真夜中に愛猫とキスを

八百十三

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第1章 高次元存在との接触

第9話 初仕事

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 結果的に、俺は佐々本さんを立ち上がらせることに成功した。小会議室に移動して、会議室の扉を閉める。俺を椅子に座るようにうながしながら、佐々本さんが口を開いた。

「どうしましたか、下唐湊さんが声をかけてきて相談を、となると、やはり残業超過の問題とか……」
「え、えっと、はい、今月も36サブロク協定、守れそうになくて」

 椅子に座りながら俺に問いかけてくる佐々本さんに、言葉を切りながら俺は答えた。
 実際、残業超過は喫緊きっきんの課題だ。俺以外の社員も何だかんだ残業時間は長く、36協定を守れている社員なんて一割にも満たないが、だからといってそれを放置していてもいいことはない。
 額を指先で掻きつつ、顔を隠すようにしながら俺は話を続ける。

「そ、それに、その……あんまりにも忙しすぎて、最近体調、崩しがちなので……休職の時のルールとか、聞いときたいな、と思って」
「ああ、なるほど」

 俺の言葉に佐々本さんも納得した様子でうなずいた。
 これもまた、嘘はついていない。最近やっぱり体調は崩しがちだったし、肩こりも腰の痛みも慢性的なものになりつつある。風邪もちょくちょく引いているが、うちの会社が風邪ごときで休ませてくれるはずもなかった。
 困ったような笑顔を俺に向けながら、佐々本さんが話し始める。

「そうですね、早いうちにそうした申請をいただけると、総務としても助かりますから。まずはそう――」

 だが、佐々本さんが説明を始めようとしたその時、小会議室の扉がガチャリと開いた。同時に佐々本さんが動きを止める。
 驚くよりも先に頭が理解した。また、時間軸がずらされたのだ。それをやった人物と言えば、当然のように今しがた入ってきた六反田である。後ろからは四十物さんもついてきていた。

「よしオッケー、よくやったトソちゃん」
「えっ」

 六反田の嬉しそうな言葉に、ぽかんとする俺。そんな俺に視線を向けながら、四十物さんがうなずいた。

「時間軸をマイナス60分にずらしました。今ここに佐々本さんはおりますが、時間としては一時間前となっています」
「介入までは問題なしだ。ここからは俺の仕事ってわけ」

 四十物さんの言葉にうなずきながら、六反田が佐々本さんの肩に手を置く。佐々本さんは微動だにしない。
 今のでいいのか。普通に、向かい合って話をしていただけだったんだけれど。

「い、今、休職の手続きについて話してただけなんだけど……今のでいいのか?」

 俺が問いかけると、四十物さんが小さくうなずく。そして六反田の反対側、佐々本さんを挟むように立ちながら言った。

「はい。佐々本さんの意識が下唐湊さんに向けられ、が開いていますから。その開いたチャネルを通して、六反田さんが同意を取り付けます」

 曰く、意識のチャネルというものは相手を認識し、相手に意識を向けることで開かれるらしい。念話もその理屈で開いたチャネルに思念を飛ばし、相手の脳に言葉を届けるのだそうだ。
 そして六反田、正確にはフレーデガルは、そのチャネルに外から割り込むことに長けているのだそうだ。他にも色々なことが出来るらしい彼だが、そういう能力があるがゆえに今回はこのポジションということらしい。
 動きを止めたままの佐々本さんに向かって、六反田が声を発した。

「おーいデメトリアス、聞こえてんだろ、返事しろ返事。フレーデガル・フュルヒテゴット・フライフォーゲル様がここにいんだぞ」
「イッ」

 と、六反田の声に呼応して、佐々本さんのものとは違う声が聞こえた。いびつで、しゃがれた女の声だ。
 すると佐々本さんの身体を覆うもやもやした影がはっきりと像を結んだ。佐々本さんの肩から生えるようにして、真っ黒で平べったい化け物が現れる。
 思わず俺は小さくのけぞった。本当は後ずさりたかったが、椅子に座っている以上そうもいかない。

「ひっ」
「これが佐々本さんに根付いている異界の存在です。二次元存在の影ですね」

 対して四十物さんは淡々としたものだった。ここまで普段どおりに対応されると、いっそ怖い。元々そういう存在に慣れているのかもしれないが。
 デメトリアス、と呼ばれた化け物が、震えながら六反田を見上げた。

「ふ、ふれーでがるサマ。ドウシテ」
「俺たちもようやく仕事ができるようになったからな。まずは手始めにお前に取り掛かることにしたわけだ」

 六反田が容赦のない言葉をデメトリアスにかけると、男とも女ともつかないその化け物は佐々本さんにすがるようにして声を上げた。

「イ、イヤダ……イヤダッ」

 その言葉に、胸が僅かに痛む。この生き物も佐々本さんを、傷つけたり苦しめたりしようとして彼女に取り憑いたわけでは無いはずだ。俺がわらびにそうされたように、苦しみ、傷ついている佐々本さんをどうにかしようと接触したに違いない。
 佐々本さんの背中に手を置きながら、六反田が言葉を重ねた。

「いいかデメトリアス、お前は佐々本ちゃんの中にいて具合が良かっただろうが、佐々本ちゃんがこのままだと壊れちまう。佐々本ちゃんを守るためにも、お前には身体から出ていってもらわないとならん」

 彼の言葉に、デメトリアスの身体がぶるぶると震えた。顔もなく、口もないその化け物の表情は窺えないが、悲しんでいるのは何となく分かる。

「ウウ……まゆみチャン……」
「お前も佐々本ちゃんが大事なんだろ? こっちに出張ってこないで、お前の居場所でちゃんと見守ってやれ。いいな?」

 そんなデメトリアスに、諭すように六反田は言葉をかけた。
 異次元の存在は本来、三次元にいてはいけないものだ。人間の身体に取り憑いて存在していては、取り憑かれた存在の負担になる。ただでさえ肉体にも精神にも負担のかかっている、うちみたいな企業勤めの人間は特につらい。
 大事だからこそ、離れて見守る。その言葉に、観念したようにデメトリアスがうなずいた。

「ハイ……」
「よーし、いい子だ」

 その言葉に、満足したように六反田が微笑んだ。そのままデメトリアスの頭を優しく撫でてやる。
 一連の会話に、呆気に取られながら俺が口を開いた。

「同意、って、異界の存在から直接同意をもらうんですね……」
「そうです。こうした存在の場合は被契約者の夢の中で契約を結んだりして、被契約者が存在を認知していないことも多いですから」

 四十物さんに話しかけると、彼女も小さくうなずく。なるほど、確かに宿主の方に話を持ちかけたとして、何のことだか分からないと言われるのが関の山だ。
 と、そこで六反田が四十物さんに視線を向けた。

「よし、四十物ちゃん、後はお前の出番だ。よろしく」
「かしこまりました。では」

 彼の言葉にうなずいた四十物さんが、佐々本さんから少し離れて立った。すると彼女の身体を覆う触手が、うぞうぞとうごめきながら伸び始めた。
 その触手が何本も、佐々本さんの身体に入り込んでいく。皮膚を突き破って、というよりは、佐々本さんという存在に対して侵入しているような感じだ。

「ひ――!?」
「メルキザデクは触手が塊になった存在だからな。こうして触手を相手につっこんで……」

 悲鳴を上げる俺に、六反田がいつもの口調で説明した。その一方で、侵入されている方のデメトリアスが苦しそうな声を上げている。佐々本さんは相変わらず動かない。

「ヒ、ア、アアア」
「現世と切り離します。安らかに」

 そこに、淡々とした声色の四十物さんの声が響いた。小会議室はそこまで声が響く部屋ではないのに、不思議と声が反響して聞こえる。
 佐々本さんの身体を覆う影が、どんどん右肩のデメトリアスに凝縮していく。凝縮したデメトリアスはどんどん色が濃く、小さくなっていった。
 そして。

「ア――!!」

 小さな悲鳴を上げたと思った瞬間、バツン、と電気が切れるような音がして肩の上のデメトリアスが弾けとんだ。しばらく触手を突き入れたままにしていた四十物さんが、するすると触手を戻しながら息を吐く。
 六反田が嬉しそうに、牙を見せながら笑った。

「バツン、ってわけだ」
残滓ざんしもありませんね、切除完了です」

 安心した様子で四十物さんが触手を自分の身体に戻す。これで、ひとまず一仕事を終えた、というわけだ。

「すごい……」

 思わず声が漏れる。これがプロの仕事、というわけだ。初めて見たけれど、実に鮮やかだ。
 六反田がもう身体に異常のなくなった佐々本さんの肩をぽんと叩いて、俺に笑いかける。

「こうやって仕事をしていく感じ、分かったか? それじゃ時間軸を戻すぞ、後の始末はトソちゃん、よろしくな」
「え、あっ」

 と、そのまま彼は小会議室の扉を開いて出ていった。四十物さんもその後に続き、俺に会釈をして会議室を出ていく。再び、会議室には俺と佐々本さんだけが残された。
 すると佐々本さんが、一瞬がくんと身体を前に倒した。まるで居眠りをしていたかのようだ。

「……う、あ、あれ? 下唐湊さん?」
「佐々本さん……大丈夫ですか、急に気を失って……」

 なんとかその場の空気が不自然にならないようにしながら、俺は佐々本さんに声をかける。確かに今の動きだったら、一瞬気を失ったと言ってもおかしくはないだろう。
 頭を抑えながら佐々本さんが口を開く。

「は、はい……疲れていたのかしら。でも、なんだかとても身体が軽いです」
「そ、そうですか。無理しないで、ちゃんと休んでくださいね」

 彼女の言葉に、一瞬戸惑いながら俺は答えた。
 なるほど、異次元の存在が切り離されたら、すぐに身体に変化が出るらしい。こころなしか佐々本さんの表情も明るくなっていた。
 先程まで俺の休職の話をしていたことなどすっかり忘れた様子で、佐々本さんが椅子から立ち上がる。

「はい、ありがとうございます」

 そして俺に笑みを見せながら、佐々本さんが小会議室の扉に手をかける。そのまま彼女は扉を開けて、会議室を出ていった。

「ふう……」

 俺は椅子の背もたれに身を預けながら息を吐く。これで本当の意味で、一仕事を終えたのだ。俺の心は安心感でいっぱいだった。
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