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45.縋る先は
しおりを挟む忠実に命令に従う使い魔は、乗り手である主が体力の限界を迎えて気絶しようとも、ただひたすらに走り続けてくれた。
覚醒と意識の喪失を何度か繰り返しているうちに夜が来て、朝が来て……神樹の下を駆け出してから、どのくらい時間が経ったのかもう自分でもわからない。
ただただ、魔王の城へ一刻も早く到着したかった。
この状況を覆す希望が、そこにあると信じたかったから。
そんな焦燥に駆られながらも、僕がはっきりと目を覚ましたのは、唐突に自分の体が地面に落ちてからだった。
「っぶ!?……え、あ……っ」
またいつの間にか気絶していたせいで、受け身もろくに取れず頭から地を転がった気がする。
でも派手な音と衝撃だったわりには、おかしいほど痛みを感じない。
ただ、それを疑問に思うよりも先に、活動限界を迎えた使い魔が道半ばで消えてしまったのかと焦りながら慌てて体を起こした。
けれど、目の前に広がっていたのは城門を越えた先にある広場の景色で、その向こうには黒一色で創り上げられた見覚えのある壮大な城がある。
それなのに、やっと帰って来た場所なのに、夢を見ているのかと思うほど現実感がない。
綺麗な黒い石畳が敷き詰められたここは、普段なら多くの魔族が思い思いに寛いでいる場所だ。
門番という名のお昼寝任務は、城内ローテーション勤務の魔族たちにとって、一番人気のお役目でもある。
城の周りに張り巡らされたアーチの連なる開放廊下だって、哨戒中の魔族たちが誰かしら日向ぼっこや下涼みをしているのが、いつもの光景なのに。
誰も、いない。
建物も景色も何一つ変わっていないのに、全てが変わってしまった城を見回していると、僕を運び終えた後も傍に待機していた使い魔の姿が、輪郭を崩すように歪んだ。
活動限界を迎えた仮初の存在は、同じく、僅か三頭にまで数を減らした護衛役の使い魔たちと共に、瞬く間に宙へと溶けていった。
後に残ったのは、不気味なほど静まり返った人気のない城と、僕独りだけ。
「……っ。……誰か!誰かいないの!?」
最後の力を振り絞って、僕に説明してくれた魔族の言葉を信じていないわけではない。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
本当に、この広大な城から――この世界から、僕の親愛なる仲間たち全てが消えてしまったなんて、信じたくない。
なのに……僕に返ってくる声は、一つもない。
あれだけ賑やかに鬱陶しいほど、どんな時でも僕の言葉や仕草に大袈裟な反応をしてくれていたのに。
その現実にまた顔を歪めそうになったけれど、ここから目的とする城内の場所まではまだ遠いのだ。
道順にも、あまり自信がない。
泣いている時間があるなら、足を進めた方がましだ。
「……と思ったけど、やっぱりもう一回移動用使い魔!次はもっと小型の……揺れが少ないタイプっ……」
立ち上がろうとしたのに膝が震えて無理だったとか、僕の体力情けなさすぎない!?やっぱり一年前よりも落ちてない!?
これも全部、事あるごとに抱っこやおんぶに転移魔法を連発してくれた誰かのせいだ。
「~~っ……魔王の、ばかぁ――!!」
胸がつかえるような何かが再び込み上げてきたのを、そう悪態で誤魔化しながら瑠璃色の鞄の中身を漁る。
その時、無人のはずの城から、小さな足音が聞こえたような気がした。
空耳かと思ったのも束の間、それは徐々にこちらへ近づいてくる。
しかも軽いその足音は一つではなく、複数のようで――。
魔族が消えた今、僕以外の何かがこの城にいるはずがないのに。
それともまさか、もうこの城にまで人間がやって来たの?
「……誰か、いるの?」
攻撃と移動能力に長けた、最も使い勝手のいい使い魔。
それを生む魔法陣は、もう使い切ってしまった。
戦闘にも使える残りの使い魔は、と緊張を覚えながら何枚かの紙を指先で触りながら、暗い城内から伸びる通路の一つに目を凝らす。
――タ、ペタ……ペタペタ、ペタタタタタタタ。
特徴的な足音を引き連れて、通路から開放廊下へひょっこり顔を見せ、キョロキョロ辺りを窺う彼らに、僕は心の底から叫んだ。
「っっペンギンさんッ!!」
僕の声に一斉にこちらへ視線を向けたのはペンギン型魔族こと、なぜかコック帽装備が標準の『自立型魔動人形・城内勤務系』たち。
彼らは我先にと廊下の手すりを乗り越え、わらわらと走り寄って来てくれる。
その変わらない姿にほっとして無意識にまた視界が滲むなかで、少しだけ考えた。
魔族とは違う『人形』だからこそ、彼らは魔王が消えた今も、こうして存在していられるのだろうかと。
総勢二十人の見た目はペンギン、大きさは人間でいえば五・六歳くらいの子供、という姿の彼らにあっという間に囲まれ、見下ろされる。
皆、小刻みに右へ左へ首を揺らすその仕草の理由は、この一年を通して僕も充分すぎる程、理解できていた。
「ご、ごめんね。心配、してくれて……あり、ありがとうっ……」
意思では抑えきれなかった声の震えも、一度大きく深呼吸をすれば、少しは落ち着く。
相変わらず左右に揺れ続けるペンギンたちへ、今度ははっきりとした声で、僕はお願いをした。
「君たちのうちの誰かでいいから、僕を大至急で運んでほしいんだけど、できる?場所は――」
そう告げると、彼らはまるで仲間内で相談するように互いに視線を交わした後、一斉に僕へ頷いてみせる。
本当にこれが人形だなんて未だに疑問が残るけれど、見知った存在の姿が目の前にあるだけで、こんなにも頼もしい――などと油断しきっていたのが悪かった。
このペンギンさんたちを創り、運用してきたのが誰なのか、もう少し考えてから頼むべきだったんだ。
「……ん?……え?……え、ちょ!?ちょっと待っ――!!?」
翼の先が指のように分かれた独特の手が方々から伸ばされ、僕の体を引き起こしてくれるのはいい。むしろ、ありがたいし感謝しかない。
だがなぜそこから、仰向けの体勢でペンギンたちの頭上に掲げられなければいけないのだろうか。
でも背中や首に当たるコック帽がいいクッションになって、ちょっと気持ちい……いやいや、人を運ぶ体勢としては絶対にこれおかしいからね!?
おそらく、五人ほどのペンギン魔族が密着し、僕の体の下に一列に並んだようだ。
残りは補助でもするように周囲へ陣取って翼を伸ばすという、明らかに胴上げ一歩手前の状況で……これはちょっとまずい、お願いをし直さないと、と思った瞬間。
ペンギンたちは、猛然と走り出した。
先程までのペタペタペッタン可愛い足音は、絶対に偽装だったとしか思えない。
それほどまでの素早さで、まるで飛ぶように駆けていくんだもの。
(……リュージュってこんな感じ?……スケルトン?……どっちだっけ……)
氷の道を滑走する前世のスポーツに思いを馳せることで、どうにか悲鳴を飲み込んだ僕は、そのまま流れる天井の景色をただただ眺めることにした。
きっと少しでも口を開けば、その勢いで舌を噛みかねないから。
(いや違う……これは――ジェットコースター!!)
使い魔の背に運ばれるよりは揺れも少ないとはいえ、猛烈な速度と突如訪れる急カーブ及び急降下は、予測がつかないこともあってかなりスリル満点だ。
廊下の曲がり角も、下り階段も決して緩むことのないスピードで突入し、鮮やかに通り過ぎて行く。
薄っすらそうじゃないかと思ってはいたけれど、やはりこのペンギンさんたちは、僕よりも運動能力が遥かに高かったのだ。
(なんで……なんで城内勤務のペンギンさんたちに、こんなトンデモ能力つけてんのさッ!助かるよ!?助けるけど……もおぉぉお!!魔王のばかぁあぁぁあ!!っきゃ――――!!?)
内心では盛大に叫びながら、引きつった顔のまま城内を疾駆するペンギンジェットコースターが目的地に到着するのを今か今かと待った。
永遠に続くかとも思われたその時間は、実際は五分ちょっとだったかもしれない。
やがて、キキ――ッ!!という車のように派手なブレーキ音がなぜか、ペンギンそっくりの足元から生まれると、ようやく彼らは動きを止め、僕をサッと下ろしてくれた。
そうして地面と再会した両足は、幸いなことにもう膝から力が抜けることもなかった。
ただ、それでもよたよたとふらついたのは、三半規管へのダメージが大きかったせいだろう。
「ぅ……っぷ……よ、酔った……ありがとう、ペンギンさんたち」
口元を抑えながらではあったがそう御礼を口にすると、彼らは敬礼のようにビッと片翼を顔の横に掲げて応えてくれる。
そのいつもと変わりない仕草に、僕のあの日常は、まだここに残っているんだと思い込みたくなった。
だから、辿り着いた先の大きな扉――既にペンギンさんたちの手によって開かれ、その向こうに広がる財宝の山が放つ輝きで満たされた部屋へ、駆け込んだ。
魔王城の宝物庫たるここが、僕が目指した場所なのだから。
神樹の中へ消えたように見えた、魔王。
彼を助けることができる人間なんて、この世界のどこにもいるはずがない。
魔法に長けた魔族たちすら消えた今、魔王の助けとなる方法を知る存在なんて、どこにもいないだろう。
この宝物の山の奥に眠る、あの存在を除いては。
(……親友で、喧嘩友達で……僕より、魔王のことも世界のことも知っているなら……っ!)
通路を侵食する宝物たちに時折足を取られながらも、ただ走る。
どこまでも続くかと思われた道の先に、宝物庫の中心に安置されたそれを目にした時には、盛大に息切れもしていた。
でも足が縺れる前に、僕はそこへたどり着くことができた。
魔王の背の二倍はあろうかという、金の装飾で彩られた大きな鏡の前に。
そして、駆け寄る勢いそのままに、鏡面へ向かって飛び込んだ。
反射的に目を閉じてしまったけれど、直後、僕の視界には期待通りの世界が映る。
以前一度だけ、魔王に伴われて訪れた時と完全に同じ、景色が。
大きな円形の白い床に、周囲を漆黒の闇で塗り固められた不思議な部屋。
その中心から生える純白の止まり木を塒にする、黒龍のオブジェ。
それは、この状況を覆せるかもしれない、きっと唯一の存在。
「――ベルちゃんさん!助けて!!」
何を思うよりも先に言葉となった僕の願いは、静寂の空間を震わせた。
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