魔法。便利なもんをいくつか持ってるだろう」
「……ふむ。そうか。なら、実験に付き合ってくれ」
「こいつをマウス扱いするのか」
「将軍、ちょっとギルフォードをなだめてくれよぉ」
「ギル。あなたがマッケナンさんにお願いしたのよ。私なら構わない。敵地に行くんだもの。準備をするに越したことはない」
「決まりだね!」
「……こいつにもしものことがあったら、お前を八つ裂きにするからな」

 マッケナンは肩をすくめる。

「ついてきて」

 ギルフォードに肩を貸し、一緒に洞窟の奥へ向かうと簡素な工房があった。そして、いくつもの巻物が置かれている。

「たくさんの術式を開発してきたけど、なかなか人に試せなくて困ってたんだ。倫理的な問題とか実験体の健康状況とかどーでもいいことに、軍のお偉いさんたちは敏感になったりするからねえ」
「大佐、それはぜんぜんどうでもいいことではありません。一応、言っておきめすけど」
「将軍は若いのに四角四面だね。将来、小じわだらけになるよ?」
「……私が今すぐ八つ裂きにしてやりたい」
「だろ?」
「ま、まあまあ。実験とは言っても試すのは僕の自信作だからね。――物理で魔法を打ち消す術式。聞いてるだけでワクワクするだろ?」

 すごく胡散臭い。しかしマッケナンの術式によって、ギルフォードが魅了に囚われたことを考えると馬鹿にはできない。効果はお墨付きのはず。

「ま、打ち消すと言っても超人になるわけじゃないよ。タネは簡単なんだ。即席の防御魔法を体に張り巡らせる。だから実際、魔法を物理の力で粉砕するわけじゃない。防御魔法で打ち消すのがまるで魔法を物理で粉砕しているように見える、というだけだからねえ。これはマウスじゃ試せない。もちろん将軍が武器を持てばそれにも影響はでる。ただどこまで耐久力があるかは分からない。副作用も未知数。どう?」
「分かりました」
「ジュリア……」

 想いが通じ合ってからギルフォードは本当に過保護になっている。それは嬉しいけど、今の状況ではありがたいとは言えない。

「私を信じて。それができないなら、私たちはこれ以上、一緒に歩めない」
「……くそ」

 ギルフォードは苦々しい顔で頷く。
 マッケナンは巻物をとくと、呪文を口にする。術式が反応し、青白い粒子となってジュリアに降り注ぐ。温かいものが体に浸透していく。

「準備完了」
「これだけなんえすか?」
「完璧に作用してる」

 体を点検してみるが、前と変わった気はしない。

「ジュリア。マクシミリアンがお前に執着していても、馬鹿じゃない。お前がいきなりのこのこやってきたのを、無警戒に受け入れることはないだろう。それはどうするつもりだ?」

 もちろんそれに対する策も考えてある。
 マクシミリアンにはジュリアが冷静さをなくし、無謀な真似をしにきたと思わせなければならない。
 自信家な人間は自分こそあらゆる事象を俯瞰し、完璧に掌握していると思い込む。

 マクシミリアンも優れた魔導士かもしれないが、人間だ。
 あの男が、自惚れを克服しているとも思えない。

「ギル。あなたには死んでもらう」

 ギルフォードの目が大きく見開かれた。
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