樹海暮らしの薬屋リヒト

高崎閏

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第1章

稽古中の事件

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 リヒトが南区の茶屋で料理屋の女将から怒涛の勢いで説教をされている同時刻、ヒューマ邸の道場でシキはヒューマの長着の裾を掴んでその背中(背が足りていないので足元ではあるが)に、隠れていた。

「先生! シキくん隠れちゃったよ!?」
「かわいい~」
「オレの妹と同じくらいの背じゃん」
「これで同い年って本当かよ!」
「怖くないよ~、いっしょにやろうよ~」

 数人の同世代の子どもたちに囲まれるという経験が無かったために、シキは今猛烈に、人見知りを発揮してしまっていた。

 一方でヒューマ邸の道場に通い慣れた子どもたちは、見慣れぬ幼子に興味津々で、ヒューマが説明してくれた「シキは小さいが、齢は十なので皆仲良くするように」の一言に、えぇー!と盛大な声を上げて、わらわらとシキを質問攻めにして、取り囲んだのだった。

 そしてその勢いに怯えきったシキがヒューマの影に隠れるまでは一瞬の出来事だった。

「はっはっは、ワンパクな子どもたちじゃ。シキや、怯えるでない。皆、気のいい仲間じゃぞ。さ、挨拶をしなさい」

 ヒューマは朗らかに笑い、シキの背中をとんとんと優しく叩いた。そしてすっ、と興味津々の眼差しを向ける子どもたちの前にシキを立たせた。

 少しもごもごと口を動かした後、すぅと息をついてシキは声を出した。

「はじめまして、コキタリス街道の村から来たシキといいます、よろしくおねがいします」

 頬を真っ赤に染めて、ぺこりとお辞儀をする。すると、周りを取り囲んでいた子どもたちがわーっと歓声をあげて、口々に、よろしくー!や、遠くから来たのね、など、挨拶や感想をそれぞれ口に出した。

 少人数との関わりしか無かったものだから、これだけの人数に囲まれたことは生まれてこのかた、無縁に等しい。シキはガチガチに緊張していたが、ヒューマは「上出来じゃ」とウインクを送ってくれたので、詰めていた息をほっと吐いた。



 稽古が始まるとシキの緊張はほぐれていった。

 まずは一番年上であろう年長者二人の男の子がヒューマの指示のもと、見本の型を見せてくれる。そしてそれを道着を着た子どもたちがそれぞれペアを組んで、同じ型を交代しながら実践する。

 シキが組むように言われたのは、子どもたちの中では一番小柄なネロという男の子だった。年は八つで、稽古に通い始めたのは実りの季節かららしく、二月も経っていないらしいが、年長者の男の子たちの型をそっくりそのまま真似ていて、そんなに力を込めていないはずなのに、ころりとシキは床に転がされてしまった。

 きれいな水色の髪の毛を揺らしてにこにことシキを起こしてくれる。

「ありがとう、ネロくん」
「ううん、さ、次は君の番だよ! それと僕のことは呼び捨てでいいよ。シキくんのが年上なんだろう?」

 シキは鼓動がはやるのを感じた。友だちが出来る予感に、じわりと喜びが染み渡る。
 ネロの差し出した手をしっかりと握って、シキはにこりと笑い返した。

「うん、よろしくね、ネロ。でも僕のことも呼び捨てでかまわないよ!」
「そうする! さあ、続きをしよう!」

 ネロは子どもたちの中では小柄と言っても、シキよりは頭一つほど大きい。ネロのように、道着の首元を持って、足を相手の足元に引っ掛けてみても、ネロはびくともしなかった。

「ネロはすごいね、さっき僕はあんなにかんたんに転んだのに!」
「コツがいるんだ。右手をもっと手前に引き寄せるように。そしたら相手の重心が片寄るから、そこで軸足を掬いとるように思いっきり払ってみて」
「こ、こう……?」

 ネロがころりと床に転がってくれた。恐らく動きを助けてくれたようだが、具体的に指示を出してくれたおかげでシキはコツを掴めた。

 何度かやっている内に、ネロがやるように簡単に型を実践できるようになった。

 見本だけでは汲み取りにくい部分をわかりやすく言葉にして教えてくれるので、シキは初日にも関わらず、正確に足技を習得することが出来た。

 休憩時間を言い渡された子どもたちは、道場の中をそれぞれ自由に過ごしており、シキとネロは外の水飲み場に水分補給をしに来ていた。

「ネロは教えるのが上手だね」
「本当!? 実は父さんが自警団の団長なんだ、休みの日は父さんに教わってるからそのおかげかも」
「団長さんって偉い人だよね? やっぱり強い?」
「うん、強いよ! 筋肉もむきむき! 自警団は一年に一回大会開いて、強さを競い合うんだ。優勝した人が次の年の団長、僕の父さん二年連続で優勝したから」
「とっても強いんだね! すごいなあ」

 はにかみながら教えてくれたネロは父親が褒められて嬉しそうだった。その顔を見たシキも自然と笑顔になったが、唐突に横から声を掛けられた。

「父ちゃんが強くても、お前がちんちくりんだからいつまでもちびっこ相手に組手を組まされるんだよ」

 刺々しい物言いにハッとし、顔を上げると短い栗毛にそばかす顔の男の子が口を尖らせてこちらを見ていた。きりりと睨みをきかせている。

 たしか自己紹介の際に、ユージアと名乗っていた。ネロと同じ歳で、彼よりも大柄だったので、よく覚えていた。

「いつまでも細っちいから弱い相手としか組まされないの、自覚してるか? いくら父ちゃんが強くたって、お前にはまだ大技出せないからオレに勝てないんだよ」

 ネロが唇を噛み締めていた。ユージアとネロが戦うと、ユージアが毎回勝っているのだろう。

 力比べでは、体格の差が歴然となる。ネロはたしかに同じ八歳の少年少女たちと比べると、華奢な身体をしていた。

 言いがかりをつけられて、シキは横で聞いていながら段々とお腹がむかむかとしてきた。なんてことを言うんだ、ネロは――。

 その瞬間、シキの身体が黒く光り始め、モヤモヤとした黒い霧が空中に放出された。その黒い霧は、猛スピードでユージアに向かっていくように見えた。

(……ダメ!)

 シキは瞬時にそれが、相手を攻撃してしまうものだと悟ったが、放たれてしまったものをとめる術を知らなかった。ぎゅっと固く目を瞑る。

「シキや、怒りを鎮めなさい」

 ヒューマの声に、シキはそっと目を開けた。

 体から力が抜けていくのが分かった。既に黒い霧のようなものは霧散しており、驚きに目を見張るネロと、目の前で腰を抜かしたのか尻もちをついているユージアがいた。そして、シキとユージアの間にはいつの間にかヒューマが立っていた。

 ヒューマの手が酷く傷ついている。火傷のような痕から滲み出た血が、ぽたりぽたりと地面に吸い込まれていく。

「――っあ、」

 ざあ、と血の気が引いていく。指先から体温が抜け落ちていくのがわかった。

 震える唇でごめんなさい、と言おうとしたが、ヒューマに両目を手で覆われてしまい、言葉は紡げなかった。

「儂は大丈夫じゃ、目を閉じて、大きく息を吸うんじゃ、そしてゆっくりと吐き出すのを繰り返しなさい」
「……は、はい」

 言われた通りに、何度か深呼吸を繰り返す。

 早鐘のようになった心臓が、落ち着きを取り戻していく。

 シキを落ち着けさせながら、ヒューマはユージアへと声を掛けた。

「ユージア、ちとネロへの言葉に棘があるようじゃ。ネロを初参加の者と組ませる理由は、ネロが教えるのが上手いからじゃよ」
「……、」

 尻もちをついたまま、ユージアは俯く。ばつが悪そうな顔をして、唇を尖らせていた。

「じゃがユージアは同じ八つの子たちの中ではうんと強くなったのう。大きな体格を活かして、寝技がばっちり決められるようになっておる。だからこそ、弱き者を導くための優しさも、もう少し育てるべきじゃよ」

 ヒューマが深い声音で、優しく諭していた。ユージアは小さく、はい、と返事をすると道場へと戻って行った。

「ネロや、驚かせて悪かったのう」
「い、いえ……」
「ネロは先程も言った通り、初めて稽古に出る者に教えるのがうんと上手じゃ。先輩たちの動きを見極めて、それを自分なりに解釈して、わかりやすく他者に伝える。そう簡単に他の者にも出来ることじゃないぞ」
「で、でも、ユージアが言ったことも、本当です。身体が小さいから、強い技もまだ出来なくて……」
「その認識は間違っておるので訂正しておこうかのう。儂が君たちに教えておる体術は体格が大きい者は確かに力強い技を出せるが、その相手の力を利用して相手を制する格闘技でもあるんじゃよ」

 ネロが首を傾げた気配が伝わってくる。ヒューマは穏やかに続けた。

「小柄な者は重心が低いから、大柄な者の懐に入りやすいのじゃ。内側に入り安ければ、早くに相手の重心を崩して、技を掛けやすくなる。全く適わぬ相手では無い、戦い方が変わってくるだけじゃよ。それにまだまだそなたは幼い。これから成長するから安心せい。父親のバッシュを見てみよ、あんなにデカい図体をしておるのじゃ、父親を越えられるようにしっかり飯を食べて、寝て、元気に過ごすことじゃな」
「……はい!」
「して、ネロは先に道場に戻っておくれ、皆には先程の組手の続きをやるように伝えて欲しい。儂もシキと共にすぐに戻るよ」
「はい、先生」

 たたたっと駆けていく足音が聞こえた。ようやくシキの瞼を覆っていた手を退けたヒューマは、自身の傷付いた手に回復魔法をかけていた。

「ほら、もう大丈夫じゃよ」
「……すみませんでした、お師匠さま」

 シキがくしゃりと顔を歪めた。目頭がじわっと熱を持つ。

 ヒューマが間に入らなければ、ユージアに向かって攻撃魔法を使ってしまうところだった。もしも彼に魔法が当たってしまっていたなら、どうなっていたのだろう。

 がくがくと体が震えてしまう。

「友のために、他者を怒れるのは尊きことじゃよ。魔法を制御することと、友のことを思う気持ちはまた別の事じゃ」
「気持ちのままに魔法を使うことも、また別の事です……」
「よくわかっておるな、やはりシキは優しい子じゃ」

 ぽんぽんとヒューマはシキの頭を撫でた。ぐっ、とヒューマを見上げるシキの目は、その琥珀色の眼差しを真っ直ぐに前へと向けていた。

「お師匠さま、僕、魔法も体術も、頑張って習得します」
「うむ、期待しておるぞ」
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