ある復讐とその後の人生

来栖瑠樺

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第3章

琉斗の過去→10歳

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 お昼ご飯を食べ終えた私達は、海の家を出た。
「よーし!泳ぐぞ!」
「「・・・」」
張り切っている真理奈と正反対に、冷静な様子で眺めている琉斗と私。
「え、なに2人のその目」
怪訝な顔で、私達を見てくる。
「いや、別に」
「気をつけて、泳いでこいよ」
「分かった」
真理奈は、元気よく海に入っていった。
「琉斗」
「なんだ」
「あれは泳ぐと言うより、浮かんでくるの方が合っているんじゃないの?」
「それ、真理奈の前で言うなよ。怒るから」
私達が、そんな会話をしてるとは知らずに、はしゃぐ真理奈。浮き輪を付けている状態で。
私達は、シートの上に座り、はしゃぐ真理奈を眺めていた。

 しばらくしてから、琉斗が呼ぶので、横を見れば何かを迷っている様子。
「あのさ・・・」
「うん」
「今から言うことを、笑わないで聞いてくれるか?」
「そんなに不安なら、話さない方がいいんじゃない?」
「・・・」
琉斗は、私に話すかどうか迷っているのと同時に、不安なんだ。
「人には、言えないことの一つや二つあるでしょ。言えるけど迷ってるなら、無理に聞いたりしないよ。そんなことしても、お互い良い気がしないもの」
私の言葉を聞いて、意を決した琉斗が口を開く。
「いや、話す。紅音にも知ってもらいたい。俺が、女嫌いになった理由と真理奈を受け入れた理由」
「分かった」
琉斗は、少しづつ過去の話を始めた。

***
 あの出来事は、俺が10歳のときだ。
当時、仲が悪かった両親が別居することになり、俺は母親に引き取られた。
専業主婦だった母は、貯金はあまり多くはない。生活費のために、風俗で働き始めた。
母と2人暮らしを始めて、最初の頃は今まで通り優しかった。
結婚する前は、母も仕事をしてたらしい。でも、再び仕事を始めたのが、未経験の水商売。慣れない仕事にミスをしたり、売上げが伸びないようだった。
俺は、今までの学校も辞めていて、新しい学校には、行かせてもらえなかった。

 その頃からだ。母が変わってしまったのは。
食事はロクに与えられず、服はいつもと同じもの。
水商売を始める前は、綺麗好きな母だったのに、ゴミ出しをしない。溜まりすぎると、ゴミ出しに行かされていた。
 近所の人に会っても、周りは関わりたくなかったんだろう。誰も、手を差し伸べてくれる人なんていない。【見て見ぬふり】は、こう言うことだと痛感した。

 母が、嬉しそうな顔をするときは、男から連絡がくるときだった。電話相手が客なのか、恋人なのかは分からない。いつも派手な化粧と香水をキツいくらい吹きかけ、露出の多い服を着て、ハイヒールの靴を履き、出て行く。
出かける前に、俺は母に問いかけた。
「お母さん・・・お腹空いたよ」
「その辺にあるものを、食べなさい。全くアンタなんていなければ、もっと自由にできるのに。アンタなんて、いなければよかったのに」
冷たい目で、俺を見ながら言われた言葉に、心を抉られる。
そのまま母は出て行き、聞こえてくるのは靴音。次第に遠ざかっていく。
母の出て行ったドアを見つめながら、泣いた。
   「俺は、いらない子なんだ」
今まで仕事だからと言って、数日家を空けることもあった。母親から俺への扱いが酷くなっても、最後にはこの家に帰ってきてくれる。
留守番しているときは、孤独な時間。この辺に、知り合いや友達もいない。
母が、早く帰ってきてくれることを願っていた。朝起きたときに、母の姿を見ると安心する。1人ではないと思っていた。
もしかして、そう思わなければ、この生活に耐えられなかったのかもしれない。

 ある日、物音で起きた。母が、俺が起きるより早く帰宅していた。
俺は目を擦りながら、母に近づく。母は掃除をし、ゴミをまとめていた。いつもと違う行動に戸惑った。
俺に気づいた、母が声をかける。
「ちょうど良かった。起きたなら、片付け手伝って。今日は、お母さんのことを、いつも大切にしてくれる人が来るの。まずは、ゴミ出しに行ってきて」
大切な人?誰だ?父親ではないだろう。
でも、母のあの顔見たことある。母に、電話をかけてくる人なんじゃないか。
【大切な人】と聞いたとき、あの電話のときと、同じだと思った。
聞きたかったけど、母の機嫌を損ねたくない。
そう思って、言われるまま母の手伝いをした。
 掃除は、昼過ぎに終わった。
「琉斗、手伝ってくれてありがとう。琉斗の分のご飯と新しい服と靴を買ってきたの。靴は玄関にあるわ。ご飯はテーブルに置いてあるから。
さあ、疲れたでしょう。先に、お風呂入ってきなさい。お風呂場の近くに、服を置いてあるから。その後ごはんを食べなさい。食べ終わったら、歯磨き忘れないようにね。新しい服を、汚さないようにするのよ」
久しぶりに、呼ばれた自分の名前。そして新しい衣類と、ご飯が用意されてる。
父と過ごしたときの母と、似ている気がした。
いつも、こう言う母だったら、どんなに良いだろう。
化粧台に向かう母の背中を見ながら思った。
俺は、言われた通りに、全てを終わらせた。

   「そろそろかしら」
母は、時計を見ながら呟いた後、俺に新しい厚手のコートを着せ、カイロを渡した。
「どこかに行くの?」
「お母さんとこれから来る人は、どこにも行かないわ。お母さん、その人と大事な話とかあるのよ。子供の琉斗には、まだ聞かせられないわ。だから琉斗はその間、玄関のドアの外にいてほしいの」
耳を疑った。今は、秋から冬に移り変わる時期だ。今は夕方。きっと外にいる時間は、夜も含まれている。いくら暖かい格好しても、凍え死んでしまうのではないかと思った。
「でも、お母さん。今から寒くなるし。そんなときに、外にいたら」
そこで遮るように、母の怒号が耳に響く。
「お母さんの言うことが、聞けないの!?」
振り上げられた母の手。叩かれると思い、反射的に目を瞑った。しかし、痛みはこない。その代わりに、肩に何か置かれる。そっと目を開けると、母は笑顔に変わり、肩に置かれているのは、母の手だった。
「お母さんの言うこと聞けるわよね。琉斗は、いい子だもの」
「うん」
そう言うことしかできなかった。

 それから少しして、インターホンが鳴る。
「さあ、琉斗付いてきなさい。新しい靴を履いて、外で待ってるのるよ」
俺は、母の後を付いていく。
母がドアを開けると、そこにはスーツを着た母より若い男が、笑顔で立っていた。
「さあ、入って」
母に促され、男は家の中に入っていく。そのとき男と目が合ったが、すぐに目を逸らされた。
男が入った後、母は俺の背中に手を添える。
俺は言われた通りに、靴を履いてドアの外に出た。俺が、外に出た瞬間にドアが閉まり、鍵をかける音が聞こえた。
俺は、その場に蹲った。渡されたカイロで暖をとるが、だんだん効力が弱まっていく。寒さ対策で、手に息を吐いたり、ポケットに手を突っ込んだりしていた。
どれくらい時間が経っただろうか。寒さで体が震える。家の中に入りたい。でも、きっと入れてくれない。俺は、早く男が帰ってくれることを願った。
早朝近くにウトウトしていた俺は、ドアが開く音が聞こえ、出て行く男と見送る母の姿が見えた。
母を見上げると、上機嫌な母が声をかけてきた。
   「琉斗、中に入りなさい」
俺は言われた通りに、震えた体で中に入り、ストーブの前に座った。母は、ホットココアを持ってきてくれて渡してくる。
「長い時間、外で待たせて、ごめんなさいね。ココア飲み終わったら、お風呂で、ゆっくり体を温めて寝なさい。
お母さんは、さっきの人と過ごすのが、幸せな時間なの。今後もまた来るから。そのときは、さっきと同じように、外で待っててね。琉斗はいい子だもの。お母さんの言ってること分かるでしょ」
母の言葉に、何か固い物で、頭を打たれた気分だ。
また、あの男が来るのか。寒い夜を過ごさなければならないのか。あと何回耐えなければいいだろうか。
頭の中で、次々に出てくる言葉。でも、それを口に出しては言えなかった。
 母が言った通り、あの男は、何度も母のいるこの家に通った。そのたびに、寒い夜を過ごし、吐く息が白くなる。それでも、ドアが開くまで、入ることができない。いつか凍え死ぬのではないか。
何度もそう思った。

 ある日、朝食を食べ終えた俺に、母が声をかける。
今日も、あの男が来るんだと直感した。
「琉斗。朝食を食べ終えて、歯磨きしたら、今日は公園にいてくる?あの人が、昼頃にやって来るの。お昼ご飯は、この袋にカイロと一緒に入ってるわ。今日は、いつもみたいに長くないから。夕方頃にあの人帰ると思うから。そしたら、迎えに行くわね」
また、1人なのか。でも今日は、いつもみたいに寒い夜を過ごさなくていいんだ。
正直嫌だったが、あの寒い夜に比べればマシだ。
俺は、言われた通りに公園に行き、母の迎えが来るのを待っていた。しかし、夜になっても、母は現れない。
勝手に帰ってきたら怒られる。でも、我慢の限界だった。
 俺は、昼食の入っていた袋を掴み、自分の家に走って帰っていく。
息を切らせながらドアの前に立ち、ノックをする。
「お母さん」
ドアの向こうに、何度呼びかけても返事はない。
まだ、あの男は帰っていないのだろうか。
そう思いながら、ドアノブを回す。鍵は、かかっていなかった。ドアを開け、母の姿を捜す。見つけたのは、寝室だ。
でも、今まで見た母の姿とは、だいぶ変わっていた。母は、首を吊っていた。
「お母さん!!!」
母の元に駆け寄り、母を降ろそうとするが、子供の力では、どうしようもない。
近所の人に言っても、また見て見ぬふりされる。
そのとき、閃いた。警察!警察を呼べばいいのか!
この家の電話は、母の携帯しかない。必死で探すが、見当たらない。
とにかく、知らせないと!
俺は外に出て行き、無我夢中で走った。
交番が、どこにあるか知らない。
「おまわりさーん!」
叫びながら走った。
偶然にも、巡回していた、お巡りさんに出会えた。
「どうした?」
「・・・あ・・・あの」
息切れで上手く喋れない。早く言わないと、いけないのに。
「落ち着きなさい」
お巡りさんは、俺を上から下まで見ると、
「君の家に行こう」
と向こうから言ってくれた。年齢のわりに痩せている俺に、違和感を感じたんだろう。
歩いて行くうちに息切れが治まり、早く家に着くように、お巡りさんを急かす。
自宅に着き、家の中に入ってもらい、母を見たお巡りさんは、母を降ろしてくれた。
「今から、警察の人がたくさんくるから。お父さんは?」
母の首を触り、何かを確かめた、お巡りさんが、俺に問いかける。
「お母さんは・・・?」
「お母さんは・・・遠くに逝ったよ」
「遠くに逝った・・・?」
「うん。お父さんにも、話したいことがあるんだ。ここに帰ってくる?」 
「お父さんとお母さんは、別々に暮らしている。今までの家にいるんじゃないかな?」
「そうか。君の名前は?」
「今井琉斗」
 それから、警察の人が先に来て、何かを行った。
今思えば、現場検証してたんだな。
しばらくして、お父さんが現れた。久しぶりに見る父の姿。特に変わった様子は、なかった。
お父さんは、警察の人と何かを話した後、こちらに駆け寄ってきた。
「琉斗!!!」
その瞬間、父に抱きしめられる。
「すまない。辛い思いをずっとさせてしまった。これからは、お父さんが琉斗を育てる。美味しい物を食べさせるし、洋服やゲームなど欲しいものは、なんでも買ってあげる」
「・・・ねえ・・・お母さんは?」
その言葉を聞いて、父は離れた。
「お母さんは、もういない」
「いない?おまわりさんが、遠くに逝ったって・・・どこに行ったの?」
「遠くに・・そうだね。お巡りさんの言ってることは、合ってるね。でも、お父さんも琉斗も、もう会えないんだよ。お母さんは死んだ」
死んだ・・・?もう会えない?
別居してから、変わってしまった母。それでも、全く優しさがないわけではなかった。
お巡りさんは、母を降ろしたときに、死んでいることに気づいていたんだ。
でも、直接的には言わなかった。当時小さい俺のために。
自然と涙が溢れた。もう母はいない。酷い目に合っても、いつか元の母に戻ってくれる。どこかで、期待していたのかもしれない。

   「すみません。息子さんにも、お話を伺いたいんですが・・・」
警察の人が、気まずそうに声をかけてきた。
「申し訳ないですが、後日にしてもらえませんか。息子はショックが大きくて、聞かれたことに話せるとは、思えません」
父の言う通りだ。質問されることに、話せる状態ではなかった。
 後日、警察の人が自宅に来て、色々と質問された。そのときに自分は、母から虐待されていたことを知った。
その間、隣に父がいて、自分の手を握ってくれる。
今は、今まで家族3人で住んでいた家にいる。父は、以前より一緒に過ごすようになった。父がいない日は、祖父が面倒を見てくれた。
 警察の調査で母は、結婚詐欺の被害者だった。その後、犯人が捕まったことが分かった。母は、騙されたことに気づき、自殺したとのことだ。

 今まで、この家で暮らしてた母の顔と、別居してから、色んな面を見せていた母。
どれが、本当の母の顔なのか・・・。全部なのか・・・分からない。いや、分かりたくないのかもしれない。怖い・・・・・。
それに、母と2人暮らししていたときに、心を抉られる言葉・・・。死んでからも心に突き刺さったまま・・・。
優しい母の言葉も覚えているのに、それよりも心に残る言葉。
母を通じて、女には色んな面がある。女に、嫌悪感を持つようになった。
身内にいる女性。今までの学校に通い始めても、女友達でも、近寄らせないようになった。
女を相手にすると、母と重なってしまうから。
何をきっかけに、変わるか分からないから。
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