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4. 竜種編
竜種の蘇生屋
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謝肉祭二日目の催しも滞りなく進み、僕とアグネスカが何店目かの屋台で串焼きを買っていた時。
足音と共に、しゃらんという金属のこすれる音が、僕の大きな耳に聞こえてきた。そちらを振り向くより早く、僕へと朗らかな声がかけられる。
「あら、坊や? 今日はその姿をしているのね」
「マドレーヌさん?」
振り向けば、そこにいたのはやはりアルドワン王国の使徒、マドレーヌだ。今日もギーを引き連れている。
手の中にはコトレットを乗せた木の皮の皿と、ゴミ袋代わりの麻袋。麻袋が随分膨らんでいるところを見るに、彼女は既に、あちこち回って来たらしい。
早速怪訝な表情で彼女を睨みつけるアグネスカからは目を逸らし、マドレーヌはウサギの獣人の姿をした僕を、舐めるように見回した。
「ふぅん、いいわよ、とても可愛らしくて。坊や、融合士の素質があると聞いていたけれど、その話に偽りはないみたいね」
そう話しながらうっすらと笑うマドレーヌの言い知れぬ迫力に、思わず僕の身体がびくっと竦む。すぐさまに僕の前に立ちはだかったアグネスカが、強い口調で言葉を投げた。
「アルドワンの使徒様、こんな時間にこんな場所で、エリクにどんなご用事ですか」
淡々と、しかし明確に僕を守るように刺々しさをにじませながら。アグネスカが言ってのけるのを見て、マドレーヌは小さく吹き出した。
こみ上げるおかしさを抑えられない様子の彼女に、アグネスカの尻尾がぶわっと膨らむ。明らかに、怒っていた。
「ちょっと、アグネスカ」
「大丈夫よお嬢ちゃん、軽く世間話をしに来ただけ」
僕が慌ててアグネスカの肩に手をかけると同時に、目の端の涙をぬぐいながらマドレーヌが言った。
世間話をしに来ただけ。実際、こんな楽しい祭りの最中だ、真剣な話をしに来る場面でもないだろう。
しかしそれでもまだ、アグネスカの敵愾心を抑えるには至らなかったようで、彼女は眉間にますます深い皺を刻む。それを見て呆れたように、ギーが肩を竦めた。
「そう気を張るな、ラコルデールの巫女。この使徒は誓って、ラコルデールの使徒を揶揄いに来たわけではない」
肩を竦めながらも、柔らかく笑うギー。その言葉に虚を突かれた様子でアグネスカが目を見開くと、マドレーヌは目の前に立つ少女から、背後に立つ自身のパートナーへと視線を移して笑った。
「ほんと、ギーってば、冗談にしてはセンスが悪いわよ。貴方に冗談を言うセンスなんてハナから求めてないけど」
「実直なことが取り柄の俺に、お前のように冗談を言う口があると思うな」
マドレーヌの軽口に、目を細めながら返すギー。そのやり取りは使徒と巫女という明確な上下関係のあるものよりも、対等な雰囲気が強いように思える。
僕が顔を合わせたことのある使徒と巫女は、この二名の他はバタイユのダニエルとラシェルくらいなので、こういうものだ、という実感があんまり湧かないけれど、あの二人も何だかんだ、仲睦まじく会話をしていたように思う。
ギーの返答にため息をつくマドレーヌへと、僕はおずおずと声をかけた。
「あの、マドレーヌさんとギーさんって、使徒と巫女って関係……なんです、よね?」
恐る恐る声をかける僕へと、二人は視線を向けてきて。そのままこくりと、同時に頷いた。
「そうよ、坊や。彼は私の巫女だし、当然私の夫でもあるってわけ」
「年若く、使徒に就任したばかりのラコルデールの二名は致し方ない。しかし、他の国の使徒は大概、巫女と結婚しているわけだ」
ギーの説明に、僕ははーっと息を吐いた。使徒と巫女が仕事上のパートナーであることはよくよく分かっている話だが、公私ともにパートナーであることは、一般的なようだ。
僕が聖域の屋敷に引っ越した当初、リュシールが事あるごとに話していたことを思い出す。
「そうですよね……リュシールも当初、『エリク様はゆくゆくは、アグネスカ様とご結婚なされるんですよ』と話をしていましたし」
「それが今では、アリーチェもいますし、私があまり乗り気じゃないですからね。私はエリクと長く共に過ごしすぎました」
僕の言葉にアグネスカも頷く。実際、アグネスカが僕と結婚する気があまり無いことは、チボー村での仕事の際にも話していたことだ。
僕も、ほとんど生まれた時から一緒にいるアグネスカと、結婚しなさいと今更言われても困る。
顔を合わせて眉尻を下げる僕達に、マドレーヌが面白そうに笑って口を開いた。
「ふーん? まぁ、それならそれでもいいと思うわよ。使徒と神獣も釣り合いは取れているのだもの」
「左様。古くからの慣習に、縛られすぎることは無い」
ギーも、翼を備えた腕を組みながらそう言って頷く。
同じ立場の先輩である彼らにそう言われると、お墨付きを得たような気がして、何となくホッとした。小さく頭を下げつつお礼を言う。
「ありがとうございます……そう言えば、その、マドレーヌさんは、リュシールと、お知り合いのような感じで話していましたけれど……」
謝肉祭前日の顔合わせの際、随分互いを知っている様子で話していたことを思い出しながら話題を変えると、話を振られた彼女はこくりと頷いた。
動かされた手と一緒に、手首のアクセサリーがしゃらりと鳴る。
「そうよ、話していなかったかしら? リュシールと私は、ドラクロワの同期なの」
「この使徒は治癒士学科の第95期入学生だ。ヴァンドの守護者とは、同じ学科で学んだ仲だという」
聞くに、マドレーヌはラコルデール王国コラス領の出身で、王都にあるドラクロワ冒険者養成学校の卒業生とのこと。
リュシールとはそこで一緒に学び、卒業して彼女は冒険者の道に、リュシールは神術学者の道に進んだということだ。
それがこうして、使徒と聖域の守護者として再び顔を合わせることになったわけで。随分と数奇な縁もあったものだと思う。
「へぇ……それは、知りませんでした」
「と言いますか、治癒士だったのですね、アルドワンの使徒様は。インゲ神の使徒ということですから、てっきりもっと、派手なご職業とばかり」
感心する僕の隣で、アグネスカも驚きに目を見張っていた。
確かにマドレーヌの外見は派手だ。全身にアクセサリーを身に着け、服装は露出が多い。呪術士か、魔導士と言った方がイメージに合うだろう。
だが、マドレーヌは逆に驚いた様子で僕達を見てきた。
「あら、私の伝説、坊やたちは知らないかしら? 竜種の蘇生屋って異名、もっと知られているものだと思っていたけれど」
「無理を言うな、ラコルデールとアルドワンの間に、どれだけの距離があると思っている。ましてやラコルデールの使徒はカーン神に仕えているんだぞ」
彼女の発した言葉に、ギーが呆れた様子で言葉を重ねてくる。
ドラゴンリザレクター。随分大仰な異名だが、耳にしたことはない。
「ドラゴンリザレクター?」
「初耳です」
二人して素直にそう告げると、マドレーヌはしなやかな腕を組みながら口元に笑みを浮かべた。
「そう、竜種の蘇生屋。
あれは十年位前だったかしらね。サブレ大公国で、氷龍王イェディエルの滑落事故があったのは知っているかしら?」
マドレーヌの発言に、アグネスカが口をへの字に曲げた。そのまま口元に指を持って行き、思案する表情を見せる。
「そういえば……うっすらと記憶にあります。エリクはその頃、まだ幼かったですから、知らないとは思いますが」
「うん……十年前じゃ、僕は三歳かそこらだもん」
アグネスカの言葉に僕も頷く。十年前くらいでは、どんな話を聞いていたとして覚えていることはないだろう。
三歳、という言葉に、マドレーヌが大きく目を見開いた。
「そんなに小さかったの? じゃあ知らなくても無理はないわね。
アルドワン王国の北、サブレの霊峰モン・ラリュー。大陸でも有数の高い山に棲んでいる氷龍王イェディエルが、頂上付近からだいたい……そうね……約3,000メートル、滑落したの」
「っ……!?」
彼女の説明に、僕は息を飲んだ。
霊峰モン・ラリューと言えば、大陸の中央部、屋台骨とも言うべき高い山だ。その山は常に山頂が雪で覆われており、竜種の頂点に立つ竜王の一頭、氷龍王イェディエルの棲み処であることで知られる。
その竜王が、山頂から滑落したというのか。しかも、3,000メートルに渡って。
心臓が竦み上がるのを感じる僕を見て、マドレーヌが小さく息を吐いた。
「ね? 話を聞くだけで竦み上がってしまうでしょう。
雪の深く積もるモン・ラリューとはいえ、岩が突き出たり木が生えたりしている場所も多いわ。それらを薙ぎ倒すように滑り落ちていったから、山の中腹でようやく止まった時、イェディエルは全身傷だらけでね。骨もあちこち折れていたわ」
「この使徒と俺とが現場に到着した時、イェディエル殿は既に虫の息だった。あの時ばかりは、間に合わないかと思ったほどだ」
マドレーヌの発言に補足するようにギーが言うが、その表情は暗い。当時のことを思い返しているようだが、その表情からもどれだけ重傷だったのかが窺い知れる。
シャツの胸元をぎゅっと握りしめて、僕は口を開いた。
「そんな……それを、回復させたんですか、マドレーヌさんは?」
「瞬間修復に継続治療を重ねがけして、あとは悪性を祓う大気と命は汝が身に宿るも使って、ようやくね。
それでもまぁ、イェディエルがまた動けるようになるまで10分はかかったわよ」
「10分でですか!?」
目を伏せながら話す彼女の言葉に、驚愕の声を上げたのはアグネスカだ。
全身ボロボロで息も絶え絶えの状態から、10分で動けるようになるまで回復させるとは、並大抵ではない。
ましてや相手が巨大な竜種なのだ。通常ならすぐに回復させられる魔法でも、数倍の時間がかかるのは常識だ。
驚きに目を見張って声も出ない僕に、ギーが不敵な笑みを向けた。
「どうだ、この使徒が『回復屋』ではなく『蘇生屋』の異名を取るのも分かるだろう?」
「それなら……そこまで出来るんなら、あの死告竜の厄呪だって、何とか出来るんじゃ」
ギーの言葉に頷いた僕が、呻くように言葉を漏らす。
治癒士は当然のように、解呪についても造詣が深い。使徒となれば猶更だ。ならば僕やアグネスカの力を借りずとも、マドレーヌ一人であの厄呪も何とか出来そうなものだが。
しかし、彼女はゆるゆると首を振った。
「出来たら苦労しないわ。私は傷の治療こそ世界最高クラスだけど、解呪についてはそこまでじゃないから……
そうでなくても、渇望の呪いは厄介なのよ。解呪神術の神力も片っ端から喰らっていくんだから」
目を伏せながら腕を抱いて、マドレーヌは告げる。
解呪の際、用いる神術の神力が呪印に吸われるため、素早く解呪しなくてはならないことは、以前に説明を受けた通りだ。場所が開けていないから神術円も描けない。 解呪しにくいのではなく、難しい。だから難易度が高い、と彼女は言った。
そこまで話して、マドレーヌはしゃがみ込んだ。小柄な僕の両肩に、そっと手を置く。
「だから、坊や。明日に年男が決まって、死告竜の器を移し替える時に、一つも油断しては駄目よ。いいわね?」
「……は、はい」
マドレーヌの真剣な目つきに見つめられて、小さく身体を強張らせながら頷く。
僕の隣でアグネスカが、ぎゅっと両手を握りしめるのが見えて、明日、その日が来ることが、僕は少しだけ恐ろしくなるのだった。
足音と共に、しゃらんという金属のこすれる音が、僕の大きな耳に聞こえてきた。そちらを振り向くより早く、僕へと朗らかな声がかけられる。
「あら、坊や? 今日はその姿をしているのね」
「マドレーヌさん?」
振り向けば、そこにいたのはやはりアルドワン王国の使徒、マドレーヌだ。今日もギーを引き連れている。
手の中にはコトレットを乗せた木の皮の皿と、ゴミ袋代わりの麻袋。麻袋が随分膨らんでいるところを見るに、彼女は既に、あちこち回って来たらしい。
早速怪訝な表情で彼女を睨みつけるアグネスカからは目を逸らし、マドレーヌはウサギの獣人の姿をした僕を、舐めるように見回した。
「ふぅん、いいわよ、とても可愛らしくて。坊や、融合士の素質があると聞いていたけれど、その話に偽りはないみたいね」
そう話しながらうっすらと笑うマドレーヌの言い知れぬ迫力に、思わず僕の身体がびくっと竦む。すぐさまに僕の前に立ちはだかったアグネスカが、強い口調で言葉を投げた。
「アルドワンの使徒様、こんな時間にこんな場所で、エリクにどんなご用事ですか」
淡々と、しかし明確に僕を守るように刺々しさをにじませながら。アグネスカが言ってのけるのを見て、マドレーヌは小さく吹き出した。
こみ上げるおかしさを抑えられない様子の彼女に、アグネスカの尻尾がぶわっと膨らむ。明らかに、怒っていた。
「ちょっと、アグネスカ」
「大丈夫よお嬢ちゃん、軽く世間話をしに来ただけ」
僕が慌ててアグネスカの肩に手をかけると同時に、目の端の涙をぬぐいながらマドレーヌが言った。
世間話をしに来ただけ。実際、こんな楽しい祭りの最中だ、真剣な話をしに来る場面でもないだろう。
しかしそれでもまだ、アグネスカの敵愾心を抑えるには至らなかったようで、彼女は眉間にますます深い皺を刻む。それを見て呆れたように、ギーが肩を竦めた。
「そう気を張るな、ラコルデールの巫女。この使徒は誓って、ラコルデールの使徒を揶揄いに来たわけではない」
肩を竦めながらも、柔らかく笑うギー。その言葉に虚を突かれた様子でアグネスカが目を見開くと、マドレーヌは目の前に立つ少女から、背後に立つ自身のパートナーへと視線を移して笑った。
「ほんと、ギーってば、冗談にしてはセンスが悪いわよ。貴方に冗談を言うセンスなんてハナから求めてないけど」
「実直なことが取り柄の俺に、お前のように冗談を言う口があると思うな」
マドレーヌの軽口に、目を細めながら返すギー。そのやり取りは使徒と巫女という明確な上下関係のあるものよりも、対等な雰囲気が強いように思える。
僕が顔を合わせたことのある使徒と巫女は、この二名の他はバタイユのダニエルとラシェルくらいなので、こういうものだ、という実感があんまり湧かないけれど、あの二人も何だかんだ、仲睦まじく会話をしていたように思う。
ギーの返答にため息をつくマドレーヌへと、僕はおずおずと声をかけた。
「あの、マドレーヌさんとギーさんって、使徒と巫女って関係……なんです、よね?」
恐る恐る声をかける僕へと、二人は視線を向けてきて。そのままこくりと、同時に頷いた。
「そうよ、坊や。彼は私の巫女だし、当然私の夫でもあるってわけ」
「年若く、使徒に就任したばかりのラコルデールの二名は致し方ない。しかし、他の国の使徒は大概、巫女と結婚しているわけだ」
ギーの説明に、僕ははーっと息を吐いた。使徒と巫女が仕事上のパートナーであることはよくよく分かっている話だが、公私ともにパートナーであることは、一般的なようだ。
僕が聖域の屋敷に引っ越した当初、リュシールが事あるごとに話していたことを思い出す。
「そうですよね……リュシールも当初、『エリク様はゆくゆくは、アグネスカ様とご結婚なされるんですよ』と話をしていましたし」
「それが今では、アリーチェもいますし、私があまり乗り気じゃないですからね。私はエリクと長く共に過ごしすぎました」
僕の言葉にアグネスカも頷く。実際、アグネスカが僕と結婚する気があまり無いことは、チボー村での仕事の際にも話していたことだ。
僕も、ほとんど生まれた時から一緒にいるアグネスカと、結婚しなさいと今更言われても困る。
顔を合わせて眉尻を下げる僕達に、マドレーヌが面白そうに笑って口を開いた。
「ふーん? まぁ、それならそれでもいいと思うわよ。使徒と神獣も釣り合いは取れているのだもの」
「左様。古くからの慣習に、縛られすぎることは無い」
ギーも、翼を備えた腕を組みながらそう言って頷く。
同じ立場の先輩である彼らにそう言われると、お墨付きを得たような気がして、何となくホッとした。小さく頭を下げつつお礼を言う。
「ありがとうございます……そう言えば、その、マドレーヌさんは、リュシールと、お知り合いのような感じで話していましたけれど……」
謝肉祭前日の顔合わせの際、随分互いを知っている様子で話していたことを思い出しながら話題を変えると、話を振られた彼女はこくりと頷いた。
動かされた手と一緒に、手首のアクセサリーがしゃらりと鳴る。
「そうよ、話していなかったかしら? リュシールと私は、ドラクロワの同期なの」
「この使徒は治癒士学科の第95期入学生だ。ヴァンドの守護者とは、同じ学科で学んだ仲だという」
聞くに、マドレーヌはラコルデール王国コラス領の出身で、王都にあるドラクロワ冒険者養成学校の卒業生とのこと。
リュシールとはそこで一緒に学び、卒業して彼女は冒険者の道に、リュシールは神術学者の道に進んだということだ。
それがこうして、使徒と聖域の守護者として再び顔を合わせることになったわけで。随分と数奇な縁もあったものだと思う。
「へぇ……それは、知りませんでした」
「と言いますか、治癒士だったのですね、アルドワンの使徒様は。インゲ神の使徒ということですから、てっきりもっと、派手なご職業とばかり」
感心する僕の隣で、アグネスカも驚きに目を見張っていた。
確かにマドレーヌの外見は派手だ。全身にアクセサリーを身に着け、服装は露出が多い。呪術士か、魔導士と言った方がイメージに合うだろう。
だが、マドレーヌは逆に驚いた様子で僕達を見てきた。
「あら、私の伝説、坊やたちは知らないかしら? 竜種の蘇生屋って異名、もっと知られているものだと思っていたけれど」
「無理を言うな、ラコルデールとアルドワンの間に、どれだけの距離があると思っている。ましてやラコルデールの使徒はカーン神に仕えているんだぞ」
彼女の発した言葉に、ギーが呆れた様子で言葉を重ねてくる。
ドラゴンリザレクター。随分大仰な異名だが、耳にしたことはない。
「ドラゴンリザレクター?」
「初耳です」
二人して素直にそう告げると、マドレーヌはしなやかな腕を組みながら口元に笑みを浮かべた。
「そう、竜種の蘇生屋。
あれは十年位前だったかしらね。サブレ大公国で、氷龍王イェディエルの滑落事故があったのは知っているかしら?」
マドレーヌの発言に、アグネスカが口をへの字に曲げた。そのまま口元に指を持って行き、思案する表情を見せる。
「そういえば……うっすらと記憶にあります。エリクはその頃、まだ幼かったですから、知らないとは思いますが」
「うん……十年前じゃ、僕は三歳かそこらだもん」
アグネスカの言葉に僕も頷く。十年前くらいでは、どんな話を聞いていたとして覚えていることはないだろう。
三歳、という言葉に、マドレーヌが大きく目を見開いた。
「そんなに小さかったの? じゃあ知らなくても無理はないわね。
アルドワン王国の北、サブレの霊峰モン・ラリュー。大陸でも有数の高い山に棲んでいる氷龍王イェディエルが、頂上付近からだいたい……そうね……約3,000メートル、滑落したの」
「っ……!?」
彼女の説明に、僕は息を飲んだ。
霊峰モン・ラリューと言えば、大陸の中央部、屋台骨とも言うべき高い山だ。その山は常に山頂が雪で覆われており、竜種の頂点に立つ竜王の一頭、氷龍王イェディエルの棲み処であることで知られる。
その竜王が、山頂から滑落したというのか。しかも、3,000メートルに渡って。
心臓が竦み上がるのを感じる僕を見て、マドレーヌが小さく息を吐いた。
「ね? 話を聞くだけで竦み上がってしまうでしょう。
雪の深く積もるモン・ラリューとはいえ、岩が突き出たり木が生えたりしている場所も多いわ。それらを薙ぎ倒すように滑り落ちていったから、山の中腹でようやく止まった時、イェディエルは全身傷だらけでね。骨もあちこち折れていたわ」
「この使徒と俺とが現場に到着した時、イェディエル殿は既に虫の息だった。あの時ばかりは、間に合わないかと思ったほどだ」
マドレーヌの発言に補足するようにギーが言うが、その表情は暗い。当時のことを思い返しているようだが、その表情からもどれだけ重傷だったのかが窺い知れる。
シャツの胸元をぎゅっと握りしめて、僕は口を開いた。
「そんな……それを、回復させたんですか、マドレーヌさんは?」
「瞬間修復に継続治療を重ねがけして、あとは悪性を祓う大気と命は汝が身に宿るも使って、ようやくね。
それでもまぁ、イェディエルがまた動けるようになるまで10分はかかったわよ」
「10分でですか!?」
目を伏せながら話す彼女の言葉に、驚愕の声を上げたのはアグネスカだ。
全身ボロボロで息も絶え絶えの状態から、10分で動けるようになるまで回復させるとは、並大抵ではない。
ましてや相手が巨大な竜種なのだ。通常ならすぐに回復させられる魔法でも、数倍の時間がかかるのは常識だ。
驚きに目を見張って声も出ない僕に、ギーが不敵な笑みを向けた。
「どうだ、この使徒が『回復屋』ではなく『蘇生屋』の異名を取るのも分かるだろう?」
「それなら……そこまで出来るんなら、あの死告竜の厄呪だって、何とか出来るんじゃ」
ギーの言葉に頷いた僕が、呻くように言葉を漏らす。
治癒士は当然のように、解呪についても造詣が深い。使徒となれば猶更だ。ならば僕やアグネスカの力を借りずとも、マドレーヌ一人であの厄呪も何とか出来そうなものだが。
しかし、彼女はゆるゆると首を振った。
「出来たら苦労しないわ。私は傷の治療こそ世界最高クラスだけど、解呪についてはそこまでじゃないから……
そうでなくても、渇望の呪いは厄介なのよ。解呪神術の神力も片っ端から喰らっていくんだから」
目を伏せながら腕を抱いて、マドレーヌは告げる。
解呪の際、用いる神術の神力が呪印に吸われるため、素早く解呪しなくてはならないことは、以前に説明を受けた通りだ。場所が開けていないから神術円も描けない。 解呪しにくいのではなく、難しい。だから難易度が高い、と彼女は言った。
そこまで話して、マドレーヌはしゃがみ込んだ。小柄な僕の両肩に、そっと手を置く。
「だから、坊や。明日に年男が決まって、死告竜の器を移し替える時に、一つも油断しては駄目よ。いいわね?」
「……は、はい」
マドレーヌの真剣な目つきに見つめられて、小さく身体を強張らせながら頷く。
僕の隣でアグネスカが、ぎゅっと両手を握りしめるのが見えて、明日、その日が来ることが、僕は少しだけ恐ろしくなるのだった。
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朱雀との生活を楽しんでいたアルマだったが、母エインフェリアの死と「世界を見て回ってほしい」という頼みにより、妹弟と共に旅に出る事を決意する。
そうしてアルマは新しい第二の人生を歩き始めたのである。
究極スキル『道しるべ』を使い、地図を埋めつつ、色んな種族の街に行っては美味しいモノを食べたり、時には自然から採れたての素材で料理をしたりと自由を満喫しながらも、色んな事件に巻き込まれていくのであった。
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