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第3話:皇帝への報告(Side:アイザック①)
水中から助けられたステラが目を覚ます、少し前。
アイザックは宮殿の中を歩いていた。
今歩いている廊下でさえ大理石の床は汚れ一つなく磨き上げられ、天井には優雅な天井画が描かれる。
宮殿で働く文官や使用人が忙しなく行き交う様からも、この国の国力が窺えた。
そんな彼らは歩くアイザックの姿を見かけるたび、怯えた様子で直立しては一礼する。
日常的な光景を横目に、当の本人は心中で呆れたため息を吐いた。
(この対応にもすっかり慣れてしまったな)
アイザックが宰相になったのは、4年前の20歳だ。
先代の宰相――彼の実父が死すと同時にこの地位に就いた。
その後は国内各地における魔物討伐や、冷徹とも言われる手腕で宮殿の腐敗を浄化し、周囲に恐れられた。
鋭い目つきの他、人嫌いの性分や赤い髪に目が血を連想したためか、いつしか"血塗りの宰相"と呼ばれるようになったのだ。
(まぁ、余計な会話をしないから楽なのだが)
彼が人嫌いなのは事実であり、無駄な雑談などが日常から省かれるので助かる面もある。 周囲の怯えた視線を感じつつ目的地に着いた。
宮殿二階の中央部に位置する部屋だ。
重厚な扉には国章である剣と盾が描かれ、他の部屋とは一線を画すことを伝える。
アイザックは立ち止まると、軽く深呼吸してからノックした。
「皇帝陛下、失礼いたします。アイザックでございます」
「開いているよ。入っておいで」
穏やかな声が聞こえ、扉を開ける。
広々とした室内にはアンティーク調の家具がセンスよく配置され、窓から差し込む光に柔らかく光る。
一番奥に座する黒檀の机には、中性的な優男がいた。
ふんわりとした金髪は穏やかに輝き、鮮やかな碧眼には少年らしいあどけなさが残る。
――ヴァルステイン帝国皇帝、エドワール・ヴァルステイン。
要するに、ここは皇帝の執務室だった。
アイザックは机の前で跪き首を垂れる。
「陛下より拝命いたしました件の報告にまいりました」
返答はない。
尚も首を垂れていると、くすくすと少年のような笑い声が降ってきた。
「いつも言っているじゃないか。僕たちの仲なんだ。もっと砕けた口調で話してくれ。君がそんなんだと僕の方が緊張してしまうよ」
「まぁ、形式は大事ということだ。特に、国際情勢がこんなときならなおさらな。いつどこで誰が聞いているかわからん」
「いやはや、君の方が皇帝にふさわしいよ。僕の寿命が潰えたら後は頼むね」
「冗談でもそんなことは言うもんじゃないぞ」
笑えない冗談に、アイザックはため息交じりに答えながら立ち上がる。
そんな彼に、エドワールは真面目な表情を向けた。
「赤ちゃんの様子はどうだい?」
「まだ眠っている。ジスランの診断では、睡眠で体力が回復すれば自然に目覚めるだろうということだ」
「それを聞いて安心したよ。アイザック、あの子を助けてくれて本当にありがとう」
あわや溺死となったステラの病状はエドワールもひどく心配しており、祈るような思いでここ数日を過ごしていたのだ。
アイザックは黙礼で答え、本題に入る。
「さて、報告を始めよう。結論から言うと、やはりあの赤子は聖属性の魔力を持っていた」
「十年に一人生まれるか否かの極めて貴重な聖属性……か」
「川の中でも白く光っていたおかげで、沈んだ場所がわかったんだ」
ステラは知らなかったが、彼女の身体が光った理由は本能的な魔力の放出だった。
弱々しくながらも暗い水中で発光体のように輝き、居場所をアイザックに知らせた。
「君が考えたように、あの赤ちゃんは彼の国に攫われるところだったんだね?」
「概ね間違いないはずだ」
「追いつくのが一歩遅ければ、この国は破滅していたかもしれないね。まったく、彼の国は恐ろしい軍事技術を考案するよ。子どもの純粋な魔力を大量に凝縮して、極めて強力な魔導砲を作ろうとは……」
「新型魔導兵器とはよくいったものだ」
――ドラウゼン軍事連邦。
ヴァルステイン帝国の隣に位置する巨大な国で、ここ最近は急速な軍事開発を行い力を伸ばしている。
アイザックの分析により、最終目的は世界全体の主権を手に入れることだと明らかになった。
周辺にはすでに呑み込まれた小国も報告されており、その毒牙は帝国にも伸びつつある。
――子どもの誘拐。
新型魔導兵器の動力源を集めるため、ドラウゼン軍事連邦は奴隷商人などを使って子どもを誘拐していたのだ。
捕らえた奴隷商人などの証言から、彼の国は極めて貴重な聖属性の魔力を持つ子どもを探していることも判明した。
兵器開発に絶対的に必要な要素だと考えられる。
「じゃあ、君の推理を聞かせてもらえるかい? 赤ちゃんとこの国を助けるに至った経緯を」
エドワールに促されると、アイザックは真剣な面持ちで"あの日"を――ステラを救出した日の報告を始めた。
「私は金と地理の情報から推理を立てた。異変を感じたきっかけは、赤子の両親――フェイユ男爵家の財務報告書だ。あまり大きな声では言えないが、あの家には多額の借金があった。男爵家という規模では、一生をかけてようやく返せるような金額だ。それがある日……一括で返済された」
「……続けてくれ」
「フェイユ男爵家の資源目録を確認した結果、領地から新たな鉱山や特産品が発見された報告はない。彼らが新しく商売を始めたり成功した記録もない。また、別の場所から借金をした記録も確認されなかった」
「"表"に出る金で借金は返済されなかった、と君は考えたわけだね?」
エドワールの問いかけに、アイザックは無言で頷く。
「私は金の出所が気になった。そこで、フェイユ男爵家の戸籍を調べると娘が一人いるとわかった。しかし、仮にドラウゼンにその娘を売った場合でも、例外を除いて借金を返せるほどの報酬は得られないと推測された」
「僕たちは捕らえた奴隷商人や他国から得た情報で、子どもの売買の相場を知っているからだ。どんな属性の魔力持ちなら、だいたいいくらで取引されるか推測できる」
「そうだ。フェイユ男爵家に追加で499人の子どもがいて、戸籍に登録していなければ話は別だがな。そして、その例外というのが……」
「ドラウゼンの新型魔導兵器の開発に絶対必要な、聖属性の魔力持ちだ」
エドワールの表情はすでに固い。
心なしか、室内の空気も硬さを増した。
緊張感が薄らと漂う中、アイザックは淡々と説明を続ける。
「彼の国に聖属性の魔力持ちだった娘を売ったと考えれば、借金の一括返済は可能だ。報酬は前金として受け取ったのだろう。もう一つ、フェイユ男爵家が位置する場所もこの推理を裏付けた。あの家から北に30kmほども進むと、ドラウゼンとの国境の川がある。健康な成人ならば、丸一日歩けばたどり着けてしまう」
「ふむ……。フェイユ男爵とその妻は、なぜわざわざ自分たちで赤ちゃんをドラウゼンに届けようと思ったのだろうね。向こうから指示があったのかな?」
「おそらく、"旅行"という体であの赤子を連れ出したと私は考えている。旅行ならば家族連れを見かけてもおかしくはないし、男爵家は貴族だ。各地の関所を通過するのは簡単だったはずだ。聖属性という極めて貴重な魔力持ちならば、なるべく警戒されないような自然な移送を心掛けたのだろう。万が一を考え、私が直接出向いたというわけだ。結果として正解だったな」
フェイユ男爵夫妻が娘の聖属性に気づいたきっかけは不明だが、何かの拍子にステラが魔力を放ったのだろうと説明を補足する。
実際、日常的に虐げられていたステラは強く叩かれたとき、防衛反応で聖属性の魔力を放出したのだ。
客観的な事実に基づく論理的な推理を聞いたエドワールは、思わず感嘆と呟いた。
「なるほど。相変わらず、君は視野が広いね。宰相でいてくれてよかった。我が国では、貴族はみな財務報告書や領地の資源目録を宮殿に提出する義務がある。内乱を事前に防ぐための古い規則だと思っていたけど、今回はその古い規則に救われたわけだね」
「ああ、そういうことになる」
「残された使用人たちの聴取はもう終わったのかい? フェイユ男爵家に接触したと思われる、人物や組織に関する他の手掛かりはどうだ?」
アイザックは数枚の書類を差し出す。
使用人たちに対する事情聴取を端的にまとめた物だった。
「今回の件に、フェイユ男爵家の使用人は関わっていない。全て、フェイユ男爵とその妻で完結したようだ。ドラウゼンに関する手掛かりもなかった。燃やすよう指示されたか、元から何も記録に残していなかったのだろう」
「そうか。残念だが致し方ない。彼らはなかなか尻尾を摑ませないね」
今まで捕らえた奴隷商人やその類いの人間は完全に下っ端の者たちで、その上の組織に繋がる重要な手掛かりは入手できないでいた。
報告を終えたアイザックは、しばし悩んだ末に胸の小さな引っかかりを吐露する。
「あの赤子を見捨てていれば、私はフェイユ男爵夫妻に追いついただろう。さすれば、今頃は国内の内通者を炙り出せていたかもしれない。私の判断はよかったのか……少々疑問に感じる」
「アイザック」
エドワールは立ち上がり、大事な親友で頼れる宰相の肩を摑む。
「それは違うよ。君は間違ってなどいない。むしろ、正しい行いをしたんだ。目の前で溺死寸前の赤ちゃんを見捨てるなんて人のすることではない。もし見殺しにしていたら、僕は友達を辞めていただろうね」
彼の言葉を聞き、アイザックは身体から力が抜ける感覚を覚えた。
「……そうか。そうだな」
「君は"血塗りの宰相"などと呼ばれているが、性根はそんなに恐ろしい人間ではないのさ。まぁ、その二つ名は外交上も国内の統治にも便利だから僕が否定することはないのだけど」
「……おい」
睨むアイザックに対しエドワールはくすくすと笑い、空気が軽くなった。
「帝国憲法に基づき、フェイユ男爵家は領地の没収とした。今後は我がリディエール家が統治する。ちょうど、信頼できる家令を送ったところだ。領地の混乱を終息させつつ、ドライゼンに関する情報を集める」
「ああ、それで頼む」
「エドワール、私の勘でしかないが念のため伝えておく。フェイユ男爵家に接触した人物もしくはその後ろ盾となる組織は、意外と近くにいるかもしれないぞ。宮殿に出入りする貴族でさえ、ドラウゼンと内通している可能性はある」
「……ああ、十分に気をつけるよ」
彼の国は直接的な軍事行動を仕掛けるだけでなく、内通者――いわゆるスパイを使うこともよくあった。
あらゆる可能性を視野に入れる必要があると話したところで、アイザックは別件の話題を切り出す。
「ところで……身体の具合はどうだ?」
エドワールの表情が強張った一瞬を、アイザックは見逃さなかった。
一方、取り繕った笑みで誤魔化すのはエドワールだ。
「まぁ、あまり変わりはないかな。悪くはなってないよ」
「それはつまり、良くもなってないということか」
アイザックの目には、エドワールの襟元に隠れた肌が映る。
紫色の毒々しい斑点模様が、清潔な衣服の中で影を潜めていた。
「早く"封癒草"さえ見つけられればいいのだが……すまんな、探索は難航している」
「いや、気にしないでくれ。僕はこの身体だからこそ、毎日を真剣に生きていけるんだよ。もちろん、健康が一番だけどね」
エドワールのやつれた微笑みに、アイザックは胸がちくりと痛む。
唯一と言っていい大切な友人が日に日に弱っていく――
その光景を目の当たりにするのは辛いものがあった。
「では、私はこれで失礼する。忙しいところ悪かったな」
「ちょっと待ってくれ。あの赤ちゃんについてだが……アイザック、君が娘として引き取ってくれ」
「……なに?」
背中に投げかけられた言葉を受け、アイザックは立ち止まった。
「なぜ、私があんな赤子を娘にしなければならないんだ。私が子ども嫌いなのはよく知っているはずだろう」
「フェイユ男爵家に接触した、おそらくドラウゼンの関係者もあの赤ちゃんは聖属性持ちだと知っている。国内のどこに潜んでいるか裏に誰がいるかわからない以上、どこぞの修道院や教会に預けるわけにはいかないんだ。ましてや、他の貴族に養子に出すことさえリスクが大きい」
「……」
エドワールの話す内容は尤もで、アイザックもまたその背景はよく理解していた。
「僕が引き取れればいいが体調に不安がある。もしものとき、守れる力がある人間の傍にいるのが安全なんだ。だから、この国で一番強く、僕が一番信頼している君に預けたい」
真剣な瞳で頼まれたアイザックは、やがて諦めた様子で頷いた。
「……わかった。私が引き取ろう。これも帝国のためだ。よもや、結婚もせず子どもを持つことになろうとはな」
「ありがとう。やっぱり、君が宰相で本当によかった。それに、子どもを持つのは案外悪い話ではないかもしれないよ。令嬢たちからの結婚攻勢を牽制できると思えばね」
「まぁ、たしかにそのような副次的作用が見込まれるか」
見目麗しく、宰相でかつ公爵家のアイザックは、数多の令嬢から毎日のように茶会や夜会の誘いを受けていた。
彼は"血塗りの宰相"として恐れられているはずだが、一部の令嬢にはむしろ魅力的に見えるらしい。
結果、アイザックは年頃の女性からのアプローチに辟易する日々を送っていたのだ。
多少は今よりマシになるだろうと考える彼に、エドワールは微笑みの残る真剣な表情で言う。
「あの子が聖属性を持っていることは秘密にしよう。兵器開発に絶対必要な存在ともなれば、身柄を狙われることは必然だ」
「ああ、承知している。話すのは屋敷の信頼できる人間だけとする。まぁ、ジスランは優秀だからな。診察のときすでに気づいているかもしれんが。では、また夜の会議で会おう」
別れの挨拶をしたアイザックが扉に手をかけたとき、彼の背中に穏やかな声が乗る。
「ありがとう……僕の親友よ」
小さな微笑みで答え、静かに一礼して部屋を出た。
日に日に死期が色濃くなる大切な友人の思いを噛み締めて。
廊下を歩くアイザックの頭に浮かぶのは、やはりステラのことだ。
(聖属性の魔力を持つ赤子か……。助けたことは間違ってないだろうが、まったくとんだ拾い物をしてしまったな)
基本的には、屋敷に置いたままになるだろう。
だとしても、自分の邸宅にいつ泣くかわからない赤子がいると忙しない心境になった。
アイザックは誰もわからないくらい僅かに肩を落としつつ、ステラが待つ公爵邸に向かう。
アイザックは宮殿の中を歩いていた。
今歩いている廊下でさえ大理石の床は汚れ一つなく磨き上げられ、天井には優雅な天井画が描かれる。
宮殿で働く文官や使用人が忙しなく行き交う様からも、この国の国力が窺えた。
そんな彼らは歩くアイザックの姿を見かけるたび、怯えた様子で直立しては一礼する。
日常的な光景を横目に、当の本人は心中で呆れたため息を吐いた。
(この対応にもすっかり慣れてしまったな)
アイザックが宰相になったのは、4年前の20歳だ。
先代の宰相――彼の実父が死すと同時にこの地位に就いた。
その後は国内各地における魔物討伐や、冷徹とも言われる手腕で宮殿の腐敗を浄化し、周囲に恐れられた。
鋭い目つきの他、人嫌いの性分や赤い髪に目が血を連想したためか、いつしか"血塗りの宰相"と呼ばれるようになったのだ。
(まぁ、余計な会話をしないから楽なのだが)
彼が人嫌いなのは事実であり、無駄な雑談などが日常から省かれるので助かる面もある。 周囲の怯えた視線を感じつつ目的地に着いた。
宮殿二階の中央部に位置する部屋だ。
重厚な扉には国章である剣と盾が描かれ、他の部屋とは一線を画すことを伝える。
アイザックは立ち止まると、軽く深呼吸してからノックした。
「皇帝陛下、失礼いたします。アイザックでございます」
「開いているよ。入っておいで」
穏やかな声が聞こえ、扉を開ける。
広々とした室内にはアンティーク調の家具がセンスよく配置され、窓から差し込む光に柔らかく光る。
一番奥に座する黒檀の机には、中性的な優男がいた。
ふんわりとした金髪は穏やかに輝き、鮮やかな碧眼には少年らしいあどけなさが残る。
――ヴァルステイン帝国皇帝、エドワール・ヴァルステイン。
要するに、ここは皇帝の執務室だった。
アイザックは机の前で跪き首を垂れる。
「陛下より拝命いたしました件の報告にまいりました」
返答はない。
尚も首を垂れていると、くすくすと少年のような笑い声が降ってきた。
「いつも言っているじゃないか。僕たちの仲なんだ。もっと砕けた口調で話してくれ。君がそんなんだと僕の方が緊張してしまうよ」
「まぁ、形式は大事ということだ。特に、国際情勢がこんなときならなおさらな。いつどこで誰が聞いているかわからん」
「いやはや、君の方が皇帝にふさわしいよ。僕の寿命が潰えたら後は頼むね」
「冗談でもそんなことは言うもんじゃないぞ」
笑えない冗談に、アイザックはため息交じりに答えながら立ち上がる。
そんな彼に、エドワールは真面目な表情を向けた。
「赤ちゃんの様子はどうだい?」
「まだ眠っている。ジスランの診断では、睡眠で体力が回復すれば自然に目覚めるだろうということだ」
「それを聞いて安心したよ。アイザック、あの子を助けてくれて本当にありがとう」
あわや溺死となったステラの病状はエドワールもひどく心配しており、祈るような思いでここ数日を過ごしていたのだ。
アイザックは黙礼で答え、本題に入る。
「さて、報告を始めよう。結論から言うと、やはりあの赤子は聖属性の魔力を持っていた」
「十年に一人生まれるか否かの極めて貴重な聖属性……か」
「川の中でも白く光っていたおかげで、沈んだ場所がわかったんだ」
ステラは知らなかったが、彼女の身体が光った理由は本能的な魔力の放出だった。
弱々しくながらも暗い水中で発光体のように輝き、居場所をアイザックに知らせた。
「君が考えたように、あの赤ちゃんは彼の国に攫われるところだったんだね?」
「概ね間違いないはずだ」
「追いつくのが一歩遅ければ、この国は破滅していたかもしれないね。まったく、彼の国は恐ろしい軍事技術を考案するよ。子どもの純粋な魔力を大量に凝縮して、極めて強力な魔導砲を作ろうとは……」
「新型魔導兵器とはよくいったものだ」
――ドラウゼン軍事連邦。
ヴァルステイン帝国の隣に位置する巨大な国で、ここ最近は急速な軍事開発を行い力を伸ばしている。
アイザックの分析により、最終目的は世界全体の主権を手に入れることだと明らかになった。
周辺にはすでに呑み込まれた小国も報告されており、その毒牙は帝国にも伸びつつある。
――子どもの誘拐。
新型魔導兵器の動力源を集めるため、ドラウゼン軍事連邦は奴隷商人などを使って子どもを誘拐していたのだ。
捕らえた奴隷商人などの証言から、彼の国は極めて貴重な聖属性の魔力を持つ子どもを探していることも判明した。
兵器開発に絶対的に必要な要素だと考えられる。
「じゃあ、君の推理を聞かせてもらえるかい? 赤ちゃんとこの国を助けるに至った経緯を」
エドワールに促されると、アイザックは真剣な面持ちで"あの日"を――ステラを救出した日の報告を始めた。
「私は金と地理の情報から推理を立てた。異変を感じたきっかけは、赤子の両親――フェイユ男爵家の財務報告書だ。あまり大きな声では言えないが、あの家には多額の借金があった。男爵家という規模では、一生をかけてようやく返せるような金額だ。それがある日……一括で返済された」
「……続けてくれ」
「フェイユ男爵家の資源目録を確認した結果、領地から新たな鉱山や特産品が発見された報告はない。彼らが新しく商売を始めたり成功した記録もない。また、別の場所から借金をした記録も確認されなかった」
「"表"に出る金で借金は返済されなかった、と君は考えたわけだね?」
エドワールの問いかけに、アイザックは無言で頷く。
「私は金の出所が気になった。そこで、フェイユ男爵家の戸籍を調べると娘が一人いるとわかった。しかし、仮にドラウゼンにその娘を売った場合でも、例外を除いて借金を返せるほどの報酬は得られないと推測された」
「僕たちは捕らえた奴隷商人や他国から得た情報で、子どもの売買の相場を知っているからだ。どんな属性の魔力持ちなら、だいたいいくらで取引されるか推測できる」
「そうだ。フェイユ男爵家に追加で499人の子どもがいて、戸籍に登録していなければ話は別だがな。そして、その例外というのが……」
「ドラウゼンの新型魔導兵器の開発に絶対必要な、聖属性の魔力持ちだ」
エドワールの表情はすでに固い。
心なしか、室内の空気も硬さを増した。
緊張感が薄らと漂う中、アイザックは淡々と説明を続ける。
「彼の国に聖属性の魔力持ちだった娘を売ったと考えれば、借金の一括返済は可能だ。報酬は前金として受け取ったのだろう。もう一つ、フェイユ男爵家が位置する場所もこの推理を裏付けた。あの家から北に30kmほども進むと、ドラウゼンとの国境の川がある。健康な成人ならば、丸一日歩けばたどり着けてしまう」
「ふむ……。フェイユ男爵とその妻は、なぜわざわざ自分たちで赤ちゃんをドラウゼンに届けようと思ったのだろうね。向こうから指示があったのかな?」
「おそらく、"旅行"という体であの赤子を連れ出したと私は考えている。旅行ならば家族連れを見かけてもおかしくはないし、男爵家は貴族だ。各地の関所を通過するのは簡単だったはずだ。聖属性という極めて貴重な魔力持ちならば、なるべく警戒されないような自然な移送を心掛けたのだろう。万が一を考え、私が直接出向いたというわけだ。結果として正解だったな」
フェイユ男爵夫妻が娘の聖属性に気づいたきっかけは不明だが、何かの拍子にステラが魔力を放ったのだろうと説明を補足する。
実際、日常的に虐げられていたステラは強く叩かれたとき、防衛反応で聖属性の魔力を放出したのだ。
客観的な事実に基づく論理的な推理を聞いたエドワールは、思わず感嘆と呟いた。
「なるほど。相変わらず、君は視野が広いね。宰相でいてくれてよかった。我が国では、貴族はみな財務報告書や領地の資源目録を宮殿に提出する義務がある。内乱を事前に防ぐための古い規則だと思っていたけど、今回はその古い規則に救われたわけだね」
「ああ、そういうことになる」
「残された使用人たちの聴取はもう終わったのかい? フェイユ男爵家に接触したと思われる、人物や組織に関する他の手掛かりはどうだ?」
アイザックは数枚の書類を差し出す。
使用人たちに対する事情聴取を端的にまとめた物だった。
「今回の件に、フェイユ男爵家の使用人は関わっていない。全て、フェイユ男爵とその妻で完結したようだ。ドラウゼンに関する手掛かりもなかった。燃やすよう指示されたか、元から何も記録に残していなかったのだろう」
「そうか。残念だが致し方ない。彼らはなかなか尻尾を摑ませないね」
今まで捕らえた奴隷商人やその類いの人間は完全に下っ端の者たちで、その上の組織に繋がる重要な手掛かりは入手できないでいた。
報告を終えたアイザックは、しばし悩んだ末に胸の小さな引っかかりを吐露する。
「あの赤子を見捨てていれば、私はフェイユ男爵夫妻に追いついただろう。さすれば、今頃は国内の内通者を炙り出せていたかもしれない。私の判断はよかったのか……少々疑問に感じる」
「アイザック」
エドワールは立ち上がり、大事な親友で頼れる宰相の肩を摑む。
「それは違うよ。君は間違ってなどいない。むしろ、正しい行いをしたんだ。目の前で溺死寸前の赤ちゃんを見捨てるなんて人のすることではない。もし見殺しにしていたら、僕は友達を辞めていただろうね」
彼の言葉を聞き、アイザックは身体から力が抜ける感覚を覚えた。
「……そうか。そうだな」
「君は"血塗りの宰相"などと呼ばれているが、性根はそんなに恐ろしい人間ではないのさ。まぁ、その二つ名は外交上も国内の統治にも便利だから僕が否定することはないのだけど」
「……おい」
睨むアイザックに対しエドワールはくすくすと笑い、空気が軽くなった。
「帝国憲法に基づき、フェイユ男爵家は領地の没収とした。今後は我がリディエール家が統治する。ちょうど、信頼できる家令を送ったところだ。領地の混乱を終息させつつ、ドライゼンに関する情報を集める」
「ああ、それで頼む」
「エドワール、私の勘でしかないが念のため伝えておく。フェイユ男爵家に接触した人物もしくはその後ろ盾となる組織は、意外と近くにいるかもしれないぞ。宮殿に出入りする貴族でさえ、ドラウゼンと内通している可能性はある」
「……ああ、十分に気をつけるよ」
彼の国は直接的な軍事行動を仕掛けるだけでなく、内通者――いわゆるスパイを使うこともよくあった。
あらゆる可能性を視野に入れる必要があると話したところで、アイザックは別件の話題を切り出す。
「ところで……身体の具合はどうだ?」
エドワールの表情が強張った一瞬を、アイザックは見逃さなかった。
一方、取り繕った笑みで誤魔化すのはエドワールだ。
「まぁ、あまり変わりはないかな。悪くはなってないよ」
「それはつまり、良くもなってないということか」
アイザックの目には、エドワールの襟元に隠れた肌が映る。
紫色の毒々しい斑点模様が、清潔な衣服の中で影を潜めていた。
「早く"封癒草"さえ見つけられればいいのだが……すまんな、探索は難航している」
「いや、気にしないでくれ。僕はこの身体だからこそ、毎日を真剣に生きていけるんだよ。もちろん、健康が一番だけどね」
エドワールのやつれた微笑みに、アイザックは胸がちくりと痛む。
唯一と言っていい大切な友人が日に日に弱っていく――
その光景を目の当たりにするのは辛いものがあった。
「では、私はこれで失礼する。忙しいところ悪かったな」
「ちょっと待ってくれ。あの赤ちゃんについてだが……アイザック、君が娘として引き取ってくれ」
「……なに?」
背中に投げかけられた言葉を受け、アイザックは立ち止まった。
「なぜ、私があんな赤子を娘にしなければならないんだ。私が子ども嫌いなのはよく知っているはずだろう」
「フェイユ男爵家に接触した、おそらくドラウゼンの関係者もあの赤ちゃんは聖属性持ちだと知っている。国内のどこに潜んでいるか裏に誰がいるかわからない以上、どこぞの修道院や教会に預けるわけにはいかないんだ。ましてや、他の貴族に養子に出すことさえリスクが大きい」
「……」
エドワールの話す内容は尤もで、アイザックもまたその背景はよく理解していた。
「僕が引き取れればいいが体調に不安がある。もしものとき、守れる力がある人間の傍にいるのが安全なんだ。だから、この国で一番強く、僕が一番信頼している君に預けたい」
真剣な瞳で頼まれたアイザックは、やがて諦めた様子で頷いた。
「……わかった。私が引き取ろう。これも帝国のためだ。よもや、結婚もせず子どもを持つことになろうとはな」
「ありがとう。やっぱり、君が宰相で本当によかった。それに、子どもを持つのは案外悪い話ではないかもしれないよ。令嬢たちからの結婚攻勢を牽制できると思えばね」
「まぁ、たしかにそのような副次的作用が見込まれるか」
見目麗しく、宰相でかつ公爵家のアイザックは、数多の令嬢から毎日のように茶会や夜会の誘いを受けていた。
彼は"血塗りの宰相"として恐れられているはずだが、一部の令嬢にはむしろ魅力的に見えるらしい。
結果、アイザックは年頃の女性からのアプローチに辟易する日々を送っていたのだ。
多少は今よりマシになるだろうと考える彼に、エドワールは微笑みの残る真剣な表情で言う。
「あの子が聖属性を持っていることは秘密にしよう。兵器開発に絶対必要な存在ともなれば、身柄を狙われることは必然だ」
「ああ、承知している。話すのは屋敷の信頼できる人間だけとする。まぁ、ジスランは優秀だからな。診察のときすでに気づいているかもしれんが。では、また夜の会議で会おう」
別れの挨拶をしたアイザックが扉に手をかけたとき、彼の背中に穏やかな声が乗る。
「ありがとう……僕の親友よ」
小さな微笑みで答え、静かに一礼して部屋を出た。
日に日に死期が色濃くなる大切な友人の思いを噛み締めて。
廊下を歩くアイザックの頭に浮かぶのは、やはりステラのことだ。
(聖属性の魔力を持つ赤子か……。助けたことは間違ってないだろうが、まったくとんだ拾い物をしてしまったな)
基本的には、屋敷に置いたままになるだろう。
だとしても、自分の邸宅にいつ泣くかわからない赤子がいると忙しない心境になった。
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市場で偶然を装いながらアイテムを出し入れし、タイミングをずらすことで発生する“複製バグ”。それは、あらゆる物資を無限に増やす禁断の裏技だった。
食料も、装備も、資金も――すべてが無限。
最底辺から一転、誰にも真似できないチートを手にしたアイリスは、冒険者として歩み始める。だがその力はやがて、経済を歪め、権力者の目に留まり、そして世界の“仕様そのもの”に干渉していくことになる。
これは――
ゴミと呼ばれた少女が、“世界の裏側”を掌握する物語。
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誤字修正いたしました。
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