絶対不要の運命論

小川 志緒

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過去、十五歳(まだ、一度目の)

「あなたの王子さまになりたかった」

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 マリアの言った通り。
 たしかに魔女は、ほんとうには悪いひとじゃなかったと思う。
 だけど、僕はそうしたら誰を恨めばいいんだろう。

 うわさに踊らされた街の人間? 悪意をもって嘘を吐いて回った成金の男? 周囲の声に負け女を信じ切れなくなったマリアのお父さまやお母さま?
 誰を憎んだってもうどうにもならないのに。マリアは今日も少しずつ死んでいく。

 マリアがいなくなってから生きる時間のことを思うとどうしようもなく息が詰まる。延々と続く日々を僕はマリアなしで過ごしていく。十年も百年ももっと先まで。ひとりきりで。マリアのいない世界で。僕の寿命をあげたかった。僕にあるのはそれだけだから。帰る家も家族もない僕が唯一持っているのは、半永久的なこのいのちだけ。
 
 ……そろそろ僕のことを話すべきだろうか。
 僕は魔女ではない。かといってごく普通のこどもでもない。しかしマリアのように呪いをかけられた人間でもない。
 僕の曾祖父さまはここから離れたきれいな海で生まれ、海で生き、海で死んだ。はるか昔は波のはざまでそういう穏やかな生活を営んでいたのだ。僕だって同じように一生を過ごすはずだった。状況が変わったのは、ひとが頑丈な船をつくれるようになってから。

 ひっそりのびやかに棲んでいた僕の曾祖父さまは、ある日いきなり自分たちの領域に踏み込んできたいきものに大層驚いた。もちろん知らず知らずのうちに足を踏み入れてしまったほうも、悲鳴も出ないくらいに驚いたことだろう。
 僕の一族は遠目で二足歩行する彼らを眺めていたから、そういういきものがいることはとっくに知っていた。だが船で海を渡っていた彼らは、書物にも先代の話にも出てこないいきものを目の当たりにし、恐れおののいたに違いない。
 それからはというものの、お互いぎくしゃくしながらも交流を重ね、次第に打ち解けるようになり、よい友人のような関係が築けていたのだ。僕のお父さまの時代が終わる頃までは、和やかに笑いあうのが続いていた。が、ちょうど僕が生まれる数年前に、僕らと人間は対等ではなくなった。ある日突然、大勢の人間が海に押し寄せてきて、僕らを手あたり次第に魚のように網で捕らえるようになったのだ。

 セイレーンの血や肉は、どんな難病も治す。

 そんなうわさがいつの間にか、まことしやかに人間のあいだで囁かれるようになったと知ったのは、僕のいちばん上の兄さまや叔母さま、従兄妹たちが捕まってしまってからだった。
 ひたすらそんなのはでたらめだと言い聞かせても、目をぎらぎらさせた男たちは聞く耳を持たず、大きな剣を振り下ろし、僕ら一族を切り刻んだ。飛び散った血が肌に触れると、たちまちその部分にはりが出て艶々とし、信憑性は高まるばかりで人間はますます熱狂した。それは手のかすり傷から僕らの血が入り込み、細胞が生まれ変わり始めてしまっただけなのに。
 人間でなくなってしまったと気づいたときにはもう手遅れだ。彼らは永遠に彷徨い続けることになる。

 そうするうちに数が減り、生き延びるために僕らは海を捨てるしかなかった。
 陸で生活できるように、進化なのか退化なのかよくわからない変化がいつ頃か僕らのからだには起こった。光の一切届かない海の底をすいすい泳ぐためのヒレも、脳を直接揺さぶるような透きとおる歌声も失い、代わりに二本の脚を手に入れた。
 人間から逃げ惑ううちに一族は離れ離れになって、僕は親の顔もろくに憶えていない。気づいたらひとりだった。ひとりで道端に蹲っていた。それでマリアに拾ってもらったのだ。
 拾われて数年してから、僕はマリアにだけ打ち明けた。マリアは少し驚いて、このことはわたしたちだけの秘密にするのよ、と僕に言った。あなたを誰にも殺させないと、僕をきつく抱きしめながら。

 さて。
 これが僕の正体のすべてだ。
 つまりは、そう、僕はセイレーンの血を引いている。
 だから死なない。三百年という長い時を生きる。そのときが来たら僕らはただの泡になって、波に取り込まれて消えていく。寿命の尽きる瞬間まで僕はこの姿のまま、世界に取り残されてしまう。

     ◯

「セイレーンにおとなはいないの?」

 とマリアは訊いたことがある。

「いるよ。僕らは好きな歳で年齢を止めることができるの。だから大きくなりたいひとは、大きくなってから成長をやめるんだ」

 と僕は答えた。

「マリオンはおとなになる?」

 とマリアは続けて訊いた。

「ならないよ」

 と僕は首を振った。
 マリアがならないのだから、僕もならないのだ。
 
     ◯

 セイレーンならその血を飲ませてやればいいと思うかもしれない。そうすればマリアを簡単に助けてやれるんじゃないかって。不死という代償を与えることになるけれど、同じように死なない僕がいるのだから、そう孤独でもないはずだと。
 だけど海で過ごしたより陸の上での生活のほうが長い僕の代では、もうだいぶ血が薄れてしまって、マリアの弱ったからだを完全に修復するには、僕の体内の血をほとんどぜんぶ飲ませる必要がある。呪いは強力で、僕の血はあまりにも脆弱だった。僕の血の再生と魔女の呪いの破壊とでは、圧倒的に呪いが強い。僕が勝つには量で勝負するしかなかった。だけど、だけど。

「マリオンが死んでまで生きたくないわ」

 マリアはきっぱり断った。

「ひとりきりで生きるのはつらいもの」

 と呟き窓の外を眺める。
 僕は呻くように言った。

「僕だってつらい」

 あなたのいなくなった世界で生きていくのはどうしようもなくつらい。想像しただけで苦しい。誰でもいいから僕を殺してほしいと思う。マリアが死んだら僕も一緒に埋葬して。もう二度と目が覚めないようにして。

「わたし、きっと戻ってくるわ」

 もう満足に動かない腕を伸ばして僕の髪に触れながらマリアは微笑む。

「だから待ってて」

 僕は鼻を啜りながら小さく頷く。あなたが言うなら待つわ。いくらでも。どうせ僕は長く生きるのだから。あなたと会う前に逃げ惑っていた期間がいくらかあるけれど、せいぜい半世紀ほどのことだもの。僕にはまだまだ時間だけは残されている。

「何年待てばいい? 百年?」

 もっとかかるのかしらと少し不安になりながらも、でもしょうがない、気長に待つのだと僕は密かに覚悟を決める。いつかまた会えるなら、必ず戻ってきてくれるなら、それを約束してくれるなら、僕は待つ。

「そんなにはかからないわよ」

 うふふとおかしそうに声を立ててマリアは言う。

「だけどまた女の子かも」

「いいよそんなのどっちでも」僕は堪えきれずに泣く。「男でも女でも何でもいい、また僕を見つけて。友達になって。一緒にいて」

「次に見つけるのはわたしじゃなくて、きっとマリオンのほうよ。マリオンがわたしを見つけにくるの」

「じゃあ捜すから。必ず見つけるから。ねえ、また僕といてくれる?」

「当たり前でしょ」

 僕の目許を優しく拭いながら、「ああ、だけどやっぱり、それなら男の子になりたいわ。そうしたらわたし、マリオンと結婚できるもの。結婚したらそれこそ一生一緒じゃない。わたしずっと不満だったの。どうしてわたしはいちばんすきな子と結婚できないのかしらって。わたしが世界でいちばんマリオンのことをすきで、マリオンに隣にいてほしいと願っているのに、なんでいけないのって。女の子同士ではなぜ駄目なの? ねえ、マリオンだってそう思うでしょ?」と眉をしかめて捲し立てる。

 床に臥せるようになっても相変わらず気の強いマリアの台詞に少し涙がおさまって、
「思うよ、だって僕もマリアがいちばんすきだから」
 と告白した。

 僕が僕と言うのはすべて、あなたと一緒にいたいが為。
 世界に対する小さな抵抗なのだから。
 腰まであるさらさらのブロンドの髪、青空のような爽やかなブルーの瞳。まるで絵画から抜け出たような完璧な女の子。いつかお目にかかる天使さまはきっと、あなたみたいな方だと思っている。つらい境遇にあっても笑みを絶やさない、かわいいひと。僕はあなたの王子さまになりたかった。
 
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