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第3章 賓客として、旅行者として

第37話 お茶とアルバム、そして少女

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「うわっ、美味しーい!」
「お口に合ったようで光栄デス」

 ところ変わって、瑠璃の館の応接間。
 私、パーシー君、デュークさんは一緒にお茶と茶菓子をいただいていた。
 グロリアさんはこの場にはいない。あのリラという半獣ジュマターテの女の子を探すため、屋敷の使用人やメイドたちに指示を出しているらしい。
 なんか、屋敷に来てからグロリアさんと話しが出来ていなくて、ちょっと寂しい。
 その寂しさにほんのり目を細めながら、私は皿の上に並べられたシンプルなクッキーに手を伸ばした。
 ダフニーさんお手製のクッキーを食べた時にも思ったが、パン作りが盛んな土地柄ゆえにか、茶菓子のクッキーも随分と美味しい。ここにあるクッキーなんて特別に味の付いていないシンプルなバタークッキーのハズなのに、何故か手が止まらない。

「このクッキー……えーと、フルセクリーでしたっけ、これもこの館で作っているんですか?」
「勿論デス。普段使いの茶菓子を作る料理人が屋敷におりましテ、彼女の手で全て作られておりマス。奥様がもてなす時以外は全テ、その茶菓子が使われておりますネ」
「はー……」

 パトリックさんの言葉に、感嘆の息を漏らす私だ。
 聞けば、裕福な家の人は手ずから茶菓子を作ってもてなすのが当たり前、貧乏人でも小麦粉には困らないからクッキーなどは作れる、だからドルテには、お菓子屋というものの需要が無いのだそうだ。
 日本のように何でもかんでも買って済ませて、店で買ったものの方が喜ばれる風潮があると、そもそもそういう店が『存在しない』というのは驚くしかない。道理でパン屋はたくさんあるのに、お菓子屋がないわけだ。

「というかパトリックさん、私それ以上にすっごく驚いたことがあるんですけど」
「ハイ、何なりと」

 世界の違い、風習の違いに大いに驚きながらも、私はパトリックさんにまっすぐ視線を投げた。にこりと笑って頷くパトリックさんに、私は手に持ったティーカップを掲げる。

地球の紅茶・・・・・ですよね、これ?」

 私の言葉に、デュークさんもパーシー君も目を見張っていた。
 二人の目の前にも私が手に持っているのと同様、陶器製のティーカップがあって、中で茜色をした茶が湯気を立てている。二人ともそれに口を付けてはいたが、それが何かまでは判別できていなかったらしい。

「そうなんデスカ?」
「サワさん、よくお気付きになりましたネ」
「だって、こっちでお茶を飲むってなると、大概なんかこう、ほんのり酸っぱかったり、花の香りがしたりするんだもの。こういうすっきりとして、渋味があるお茶って、こっちじゃあんまり飲めなくない?」

 驚きながら私の方を見る二人に、視線を返しながら紅茶を飲む私だ。
 実際、ドルテに来てから何度かお茶を頂く機会はあったけれど、どれもフルーティーで酸味があったりジャムが入っていたりと、お茶というよりはハーブティーやフレーバーティーっぽい感じがあった。
 日本人がイメージするお茶、という感じのお茶をこっちに来てから飲んだのは、これが初めてだ。
 頷いたパトリックさんが席を立つと、後ろの戸棚から一つの袋を取り出してきた。こちらの世界ではなかなか見る機会のない、アルミ蒸着の茶葉パック。表面には日本でもおなじみのロゴが描かれている。

「そうですネ。お坊ちゃまは地球パーマントゥルのお茶をお飲みになられたことが無いでしょうカラ、お分かりにならないかと思いますガ、あちらのお茶はドルテのシャイよりモ苦味と渋味、そして香りが立っているのデス。
 特にこういう、甘さを抑えたシンプルなフルセクリーと合わせる時ニハ、私は地球パーマントゥル産の紅茶が好きですネ」

 パトリックさん曰く、グロリアさんは地球へのフィールドワークの際になんやかんやとお土産を買って帰って来るのだそうだが、地球の茶葉はお菓子と並んで人気の品なのだそうだ。
 一袋でそれなりに長く飲める、美味しい、品質も高い、誰にあげても喜ばれるということで、よく買って帰って来るらしい。
 ちなみに『ceaiシャイ』とは、ドルテ語での『お茶』のことだ。地球のいくつかの言語でも似たように言うから、ある程度の関連性はあるのだろう。
 パトリックさんから茶葉のパックを受け取り、興味深げに眺めながら、デュークさんとパーシー君が声を上げていた。

「ヘェ……」
「シャイ一つとっても、そんなに地球パーマントゥルとドルテは違うんデスネ」

 しげしげと地球産の茶葉を眺める二人に、何となく嬉しくなってしまって。私は笑みを浮かべながら胸を張って言葉を投げかけた。
 なんか、こうしてお茶談議をしていると、飲み慣れたお茶が飲みたくなってしまう。不思議だ。

「面白いですよー、お茶も作り方によって色々な種類がありますし……あー、話をしていたら緑茶が恋しくなってきたなぁ」
「リョクチャ?」

 私が零した言葉に、キョトンとしながら目を見開くデュークさん。
 と、そこに言葉を重ねてきたのはパーシー君だった。

「文字通り、緑色ヴェルデをしたシャイのことですヨ。昔、マーマに一度だけ飲ませてもらったことがありマス」

 思いもよらないところからの言葉に、私もキョトンとする。デュークさんと一緒になってパーシー君に視線を向けると、そこには懐かしそうに目を細めるパーシー君がいた。どうやら飲んだことがあるのは本当のようだ。

「あるの? パーシー君」
「アァ、そういえばあれハ……今から六年ほど前でございますネ。奥様が日本ジャポーニアに行かれた際、日本ジャポーニアの茶葉をアサミ様へのお土産に買って帰られまシタ」

 私の後ろでパトリックさんが懐かしそうに声を上げる。
 それに一つ頷いたパーシー君が、にっこりと笑みを浮かべた。

「そうデス。マーマはとても喜んデ……パメラは『苦イ』と言って、進んで手をつけませんでしたガ、パーパとボクはおかわりまでして飲みましたネ」

 そう話しながらティーカップの中の紅茶に口を付けるパーシー君。
 緑茶は地球でも、日本国外の人に人気だが、カフェインが多く含まれているせいか海外の人の中には苦手な人もいるらしい。ドルテの人も何だかんだでお茶をよく飲むから日本の緑茶も飲める人はいそうだが、それでもおかわりまでして飲めるとは相当だ。

「パーシー君もロジャーさんも、緑茶大丈夫なんだ……ほんとあれだよね、パーシー君たち獣人族フィーウルだからあれかもだけど、日本に来ても普通に生活できるんじゃないの?」

 感心したように私が声をかけると、自身もそこは否定しないようで。
 肩を竦めながら私に笑いかけるパーシー君だ。

「その獣人族フィーウルだからというのガ、一番の障壁ですからネ」
「そうなんですヨネ……短耳族スクルト以外は、どうしたって目立ってしまいますシ。奥様でさえ、フィールドワークに出たら毎回大変なんですヨ、目立ってしまって」

 同調するようにパトリックさんも頷いた。彼も彼でグロリアさんと一緒に地球を訪れたことがある人だ。グロリアさんが浮いてしまうところは、いやというほど目にしてきただろう。
 と、そこでパトリックさんがまた立ち上がった。今度は茶葉を置いてある棚ではなく、ファイルや本を収めている本棚の方。そこから一冊のファイルを抜き出すと、応接間のテーブルの上に広げた。
 それは数年前のネットニュースの記事だった。白黒で印刷されているものの、書かれている中で取り上げられているのは、確かにグロリアさんだ。写真もあるし間違いようがない。

「サワ様、ご覧になったことありますカ? この記事」
「あ……あーあー、あるある、ネットニュースでちらっと上がってたやつ! これグロリアさんだったんだ……私Tw〇tterやってないから軽く流してた……」
「エ、パトリック、それ、どういうことデスカ? マーマがニュースに?」
地球パーマントゥルで受信したニュースを印刷シテ、ファイリングしてあるんですか、マメですネ……」

 揃ってファイリングされた記事を覗き込む私たち。
 しかしこうして見てみると、グロリアさんも地球に行く度これだけ騒ぎになるのに、よく平気な顔をしてフィールドワークが出来るものである。その騒ぎになるのが好きなのかもしれないけれど。そしてパトリックさんもパトリックさんで、どうやってこのニュースを見つけて印刷したんだ。
 そうして私達がお茶をそっちのけでテーブル上の記事に見入っていると、ふと背中に突き刺さる視線を感じて。私が応接間のドアの方を振り向くと、ほんの少し隙間が空いている。

「……」
「あれっ?」
「サワさん?」

 記事から目を放し、ドアへと視線を向けながら小さく声を上げる私に、おや、という表情をしながらパーシー君が声をかけてくる。
 ドアの隙間から覗き込んでくる目が一つと、ドアにかけられた小さな手。隙間から覗く髪色と背丈から見ても、逃げ出したあの子だ。
 と、そこでドアが勢いよく閉められた。バタン、という大きな音が応接間に響く。
 気が付けば私はソファの前から飛び出してドアに向かっていた。僅かに後方を振り返ると、パーシー君とデュークさんへと声をかける。

「ごめん、ちょっと」
「アッ、ミノリ様!? どうされまシタ!?」

 デュークさんの声がかかるが、その時には私は応接間のドアを大きく開けていて。
 そこから飛び出して視線を左右に巡らせる。さっき閉められたばかりだ、まだ遠くへ行ってはいないはず。
 と、右側、廊下の角を曲がっていく小さな影と、ふさふさとした尻尾が見えた。

「いた!」

 そのまま彼女を追いかけるように、私は走った。
 廊下の角を曲がり、他の人とぶつかりそうになり、階段を上ったり下りたり、そうしてやって来たのは屋敷の二階、ホールに繋がる階段のところ。
 階段の手すりに手をかけながら、私は息を整えた。

「はぁ、はぁ……間違いない、さっきの子……この辺に来たと思ったんだけど」

 息を荒くしながら、ふっと階段の手すりの向こうを見ると。
 その手すりの奥、行き止まりになった細いスペースに身を隠すようにして、その子がいた。

「……」
「あ」

 思わず、視線がぶつかって。
 リラと呼ばれた少女が、まるで野良猫がそうするように牙を剥き出しながら私にドルテ語で吠えかかってくる。

「Nu veni!」
「ほ、ほーら、怖くないよ、怒ったりしないよ……うぅ、通じるかなぁ……」

 目が合ってしまったからには仕方がない、私は屈みこみながらそっと手を差し出した。手が届くほどの距離にいないので、そこからちょいちょい、と指先を折り曲げて手招きする。
 だがリラはこちらに来ようとしない。壁にしっかと身を付けてこちらを睨みつけていた。

「Si tu ma vei bate! Cum face Brenda intotdeauna!」
「えー、あー……うぅ、やっぱよく分かんない……少しはドルテ語分かってきたと思ったのになぁ……」

 リラの話すドルテ語が何を言っているのかさっぱり分からなくて、がっくりと肩を落として項垂れる私だ。そうして口から言葉を漏らすと、リラの視線から敵意が僅かに薄らいだ。

「...Japoneza?」
「ジャポネーザ……あっ、ダ、ダ。えーと……エウ、ジャポネーザ」

 彼女が日本語、か日本人、かどちらの意味で言ったのかは分からないが、いずれにせよ答えはイエスだ。頷きながらなんとか覚えている範囲のドルテ語で言葉をかける。
 すると、リラは尻尾を自分の足に巻き付けるようにしながら、目尻を下げて再び口を開く。

「Nu ma bate?」
「えっ!? えーと……あーいや、確か『ヌ マ』で一つの構文だったはず、えーとあれは」

 まずい、分からない単語だ。慌てる私だが、ついこの間に『みるぶ』で読んだ構文集の記憶を引っ張り出す。確か『Nu ma ~~』で一つの意味を成したはず。
 リラが怪訝そうな表情をしているのもそっちのけで、私は唸って唸って、ようやく答えに辿り着いた。

「そうだ、『Don't』! ダ、ダ。ヌ マ バーテ」

 慌てながら私が彼女に『しない』と伝えると、ようやくリラは安堵したらしい。私の方におずおずと近づいてきた。『bateバーテ』の意味は分からないけれど、彼女にとって嫌なことなのは間違いないだろう。彼女を傷つける意図などないのだから、『しない』と答えて問題はない。

「よかっ――」

 ほっと安堵の域を漏らした、その瞬間。
 突き刺すような痛みが、私の胸を襲った。

「うぅぅっ!?」
「Doamna!?」

 突然の痛みに呻きながら、私はその場に崩れ落ちる。リラが慌てた様子でこちらに駆けよってきた。倒れた私に、小さな手がかかる。

「Doamna, ce ai facut, te doare undeva!?」
「うっ、ぐ、あ――!!」
「Lira? Ce faci... clientii!! Ce ai facut!?」

 苦悶の声を上げる私と、リラの声を聞きつけたか、メイドが一人こちらに駆けよってくる音が聞こえる。
 メイドの呼びかけをどこか遠くに聞きながら、私の意識は徐々に遠のいていった。
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