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王太子編
第15話「そして物語は進み続ける』※ブレイディア視点あり ※残酷な描写あり
しおりを挟む聖誕祭が終わって、翌日の昼下がり。
煌びやかな儀式と祝宴から一夜が明けたフローリアス公爵家は、いつもと変わらぬ静けさに包まれている。
私は前日までの華やぎが嘘のように、屋敷の廊下をぼんやりと歩きながら、ブレイディアと再会したときのことを反芻していた。
「ブレイディア……笑顔が柔らかくなってた。あの“冷たい笑み”をしなくなったんだな……ほんとに、よかった……」
冷たい仮面のような笑顔だった彼は、“8歳の普通の男の子”とはいえないかもしれないけれど、前ほど重苦しい空気をまとっていないように見えた。
寂しさと安心が入り混じりながら、ふと目を伏せる。社畜OLの前世を持つ私の“めげない心”は、彼にとって“おせっかい”かもしれない行動をたくさんしてしまったけれど、それが少しでも彼を救うきっかけになったのだとしたら……それだけで胸が温かくなる。
「うん……きっともう、あんな“闇に堕ちたヤンデレ・メンヘラ王子”にはならない……はず!」
そう自分に言い聞かせるようにつぶやいて、再び前を向いた。
そんな時、廊下の奥からは楽しげな話し声と、金属のカチャカチャという音が聞こえてくる。厨房だ。
最近の私の日課として、暇を見つけては料理人たちの仕事ぶりを覗きに行くことが多い。単純に見ているだけで面白いし、ふたりと話すと元気をもらえるからだ。
「お嬢様、いらっしゃい。今日はちょっと手が離せないんだが……いいとこ見せるぜ?」
厨房に入ると、大きな鍋を豪快に振っているコック長イーサンが目に入る。彼は屈強な体躯と髭をたくわえた風貌で、一見すると公爵家の厨房には不似合いな“熊男”のようだけど、料理の腕前は繊細そのもの。
右手から炎の魔法がふわりと立ち上り、鍋底にじわじわ熱を加えている。まるで薪の火力を自在に操るかのように、焦がさず煮崩れもなく、魔法で温度を細やかに調整しているのだ。
「わあ……すごい……本当に火の魔法で加熱してるんだね。これなら無駄な熱量も抑えられるのか……」
私が感嘆の声を漏らすと、イーサンはにやりと笑ってくぐもった声を出す。
「いやあ、慣れたもんさ。俺も昔は軍人だったからよ、火の扱いにはちょっと心得がある。今はこうして料理を通じて役に立てるのが一番ありがたいぜ」
彼が言うよう、イーサンは過去に足を怪我して軍を退役したあと料理人としての道を選び、今は公爵家のコック長を務めているのだ。
カランカラン、と具材を炒める音が響き、柔らかな香りが鼻をくすぐる。料理好きな前世を思い出す私にとっては、その光景もまたファンタジーらしく心が躍る時間だった。
隣では、黒髪に緑の瞳をした女性――アントニアが生クリームの泡立てに没頭している。彼女は公爵家のパティシエであり、世界的コンクールでも幾度も賞を取ってきた腕前を持つ。プライドは高いが、何よりも「可愛いものや美しいもの」を愛し、マチルダとエルビスの美しさに惚れ込んで直接雇用を懇願したそうだ。深いボウルの中に、冷気をうっすら纏わせた水の魔法を送り込み、生地の温度を絶妙に保っているのだ。
「……これでもっときめ細かいメレンゲが作れるわ……美しいでしょう? 仕上がったらお嬢様にも是非召し上がっていただきたいの。可愛いもの、お好きですものね?」
アントニアは自分の技術に誇りを持つ姿勢が見ていて清々しい。私が「もちろん、楽しみ!」と返事すると、彼女は「ふふ……期待していてくださいね」と目を輝かせて生クリームをすくって見せる。
こうして、魔法を用いて作られる繊細な料理やお菓子──まさにこの世界ならではの光景だ。私はただ楽しそうなコックとパティシエのやり取りを見ているだけで、心の芯がぽかぽかと温かくなる。
その後、また廊下をのんびり歩きながら「そろそろ勉強もしなきゃなぁ」なんて考えていると、父と母の会話が廊下のほうで聞こえてくる。
「……エルビス、少しいいかしら? 協会の書類でサインが必要なものがあるんだけど……」
母のマチルダが控えめに声をかけている。魔法協会の幹部としていつも忙しいのだから、父が屋敷にいるときくらいは何かと連携を取りたいのだろう。
「……ああ、悪いな。仕事が入っているんでな。あとで目を通す。そこに置いておいてくれればいい」
父のエルビスがそっけなく返す声が聞こえる。母が「分かったわ」と短く答えると、それ以上会話は弾まない。まるで糸が切れたように二人は別方向へ歩きだしてしまう。
(……やっぱり、相変わらずの距離感……どうしてこんなに会話が乏しいんだろう)
私は廊下の隅からそっと覗き見る。父は母の差し出した書類をちらりと見たあと、まるでそれを抱え込むように脇に置いて歩いていく。
その仕草が妙に気にかかり、何気なく父の後を追ってみると、彼は書斎に入って扉を閉めた。
ドアの隙間から少し覗くと、そこでは父がさっきの書類を引き出しの奥に滑り込むようにしまい、“鍵”をかけたように見えた。
(あれ……どうして? さっき母が渡したやつ、今すぐ見なくても、別にそこまで隠す必要は……)
ほんの小さな行動かもしれないが、なぜか胸に引っかかる。母が必要としているサインなら、母から預かったまま普通の書類棚に入れればいいはず。しかし父はわざわざ鍵付きの引き出しに隠すように仕舞い込んだ。
――まるで、母には見せたくない事情があるみたいに。
(いったい何なんだろう……)
どこかモヤモヤするまま、私は足音を立てないようにその場を離れる。父と母が私には優しいのに、互いに向ける視線はまるで熱を感じない。不仲というわけではなさそうだけれど……明らかに距離がある。
そんな不思議を感じつつ、私はそっと胸の奥に疑問をしまい込んだ。「いつか、この理由を知る日が来るのかもしれない……」と薄々勘づきながら。
それから数日、私は穏やかな日々を過ごしていた。王太子ブレイディアとは、あまり会えないものの、時々手紙をやりとりして互いの近況を伝え合う。
彼の手紙は大抵、「エマはどうしてる? 何か面白いことあった? あまり出歩きすぎないようにね」など、私の生活を気にかける内容が多い。
その筆跡は読みやすいが、行間からはちょっとした焦りというか“僕を置いていかないで”という空気も感じる。
「ふふ……“最近はコック長イーサンに料理を教わってます”とか書いたらブレイディア、興味示すかな……」
封を閉じながら思わず笑みがこぼれる。そう、王太子の彼は忙しそうだけど、私の日常を聞きたがるのが微笑ましい。書いていても楽しい。
そんな返事をぽんっと出して、私はまた使用人たちの元を巡る。
すると、ロンドとディーオが「お嬢様、一緒に剣の練習をしませんか?」などと声をかけてくることもあり、前世の格闘技経験を生かして軽く体を動かす。
また、アントニアの新作お菓子を味見したり、イーサンの豪快な鉄鍋さばきを見て歓声を上げたり……。バタバタとしたようでいて、のんびりした時間が流れていく。
そんな平和な日常が足早に過ぎ、気づけば2年という月日が経った。
私は10歳になり、周囲からはあの頃のわがまま令嬢の姿は忘れ去られ、今では立派な公爵令嬢をやっている。
両親の夫婦仲は相変わらず。母が父に呼びかけても父が短く返すだけだったり、父が鍵付きの書斎の引き出しを開け閉めしているのを見かけたりして、私にはますます謎が深まるばかりだ。
「……さっきも父様、母様から預かった書類をあの引き出しに仕舞ったみたいだし……何なんだろう……?」
軽く首を傾げながら、日々の勉強と使用人との交流を続けていると、気づけば日常の些細な事件に時間を取られてしまう。
それに加え、王太子からはちょくちょく手紙が届き、「ブレイディアの暗殺未遂事件はまだだよね...」と気がかりもある。
2年間、何も大きな事件は起きず、穏やかな公爵家の空気に包まれながら、それでも私はいつか来る波乱を薄々感じていた。
なぜならゲームの中では、ブレイディアが10歳頃にあの暗殺未遂が起こるはずだったから。でも、現実にはまだ動きがない。良いことなのか、ただ遅れているだけなのか……。
(もし何も起きないなら万々歳……だけど、世の中そう簡単には行かないよね。裏切り者は誰なんだろう……伯爵家の男……)
それを突き止めるヒントはまだ掴めないまま。私は10歳という年齢を迎え、新たなステージへ進もうとしていた。
(学園に入るまであと5年……まだ長いと思っていたけど、あっという間かもしれない。一歩ずつ前進しなきゃ、私が守りたいものは守れない……)
そう決意を胸に、今日もまた使用人との楽しいやり取りや、父と母をどこか不安げな気持ちで見守る私の日常は、穏やかに過ぎていく。
____________________________________________________________
聖誕祭の華やかさから二年──ミランダ王妃の裁判は公に進められ、彼女は長いあいだ牢獄に繋がれていた。
王妃として、そして貴族としての地位も剥奪され、“ミランダ”としか呼ばれなくなった罪人。
今朝、ついに刑が執行されると決まり、誰もが「あれほどの王妃が……」と背筋を凍らせる中、10歳になった僕(ブレイディア)は、こっそり牢屋に足を運んだ。
地下通路の石畳を踏みしめると、湿った空気が肌にまとわりつく。壁に備え付けられた松明が揺れ、鉄格子の奥で何かが蠢くのが見えた。
視線を鋭く向けると、そこにうずくまっているのは確かにミランダだった。王妃と呼ばれた存在が、ボロ切れの衣服のまま床に伏せている光景は、どこか儚く、惨めに映る。
「……母になれて、幸せだったかい? 王妃……いや、もうただの罪人か」
抑揚のない声でそう言った瞬間、彼女はかすれた息をのみ、顔をわずかに上げた。前の彼女ならはね返す言葉が出てくるはずだが、すでに2年にわたる幽閉で気力もないのだろう。
「父様は……気づいていないかもしれないけど……僕は知っているよ。僕の大好きな母様、前王妃を殺したのは……あなただろう? しかも、ユーディーン侯爵家とつるんで、ずいぶん悪いことをしていたみたいじゃないか」
言葉が、まるで冷たい刃のように落ちる。
ざらっとした土床に手をついて、ミランダが震え声で何かを言いかけるが、僕は耳を貸さない。
少し前に聞かされた話——この2年間のあいだに、ミランダの実家は爵位剥奪となり、父であるユーディーン侯爵が自死を選んだと報告があった。
「……あの侯爵は自ら首を突き刺したんだって。あは……ざまぁないよね? 暗殺や薬物、人身売買だなんて、結局“使いどころ”がないまま最期を迎えた……。そもそもユーディーン家みたいな犯罪貴族は……この国には不要だからね」
「……っ……」
床に伏せたまま、ミランダが呻き声を漏らす。かつて僕を苦しめたあの傲慢な王妃は、今ではもう見る影もない。
彼女が僕の本当の母をどう害したのか、どんな形で国王を欺いていたのか……知りすぎるほど知ってしまった。だからもう同情の余地はない。
「……ふふっ……もう終わりだよ、ミランダ。いや、呼び捨てなんて悪いか……でも、あなたはもう王妃じゃない。ただの罪人。誰が呼ぶでもない、惨めな女だ……」
そう言いながら、右手の指先で小さく詠唱をすると、空気中の水分が凍り、氷の剣を象る。王族としての光魔力とは別に、水の魔力を母から受け継ぎ、学んできたのは、こんな形で使うためだったのかもしれない。
「――さよなら、”哀れな王妃”」
僕は鞭打つように振りかぶり、鉄格子越しの隙間からミランダの手首を切り落とした。
そう、僕の身体中を傷だらけにした、鞭を持っていた手だ。
きしむ音とともに、血が床に散る。凍りつくような痛みに耐えきれず、ミランダは絶叫を上げてのたうち回る。彼女がどれだけ苦しもうと、僕の心はまったく揺らがない。
「ふふっ……哀れな女(ひと)だね……。地獄に堕ちても、ずっと苦しみ続けるといいよ」
顔を上げないまま嗚咽する彼女に、僕はただ残酷な笑みを浮かべる。身体は10歳の少年だけれど、心の奥底で芽生えた復讐心は、成長しきっていたのだ。
牢屋から足を遠ざけ、廊下へ戻ると、そこには黒髪を目にかぶせて俯くストロンガウト公爵家の次男、エデンがいた。
彼は僕の気配に気づいて、ゆっくり顔を上げる。赤い瞳が酷薄に笑う。
「……なんだ、来てたのか。」
僕は素直に笑いかけるが、エデンは肩をすくめて、まるで何もかも分かっているように返す。
「外まで聞こえてたぜ……」
冷めた声音だが、そこに怒りはない。むしろ同類としての理解や興味をうかがわせる。
「うん。僕からの最初で最後のプレゼントだよ。」
床に滴る血の匂いが鼻を刺す。僕はその光景を振り払うように踵を返すと、エデンもふっと笑いながら後を追う。
「そうかよ。……お前も相当“イカれてる”よな」
エデンの言葉に、「はは……そうかな」と苦笑を返した。まるで陰の世界の盟友同士が認め合うような空気。
僕の氷剣はすぐに溶けて消えたが、そこに残るのは白く冷たい固まりと、ミランダの絶叫だけ……。
その後、ミランダは刑場に引き出され、鞭打ちの拷問を受けたあげく、最終的に首を刎ねられて処刑された。ユーディーン侯爵家もろとも彼女の罪は暴かれ、数年にわたる悪行が白日の下に晒されたのだ。
(国中は「王妃がこんな悪女だったなんて…」と震撼しているかもしれない。)
僕はもう心を痛めない。あの日、エマと出会って、暖かさを知ったからだと思う。
闇に溺れそうになっても、僕には“絶対に裏切らない”と言ってくれた彼女がいる。だから、必要な“処分”は冷徹に行う。それだけのこと。
エデンとともに牢屋を後にしたとき、血に染まる空気の中で僕は笑っていた。10歳らしい純真とは程遠い、歪んだ嘲笑だ。
けれど、心の深い場所にはただ一筋の光だけが射し込んでいる。それは“エマ”という存在を思うときだけ、僕が人間らしい感情を取り戻せるのかもしれない。
こうして、罪深き元王妃ミランダは処刑され、10歳の王太子ブレイディアはその恐ろしい一面を刻みつけた。
だが、一方で彼は“あの子”にだけは優しさを注ぐように、静かに手紙を書き続けるのだった。
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