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46.黒の龍
しおりを挟む魔王城の深部にある宝物庫。
莫大な財宝で埋め尽くされた大部屋の中で、別空間すら用意された格別の至宝。
その前で、僕はひたらすら声をかけ続けていた。
「起きて!起きてくださいってば!!ベルちゃんさん!!」
枯れ木のように葉のない枝を持つ幹に、蛇を思わせる長い体の大半を巻き付けた龍は、いくらその名を呼んでも微動だにしないのだ。
鬣を持つワニに似た頭を、二股に分かれた枝の根元から垂れ下げたままの黒龍は、ただの置物でしかない。
「お!き!て!!おーきーてー!!!っはぁ…はっ、はぁ……げほっ」
その顔の真下でこんなに喚いているのに、黒龍からの反応は何もない。
宝物庫を走り抜けた直後に大きな声を出し続けたせいで、元から荒い息が更に酷くなっていくなか、僕は肩掛け鞄を木の根元に置いてから、一度背を向けた。
円形の白い床、その縁ギリギリにまで歩を進めた後、できるだけ呼吸を整えて目測を確認する。
記憶の中で佇む魔王。その顔があった位置よりもほんの少しだけ、高い場所にある黒龍のワニ面。
脳裏から引き出す知識は、ジャンプ力が物を言うスポーツの数々。
そうして標的にアプローチする方法を確定した後は、実行あるのみ。
ゆるく助走をつけて置物へ向けて走り出し、徐々にスピードを上げる。
僕のできうる最高速度に達した直後、足に力を込めて思い切り、地を蹴った。
垂直飛びなら、やっぱりバレーボールが一番なのかな。
そんな余計なことが一瞬頭に浮かぶものの、ジャンプした僕の先には、黒龍の横っ面が最高の位置にあった。
「――起きろッッ!!」
だから、その硬質そうな龍の顔に向けて思い切り、右手の拳を叩きつける。
その瞬間、手に走った激痛は予想できてはいた。
でも、ドガンッ!!と派手に響いた音にはびっくりした。
なんで僕の手から、こんな金属を思い切りぶつけ合ったような鈍い音が上がるの?
もしかして、右手完全に壊れた?
飛び上がって全力で殴る。
それだけで精一杯だった体が無様に地面へひっくり返りながら、怖い疑問が頭を過っていくなかで、その音を聞いた。
パキパキと氷が割れる音色を引き連れながら、変声機越しに語っているような不自然で耳障りな声音を。
『――貴様、この躰を破壊する気か。ラグナレノスも何を考えている……いくら伴侶可愛さとはいえ、そのような強すぎる加護は余計な事故に』
「っ助けて!魔王を助けてください、ベルちゃんさん!!」
白い止まり木からスルリと流れるように地へ降り立つ全長二mほどの黒龍は、その紫色の瞳を緩く眇めながら、慌てて立ち上がった僕を見つめた。
『何があった。いや、そのまま動くな。記憶を覗かせてもらう――』
ヌッと間近に顔を寄せられたことで、更に近づいた龍の双眸は、紫水晶に似ている。
こんな状況なのに、やはりどこか本能的な部分で、それを美しいと思ってしまう。
そう不思議な気分を味わっているうちに、眩暈のようにくらりと一瞬、世界が歪んだ。
幸い、そのまま倒れるような不甲斐ない姿を晒すことはなかったのだけれど……。
『……ちっ。一度外へ向かう。お前は私が運んでやるゆえ、おとなしくせよ。抵抗するならば捨て置く』
次の瞬間にはそう話す黒龍の尻尾が、僕の体にぐるりと巻きついていて――。
「……あ、ぇ、これ嫌な予感がすっ――!!?」
ふわりと地から体を僅かに浮かせた龍は、そのまま直線的な勢いで、漆黒の壁へ向かって飛び出していた。
(ジェットコースター……二回目!!)
そんなことしか考えられないなか、体が床や壁にぶつかる寸前の気配に目を閉じて耐え続けること、おそらく数十秒。
『降ろすぞ、立て』
命令することに慣れ切った、上位者らしき口ぶりで語る黒龍の声で再び目を開ける。
宝物庫から驚異的な速度で辿り着いた先は、僕が初めて魔王に連れられて訪れたあの広いバルコニーだった。
魔王城の高層にあり、天気のいい日には昼食やお茶会の会場になっていたこともある。
そして何よりも……僕が初めて『神樹』を目にした、場所。
あの日と同じように、伸びた枝葉で天を覆う大樹がここからもよく見える。
ただ違うのは、重く厚く垂れこめたこの曇り空の下ですら、以前よりもくっきりと周囲から浮かび上がっていることだろう。
僕の隣で宙に浮かんだままの黒龍は、全てが白く染まり異様な姿となった神樹を、ひたと見据えていた。
他人の記憶を覗く、と信じがたいことを簡単に口にできる存在には、何が見えているのだろうか。
逸る気を抑えながら、祈るような思いで僕はそんな黒龍の言葉を待った。
やがて、今にも雨が降り始めそうな薄暗い世界を前に、それは一言告げた。
『どうにもならぬ』
「…………今、何て言ったの?」
様々な音声を合成したような、違和感の強い音は聞き取りにくいから、思わずそう尋ね返していた。
でも、ゆったりと僕へ頭を向けた龍が再び口にした言葉は、変わらなかった。
『私では、どうにもならぬ』
その音の意味を理解したくないのに、顔からざっと血の気が引くのを否応なく自覚する。
この龍にそう答えられたら、もう助けを求めて縋れる存在なんて、どこにもいないじゃないか……。
そう呆然としている僕へ、黒龍は紫色の瞳を瞬きながら静かに語った。
常に限界まで毒を集め、蓄え、僅かずつ浄化していた神樹は、傷ついたことで大きくそのバランスを崩した。
それは見た目の外傷などよりも深刻で、自力で立て直すことなど到底不可能な状態なのだという。
『あれは元来、脆く弱い存在なのだ。ラグナレノスの庇護なくば、とうの昔にこの世界と共に潰えていただろう』
だというのに、これほど巨大に成長してしまったことこそが、その脆弱性にも拍車をかけた。
外部から何か悪意的な刺激があれば、こうなることは目に見えていた。
でも、それを放置し、静観していたのは他ならぬ、その庇護者。
『故に、この事態はラグナレノス唯一人の不手際である。その気になりさえすれば、今のように神樹を不可侵の状態にできたのだから』
まるで僕の罪悪感を薄めようとでもするように、黒龍は滔々と語り続けた。
神樹の内部バランスが元に戻るまで、魔王は今のまま助力を続けることになる。
それにどれほどの時間が掛かるかは不確かだが、人間の寿命では到底事足りない次元だと。
だから仲間たちが告げたように、僕は人間の世界に戻って生きればいい。
それを心苦しく思う必要など、何一つないのだから――と。
『用意された地へ行くのもよし。国に戻るか、他に行きたい場所があるのならば、私が運ぼう。我が朋が、仮初にも伴侶とした存在だ。多少ならば、私も力を貸す気はあるゆえ』
この龍が、なぜそんなことを口にするのか、わかってしまう自分が嫌だ。
僕の頭の中でも、同じことを正解として提示する声に、頷きそうになるから。
そう……魔王も魔族も消えたこの地に、独り残るということは、きっと過酷だ。
ここに居る以上、僕の体は魔族と同じで、老いて死ぬことはおそらくないはずだから。
そんな状態で、いつ終わるともしれない神樹の回復を独りきりで待ち続けるなんて、どれほどの孤独だろうか。
それを魔王も魔族たちも理解していたからこそ、僕に言ったのだろう。
人間として、幸せになれと。
「……そう、だね……きっとそれが、正解なんだろうね……」
ぽつりと呟きながら脳裏に思い浮かんだのは、今までの僕の人生だ。
いつだって、こうやって先回りして見切りをつけて、諦めてきた。
家族のことも将来のことも、期待しすぎて自分が傷つかないように。
運よく持っていただけの知識で武装して、自分では上手くやっているつもりで、その実本当は、自己嫌悪で一杯だった。
他ならぬ自分自身が、僕の望んだことを否定する。
それを正解だからと受け入れてしまう僕こそが、自分を苦しめていたのに。
でも――余計な思考を振り払い、ただ望みを押し通せばいいと教えてくれたのは、あの存在だ。
「――だから僕は、ここで魔王を待つよ」
遠くに聳える、純白の大樹。
それを見つめながら口にした言葉は、自分でも思いの外、しっかりとした響きを伴っていた。
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