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 一日の授業が終わると、すぐに学校を出た。
 帰る前に、卓球部の練習に向かう周馬に「じゃあな」だけを言う。
 家までそう遠くはない。晴れた空を見ながら、歩いて帰る。

 駅前の大型スーパーに客足を取られて、近所の人の好意でしか客が訪れなくなった商店街を抜けたら、家に着く。
 草臥れたアーケードを通るのは慣れたもの。僕はこの商店街が大好きで、スーパーよりもこっち派だった。

 いつも寄っている個人経営のスーパーで、今日の夜ご飯に使う食材を買う。
 ネギとしめじは家になかったからマストで買わないと。あと味噌も残り僅かだったはず。
 今回は信州白味噌にするか。さっぱりとした甘口で、夕星が好きなんだよな。

「今日も弟君に作ってあげるのかい? お、生姜焼きだな?」
「おじさん、買ったもので献立当てないでって、いつも言ってるでしょ?」
「悪いね、つい癖で。美味しいの作ってあげるんだぞ」
「はいよー、また来るからねー」

 毎日持ち歩いているエコバックに、今日使う食材が詰め込まれている。
 決して軽くない食材たちをぶらぶらさせながら、年季の入ったアーケードを抜けた。
 この商店街のアットホームな感じが、僕に合ってるんだよなぁ。
 程なくして、自分の家である、十階建てのマンションに到着した。

「あ! お兄ちゃん! おかえり!」

 マンションの下にあるブランコと砂場しかない小さな公園、通称『ミニ公園』で、夕星はサッカーボールを蹴っていた。
 公園内にある、マンション関係の設備器具が収納されてある小屋の壁に、四号球のボールを蹴り当てている。
 ミニ公園はマンション内に住む小さな子供たちのために作られた公園だ。

「こら、夕星。壁にボール当てたらダメだろ?」
「大丈夫だよー、この小屋の壁、結構丈夫だから」
「物音がうるさいって、近所迷惑になるんだからな。リフティングとかにしなさい」
「……はーい」

 不貞腐れたように頬を膨らまし、俯く。
 ちょっと言い過ぎちゃったかな? ま、お母さんだったら、もっと強く怒っていたはずだ。
 これくらいがちょうどいいだろう。

「夕星、今日のご飯は生姜焼きだぞ? そんな暗い顔してたら、食べさせてあげないからな」
「え! 本当!? やったー! お兄ちゃんの生姜焼き大好きなんだ!」

 夕星はすぐに顔色を変えて、飛び跳ねるようにして喜ぶ。
 我が弟ながら、可愛いやつだな。
 夕星の笑顔を見ていると、こっちまで笑顔になる。
 僕の代わりに、たくさん好きなものを食べて、いっぱいやりたいことをやるんだぞ……と、心の中で伝える。

「もう壁当てもしないよ! だって、リフティングの方が上手くなりたいもん! ほら、お兄ちゃん見て!」
「わかったわかった。もうそろそろ家に入るぞ」
「二十回くらいはリフティングできるようになったんだよ……ほら、ほら、あ!」

 十回くらい蹴り上げた後に、つま先で遠くの方へ飛ばしてしまった。
 恥ずかしさを紛らわすように「あれれぇ」と嘆きながらボールを取りに行く夕星。
 ボールはミニ公園を出て、小道まで行ってしまった。

「気をつけるんだぞ、夕星!」

 僕の声を聞くと、ミニ公園の入り口のところで夕星は立ち止まった。
 そして「ありがとうございます!」という元気な声を腹から出した。ボールが夕星の足元まで転がってくる。
 誰かがボールを取ってくれたんだ……そう思って僕も小道まで行って、頭を下げようとした。

「……あ」

 向こうからこっちまで歩いてくるのは、ツンツンヘアーの厳つい学ラン姿だった。
 あれは……転校生の雷人君……に似ているな?
 い、いや……間違いなく、雷人君だ。

「あ、ありがとう」

 迫力に飲まれて「同じクラスの雷人君だよね?」が言えなかった。弱々しい「ありがとう」だけしか声にできない。
 雷人君は夕星と僕のちょうど間を通って、そのまま僕が住むマンションの中に入っていった。ものすごい覇気だ。

 いや……ちょっと待って。
 もしかして雷人君が引っ越してきたのって、ウチのマンション?
 そういうこと……だよな?

「ねぇお兄ちゃん、今の人、見た目怖いのに優しい人だね」
「え、ええ?」
「だって、僕のサッカーボール、優しく蹴り返してくれたもん!」
「そ、そうだな」

 別に大きな問題でもないけど……何かちょっとだけ、心がサワサワしてきた。
 この後の高校生活に、何か支障をきたすわけではないと思う……けども。
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