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第3章 賓客として、旅行者として

第35話 料理人の地位とは

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 グロリアさんの所有する「瑠璃の館」の食堂で、私は文字通り目を白黒させていた。
 私は最初、グロリアさんが一人で面倒を見ていて、お金を使っていると思って、屋敷にいる人たちは居て十数人くらいかと思っていたのだが。
 食堂で私とパーシー君と一緒に席についている短耳族スクルト獣人族フィーウルだけでも三十人近く、半獣ジュマターテを含めたらもっといる。給仕をするメイドや執事を加えれば五十人を超えそうだ。
 この全員を、グロリアさんが面倒を見ているとしたら、なんとも恐ろしい話だ。

「パーシー君、ここにいる全員が、元はフーグラー城で働いていて、今はグロリアさんが面倒を見ている、ってことでいいん、だよ、ね……?」
「イエ、ボクの一家が独立した時よりモ、人数が増えている気がしマス……また奥様、身寄りのない子供たちヲ引き取られたんですカネ?」

 食堂の上座の方に座って、呆気に取られて見ている私に、パーシー君が肩を小さく竦めながら返す。
 その視線は食堂の奥の方、仲のいい友達同士なのだろう、顔を見合わせて話している獣人族フィーウルの少年少女に向けられていた。
 今、パーシー君は「また」と言ったか。また、と言われるほどに、この屋敷にいる人たちは増えるのだろうか。

また・・?」
「奥様は慈善事業にも熱心でいらっしゃいマス。両親を亡くしたり、捨てられたりシタ子供たちを引き取ッテ、社会に出て行けるように教育されているのですヨ」

 パーシー君の説明に、私は小さく息を呑んだ。
 両親をなくしたり、捨てられたりして、グロリアさんの屋敷に引き取られるような子供が、これほど多くいるとは思ってもいなかった。
 そういえばテーブルに座っている子供たちの、大半が獣人族フィーウルだ。半獣ジュマターテもそこそこの人数がいる。そうした子たちが、親から捨てられたりしたのだろう。

「捨て子とか、やっぱりあるんだ……」
「ハイ……残念ながら。
 身分が低いト、貰える賃金にも限界が生じるタメ、その日のパンにも困窮する貧困家庭が、悲しいことに領内にもおりマス。
 そうした家庭が奥様を、この屋敷を頼るのデス。せめて子供だけは、幸せに暮らせるようにト」

 にこにこと眩しい笑顔で、楽しそうにしている少年少女を見ながら、パーシー君の瞳が悲しげに細められた。
 私の隣に座ったデュークさんも、なんとも言い難い表情をして頷いた。

「この館に暮らす短耳族スクルト獣人族フィーウル半獣ジュマターテの七割ほどハ、フーグラー城や市内に働きに出ておりマス。残りの三割はマーマの付き人を務める者カ、幼い故にまだ働けずにいる子供たちデス。
 彼らの得た賃金モ、この屋敷の運営資金に回っておりマス。それでもヤハリ、マーマの個人資産に頼る部分が大きいデスガ」

 話しながら前を向くデュークさんの視線の先で、半獣ジュマターテの少年が両手をきっちり揃えて大人しく座っているのが見えた。
 あんなに行儀がいいのに、親の手から離されてしまったのかと思うと、やりきれないものを感じる。
 そんな空気を打ち破るかのように、食堂の一番上座に座ったグロリアさんが立ち上がってパンパンと手を叩く。次々に運ばれてくるハンバーグステーキの乗ったお皿とスープ皿、パンの皿が、全員の前に並べられた。

「サァ、みんな席に着いたワネ? 手も洗ったワネ?
 今日も皆のおかげで、美味しいご飯が用意できたワ。しっかり食べて、しっかり働きまショウ!
 それジャア、いただきますヴォイ・ファーチェ!」
「「Voi face!」」

 一斉に声が響き、食堂に座る老いも若きもが食器を手に取った。
 食事の前の一言を告げてからは、全員が無言だ。もう食事しか目に入らないという様子で、パンをちぎり、スープにスプーンを入れている。
 四十数人が一斉に食事に集中するその光景に圧倒されながら、私は隣のパーシー君に視線を向ける。彼も彼で既にパンを両手で割っていたが。

「ヴォイ・ファーチェ、って……もしかして、『いただきます』?」
「その通りデス。日本人ジャポネーザの日々の食事に、食物に感謝する姿勢ニ奥様は感銘を受ケ、館での食事にも取り入れていらっしゃいマス」

 パーシー君が答えるより先に、予期しない方向から日本語で声がかかる。
 私は声の主、後方に立つスーツ姿の紳士に視線を向けた。グロリアさんとデュークさんから、この屋敷の執事だと紹介された人物だ。
 金髪に白髪が混じった老紳士が、微笑を浮かべながら皿の上のハンバーグと、付け合わせのマッシュポテトを指し示す。

「どうぞ、サワ様も。本日の昼食のメインメニューは、フリプトゥーラ・デ・トゥカットとなっておりマス」
「あ、ありがとうございます……えぇと」
「奥様の執事を務めておりマス、パトリックと申します。以後、お見知りおきくだサイ」

 パトリックと名乗った執事は、淀みの無い日本語でそう告げつつ、私に頭を下げた。
 思わずぺこりと頭を下げると、隣に座って割ったパンをかじるパーシー君の腕をつつく私である。

「パーシー君、この屋敷の人たちって、普通に日本語話せるものなの?」
「イエイエ。皆さん日本語ジャポネーザの勉強はされていますケレド、話せる人はごく僅かデス。
 パトリックさんは奥様がお若い頃からお傍に仕えて研究をお手伝いされていテ、日本語ジャポネーザに慣れていらっしゃいマス。特殊な事例ですヨ」

 パンを飲み込んで話すパーシー君が苦笑を零した。
 言うに、グロリアさんが二十代の頃から彼女に付き従って日本語研究をサポートし、日本へのフィールドワークにも何度も同行しているそうだ。
 グロリアさんの代わりに日本語の授業の講師を務めることもあるそうなので、その熟達ぶりがうかがえる。

「さぁ、冷めないうちにお召し上がりくだサイ。お客様をお招きするということデ、今日の料理は料理人が腕によりをかけて作りましたカラ」
「あっ、はい……いただきます」

 パトリックさんに促されて、私もカトラリーを手に取った。
 ハンバーグステーキにナイフを入れ、一口サイズに切ったのを口に含むと。
 はじけるような肉汁と共に、口の中一杯に旨味が広がる。じゅわっと涎が溢れ出したのが分かった。
 思わず手が口元に向かう。咀嚼して飲み込むと、ほうとため息が漏れた。

「うわっ、美味しい……!」
「どうデス? ミノリ様。美味しいでショウ」
「毎度思いますガ、このグレードの料理を毎日食べられることに関しては、ボクたち家族も羨むところですネ」

 私の隣でデュークさんが自慢げに笑い、パーシー君もハンバーグステーキにナイフを入れている。
 感嘆の声を漏らしながら食べ進める私達を見て、パトリックさんが嬉しそうに目を細めた。

「ありがとうございマス。お客様が喜んだとあれば、料理人も喜ぶでショウ」

 と、さっさとハンバーグステーキの皿を空にしたデュークさんがパトリックさんに視線を向けた。口の端についたソースをナプキンで拭いながら口を開く。

「Patrick, cine este astazi directorul bucatariei?」
「Astazi, Owen este persoana responsabila, alteta.」
「Intr-adevar!? Te rog sa ma suni mai tarziu.」

 ドルテ語で何やら話していた二人。パトリックさんの言葉にデュークさんの表情が明らかに変わった。信じられないと言わんばかりに目を見開いている。
 それを聞いていたパーシー君も、納得がいった様子で腕組みしていた。

「ナルホド、オーウェン・ラピスが本日の調理責任者でしたカ。幸運でしたネ、サワさん」
「そんなに凄いの?」

 いまひとつ状況を理解できていない私が首を傾げると、パーシー君がスープを飲み込んで口角を持ち上げた。

「フーグラー市内では有名ですヨ。市営商会ギルドの建物の斜向かいニ、レストランがあったのヲ覚えていらっしゃいますカ?」
「あの、旗のかかった白くておしゃれな建物?」

 パーシー君の説明に、私は二日目に訪れた市営商会ギルド周辺の区画の風景を思い出す。グロースクロイツ通りとアーベライン通りの交差する市営商会ギルドの建物前、確か真っ白な壁をした立派な雰囲気の建物があったはずだ。
 昼食を食べ進めながら思い出した私に、パーシー君とデュークさんが揃って頷いた。

「そうデス。『白の館』という、市内でも随一の高級レストランなのですガ、あそこの厨房に料理人として勤めているのですヨ」
「Trei piloni ai Casei Albe……『白の館の三本柱』トイウ、そのレストランで有名な三人の料理人がおりますガ、そのうちの一人ガ彼なのデス」
「えー、白の館、白の館……あっこれ!? 高級レストランって書いてあったから関係ないと思って見逃してた! えー、すごーい」

 ハンバーグステーキを食べる手を止めて、鞄の中からこっそり「みるぶ」を取り出してページをめくった私は瞠目した。
 「みるぶ」の23ページ、フーグラーの見どころを大きく紹介したページに掲載された白い建物、「白の館」。「市内で一番の高級レストランで、最上級の料理を味わえる!」との言葉に、私には無縁の場所だな、と見逃していたのだった。
 スープを食べ終わり、パンのもう一つに手を付けながらパーシー君が目を細める。

「オーウェンも、元は孤児だったのデス。それが奥様に見いだされ、料理の才能が開花し、研鑽を重ねた結果フーグラーを代表する料理人になりマシタ。
 ボク以上に社会的な地位を得ていると思いますヨ、獣人族フィーウルとしては」

 彼の話した内容に、私は小さく目を見開いた。
 そこまで出世した料理人が獣人族フィーウルだとは。ちょっと予想外だ。料理に携わる人が獣人族フィーウルで、毛が入ったりとか心配しないのだろうか。

獣人族フィーウルなの?」
「ハイ、猫の獣人族フィーウルデス……あぁホラ、来ましたヨ」

 ふと、パーシー君が視線を前方に向ける。そちらの方からコック帽をかぶった、青い目をした白猫の獣人族フィーウルが、びしっと背筋を伸ばして歩いてきた。
 私の座るテーブルの前までやってくると、彼は緩やかな動きで私に一礼した。

「Va multumim ca ati venit astazi, clientii nostri. Numele meu este Owen si am fost responsabil de bucatarul de astazi.」
「『本日はお越しくださりありがとうございます、お客様。本日の調理責任者を担当いたしました、オーウェンと申します』……とのことデス。
 さすがのお味でした、オーウェン。美味しかったですヨ」

 オーウェンさんの言葉を通訳したパーシー君が、にこやかな笑みを彼へと向ける。
 丁寧に頭を持ち上げたオーウェンさんに、私も料理の素晴らしさを表現しようと口を開いた。直接日本語が通じなくても、パーシー君が隣にいる。話さないと勿体ない。

「本当に美味しかったです。ハンバーグが肉汁たっぷりで、表面カリッとしているのに中はちゃんと柔らかくて」
「Ea a spus ca este foarte delicioasa. Friptura era plina de paine, iar gratarul era uimitor.」
「Multumesc daca aveti o sansa, va rugam sa veniti la restaurant sa mancati. Sunteti binevenit.」

 私の言葉を翻訳してパーシー君が伝えると、オーウェンさんはその青い目を細めて改めて一礼した。私の喜びは伝わったようだ。
 顔を上げて私のテーブルから離れ、グロリアさんの着席するテーブルに歩いていくオーウェンさんの背中と、その背で揺れる尻尾を見ながら、私は小さく首を傾げた。

「それにしても、そんな凄い料理人なら、パーシー君の家みたいに独立することも出来るんじゃないの? お給料、いいんでしょ?」
「どうですカネ。料理人という職業ハ、そこまで地位の高い職業ではありませんカラ……ボクと同じくらいではないでしょうカ」

 返ってきたパーシー君の答えに、私の眉間にかすかにしわが寄った。
 料理人が、地位の高い職業ではないということ。そんなにお給料のいい仕事ではないということ。少し予想外だ。
 人の食事に関わる職業なのだから、もっと社会的に立場があるものだと思っていた。少なくとも日本ではそれなりに尊敬される職業だと思っている。まぁ確かにバイトが多かったり、業態がブラックだったりといった問題はあるけれど。
 残念そうに目を伏せながら、デュークさんがナプキンで口元を拭いながら話を繋ぐ。

「そうですネ。
 マー大公国に限らずドルテでハ、料理人ハ身分の低い種族の代表的な職業デス。生の肉や魚を扱うことヲ、汚らわしいと感じる竜人族バーラウ長耳族ルングはまだ多くいマス。
 オーウェンのようニ優れた料理人は市民からの尊敬も得られますシ、職場で相応の権力を持てますガ、マーマの後ろ盾が・・・・・・・・あるからこそ出来る・・・・・・・・・ことデス」
「あ、そうか……オーウェンさん、伯爵家の後ろ盾があって働いている、ってことになるんだ」

 デュークさんの解説に、ようやく私にも得心が行った。
 オーウェン・ラピスという人間はグロリア・イングラム=アータートンという貴族が保護し、支援している。その上でレストランで働いているのだ。
 当然レストラン側も、貴族の庇護下にある人間をぞんざいに扱うわけにはいかない。アータートン領を治める領主の家であれば猶更だ。下手を打てば店の存続に関わるのだから。
 その上でオーウェンさんが貴族が背後にいるからと威張り散らさず、横暴に振る舞わなかったからこそこうして人気料理人の一角になったのだろう。しかしグロリアさんの存在が無ければ、料理の世界でのし上がるために力を尽くすことすらできないのだ。
 多分、グロリアさんの存在が無ければ大衆向けの食堂あたりで働くのがせいぜい、と言った所なのだろう。
 パーシー君がゆるゆると首を振りつつ、残念そうに言葉を零した。

「そういうことデス。独立するということは、奥様の権威の外に出てしまうというコト。奥様のような竜人族バーラウの権威なしに社会で活躍することハ、このフーグラーでもまだなかなか出来ないのデス」
「そっかー……難しいね、やっぱり」

 その言葉を受けて、私はグロリアさんと言葉を交わしているオーウェンさんに視線を投げる。
 にこやかな表情で竜人族バーラウのグロリアさんの前に立ち、何やら親し気に話している獣人族フィーウルのオーウェンさん。
 貴族と、保護者と被保護者という関係性を持てた彼が、どれほど幸運だったことか。どれほど血のにじむような努力をして、そこまでの立場を得たのか。
 彼の人に知れない苦労が見えたような気がして、私は胸の奥が、ちくりと痛むのを感じたのだった。
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