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1章 麦味噌の記憶 〜つみれと大根とほんのり生姜〜

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「アキちゃんの家って、お母さんいないんだね! 可哀想~」

 クラスでも浮くような存在になって、それが原因で仲間外れにもされた。
 小学校からの記憶は、ほとんどが嫌な思い出だ。楽しかった思い出なんて、一つでもあっただろうか。
 アキはパッと思い浮かばないくらいに、常に低空飛行で暗く生きていた。
 クラスの子から陰口を言われ、どんどん肥大化していじめられもした。上靴を隠された日のことは今でも忘れられない。あれは中学校の時の嫌な記憶だ。

「私は……人のことが大嫌いで……とにかく人目につかないように、できるだけコミュニケーションを取らないように生きてきました」

 猫神様もサリも、ゆっくり頷いてくれる。
 でも横やりとかは入れてこない。ただ黙って聞いていた。
 アキは黙って聞いてくれるその空間が、何故か温かく感じた。

「だけど、一度だけ温かい経験をしました……」

 それは高校生の時。
 小、中学校と同様に、また一人浮いたような存在になっていた。
 アキは一人で行動したり、友達なんかいなくてもやっていけるような体になっている。
 アキにとってそれが普通だった。
 ところが、アキのことを面白いと言ってくれる人が現れたのだ。

「胡桃、今度家来れば? 母さんも歓迎してくれるから」

 大学進学のため予備対策を受けていた時、前の席の三船 翔みふね しょうと仲良くなった。
 正確にいうと、過去問を一緒に解こうと誘われたのだ。
 学力は低くなかったアキは、初めて人に頼りにされた。それが少しだけ嬉しかった。

 勉強を教えてくれたお礼に……ということもあり、アキは翔の家に招待された。
 そして、翔の母が手料理を振舞ってくれたのだ。

「美味しい……みそ汁なんて、めったに飲まないから」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。翔がアキちゃんに良くしてもらったみたいだから、これくらいはご馳走させて」

 食卓には、豪勢な和食が並んだ。
 肉じゃがや天ぷら、新鮮なお刺身と炊き込みご飯……どれもが絶品だった。
 アキはこれまで食べることが大好きで、それくらいしか生きる価値はないと思っていたほどだ。
 父が料理をしなくなってからというもの、毎日テーブルの上に千円札が置かれていて、それを好きに使って食べてきた。
 でも、人の温もりが感じられる手料理は初めてだった。
 アキは少し、泣きそうになった。
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