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羌鸞果
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羌鸞果《きょうらんか》は皇帝より部屋を賜り、後宮にいた。
後宮は皇城における最深部にある。といっても大きな家屋敷がでんと一つある、というわけではなく、大きく二つの領域に分けられる。
まず一つが皇后の住まう椒房殿《しゅくぼうでん》。
次が側室にあたる妃嬪が住む掖庭殿《えきていでん》。
鸞果が与えられたのは、掖庭殿にある屋敷の一つだ。
今の皇帝・霍英麟には皇后や側室がいないので、後宮にいるのは鸞果だけというわけである。もちろん、鸞果が英麟の側室になったわけでなく、羌大将軍の妹を女官たちの一人として扱うわけにもいかないという配慮であった。
鸞果は皇帝に拝謁してわずか数刻のうちに十数人の宦官と女官を召し使う立場になったのである。
鸞果は与えられた屋敷の一室で女官たちを前に、箏を奏でていた。
英麟の目の前では、手元が狂ってしまったことが悔やまれる、見事な演奏を聞かせた。
「さすがは、鸞果様ですわ。とてもお美しい音色ですわ」
「まったくまったく」
世辞でも褒められて悪い気はしない。
「ありがとう」
鸞果が口元をほころばせて言えば、生来、紅を差さずとも色づく唇は、まるで蕾が花開くかのようで、一層女官たちをほれぼれさせる。
「それにしても陛下は一体どうされたのしからねえ」
「本当に……。急に様子がおかしくなられて……」
「ご機嫌を悪くされた、というわけではないように見受けましたわ」
女官たちが囁きを交わすとおり英麟はおかしかった。
涙を流しながらそれに気づかず呆然としたような態度。
想うところがあるとするならば後宮の中にすまう、もう一人の女性のこと……。
「――晶蒼花という人は箏《こと》がお上手でしたの?」
話し声がぴたりとやんだ。
皆、窺うような眼差しになる。後宮に住まう貴人の機嫌を損なえばたちまち放逐されてしまう、女官たちは敏感なのだ。
今、鸞果には何の身分もないが、羌士忠がわざわざ妹を皇帝に近侍させる理由は一目瞭然だ。後宮に部屋を与えたのも英麟が士忠の顔を立てたということになる。
鸞果はもう一度、愛らしい微笑をたたえ、
「大丈夫。ただの質問よ」
「……確かに、箏をよく、皇太后様や陛下の御前で弾かれたことはありましたわ」
一人の女官がぽつりと言った。
「腕前はどうだったの? 陛下が聞き惚れてしまうほどに見事な腕前だったの?」
「いえいえ。それがめちゃくちゃで……。譜をまったく無視して、あきれ果ててしまいました。でしたのに、皇太后様や陛下は愉しそうに……」
そこまで言って、余計なことを言ったと女官ははっとしたように口を継ぐんだ。
もちろん、鸞果は虫も殺さぬ笑みで応えた。
「教えてくれてありがとう」
女官の顔を見る限り、世辞ではないようで、本人は本音を言っているようだ。
「鸞果様、別の曲を聴かせてはもらえませんか?」
空気を察したように中年の女官が言った。
「いいわ。では次は……そうね、月にまつわる曲を……」
すると、曲を奏でるうち、一人の女官が袖で目元を隠し、肩を震わせる。
「どうかしたの?」
「い、いえ……」
女官は顔を覆いながらゆるゆると首を横に振った。
「いいのよ。ね、どうして泣いているの?」
「……っ」
しかし当の女官は嗚咽がとまらず、なかなか話せないようだった。
「――延は、郷土に仕送りをしているんです。今の曲は、私どもの故郷でもよく聞かれていたもので」
泣いている女官の隣にいた女官が、桑延《そうえん》の背を撫でながら代弁した。どうやら二人は同郷の出らしい。
「そうだったの」
「も、申し訳……ございません……っ」
「いいのよ。そう、仕送りをしながら。それは大変ね」
「この子の父親は病気がちで……それで」
その時、宦官がしずしずと入ってくるや、鸞果の耳元に囁く。
「分かったわ、ありがとう。――みんな、申し訳ないけれど下がってくれる? 少し一人になりたいわ」
女官たちは畏まりましたと、部屋を出て行った。
「……そう、陛下は、あの娘のところへ行かれたの」
ぽつりと独りごちる。
この後宮にいる宦官や女官の多くが、大将軍の妹である鸞果に半ば忠誠を誓い、目となり耳となっていた。
陛下の動きはすぐに届けられる。
しかしそれでも鸞果はうっすらと笑みをたたえていた。
後宮は皇城における最深部にある。といっても大きな家屋敷がでんと一つある、というわけではなく、大きく二つの領域に分けられる。
まず一つが皇后の住まう椒房殿《しゅくぼうでん》。
次が側室にあたる妃嬪が住む掖庭殿《えきていでん》。
鸞果が与えられたのは、掖庭殿にある屋敷の一つだ。
今の皇帝・霍英麟には皇后や側室がいないので、後宮にいるのは鸞果だけというわけである。もちろん、鸞果が英麟の側室になったわけでなく、羌大将軍の妹を女官たちの一人として扱うわけにもいかないという配慮であった。
鸞果は皇帝に拝謁してわずか数刻のうちに十数人の宦官と女官を召し使う立場になったのである。
鸞果は与えられた屋敷の一室で女官たちを前に、箏を奏でていた。
英麟の目の前では、手元が狂ってしまったことが悔やまれる、見事な演奏を聞かせた。
「さすがは、鸞果様ですわ。とてもお美しい音色ですわ」
「まったくまったく」
世辞でも褒められて悪い気はしない。
「ありがとう」
鸞果が口元をほころばせて言えば、生来、紅を差さずとも色づく唇は、まるで蕾が花開くかのようで、一層女官たちをほれぼれさせる。
「それにしても陛下は一体どうされたのしからねえ」
「本当に……。急に様子がおかしくなられて……」
「ご機嫌を悪くされた、というわけではないように見受けましたわ」
女官たちが囁きを交わすとおり英麟はおかしかった。
涙を流しながらそれに気づかず呆然としたような態度。
想うところがあるとするならば後宮の中にすまう、もう一人の女性のこと……。
「――晶蒼花という人は箏《こと》がお上手でしたの?」
話し声がぴたりとやんだ。
皆、窺うような眼差しになる。後宮に住まう貴人の機嫌を損なえばたちまち放逐されてしまう、女官たちは敏感なのだ。
今、鸞果には何の身分もないが、羌士忠がわざわざ妹を皇帝に近侍させる理由は一目瞭然だ。後宮に部屋を与えたのも英麟が士忠の顔を立てたということになる。
鸞果はもう一度、愛らしい微笑をたたえ、
「大丈夫。ただの質問よ」
「……確かに、箏をよく、皇太后様や陛下の御前で弾かれたことはありましたわ」
一人の女官がぽつりと言った。
「腕前はどうだったの? 陛下が聞き惚れてしまうほどに見事な腕前だったの?」
「いえいえ。それがめちゃくちゃで……。譜をまったく無視して、あきれ果ててしまいました。でしたのに、皇太后様や陛下は愉しそうに……」
そこまで言って、余計なことを言ったと女官ははっとしたように口を継ぐんだ。
もちろん、鸞果は虫も殺さぬ笑みで応えた。
「教えてくれてありがとう」
女官の顔を見る限り、世辞ではないようで、本人は本音を言っているようだ。
「鸞果様、別の曲を聴かせてはもらえませんか?」
空気を察したように中年の女官が言った。
「いいわ。では次は……そうね、月にまつわる曲を……」
すると、曲を奏でるうち、一人の女官が袖で目元を隠し、肩を震わせる。
「どうかしたの?」
「い、いえ……」
女官は顔を覆いながらゆるゆると首を横に振った。
「いいのよ。ね、どうして泣いているの?」
「……っ」
しかし当の女官は嗚咽がとまらず、なかなか話せないようだった。
「――延は、郷土に仕送りをしているんです。今の曲は、私どもの故郷でもよく聞かれていたもので」
泣いている女官の隣にいた女官が、桑延《そうえん》の背を撫でながら代弁した。どうやら二人は同郷の出らしい。
「そうだったの」
「も、申し訳……ございません……っ」
「いいのよ。そう、仕送りをしながら。それは大変ね」
「この子の父親は病気がちで……それで」
その時、宦官がしずしずと入ってくるや、鸞果の耳元に囁く。
「分かったわ、ありがとう。――みんな、申し訳ないけれど下がってくれる? 少し一人になりたいわ」
女官たちは畏まりましたと、部屋を出て行った。
「……そう、陛下は、あの娘のところへ行かれたの」
ぽつりと独りごちる。
この後宮にいる宦官や女官の多くが、大将軍の妹である鸞果に半ば忠誠を誓い、目となり耳となっていた。
陛下の動きはすぐに届けられる。
しかしそれでも鸞果はうっすらと笑みをたたえていた。
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