売却魔導士のセカンドライフ

嘉野六鴉

文字の大きさ
52 / 61

51.◆追憶 前編◆

しおりを挟む

「……くっそつまらん」

「そのお姿で下賤な御言葉遣いはお控えくださいませ、我が君」

 どこまでも広がる、仄かに明るい翠緑すいりょくの海の中。
 何の変化もなく外界からの刺激も一切ない、滅びにも似た静寂の空間で、長年気に入っている姿を保ったまま寝転がった状態で零した、不満。
 それを聞き咎めた女の声に、ゆるりと視線という意識を向ける。
 その先には、白色のフード付きローブに身を包んだ小柄な老婆が、背筋を伸ばして正座をしていた。

「ラグナレノス様。いい加減、わたくしは貴方様が鬱陶しゅうございます。そろそろ傷も癒えましたし、流れも整いましたから、もうお帰り下さいませ」

 それは見た目も声音も、よわいを重ねた人間の女のもの。
 だが、出会った頃と何も変わらぬなと思いながら、自分の名を呼ばれた魔王はその身を起こし、胡坐をかいた。
 そして、この空間――神樹の内在魔力の中心という場所で、唯一の話し相手へ口を開く。

「馬鹿を申せ。余が今手を引けば、全て水の泡であろうが。まったく……いくら人の身から木へ転生したとはいえ、其方は不器用にもほどがある。はぁ……余の痛恨の過ちは、其方を庇護すると約定したことか……」

「んまぁぁぁ酷い!勝手にやって来て『ふむ、生きてみせよ。余が庇護すると約定す』と仰ったのは、どちら様で?」

 薄茶色の瞳をクワッと見開いた老婆こと、神樹の精神体にそう反論されれば、その張本人である魔王に返す言葉はない。

 その『約定』があり、何よりも愛い存在が自分に望んだこともあり、このつまらない場所に閉じこもって神樹――ひいては人間を中心とする世界の維持に努めると決めたのは、自分である。
 加えて、かつてこの世界を訪れた折、確かに神樹を『特別』面白いと思い、その先を見届けたいと望んだのも、自分自身であるのだから。

 魔王にとって、己という意識を自覚した時から数多の世界が目の前に在った。
 星の海に浮かぶ星々せかいを渡ることもあれば、次元という渦を気ままに超えたこともある。
 その先で巡り合った様々な生き物、文明、意識。
 それらに触れ、時に干渉することこそが、生まれながらの『真なる神』とも称される存在の本能であり、また意義であった。

 故に神樹は、魔王の興味を強く惹いたのだ。

「……数多の世界あれど、望んでヒトの身を捨て浄化のための木となり、独り滅びに抗う其方は、格別に美しかったのでな……」

「っ……まぁ、まぁまぁ!そのお姿で、わたくしを美しいなどと仰られてはっ……どうしましょう、年甲斐もなくときめいてしまいますわ」

 遠い過去へ思いを馳せたついでに、そう独り言ちた魔王。
 途端に機嫌をよくした神樹の笑い声が上がるなか、彼はふと思い出したように、彼女へ尋ねた。

「――今でもまだ其方の答えは……望みは変わらぬのか」

 その問いに、くしゃくしゃな笑みを浮かべた老婆の顔で、神樹はしっかりと首を縦に振る。

「あの時も、貴方様は問われましたね。わたくしに、なぜそこまで望むのか、と――」

 それはかつて、神樹がまだまだ幼い若木であった頃の話。
 この世界を浄化するどころか、自らの力を上手く制御することすらできず、許容量を超えた毒をその身に蓄積し、枯れ果てそうになっていた時のこと。

「わたくし共の種族は争いから互いに呪い合い、呪毒をぶつけ合った結果……この世界そのものを、手のつけようないほどの呪いで汚染してしまった。この地に生きる者は、いずれいなくなる……そんな時に、貴方様が現われたのでしたね」

(……よもや、そこから回想が始まるのか)

 そう内心ではうんざりしたものの、ここでは果てしなく時間を持て余しているだけ。
 結局魔王はそのまま、神樹の話に耳を傾けることにした。

「自らを呪うことで、この地へ浄化の装置として上手く生まれ変わることができたわたくしに、貴方様は仰った。『なぜそこまで、其方は望むのか。何がそうさせるのか』と」

「あぁ、そうだ。余が今まで渡り歩いてきた世界の中でも、ヒトという高度な思考生命体の肉体を捨ててまで、浄化しかできぬ単純な木にわざわざ転生するような存在はいなかったからな」

 そう、この神樹はそれこそ単なる植物に近い。
 他者と意思を通わせることもできず、当然自らの意志で動くこともできない。
 本能のままに根を張り、枝を伸ばし、光と大気、多少の水を求めて静かに生きるだけの存在。
 そこにほんの少し、この世界に満ちた毒を浄化する機能が備わっているだけ。
 自由性でいえば、植物型魔物にも劣る。

 だというのに、その内側にあるのは人間として生きた女の、精神。
 しかも自らの望みを押し通した結果、この理想の姿を得たというのだから、それに興味を抱くなという方が難しい。
 少なくとも、この世界を初めて訪れたあの頃の自分にとっては、これより他に興味を惹かれたモノはなかった。

 相槌を打ちながら、そんな自らの記憶を反芻する魔王の前で、神樹は晴れやかに笑って口を開く。

「えぇ、あの頃も今も、わたくしの答えと望みは変わりませんわ。わたくしは――」

 そして、あの時と同じ答えを、今もまた同じ心境で聞かされた。

「ただ――ただ愛ゆえに、ここにこうしているのです」

「それがわからぬ!」

「……もう少し言葉に酔う余韻をくださいませ、我が君。これでは自分が恥ずかしいだけではありませんか」

 老婆の声音へ食い気味に声を上げた後、魔王は匙を投げるように、胡坐の体勢から元のように寝転がった。
 少女のようにはにかんだ笑顔を浮かべていた神樹が一転、それを白い目で見つめてくるが、構うことなく彼は言葉を続ける。

「其方の記憶を読もうと、この世界でいくら時を過ごそうと、余には理解できぬわ。それが腹立たしくもあり、また興味深いが故に人間の真似事を続けてきたが、其方のような心境には終ぞ辿りつけぬ」 

 神樹と出会った時、魔王は確かにその記憶を読んだはずだった。

 人間の女として生まれ、幼い頃から巫女として仕えた王子に恋をしたこと。
 その王子は、同族同士の争いを止めるために奔走し、やがて王となった後も、滅びゆく世界を変えようと人生を捧げた。
 だが望みが叶うどころか、仲間の裏切りに会い非業の死を遂げる。
 その死の間際、『それでもこの世界が続いてほしい。皆に滅んでほしくはない』と、同じく老いた巫女へ最期に願ったことも、全て把握できている。

 女として愛されたこともなければ、肌を重ね合ったことすらもない男の、願い。
 たったそれだけの為に、巫女は自ら命を絶ち、浄化の為の木へと生まれ変わることを決意したのだと。

 だが、それが理解できない。
 その狂信的で単純な自己犠牲を、いっそ『愛』などという一言で説明しようとする人間を、傲慢だとすら思う。
 そんな心情を隠すこともなく、ありありと不満げな顔をして魔王は言い募る。

「しかも、その『愛』とやらの結果はこれだ。其方は永きに渡り、たった独りでこの地に縛られ、余がこうして間借りしておらねば話し相手すらおらぬ。やることといえば、せっせと毒を集めては右から左へ垂れ流し、その過程でほんの僅かに浄化するのみ――」

「ぅおっほん!ラグナレノス様。これでもわたくし、以前よりかは毒を多めに浄化できておりますの」

「あぁそれは素晴らしいな、余の小指の爪先ほども増えたのだから。だが、もういい加減飽きぬか?これだけの時間があれば、余ならば数千数万もの世界を渡り歩けた。それを其方はただただここで、とおの昔に死んだ男の為に足掻き続けている。それが愛だと?はっ……」

 鼻で嗤うように一度言葉を切った魔王は、淡々と自分を見据える老婆を見上げ、その口元を不意ににやりと吊り上げた。


「相も変わらず、美しいではないか」


 その称賛の言葉にしばし目を瞬いた老婆は、やがて小さく肩をすくめて「お人が悪い」と呟くだけで精一杯のようだ。
 その深い皺の刻まれた白い頬に、控えめな朱が差している理由も、勿論魔王は理解している。

 自分のこの姿は、神樹が『愛』を捧げた男の在りし日の姿を基にして、形作ったのだから。

 ただ、だからこそ焦がれるような想いを抱く。

 自分には理解の追いつかない人間特有の感情は、愚かとも哀れとも切って捨てて問題はない。
 だが、それが不可思議なものであるが故に、この存在を美しいと思う。
 そしてそれに想われる存在もまた、何よりも美しく好ましい。

「――だからこそ、余もそれを手にしてみたいのだが……やはりその『愛』だけは、さっぱりわからぬわ」

 この手にない物をこそ、ほっす。
 その本能が激しく声を上げるからこそ、魔王はこの世界に留まり、神樹を庇護してきた。
 再び同族同士で世界を巻き込んで滅ぼし合わぬよう、人間の共通敵となるべく『魔王』を名乗り、魔族を生み出しもした。
 国を造り、敵であれ味方であれ、人間と触れ合う娯楽もそこで覚えた。

 そうしてこの世界で時を過ごしていけば、神樹の『愛』とやらが行き着く先も見届けられるだろうし、いずれは自分にもそれがわかる日が来るだろうと期待して。

「まぁ……娯楽に興じすぎたが故に、このような事態になったのだが……はぁぁぁぁぁ~~~惜しいことをした……あれほど愛い者は未だかつて存在しなかったというに……」

 ついその娯楽しげきを求めるあまり神樹への侵害を許し、せっかく手元に置いていた極上の『愛い』を手放すことになったのだ。
 過ぎたこととはいえ、ため息は止められない。
 せめてこの失態の経験は後に生かそうと決意する魔王だったが、唯一の同居人はそれを聞き流さなかった。

「それは、ここで何度も何度も何度もお話しなさっている魔導士のことでしょう?やはり……その『い』が、貴方様にとっての愛おしい――つまり『愛』という感情ではありませんの?」

「は?何を言う。愛いは、愛いだ。愛いからこそ、余は手放したのだ。これが『愛』なのであれば、余が切望してきたものぞ?手放すという選択肢すらないであろうが」

「……賢しげなだけの赤子に情操教育など、わたくしの専門外でしたわね」

 さらりと無礼なことを呟く神樹だが、出会った頃からそうだったのだから、今更目くじらを立てることもない。
 それよりも今はせっかくだ、ここでできる唯一の娯楽にまた身を委ねるか。
 そう結論付けた魔王は、その瑠璃色に灯る瞳を静かに伏せた。

「余はしばし思い出に浸る。邪魔立てするなよ」

 隣に控える神樹へ、そんな一方的な宣言をしてから彼が辿る記憶は、一つだけ。


――ぼくのともだちに、なっれくれゆ?――


 その舌ったらずな幼い声音で始まるのは、生まれながらにして他と隔絶した圧倒的最上位存在が初めて経験した――下僕の日々である。



しおりを挟む
感想 41

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  ゆるゆ
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが、びっくりして憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! ノィユとヴィルの動画を作ってみました!(笑)  インスタ @yuruyu0   Youtube @BL小説動画 です!  プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったらお話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです! ヴィル×ノィユのお話です。 本編完結しました! 『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく舞踏会編、完結しました! 時々おまけのお話を更新するかもです。 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました

  *  ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。 BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑) 本編完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 きーちゃんと皆の動画をつくりました! もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。 インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら! 本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

処理中です...