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馬のいななきと金属同士が掠れる物々しい音に、蒼花は起飛び起きた。
月が雲で隠れているのか、明かり取りから差し込む月明かりはほとんどない。
だから不意に扉が開けられ、とびこんできた松明の光に、目がつぶれてしまいそうな衝撃を覚えてしまう。
「……鸞果、様……?」
ようやく目が馴れて来たかと思うと、目の前には二人の松明をかかげた兵士に挟まれた鸞果が微笑をたたえながらたたずんでいた。
「何が、あったのですか」
「謀反、でございます」
「だ、誰が」
「兄上が、ですわ」
「兄上……羌大将軍が……っ!?」
身を乗り出そうとすると、兵士たちが剣の柄に手をかける。
冷や汗が背中をつっとすべりおちていく。
「……私を、殺しに来たのですか」
「いいえ。こんな場所に閉じ込められては、何も知らなくて可愛そうだと思いまして」
「陛下は、無事なんですか」
「ご安心を。最初から陛下を弑するつもりはございませんから。今はただご報告までと思い参ったのでございます。――では」
袖を振り、去っていこうとする。
「――鸞果殿、陛下に鉾を向けるは、大逆です。ただでは、すみませんよっ」
去りゆく鸞果の背中に言葉をぶつけると、ゆっくりと振り返った。
そこに浮かぶ、目の中の昏い光に、鳥肌が立つ。
ふりかえったその顔にあらゆる感情が練り込まれ、底のない表情というべきか。
「……最初に手を出したのは、あちらよ」
そううそぶくと、兵士を従え出て行ってしまう。
(謀反……)
とにかく英麟の身のことばかり考えてしまい、どれほど考えてもここから出られない我が身の無力さが悔しかった。
※
英麟は宣室殿の自室で軟禁されていた。
身の回りの世話をする侍中はつけられているものの、常に兵士たちの監視の目がつきまとう。
羌士忠の謀反騒ぎから数刻、すっかり夜は明け、昼近く。
「陛下」
慇懃《いんぎん》に、士忠が姿を見せると、
「気持ちよくお休みになられましたか」
英麟の目の下に隈の色濃いのを見ながら言う。
ここで驕り高ぶった笑みの一つでも見せれば憎しみも燃え上がるが、その顔にあるのは生真面目な表情だけ。まるで生真面目に己の仕事を粛々おこなっていると言わんばかり。
「いいや」
英麟は士忠を睨みつけ、
「……俺を殺しに来たのか。皇帝になるために」
吐き捨てる。
「いいえ。私はそんな怪物になるつもりはない。私はたとえどんなことになろうとも、人でありたい。だから、あなたは皇帝のままだ」
「ならば、何が目的なんだっ」
睨《にら》みつけ続けると、士忠ははじめて表情らしい表情をみせた。ふっと笑ったのだ。
「……あなたは幸せものだ。あなたは芳皇太后を憎悪しながらその人の遺産の上に無自覚に胡座を掻いて、一応の平和を享受した。しかしあなたはまるで自分がその平和を作り上げたかのように国の基を壊そうとしている。私のようなものを厚遇することで……」
「お前は、母の一族だ。だからっ……」
「……そう。あなたの母と兄妹だったために、私の父、そしてその伴侶というだけで母は殺された。芳皇太后に」
「な、に……?」
予想外の告白に、英麟はすぐに言葉を紡げない。
「一年前。急に家に兵士が押し入った。その時、私と妹は作物の収穫のために家を空けていたから、無事ですんだ。家は燃やされ、奴隷まで悉く殺された。私は妹の手をとり、逃げ出せた。あの時の焦げ臭さは今でも忘れられない……」
士忠の目にともった憤りの火が揺れる。
「あなたが、私たちのことをなかなか見つけ出せなかったのは当然だ。我々は追っ手から身を隠していたんだから。やがて私はあなたが私たちを捜していることを知り、名乗り出た。それは賭けで、まず私が名乗り出た。私たちを捜しているのが罠でないことを知り、鸞果を呼び寄せた。宮廷に入ってから私は八方手をつくし両親を殺すよう命じたのが、芳皇太后だと知った」
そんなことは初耳だったが、一年前の芳皇太后の状況からすれば、どんなことをやってもおかしくはない。
「この手で皺首を獲れなかったのはじつに無念だが、よくよく考えてみた。そして、特定の個人への復讐など意味ないことに思い至った。全ては叔母が皇帝に見初められてしまった……この国のくだらない権力者に目をつけられたからこそ起きてしまった悲劇なのだと……」
士忠の握りしめられた拳は小刻みに震えていた。
「芳皇太后が羌美人と同じように私の両親を殺したのは嫉妬だろう。芳皇太后は正妻でありながら皇太子を産めなかった自分を棚に上げ、宮廷にあがってから間もなく簡単に皇太子を生んだ叔母……ひいては、羌一族が許せなかったんだ」
「……それで、謀反か? だが、それほどこの国を憎みながら皇帝を生かす理由はなんだ。俺はこの国のいただきにたつ、象徴だ」
「だから、ですよ。あなたを殺したところで諸侯に封じられた一族の誰かがとってかわるだけだ。それでは何の意味もない。だからこそあなたを生かす。この国の根っこを腐らせるために」
士忠は書類を差し出してくる。
「これに、玉璽を」
それは法案のようだった。一瞥《いちべつ》するなり、英麟は突っ返す。
「これはなんだ。辺境警備の徴兵の増加に、専売の品数の増加、新税の設立……こんなもの、民が耐えられるはずがないッ」
「それでいいんですよ。民の怒りを煽り、この国の命数を極限まで削る。理想は民のだれかがあなたの首をとるために、京師まで押し寄せるほどくらいですね」
「こんなものを容認できるはずがない」
「これまで全て臣下の提案を鵜呑みにしてきた。それと同じです」
「とにかく、こんなめちゃくちゃなことを承認できるわけがない。確かに俺はどうしようもない皇帝かもしれないが、こんなものは到底、認められない!」
「……晶蒼花のことですが」
はっとして顔をあげた。
「あいつに手をだしたのか!? あいつは、俺とは何にも関係ないっ!」
感情を爆発させても士忠は涼しいまま受け流す。
「関係ない? 陛下のお気に入りではありませんか」
「違う。あいつは、そんなものじゃない。俺は、あいつを、あの暗い部屋に閉じ込め、嬲り続けた……あれは、ただの玩具だ」
「どうでも構いません。大切な人であろうと玩具であろう。あなたが執着していることに変わりない――陛下、よくよくお考えを」
士忠は冷静に、あらためて書類を突き出してきた。
(蒼花……)
士忠が去ったあと英麟は何もすることのできない己の無力さに、うなだれることしかできなかった。
月が雲で隠れているのか、明かり取りから差し込む月明かりはほとんどない。
だから不意に扉が開けられ、とびこんできた松明の光に、目がつぶれてしまいそうな衝撃を覚えてしまう。
「……鸞果、様……?」
ようやく目が馴れて来たかと思うと、目の前には二人の松明をかかげた兵士に挟まれた鸞果が微笑をたたえながらたたずんでいた。
「何が、あったのですか」
「謀反、でございます」
「だ、誰が」
「兄上が、ですわ」
「兄上……羌大将軍が……っ!?」
身を乗り出そうとすると、兵士たちが剣の柄に手をかける。
冷や汗が背中をつっとすべりおちていく。
「……私を、殺しに来たのですか」
「いいえ。こんな場所に閉じ込められては、何も知らなくて可愛そうだと思いまして」
「陛下は、無事なんですか」
「ご安心を。最初から陛下を弑するつもりはございませんから。今はただご報告までと思い参ったのでございます。――では」
袖を振り、去っていこうとする。
「――鸞果殿、陛下に鉾を向けるは、大逆です。ただでは、すみませんよっ」
去りゆく鸞果の背中に言葉をぶつけると、ゆっくりと振り返った。
そこに浮かぶ、目の中の昏い光に、鳥肌が立つ。
ふりかえったその顔にあらゆる感情が練り込まれ、底のない表情というべきか。
「……最初に手を出したのは、あちらよ」
そううそぶくと、兵士を従え出て行ってしまう。
(謀反……)
とにかく英麟の身のことばかり考えてしまい、どれほど考えてもここから出られない我が身の無力さが悔しかった。
※
英麟は宣室殿の自室で軟禁されていた。
身の回りの世話をする侍中はつけられているものの、常に兵士たちの監視の目がつきまとう。
羌士忠の謀反騒ぎから数刻、すっかり夜は明け、昼近く。
「陛下」
慇懃《いんぎん》に、士忠が姿を見せると、
「気持ちよくお休みになられましたか」
英麟の目の下に隈の色濃いのを見ながら言う。
ここで驕り高ぶった笑みの一つでも見せれば憎しみも燃え上がるが、その顔にあるのは生真面目な表情だけ。まるで生真面目に己の仕事を粛々おこなっていると言わんばかり。
「いいや」
英麟は士忠を睨みつけ、
「……俺を殺しに来たのか。皇帝になるために」
吐き捨てる。
「いいえ。私はそんな怪物になるつもりはない。私はたとえどんなことになろうとも、人でありたい。だから、あなたは皇帝のままだ」
「ならば、何が目的なんだっ」
睨《にら》みつけ続けると、士忠ははじめて表情らしい表情をみせた。ふっと笑ったのだ。
「……あなたは幸せものだ。あなたは芳皇太后を憎悪しながらその人の遺産の上に無自覚に胡座を掻いて、一応の平和を享受した。しかしあなたはまるで自分がその平和を作り上げたかのように国の基を壊そうとしている。私のようなものを厚遇することで……」
「お前は、母の一族だ。だからっ……」
「……そう。あなたの母と兄妹だったために、私の父、そしてその伴侶というだけで母は殺された。芳皇太后に」
「な、に……?」
予想外の告白に、英麟はすぐに言葉を紡げない。
「一年前。急に家に兵士が押し入った。その時、私と妹は作物の収穫のために家を空けていたから、無事ですんだ。家は燃やされ、奴隷まで悉く殺された。私は妹の手をとり、逃げ出せた。あの時の焦げ臭さは今でも忘れられない……」
士忠の目にともった憤りの火が揺れる。
「あなたが、私たちのことをなかなか見つけ出せなかったのは当然だ。我々は追っ手から身を隠していたんだから。やがて私はあなたが私たちを捜していることを知り、名乗り出た。それは賭けで、まず私が名乗り出た。私たちを捜しているのが罠でないことを知り、鸞果を呼び寄せた。宮廷に入ってから私は八方手をつくし両親を殺すよう命じたのが、芳皇太后だと知った」
そんなことは初耳だったが、一年前の芳皇太后の状況からすれば、どんなことをやってもおかしくはない。
「この手で皺首を獲れなかったのはじつに無念だが、よくよく考えてみた。そして、特定の個人への復讐など意味ないことに思い至った。全ては叔母が皇帝に見初められてしまった……この国のくだらない権力者に目をつけられたからこそ起きてしまった悲劇なのだと……」
士忠の握りしめられた拳は小刻みに震えていた。
「芳皇太后が羌美人と同じように私の両親を殺したのは嫉妬だろう。芳皇太后は正妻でありながら皇太子を産めなかった自分を棚に上げ、宮廷にあがってから間もなく簡単に皇太子を生んだ叔母……ひいては、羌一族が許せなかったんだ」
「……それで、謀反か? だが、それほどこの国を憎みながら皇帝を生かす理由はなんだ。俺はこの国のいただきにたつ、象徴だ」
「だから、ですよ。あなたを殺したところで諸侯に封じられた一族の誰かがとってかわるだけだ。それでは何の意味もない。だからこそあなたを生かす。この国の根っこを腐らせるために」
士忠は書類を差し出してくる。
「これに、玉璽を」
それは法案のようだった。一瞥《いちべつ》するなり、英麟は突っ返す。
「これはなんだ。辺境警備の徴兵の増加に、専売の品数の増加、新税の設立……こんなもの、民が耐えられるはずがないッ」
「それでいいんですよ。民の怒りを煽り、この国の命数を極限まで削る。理想は民のだれかがあなたの首をとるために、京師まで押し寄せるほどくらいですね」
「こんなものを容認できるはずがない」
「これまで全て臣下の提案を鵜呑みにしてきた。それと同じです」
「とにかく、こんなめちゃくちゃなことを承認できるわけがない。確かに俺はどうしようもない皇帝かもしれないが、こんなものは到底、認められない!」
「……晶蒼花のことですが」
はっとして顔をあげた。
「あいつに手をだしたのか!? あいつは、俺とは何にも関係ないっ!」
感情を爆発させても士忠は涼しいまま受け流す。
「関係ない? 陛下のお気に入りではありませんか」
「違う。あいつは、そんなものじゃない。俺は、あいつを、あの暗い部屋に閉じ込め、嬲り続けた……あれは、ただの玩具だ」
「どうでも構いません。大切な人であろうと玩具であろう。あなたが執着していることに変わりない――陛下、よくよくお考えを」
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