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26.魔王なりに
しおりを挟むくたくたな体とどんより沈んだ気分のまま、自室でもふもふ兎の手が器用に扱う柔らかく温かで湿ったな布地で綺麗に体を拭われた後、夕食をどうにか口にすれば、やっと癒しの晩酌時間がやってくる。
この年で晩酌が大大大好きな人間になるとか、まったくもって予想外だし自分でもまだ年齢的には少し早い趣味だとは思うけれど、
「飲まなきゃ、やってらんないもーん!」
そう言い訳をしながら、ソファーの隣に腰かける美丈夫から注がれた杯にまたチビチビと口を付けた。
「うむ。祝宴は明日だが、今宵も好きなだけ飲んでいいぞ。はぁ~愛い……ぽやぽやしているユーリオたん」
「……魔王が『ぽやぽや』とか言ってちゃダメでしょ……」
締まりのない顔をしながら、蒼く淡く灯るような双眸を細めて僕を眺めている魔王。
いつものことではあるが、これでは目の覚めるようなせっかくの美貌も台無しだ。
でも本当にごく稀に、時折見せる『魔王』らしい表情よりも、このふざけた緩んだ笑みを見せてくれると何だかほっとする自分がいる。
もっとも……この一週間と同じような不甲斐なさを今後も量産し続けていけば、その笑みを向けられなくなる日も来るのだろう。
それは――嫌だなとはっきり思う。
こんな贅沢な暮らしはもうできなくなるもんね?魔王の庇護ってやっぱり凄いもの。
手放しに『僕』を認めてくれる人の関心を失いたくない。僕はずっとこの人の『特別』で『大切』な存在でいたい。
そう即物的な理由を上げる自分と、子供のように無償の好意を享受したがる自分。
それがグルグルと頭の中を激しく渦巻くから、もう考えるのも面倒になって深い深いため息を一つ吐いた。
すると、クリスタルのように透明度の高い小さなローテーブルへおつまみセットの新たな皿を置き終えたウーギが、可愛らしく小首を傾げながら僕を見上げる。
「お食事の時もそうでしたが、女王様はえらいお疲れのご様子……見事炎の魔法でドラゴンを焼き払った祝宴も延期されてしまいましたし、どうされたんです?」
「……いっそ殺してくれる?」
「女王サマ――!?」
素っ頓狂な叫び声を上げた執事兎は、魔王の「煩いわ毛玉」の一言でパッと室内から姿を消した。
おそらく、転移魔法で部屋の外に放り出されたのだろう。きっと存在までは消されていない……はずだ。
そういった過激な粛清を僕は好まないと魔王はわかってくれているし、敢えて僕が嫌がることをするような魔族ではないことも、もう充分知って――だから考えるのはやめやめ。
はー、今日もシュレーズ美味しい。
最近は飲みすぎ注意とか言われ始めて、晩酌も三杯までになっていたけれど今夜は好きなだけ飲んでいいと言われているし。
あぁ、そういえばしばらくマイベストフレンドことスライム君と語り明かしていないけれど、あれも僕のストレス発散を兼ねて飲み放題できる貴重な時間だ。
僕のへっぽこ魔法がこのまま改善しなかったら、盛大に『独りヤケ酒の会』として催そう。
そんな開き直った計画を立て終わってから、小皿に盛られた色とりどりの宝石のようなドライフルーツの一つに手を伸ばした。
だが、僕の狙った黄金色をした一口サイズのおつまみは、横から優雅に伸ばされた長い指先に摘まみ上げられる。
……もーぉー僕が先に食べようと思ったのに、大人げない魔王だなぁ。そう思いながら、ならばと代わりに桃色のフルーツを手に取ろうとした時だ。
「ほら、ユーリオ」
愉しげな声音と共に口元へそっと差し出された、黄金色のドライフルーツ。
夕食の時もそうだったけれど、今日はやけに魔王が僕にちょっかいを出す頻度が多い気がしないでもないけれど、これはもしかして……。
(僕が落ち込んでいるから……慰めてくれてるのかなぁ……)
その方法が「あーん」一択なところは置いておいて、やるせなさに沈み込んでいる僕を気にかけてくれること自体は嬉しい。
だから夕食同様、今回も僕は素直にすぐ口を開けた。
「っっ愛い!……いや、あー、うむ。これは相当落ち込んでいるな?よしよし」
舌の上に乗ったフルーツは、乾いているのにそれだけで口内に微かな甘い香りが広がる。
それを軽く噛む前に、別の手で自分の口元を押さえてぶつぶつ呟く魔王の指先が唇に触れたままだったこともあり、つい出来心でそこも口に含んでみた。
だって僕、今は酔っぱらっているようなものだから!
ぱちっと軽く目を見張った彼特有の不思議な双眸を見つめながら、おずおずと甘噛みして、ちぅっと小さな音を立ててその綺麗な指の先をほんの少し吸い上げる。
口内の水分でふやけだしたフルーツから生まれる甘みをより強く感じながら、黙ったまま上目遣いで名ばかりの伴侶という飼い主の様子を窺った。
「く、ふふっ……。其方は本当に愛いな。大方、余の関心が失せるのを憂いているのだろうが、このような誘い方をしてくれるならば、それもまた――」
一興、と最後の言葉を吐息だけで囁くように零して、口から引き抜かれた指の代わりに押し当てられたのは、もうその体温さえも馴染みを覚えている男の唇で。
ただ、すぐに歯列を割って口内に上がり込んだ舌が、甘さの発生源を転がしだすなかで思わず眉を顰めたのは、この魔王に自分でも自覚していなかったことを感づかれたからだ。
魔王の関心を失いたくない僕が、自ら夜伽を強請っているという、この現状に。
「ん、ぅ…ふ……ぁ」
ついに奪われてしまった、ふやけたドライフルーツ。
数度の咀嚼の後にそれを一飲みにした魔王は、親指の腹で自分の下唇を拭いながらぞっとするほどの綺麗な顔で静かに言った。
「だが、甘いな」
それは酒のつまみへの評価ではなく、酔っているとはいえ安直な僕の行動に対するものなのだろう。
だから、この一週間積もりに積もった自分への情けなさと、一番期待に応えていたかった人からの不穏な言葉に、火照った顔の目元が更に熱を帯びてきてしまう。
でも、その熱が頬を伝う前に、僕の体は簡単に魔王の腕に囲われて、抱き上げられていた。
そうしてベッドへと歩を進める僅かな合間にも、耳に心地の良い低い美声は語るのだ。
「なにも余は閨で愉しむためだけに、其方を所望したわけではないからな?其方はこの世界での唯一無二なのだ、魔法など余興でよいよい。いざとなれば、ドラゴンなど素手で殴っておけ」
……だからこの魔王、慰め方がおかしい。
魔法すらろくに使えない魔導士が、どうやったら素手でドラゴン討伐できるっていうのさー!もう、本当に……。
「ぐすっ……魔王の、ばか……――――ありがと」
悪態をつきながらも、彼の肩口に顔を埋めてそう呟いた。
叱咤することもなく僕を見守ってくれる人の言葉を胸に、今日はゆっくり休んだら、また明日から気持ちを切り替えて頑張ろうと自分に言い聞かせる。
僕だって、軍に所属できるくらいの魔導士だったんだ。
この魔王から特別な魔力媒体を惜しげもなく、与えられたんだ。
これからもこの先もずっと魔族として生きていくのならば、せめて魔王の傍にいられる間だけでも、その座に相応しき魔法くらい扱ってみせなければ。
火照った体に心地良い冷たいシーツの上に寝かせられながら、そう決意してみたものの……。
なぜ、にこにこのデレッとした笑顔で僕に覆いかぶさってくる大男がいるのだろうか。
あれ?さっき「甘いな」って言ったよね?
あの意味は「魔法がうまく使えないからといって、体を使って取り入ろうとは浅はかだなぁ」ってことでしょ?
僕の前世知識は間違いなく、そう言っているよ?
「……えっと、魔王……?今日は、もう寝るんじゃなかったの……?」
「まさか」
結局はあんたが愉しむんかい!と漫才師のように頭の中でノリよくツッコミを炸裂させたのは、どんな時でも要らないことを考えだす前世知識にしてはファインプレーだった。
僕自身も、完全に同じことを胸の中で思っていたのだから。
応援ありがとうございます!
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